生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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 題名の四字熟語は造語です。
 今回は原作登場人物との絡みは皆無に等しいです。

 尚、作中に出て来る歌詞ですが、調べた結果著作権は切れているとの事です。


第二章:人面獣心~人間と魂と食い気~
第十話:歌哭解釈


 麗らかな日差しに足取りが重くなる。所謂主婦と呼ばれる人や一人暮らしの人、掃除洗濯等の家事の経験のある者ならば太陽の恩恵を壅塞する暗い雲を憎たらしく思うだろう。無論私も同意であるが、外出するなら激しい日差しの脅威を案じる必要の無い曇天が好ましい。これをいつだったか現代の幼馴染の翔子に熱弁した所が、だからお前と花見や紅葉狩りに行くと曇るのか、と恨めしそうに言って眦を吊り上げた。彼女は雨女で、その尋常ならざる力を緩和し、曇りに抑え込んだ私が晴女なのではないかと思われる。

 玄関を出て戸締まりの確認を済ませ、目の前のブロック塀に手を突いて靴の踵を直し、学校指定の頑丈な布製の鞄を襷掛けにして左折する。直ぐ塀は終わって私道に出ると御近所に住む小母さんが自転車に跨がって擦れ違い、会釈して別れ、いざ行かん。

 辛夷の林立する道路の端を伝い公道に出て、車の往来に気を付け反対車線へ渡り、閑古鳥が鳴く商店街を抜けて前方に遮断機の下りる踏切を認めて肩を落とした。家を出てから一度も立ち止まる事無く順調に通学路を踏破したいと思うのは、小学校以来ずっと思い続けている事で、これを翔子に言えば彼女も深く賛同してくれた。

 踏切の警報器の甲高い音が響き、耳の奥で跳ね回って上下が怪しくなる。私は三半規管とやらが弱いのかもしれない。

 カンカン、カンカン、踏切の音は鳴り止まない。

 段々その音に節がつく気がして爪先でアスファルトを叩いて鼻歌を歌う。後で思えば踏切の警報器の音とまるで違う曲だけれど、耳障りな音を軽減したい一心の今の私は気にならず、音楽に造詣の深い野郎ならいざ知らず余り関心の無い自身が諳んずる事の出来る数少ない歌の内、よくあの子に聴かせた歌を歌う。

 時節柄似合うものを選曲しのだが、やはり聴かせる相手が居て初めて歌い甲斐と言うものが生まれ、一人寂しく歌うと途端につまらなく思われて勝手に気分が悪くなる。

 菜の花畠に、入り日薄れ

 見渡す山の端、霞ふかし

 春風そよ吹く、空を見れば

 夕月かかりて、におい淡し

 空を見上げて目の眩むような青色に、一寸外れたかしら、と小首を傾げて半眼になる。

 曲名が抑も『朧月夜』なのだから、朝の学生の通学の合間に歌う曲ではなかったようだ。

 

 * * *

 

 雨季が終わる、と言ったのはラキストさんだった。遅かったな、そろそろ移動だろう、と言い置きハオの許へ取って返し、嬰児を抱いて黒いポンチョに覆われた背中を見送り晴れ渡った空を仰いだ。

 現代で見た覚えのある東京と南アフリカの雨季の間か年間を通してか、何故調べたか忘れたが降雨量をネットで繙閲し、やはり東京の方が圧倒的に多いなと思った事は記憶している。それが南アフリカの一部の記録だったかも判然しないが、少ないと思ったのは確かだ。此処が異国の南アフリカで降雨量が少ない事は明白だが、滞在して二ヶ月半、雨天が続く日はあっても数える程度で、雨が煩わしいとか早く上がれとか恨み言を並べ立て悪態をついた事は余り無いように思われた。偶々この一帯の雨が少なかっただけなのか、それともこの量が異国の常識なのか、きっと用いる機会の無い知識に興味を抱いた。

 この頃私は羊のママ─半ばお巫山戯で命名したのだが自分の中でもすっかり定着してしまった─を連れ立って岩場で暇潰しに故郷へ想いを馳せる。ママは他の羊や本物の我が子の存在も何処吹く風で、人間の嬰児や役立たずの人間の小娘の傍を離れず、最近は私達の寝泊まりする幕屋に迄同行し、それで柵の中に帰るかと思えば私の隣に寝そべって就寝する。ママの飼い主は心配しないのかしら、飼い主と関係が悪くなったらどうしようと憂悶していた所へ喧しい日本人の二人組が、ハオが又確認と許可を取った旨を聞かされ閉口した。常々思うが、原作のハオの性格と目前のハオの性格が幾らか食い違っていやしないか、そう首を傾げるが自然を尊重して暮らす遊牧民相手であれば存外律儀な奴なのかもしれない。

