生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第十三話:

 翌日昧爽、私は幕屋を這い出し昨晩の焚き火の跡の傍らに立ち、遊牧民の家畜の柵の見当から響く鳴き声に耳を澄ました。直に鈍い音がして、次第に近付くらしく、聞き慣れた濁声が鼓膜を震わせ腹に落っこちる。羊のママの硬い額が大腿の付け根に当たり、体当たりの余勢で足下の拳大の石を踏み損ない、均衡を崩した私は片手を地面に突いて無様な転倒を免れたが、一方の腕は嬰児を抱えている為咄嗟に前に突き出す事が出来ず支えの無い方向に倒れ膝を突いた。その衝撃は片腕の中の嬰児に伝わり、日本人の平均的十歳児の体躯で抱えきれなかった大きな頭が、がくんと下に引っ張られ、私は身も心も青褪め両腕で抱き直し、真っ黒の顔を覗き込んで安否を確認する。父方の叔母が赤ん坊は首が折れるから首を支えなければならんと言っていて、当然育児の経験の皆無の私は彼女の言葉に全幅の信頼を寄せている、見様見真似で抱いていたのだけれど、到頭やってしまった。嬰児の柔い首は仰け反って、後頭部こそ地面への接触は回避出来ても垂れた頭を自力で持ち上げる事は不可能で、喉元から胸元にかけて氷塊が滑り落ち、鳩尾を穿って全身の血の気が引いていった。

 素早く上体を起こして大きな頭を鷲掴み、幾度も、「乙破千代乙破千代」と呼び掛ける。すると嬰児は、ぷう、と言うか鳴くかして手足を動かした。四肢が動くから首に異常は無いと断ずる事は出来ない、一度医者に診せる可きか、抑も医者は此処いら近辺に居るのか、案ず可き事は山のようにあって、すっかり動転した私は幕屋の中で健やかな寝息を立てるハオを叩き起こそうと身を翻した。が、ママの一鳴きに一足踏み出し立ち止まる。胸元の嬰児を見遣れば頭を左右に転がして私を見上げて居た。

 嬰児はいつの間にか首が据わって寝返り迄打てるようで、子供の成長はこんなに早かったかしらと疑念を払拭し切れず目が白黒するが、軟弱な日本の現代っ子とは一線を画した逞しさと思い直し、只々素直に頑健な子に育てと言葉を贈った。ママの掣肘を受けて深く眠る人達の幸せを妨げる事が無くなって胸を撫で下ろし、体当たりによる足腰の被害は水に流そうと決め、自分を見上げて意気消沈するママの頭を撫ぜた。成長の証左たる嬰児の寝返りに沈んだ気持が上昇したのかママは又一鳴き、体の向きを反転させ鼻面で、昨夜山田さんと話し込んだ植物の方を示しそっちへ歩き出す。特段疑問に思う事無く付いて行って、昨日の植物を通り過ぎ、不恰好な樹木の疎林を抜けて足を止め、遅れる私を振り返って待ってくれる。私が追い付くと歩みを再開し奥に向かい、一等大きな樹木の幹を半周して向う側の開けた土地を前に鳴いた。ママの哀韻を孕む鳴き声に私も目を剥いて立ち尽くした。

 開けた土地は文字通り何も無かった。土はある、石ころもある。何と称す可きか、明確な言葉を思い付けぬ自身の語彙の乏しさに羞恥の念に堪えず、思わずその場に頽れて、不意に山田さんの言葉の意味を理解した気になって項垂れた。開けた土地、其処に星の息吹を見て取る事は敵わなかった。

 気付けば幕屋の近くに戻っていて植物の間に割り込み不貞腐れて居た。星の悲鳴を聞けない私は、誰かに冷厳な現実を見せ付けられて漸くひやりとするのだろう。

 朝食作りの為に料理担当の大男が起き出し、焚き火の跡の傍で薪を積み、文明の利器を用いて火を点けた。彼の愛用品らしい鍋等が地面に並べられ、大きな背中を丸めて調理を始めるらしい。私は蠢くその背中に視線を注ぎ、昨晩気付いた事を心中で復唱して溜息と共に朝の挨拶を述べた。

「ん? おう、お早う」

 彼は振り向いて軽く挨拶を返した。その次の話題が無い、このまま会話を続けねばと焦り、しかし話題にして違和感の無い話題も思い付かない、第一彼と何を話して良いのか全く解らない。昨晩の決意が早くも挫けそうで一層焦燥は募り言葉が出なくなる。相手の目線は手元の食材に向いてしまい、万事休す、と思っている私の焦りは杞憂に終わった。

