もしも東方projectの世界にシシ神がいたら 作:ジョン・N
つづいた。
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都にある広大な敷地に建てられた立派な邸宅。その土地が国から賜ったものであると知れば、家主の身分の高さはひと目で明らかであった。
庶民の家とは桁違いの規模を誇る貴族の邸宅では、いま、男が従者と名高い狩人を引き連れ、まるで戦に向かう武士のような気迫で旅立とうとしていた。
男……車持皇子こと、藤原不比等の狙いは、【金色の鹿の首】を取ってくること。つまり、東の地へ行き、凶暴な獣や妖怪がいる大きな森、その奥に棲む死を司るシシ神の首を討ち取るのが、不比等の目的であった。
それを実行するのは困難を極めるが、かぐや姫の課題に応え、ひいては姫と結婚するため、藤原不比等は万全の支度を整えた。
従える男衆もまた、手柄を立てようと意気盛んであった。
「……行かないで」
しかし、その藤原不比等を物陰からじっと見つめる少女が一人いた。
黒髪の童女は、藤原不比等の娘である。自分の父が命を賭して旅立とうとする姿を、その少女は懇願するように見つめていた。だが、その願いが叶えられることはない。まして、少女にはその想いを言葉にして伝えることすらできなかった。
「良いか皆の衆、我らが向かうは東の地、神の住む森だ。これから我々は獣とはいえ神を殺すのだ。だが、心配はいらん。この神殺しは天朝様も認めておられる。我が命に従い、見事シシ神の首を取ったものには、相応の褒美を与えよう。必ずやその首、取ってみせよ!」
『『おおおおっ!』』
「行かないで……お父様!」
しかし、少女の切なる声は、家来たちの声にかき消され、風に流されていった。
***
山の中、焚き火がバチバチと音を立てながら木の枝を燃やす。その周りには人影がふたつ。一人は焚き火が消えないように枝をくべ、もうひとりは横になって眠っている。
「……ぅぅう、はっ!」
過去の記憶にうなされていた少女は、悪夢から逃れるように目を覚ました。
「気がついたか?」
「っ!」
急に聞こえた人の声に、少女はピクッと反応して身構えた。
振り向くと、そこには自分と焚き火を挟む形で女が座っていた。整った顔つきと綺麗な身なり、敵意や悪意は感じられず、どこか優しい眼差しをしていた。
辺りを見ると、少女は自分が草原の木陰に寝かされていたことに気が付いた。上空には星空が広がり、月明かりが照らしている。月光が差し込み、周囲は仄かに明るいが、焚き火の光は木々の影で遮られ、遠目には目立たない。夜行性の獣などから見つかりにくい場所だ。
やがて意識がはっきりとしていき、少女は行き倒れた自分が目の前の女性に助けられたのだと理解した。
「お前は?」
「上白沢慧音という。ただの通りすがりだ」
「妖怪か?」
「いや、半人半獣だ。白沢という幻獣の力を宿していてね……まあ、事情があってこうなった」
「なぜ私を助けた?」
「別に大した理由はないよ。こんな山の中で少女が倒れていたら助けもするさ」
慧音と名乗った女性は、また木の枝をくべる。
自分の状況と彼女の人柄、わざわざ明かさなくても良い正体を口にする言動から、どうやら本当にただの良い人のようだと妹紅は理解した。
「そうか……いや、助かった。礼を言うよ」
別に助けなくても大丈夫だったけど、という言葉を、少女は寸前のところで飲み込んだ。
「私の名は妹紅だ」
「……そうか。なら私も慧音でいいよ」
妹紅は胡坐をかき直し、慧音の方へ体を向けた。大雑把そうな所作をしているが、姿勢はまっすぐで、手捌きは静かで整っており、所作の端々に上品さが垣間見えた。それなりに格式のあるところで育ったのだろうか。
だがそれよりも、行き倒れたとは思えないほど妹紅が平然としていることに、慧音は違和感を覚えた。
「妹紅は、どうしてあんなところで倒れてたんだ?」
妹紅の赤い瞳を見据えながら、慧音は訊ねた。
「ああ、まあ……私はわけあって、一つ所に留まれなくてね。いろいろなところをふらふらしてるうちに、ここに来ただけだよ」
「不用心が過ぎるな。獣や妖怪に襲われたら、どうするんだ。おまけに水や食料もなしに、こんな山の中を歩くなど正気とは思えんぞ」
そんな説教臭いことを言いながら、慧音は巾着袋から竹の水筒と干し肉を取り出し、妹紅に差し出した。しかし、妹紅は手を横に振って断った。
「良いんだよ別に。見ての通り、私は平気だ」
「……何か事情があるのか?」
内心で警戒しつつ、慧音は穏やかな口調で確認するように訊ねる。
「まあな。私の身体は普通じゃない」
「というと?」
「蓬莱の薬を飲んだんだ。つまりどうやっても死なないんだよ」
緊張感のある口調で言う慧音とは対照的に、妹紅はあっさりと答えた。
「蓬莱の薬?」
「ああ、飲めば不老不死になるという薬だ。それで私は不死者になったんだよ」
「不死者か……なるほどな」
