生者必滅、会者定離   作:赤茄子

15 / 74
 この物語はフィクションです。
 書いている当人に育児経験は全くありません。


第十四話:

 ハンさんにお手伝いを申し出るもすげなく断られ、食事と言うか料理と言うか、作る事に思い入れがあるのか頑として手出し無用と言って峻拒していた。朝食の匂いの漂う現場に突っ立ち丸い背中の向こうの俎板の上を想見し、出来上がった料理を見て開口一番に何と言おうかしらと考えた。

 羊のママの傍らに立って調理の音を堪能する事数分、一見風が吹けば倒壊しそうな幕屋の出入り口の布を跳ね上げてハオが起き出した。目敏いハンさんは朝の挨拶の為に手を休めるが常のように体ごと向きを変える真似はしない、肩越しに後方に一瞥をくれて直ぐ手元に目線を戻し、声だけの挨拶で済ました。等閑に見られる挨拶もハオは心得た風に笑って返事をする。出遅れ気味の私も慌ててお早うと声を掛けると、ハンさんの手が止まって一瞬辺りの雑音も自然の生活音も静寂に呑まれ、昨日の今日で失礼かと思い至り返事の無い相手を前に畏縮した。何故人が朝の礼儀を尽くす事に逐一反応を示すか業腹だが、先の会話を思えばハンさんの行動は当然の反応で、彼ら曰く度量の広いらしいハオの部下の前での応対を窺っているのだろう。これを読み取り部下の望む儘の対応を見せるかは主人次第、当の主人のハオは私の挨拶に目を瞬かし、次いで人様の心中の焦りを見透かす笑顔で挨拶を返した。

 剽軽な調子の挨拶に私は怒るでもなく笑って安堵した。もう良いよ、と昨晩の彼は言ったけれど、やはり自身の非に自覚がある所為で一寸の謝罪で許してもらえたか心許無かった。自分の立場に置き換え相手の態度とこれ迄を思い返しても、涙ながらに謝罪された程度で一度抱いた不満へのこだわりを解消出来るか問われると自信が無い。又周囲の人達同様に接する事が出来るかの自信も気力も無く思われた。それら不安を一掃せんが為、つい先刻気付いた嬰児の成長を口頭で報告しようと思い付き、嬰児を出しに会話を繋げようとする浅ましさに自分の事だが嘆かわしく、けれど山田さんやハンさんとの会話で確信を得た私は彼と対話せねばならぬ強迫観念に駆られ、多分必死だった。己は物を知らない。前世の記憶は思い出で、経験済みだけれど現代に産まれて少し精神退行の見られる私は、前世の記憶は関係無しに現代の自分の経験だけで関わる必要があるらしかった。所謂転生を経験したし、けれど新たに生まれ出でた先が前世の記憶とちぐはぐな世界だから、彼の言う転生とは異なる現象だと思われる。其処で更に生身でちぐはぐどころか全く可笑しな世界に遣って来てしまい、現状彼らの許の他に行く当ても無い上殺される未来の待つ人生なら好き放題生きたいと言う願望もあった。

 それが出来れば苦労も無いが好き放題するには誰かに弾劾され、集団から指弾されても揺らぐ事の無い精神力と、責任を追及され命の危うくなった時に身を護れるだけの護身術に長けていなければならないが、誠に以て残念だが私にその類の能力は欠片も備わっていない。故に勝手は慎み、一行に迎合し、軈て来る死を先送りにしなければならない。

 と考え実行出来るなら、抑も山田さんに宥められる事も無かった。出来ないし、したくも無い。命惜しさに目的や其処に至る迄の経験や宿る感情の不透明な人達に付和雷同し、レンタルビデオの返納期間延長宜しく死を先送りにしたって来るものは来る。来るなら止むを得ない、来る迄の期間を堪能する方が有意義でる事は、これはやはり持ち出して申し訳ないが前世の経験則である。

 私は彼らを知りたい。以前と全く異なる生活を送るなら相手の性状を知る事が肝要で、更に死ぬなら歴とした理由が欲しい、彼らが私を殺すに足る理由を知り、納得した上で殺されたい。よく世間で言われる綺麗事や偽善や常春頭と痛罵されても一向構わない、何故なら自己満足の為に私は彼らを解りたい。何も知らぬ内、何も解らぬ内に人生の幕が閉じる事は我慢ならないのだ。どうしようもない、現代に何も残していない可笑しな経験をした子供の我が儘なのである。

 命知らずの我が儘を押し通す為ハオに歩み寄って腕に抱く嬰児の顔が見えるよう突き出して、乙破千代が寝返りを打てるようになった、と言うと先程の小馬鹿にした笑顔から一転、しんから輝く笑顔で嬰児を覗き込んだ。あんまり力強く踏み込んで来るから彼の黒髪が勢い余って私の腕を引っ叩いた。

「思ったより早く首が据わったね」とハオは言って嬰児の真っ黒の顔を見下ろし微笑んだ。私や一行に向けるものより一等無邪気且つ人間臭く、又写真で見た両親の笑顔にも似た柔和な笑みを湛えて彼は続けた。