 無聊の毎日を過ごす私は変わらず岩場の日除けの窪みに嵌まっていた。

 我が物顔で私の尻の隣に寝そべるママは欠伸をしつつ、時折溜息を吐いて白河夜船、私が窪みを抜け出し日光浴している最中に起き出せば文字通り飛び起きて駆け寄って来る。そうすると段々ママが第三の母親に思われ出し、乙破千代が幾つになる頃か知らないけれど、いつか必ず死んでしまうのだと想見して丸一日憂鬱で涙を堪えるのがやっとであった日は二度と思い出したくない。持ち霊にならねば乙破千代が不利を被る事は自明であるが、それでもママに死んでほしくない、過ごす時間が増えるごとに想いは募る。

 勿論、乙破千代事オパチョも大事だ。ママ同様共に平穏な日々を生き抜いていると、シャーマンファイトが始まる前にお別れかと思うだけで哀惜の念に堪えず、毎夜眠る度に涙が滲んだ。二ヶ月経ち手足を動かす事が増え、手を振り回して私の顎を引っ掻くのだ。これが可愛くない筈もなく、顔を合わす機会があれば見逃さず山田さんの許へ素っ飛んで行って自慢するようになった。子供は解らない、と言いながらも動きの多くなる嬰児の姿にはある種の感動を覚えるようで、二三回顔を見せると陥落し、親戚の小父さん宜しく成長を楽しみにし出した。

 因みにハオには定期報告の義務と称して、ラキストさんを間に挟み成長を自慢している。ハオもよく傍に寄って来るし、顔を見るので必要無いだろうと思われるが可愛い兄弟分の話はいつだってしたいので、彼なら聞き流していると決め付け未来王の腹心を見付けては日々口を動かしている。

 こうして最近の自身の行いを振り返ると喧しい日本人の二人組を、五月蝿いと一蹴していた頃が恥ずかしい。でも、やっぱり二人は五月蝿い。

 結局この二ヶ月半に私の関わった原作の人達は、ラキストさんと花組と嬰児を除いて皆日本人だった。花組とは衝撃の邂逅を最後に話してもいない、私の身辺にママが貼り付くようになった為、彼女達は異物の私に対して一切の関心を無くしたのか幕屋や焚き火の周りで鉢合わせする事があっても無視するようになった。無関心とは即ち存在を否定される事に他ならないが、最早恐怖の対象でしかない三人娘に囲まれる地獄絵図を思えば、どうぞこのまま御放念下さいと懇望せずには居られない。

 ふと思うのは、健康的に成長する嬰児、惰眠を貪るママに親戚の小父さん宜しく山田さん、喧しい日本人二人組に不動(うごかざること)如山のラキストさんと腹立つ笑顔の自称未来王、その他賑々しい人達に囲まれていつ別れるとも知れない毎日に侘しさを感じる。

 いつか別れた私は何処へ行くのだろう。

 そんな寂寥感に没入していた時、何の予兆も無しに近場に落雷したのかと勘違いする程の絶叫が腕の中で爆発した。何事かと目線を下ろせば嬰児が真っ黒の顔をくしゃくしゃにして絶叫している。

 嘗てない絶叫振りに慌てて立ち上がって腕を揺さぶるが効果は見られず、顔を上げて半ば胴を起こしたママも瞠目して左見右見、私の腕の中の発信源に気付いて駆け寄った。お乳かしらと蹄の傍に屈むがママは違うと言うように身を捩るので、対応に困却した私は呆然と全力で絶叫する嬰児を見下ろした。

 こんなに騒ぐのだからハオが飛んで来ても不思議でないが、後に知った事で彼は遊牧民の移動先を下検分しに行っていて不在だったらしく、付近に居ないのだから来られる筈がない。嬰児の泣き様の雄々しい事、困惑した私は余りの出来事に身動きを止めて凝視するばかりで、周辺を地響き立てて駆け回りあやすに努めるママを宥める事もしなかった。

 私の頭が働き出したのは暮色の迫る暗い空の鉛色の雲の隙間から差し込む夕日に目を射られ、疼痛によって思考が回復した。立ったなり抱き締めるだけの魯鈍振りに申し訳無さと後悔が先立つものの、併呑して一度深呼吸し後、漸くママを宥めて嬰児のご機嫌取りに専念する。腕を揺すり、体を揺すり、立って抱かれるのが気に食わないのかと座って同様に腕や体を揺らすが泣き止まない。小さな顎を一方の肩に乗せ、立って座って背中を軽く叩いて宥めるも効果無く、言葉の通じぬ嬰児の絶叫の訳も思い付かず狼狽し、到頭私の目に迄涙が浮かび出す始末で万事休す。