「ハオ様、……まあ、其処まで心の狭い方でもないだろうから」と彼は言う。「お前が生きているって事は、ハオ様はお前の暴言や愚行に目を瞑って下さるんだろう。ダマヤジとボーズの奴らが説得してたぜ。俺(おら)ぁ、お前の事はどうでも良いが、ハオ様は仲間の三人の嘆願をお聞き下さった、ハオ様の寛大なお心にも感謝しろよ」

「三人に、お礼を言わねばなりません」

「やめとけ。彼奴らは、同国出身の身寄りの無(ね)え餓鬼が可愛いんだろ。下手に礼を言ったって、彼奴らは嬉しくねえだろ。俺だって、相手が同じ中国人なら庇ったかもな」

 存外饒舌な彼は滔々と言って、それで後は黙って調理の為の手を動かした。

 言い分は正しいと思う。三人は不躾な態度の私を相手に顔を見れば声を掛け、体調を気にし、唯一霊の見えぬ私を気遣ってか余り一行の目的に言及する事はしなかったし、花組と接触の機会を減らす為か判然しないが三人娘と鉢合わせしそうな時は別の道に誘導してくれていたように思われた。

「私は、……幽霊を信じていません。今は、信じなければ気が狂いそうで、保身の為に信じているのだと思います」

 私は言った。調理の手は休む事無く動き、彼の顔がこちらを向く事も無かった。

「変な事を言い出して御免なさい。……山田さん達には、とても言えなかったんです。だって、見えないです、其処に居ると言う存在がちっとも見えない。それを信じ込む事は、難しかったんです」

 此処が漫画の世界だから信じた迄で、摩訶不思議な体験を済ましていたから信じた訳で、現代に出会って件の内容を音吐朗々と語られても一笑に付し、以後お近付きにならないよう距離を置く事は想像に難くない。ある意味で私だから信じたような話だ。

「私は、皆さんを知りません。知らないのに、知らないから解らないと言ってはいけない。知っていて解らないとは、やっぱり違うのだと思います」

「俺に言われてもな。……でも、知っていて解んねえって言われるのは、それは相手に取っちゃ辛いし悲しい話だ」

 一蹴され兼ねない言葉に、彼は真面に返事をして下さった。そうして続ける。

「例えば容姿、見た目だ。ネットで知り合って、相手を知って、散々不細工だっつって、良いよって言われて、直接会った時は取り繕うのがある種礼儀だが、会った後は音信不通とか……、ただ飯の話で盛り上がっただけで、それじゃあ、やってらんねえぜ」

 私は黙って立ち尽くす。

「動物園とかの人気者、例えばパンダ。動物園に居て飼育されているから、街中に出没しても、そのパンダが安全とは言えねえ。皆、知っている動物園のパンダでも、街で人を襲えば只の害獣だ。檻の中で大人しく人に見られる分にゃ、誰も文句言わねえんだから、可笑しな話だろう」

 ふと腰に擦り寄るママの鼻面を撫でて、やっぱり黙った儘続きを待った。

「不細工な人間は嫌われて、それでも表を堂々歩くんだ。人気者の可愛いパンダは、表を歩きゃ怖がられ、下手すりゃ撃ち殺されて仕舞いだ」

 どちらが良い、と彼は私に問うた。

「解らない。嫌われるのは辛い、惨い死に方をするのは嫌だ、我が儘でも何でも、どちらも苦しい」

 俺もだ、と彼は言って料理の手を休めて私を振り返った。遮光用の丸眼鏡の奥の目が何色か知らないが、それでも酷く渋い顔で彼は私を見ている。

 私は先程から「彼」と呼ぶ。いい加減名前を知りたくて、相手を知る大きな第一歩、知った相手の事を解る為の大事な小さい一歩を踏み出した。

「私の名前は、大海原(わたのはら)歩(あゆむ)です。お名前は」

「范斬陳。ハオ様に会う迄、日本人は嫌いだったが、三人は兎も角、お前は餓鬼だから時々なら愚痴を聞いてやるさ」

 私は涙が溢れて俯いた。ぽたぽた落ちる涙を拭いつつ、絞り出せる声で宜しくお願いしますと呟き頭を下げた。




 向き合えば普通に応対してくれたなあ、と言う話。
 因みに、主人公が男で高校生くらいだったら、絶対こうは行きませんよ。
 子供の力ですかね。
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