「凄い、仰け反っているよ」

「元気な子だ。今更だけれど、ハオ、抱っこしてみるかい?」

 と私は、本当に今更の提案をした。内心もう少しだけハオの心底嬉しそうな眩しい笑顔を見たくて、卑怯と知ってさも名案か何かのように言った。

「うん」とハオは人の思惑を知悉していながらあっさり頷いた。

 落とさぬよう嬰児を手渡し、慣れた手付きで抱くハオの嬰児を見詰める人間臭い顔を注視した。まだ私がこの世界を知らずに彼のお家芸に言及して気持悪いと軽口を叩いた時、曖昧な知識の私にシャーマンを説いた時、私が原作の知識のみを持ってずけずけ物申した時、無邪気な笑顔や感情の抜け落ちた顔を見て来たがこれ程人間染みた当たり前の顔を見た事は無かった。目を細めうっとりと無垢な嬰児を抱く姿は、自分の小さい頃の写真に写る両親や祖父母の愉悦に満ちた幸せそうな笑顔と変わらない。彼は人類を滅ぼすと言うが、こうやって大切に想う何かを愛でる気持に、霊を見る事の出来ない徒人達と差異は無いのだろう。無論徒人と同じに思われるのは心外だろうけれど、私は当たり前の顔をするハオを見て、やっぱり彼の事を一つも解っていなかったと再認した。

 小さく揺れる即席の揺り籠の中の嬰児は、初対面の日以来の彼の腕に抱かれて御満悦らしく、楓の葉より小さい手を伸ばして繊細な尖った顎を引っ掻き唸っている。乙破千代も人間臭いハオの笑顔を気に入ったらしかった。

 そうして幸福の絶頂にある二人を眺めていると、何だか自分も幸せのお裾分けをされるようで胸が熱くなった。その時、幕屋の出入り口の布を捲ってブロックを着込んだ小男が這い出して、泣かなくなったね、と言ってハオの足下に遣って来た。

 その言葉にはっとした。いつぞや花組と邂逅した折、彼女達はハオが抱くと泣き出し私が抱くと泣き止む、失礼な子供だと言って憤激していた。当時彼が何の思惑あって嘘を吐いたか知らないが、彼の嘘の御蔭で首と胴体が繋がり心臓が今も喧しく鼓動出来るのであって、しかし今彼に抱かれても嬰児が嫌がらない現実が露呈してしまった。急速に口内は乾き、呼吸が乱れるらしく眩暈を覚えるが踏ん張って突っ立った。傾いだ頭を真っ直ぐに立て直すとハオと目が合い、彼は人間臭い顔をしていなかった。まるで人を小馬鹿にした笑顔、脳裏に閃いた答えに腹が立つが、笑顔に名前を付けるなら愛想笑いだ。人様を馬鹿にした顔が彼の愛想笑いなのだ。

 これがこいつの愛想笑いかと得心し、私が愕然としているとハオは笑顔の儘足下の小男に向かって言った。

「でも、歩が居なくなったら泣くんだ。昨日の夜に試したばかりだから、まだ駄目みたい」

「そうか、残念だったね。仕方無いよ」

 と小男は言い、私を見上げて良かったなと告る。

「はい、返す」とハオは腕に抱く嬰児を突き返し、朝食作りに勤しむハンさんの方へ行ってしまう。

 正直小男に同意されなかった事に安心した。そうやって安心する自分が憎たらしくて、抱き直した嬰児のハオに抱かれた余韻に浸る幸せに満ちた顔を見詰めて憂鬱な気持になった。ハオ一人が献身的に世話をした方が乙破千代の為なのかもしれないが、私も情が移ってしまって、自身の最期の日まで抱いていたいと強く思った。

 朝食はまだらしい会話を背中に聞きながら、遥か足下に頭のある小男を見下ろして言った。

「あの、私は、大海原(わたのはら)歩(あゆむ)と言います。お名前は」

「僕? 僕はブロッケン・マイヤー。そういや赤ん坊は、今、どんな感じなの?」

「そうですね、首が据わって、多分寝返りが打てるくらいです」

 マイヤーさんは早いねと呟いて焚き火の跡を漁りに行った。彼がハオの養父である事は、もっとずっと後になって山田さんが教えて下さった。

「そうなんですか」

「ああ。だからお前が居なかったら、オパチョはブロッケンの奴が育てる事になったろうな」

「いや、そんな。きっと、ハオ様が一人で育てそうですよ」

「まあ、解らんさ。だって、オパチョは、お前やハオ様に懐いているんだから」

「ハオ様が一番だろうなあ。でも、オパチョが誰を好きでも良いですよ。私がオパチョを好きなんだもの」

 こんな会話をした。山田さんは破顔一笑、良い事だ、と頻りに言って私の頭を撫ぜた。暇潰しがてら交わした会話で、別段この話に影響する出来事でもないし詳細に記す必要は無いだろうから此処に記す。




 私の中で主人公の求める関係を築くのが難しい相手は、花組とボリスとペヨーテです。
 この五人はどんな会話させりゃあ良いのか想像すら出来ません。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。