 この時ママも困っただろう。何せ娘分の私迄泣き出したのだから、先にどちらをあやせば良いのか、どちらが赤ん坊なのか、こんな子供の世話を引き受けてさぞ後悔した事だろう。

 座り込んで嬰児を抱き締め、姉貴分失格だと自身に言い聞かして勝手に泣いて、その間死力を尽くして泣き叫ぶ嬰児を放置するのだから子守の資格も無いだろう。万策尽きたと言う風なママの鳴き声も加わり、絶叫と哀叫と鳴き声の混声合唱が閑静な異国の広野に響き渡った。

 メエ、メエ、ベエエエエエ。

 とママの鳴き声が耳元でする。委細構わず好き放題に哭泣する私と嬰児は、少なくとも私はママの声を無意識に何処かで遮断し、聞こえない振りして泣き続けた。よく赤ん坊の連日連夜の絶叫に疲労困憊した母親が誰に理解もされず塞ぎ込むと聞くが、一瞬でそうなってしまった私に今後子供が出来たとしたら間違い無く育児困難の状態に陥ると思われる。きっと赤ん坊は他の人に保護され、自身は自宅療養にでもなるのだろう。

 いっかな泣き止まずに居ると、ママが顔を突き出し上下して、頻りに鳴いて手のかかる子供二人を同時に慰撫する。

 メエエエ、ベエエエエ。

 するとまず嬰児が反応した。次第に声が小さくなって、やっと私が気付いて、まだ泣いているけれど落ち着き出した様子に安堵した。自身の涙を抑止する事も敵わず啜り泣くが、段々頭の中がはっきりし出して目を瞬かせ、しとどになった睫毛に引っ掛かる水気を汚いシャツで拭うと急に視界が明るくなった。音が戻ってママの声が耳を劈く程の大音声であった事に仰天したが、後は嬰児をあやすのみで鎮静した頭でさあどうするかと、先程の恐慌振りが演技だったのかと思われ兼ねない程冷徹に頭が回り出した。嬰児が泣く理由は口があっても言葉が無い所為で、喚く以外に意志を伝える術を持たない、畢竟嬰児は泣いて暴れる事がコミュニケーションなのだ。

 あやす努力をしても泣き止まない、そんな時はどうするか、好きなだけ泣かせば良い。疲れたら眠ってしまうだろう。

 そう思えば事は簡単明瞭である。自分は座って嬰児を抱いてあやせば良い。嬰児の方は疲れたら泣き止み眠るだろう。それなら少し眠り易くする為、子守唄を一つ二つ歌ってやろう。

 

 * * *

 

 学校指定鞄の金具がブラウスの袖の釦に引っ掛かって皮膚を引っ掻いた。登校時間と言う限られた時間内に学校を目指す学生にとって踏切の遮断機程鬱陶しい物は信号機くらいで、その待望の電車が牛歩の歩み宜しくのろのろと現れ、一時停車するのではと言う不安を見せつつも通り過ぎた。遮断機が上がってまだ長い通学路を重い足取りで歩み、腕の振りを制限する金具を丁寧に外した。

 黄色い自分の手を目の前に翳して一笑する。あの子はあれから子守唄を好むようになったっけ。暫く私とママの歌で我慢していたけれど、いつからか子守唄は奴の担当になった。それはいつ頃からだったかしら、と思いを馳せてあの子と奴の幸福に満ちた笑顔を思い出す。

 あの子の歌への関心を声柄一つで掻っ攫った奴が今も恨めしい。




乳母日傘(おんばひがさ):大事に育てられる事。

歌哭(かこく):歌ったり、泣いたり。好い事があれば歌って喜び、良くない事があれば悲しくて泣く。
解釈(かいしゃく):物事の意味を受け手の方で理解する事。説明する事。蟠りを解きほぐす。

 第二章はもう少しハオと関わってもらおうと思いますが、どんどんバイオレンスになりそうな予感がします。特にハオの非シャーマンへの対応、花組の復讐心(?)とか。
 完全一人称、オリ主視点の為、ハオ達への偏見が多分に含まれますが、徐々に慣れていかせます。ハオ達の心理描写は一切無いので、とても解り難くて申し訳ありません。
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