慧音は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに納得したように頷いた。そして、話をしている妹紅の表情にどこか影が差していたことに気づいた。発する言葉にも、どこか憂いと怒気が含まれているように感じられた。
――ぐぅぅぅ
ここで、どこからか気の抜ける音が聴こえた。
その音に妹紅は顔を赤く染め、恥ずかしそうに両手で腹を隠す。その子供っぽいしぐさに、慧音は思わず微笑をこぼした。
「ふふっ、どうやら不死なのと腹が減ることは別問題らしいな。遠慮は不要だ、ひとまず食え」
「……すまない」
妹紅は申し訳なさそうに、慧音の差し出した干し肉を受け取ると、噛みしめるように食い始めた。固い干し肉を咀嚼するにはそこそこ力を要するが、ひとまず妹紅の空腹を満たすことはできた。
腹が満たされたことで、妹紅の表情もどことなく柔らかくなった。
「その“右腕の痣”も、不死者になった代償か?」
「ッ!」
慧音が訊ねると、妹紅の表情がまた引き締まる。妹紅は左手で隠すように右腕を撫でた。
「見たのか?」
「すまないな。助けたときに見てしまってね」
「……いや、構わない」
妹紅はぎゅっと右腕を掴む。痛むわけではない。それでも“これまでの経験”から、この痣を他人に知られることが、妙に心をざわめかせた。
「確かにこの痣は、不死になってからできたものだ。ある時に手首のところにできたと思ったら、徐々に広がっていってね。今では肘のところまで広がっている。この痣を消すすべを探しているのだが、いまだに手がかりすら見つからないんだ」
「ふむ……」
慧音は自身の知る情報と照らし合わせるように深く頷いた。その慧音の表情が何か心当たりがあるように妹紅には見えた。
「慧音は何か知っているのか?」
「そうだな……」
慧音は真剣な顔つきで、妹紅が押さえている右腕を見据えた。
「一つ聞くが、妹紅は“タタリ神”を見たことはあるか?」
「タタリ神? いや、一度もないけど」
「なるほど……では、“身の内にあるもの”か」
小声でつぶやかれた最後の言葉は、妹紅は聞き取ることができなかった。慧音の問いの意図が分からず、妹紅は首を傾げる。
「それが、どうかしたのか?」
「いや、その痣だが、タタリ神から受けた呪いの痣とよく似ている。怒りや憎しみの『祟り』によってできる、肉を腐らせ、死を呼ぶ呪いだ。もしそれと同じ痣なら、呪いは全身へと広がり、やがてはお前をタタリ神へと変えるだろう」
「ッ!」
妹紅の心臓が一度大きく跳ねた。右手を押さえる手の力を強め、奥歯を噛む。
不死である自分の身体に、呪いが広がっていく。やがて自我が無くなり、自分が自分でなくなる。その不気味さと恐怖が、改めて全身に重くのしかかってくる。この痣が広がるにつれて、その感触は何度も“体験していた”。
焚き火の火がバチンと音を立て、二人の間にわずかな沈黙が落ちる。
「教えてくれ。どうすれば、この呪いは解けるんだ?」
「……そうだな」
懇願するような妹紅に、慧音は表情を歪ませ、考えを巡らせた。正直なことを言えば、慧音に直接的な解呪方法に心当たりはなかった。
だが、タタリ神というのは怒りや憎しみにすべてを塗りつぶされ、死にながら生きているようなものだ。死ねない彼女にとっては、その修羅は永劫に続く。並の人間が耐えられるものではない。
そんな過酷な道へと行かせるのは忍びないと、慧音は解呪の可能性となる、ひとつの心当たりを口にする。
「可能性があるとすれば……ここからさらに東へ向かったところに、“諏訪”と呼ばれる土地がある。そのすぐ近くの森では、シシ神と呼ばれる神がいるらしい」
「“金色の鹿”か?」
「知っているのか?」
「あぁ、わけあってな」
妹紅は目を伏せて返した。その一瞬、目の奥に燃えるような怒りが宿った。その怒りの理由が気になったが、慧音は深入りせず話を続けた。
「そのシシ神が育む森に身を置けば、どんな怪我や病気も治ると言われている。そこに行けばひょっとしたら、その呪いも解く方法が見つかるかもしれん」
「……そうか」
妹紅は顔を少し俯かせ、焚き火を見つめた。そして、ゆらゆら揺れる火を見つめながら黙考する。長い間、ただ耐え続けることしかできなかったこの呪いに、一筋の光が差した。
行くべき場所ができた。呪いを消す手がかりがあるかもしれない場所だ。口にはしないが、妹紅がそこへ向かおうと決心したのは、目の前にいる慧音にも分かった。
焚き火の薪が崩れる。もうじき焚き火の火が消えそうだ。
いくら半人半獣と不死者といえど、夜の山を歩くのは危険が大きい。頃合いを見て、二人は眠りについた。
明け方、東の地平線に、朝日が昇る。美しい陽の光が森を照らし、木々に止まる鳥の鳴き声が、朝の訪れを森に告げるように響いた。夜の冷えた空気が、日の光によってぬくもりを増していく。
先に目が覚めた妹紅は慧音を起こさないように、そっと身を起こすと、そのまま身支度を整えた。
「世話になったな」
そう言って、木陰で眠る慧音に頭を下げ、妹紅は山を照らす朝日に向かって歩いて行った。
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……つづく