家族に誓った決意を胸に翌日より再び三人娘を探し求め、辺りを歩いて見掛けた明るい頭髪の少女を捕まえて、しかし当人に話す気力は無いから会話になる前に何処かへ逃げられてしまう。執拗な事は承知の上で日々姿を見掛けては追い回し、軈て相手が呆れて幕屋の近辺に寄り付かなくなり、他の花組の二人は彼女から聞き及んだか知らないが目が合う前に私に背中を向けて遠くに駆けて行ってしまう。追い掛け言葉を掛けようにも三人は呆れ顔で話に応じる素振りも見せず、何処かに行って、そうして数日経って狩って来た魂をハオに全納する後ろ姿だけを見付け、駆け寄る前に又逃げられ面と向き合う機会は全く無くなった。
何も三人娘との対話に拘泥する事は無い、他に会話を試みた覚えの無い人達は複数人居るし、ハオの傍や幕屋の中で寛いで居る所を目にする機会も少なくない。その時を見計らい声を掛けたって相手が精励恪勤、多忙を極める仕事人間でない限り返答が全く無い訳でもないと思われ、その期待を励みに対話の記憶の無い人達が暇になる瞬間を窺った。
しかし数日経って、誰も暇にならぬ事が判明した。花組は勿論、土組のギター担当の人や月組の褐色の肌の人、白髪に近い長髪否、いっそ白髪と断言した方が表現し易い山田さんに似た髪型の人、未だ会話の経験の無い上記の人達は常に不在か或いは修業とやらに没入しているか、どちらであっても声を掛けられる状況、雰囲気でない事は確実である。不在は不在、捜す当ても捜しに行く足も無い私の行動の範疇を遥かに飛び出し、居ない人達に言葉を掛ける離れ業を、体得どころか教授してくれる先生も居ないので万事休す、ないなら諦める他無い。では居るならと当人を捜し近寄ろうにも、相手は自身の理解の及ばぬ修業の最中で、理解が及ぼうが自身の能力の管轄外の修業に勤しむ人に声を掛けるのは躊躇われ、まるで模試結果で志望大学の合格基準に達しておらず死に物狂いに勉強する学生か浪人生を見ている気持になるから仕様がない。潔く踵を返して愛用のカメラの手入れに集中する山田さんの傍に座り込み、琵琶を掻き鳴らして新曲らしき曲を轟かす二人組の忙しない特訓風景を眺めた。
勢い込むと何故かする事が無くなる。羊のママを伴い荒野で暮れ泥む空を眺め、乙破千代の御飯や下の世話や思い出したように駄々を捏ねれば子守唄、幕屋で眠る前に山田さんと世間話、昼間は二人組の歌を聞き流し、ラキストさんに報告を、最近ハオにも口頭で報告を、時折ハンさんやマイヤーさんと話して一日が終わる。折角組み立てた計画も遂行出来ねば無用の長物、徒費した時間も惜しく思われ、便々と不平を鳴らして過ごす日々が続いた。
ある日ある時渺茫たる記憶の大海に漂う出来事を掬い上げるのは容易でないけれど、印象強く又記念す可き日なら存外鮮明に憶えるもので、中々話し相手の手が空かない頃、山田さんは不在で二人組も珍しく外出中、ハンさんマイヤーさんの二人は幕屋を大分離れた所で修業中の人達の輪に加わり不可視の疾風を起こして渦中に突っ立っていた。ラキストさんとハオは最初から勘定に入れないから話す相手は乙破千代か羊のママくらいで、退屈の充足を極めた日々にさすがの私も疲労困憊の体で一人と一頭に愚痴を零し、愚痴ばかりの自分に嫌気が差して昼間の内は荒野の手前の疎林で過ごすようになった。一人と一頭以外のお相手の不在が数日続き、いよいよ頭の中が沸騰しそうな時、何を思ってそんな暴挙に及んだか知らないが、夜の帳が下りて目睫の間に立つ人の顔すら見分けられぬ真っ暗闇の中、私は幕屋に戻らず荒野に繰り出し進路に遮る物一つ無い平地を直歩き、随従のママの鳴き声に引き留められて立ち止まった。
回れ右の要領で体ごと後方を顧みて、薄い色の地面が白々しい月明かりを受け的皪と輝く光景に息を呑んだ。不恰好な樹木の疎林は見当たらない、私の視力で捉えられる距離にない事は明白で、それだけ歩いて来てしまった訳だからいい加減に引き返さねば迷子になってしまう。色取り取りの星の瞬く夜空の中天に鎮座在す正円の月の下、私は白けた荒野に立ち尽くして戻るか戻らないか逡巡し、兎に角立って考えるのに飽いて地面に座り込んだ。樹木の生える地面よりも少々硬く感じたが気の所為と言われるとそれで良いと思う程度の違和感だから、逐一気に掛けて周囲への危機管理を疎かにしてはならない。とは言え、猛獣に出会ったら非力を通り越して無力の私に出来る事は無きに等しく、ハオの許を離れると言う暴挙が愚の骨頂である事は言う迄もなく、何故此処まで歩いて来たのか、それは自身の摩訶不思議な旅の終わりの瞬間が来ても、この愚行について闡明される事は無かった。
白々しい地面に尻を突いて暢気に考え、その暢気に当てられたママも隣に寝転がって溜息を吐くらしく、私が動けば動くだろうが足の疲れを言い訳にしてもう暫く座って居ようと決めた。
闇色の空に散らかる星が地上に生ける物の未来を示してくれる、と彼らは言うが、やはり幾ら解ろうにも星その物に関心の無い私は消しゴムの滓が光って散らかっているようにしか見られなかった。ハオに知られたら、幾ら乙破千代のお気に入りの世話係でもお許しにはならぬだろう。
首の据わった乙破千代を自分の腹に乗せて、自身は上体を倒して地面に寝転がる。ママの呼吸音が耳元でして、身辺が森閑としている所為もあって、小さい筈の鼻息が爆音に聞こえ可笑しくて堪らなかった。腹の上で仰臥する乙破千代は目を見開き夜空に見入っているのか、或いは目を瞑って夢の彼方なのか、顎を引いて見遣っても黒い影だけで判然しないが大人しく寝転がっているから突くのは止めた。
そうしてどれ程二人と一頭で荒野の真ん中で寝ていたか時計の持たない、持っても使い所の無い物で持つ予定も無いが、時間の経過が曖昧で幕屋に寝ている筈の子供の姿が見当たらなければ騒ぎ出すのが大人の仕事だ。山田さん辺りが帰還と同時に騒ぐかもしれない。それは宜しくない。では起きようか。そう思っても一度横になって心地好いと思い始めると起きられない。已んぬる哉。
「其処は起きて戻れよ」と甲高くて尊大な声が正面から聞こえた。
私は格別驚く事も無く、やあ、と軽く言って乙破千代が落ちないよう片手で支え、一方の手を空に翳して左右に振った。
「ボーズの二人が、歩が居ないって騒ぐんだもの」とハオは足音一つ立てず近付くらしく、段々声が大きくなって、私が首を仰け反らして声の見当を見遣るが図体の大きいママが居て視界が利かない。
「……起きろって」
私が横着して首だけ動かすので言ったように思われるし、心を読んで発言したとも思われる。彼は曖昧模糊とした言い回しで相手を翻弄するのが好きらしい。
「まるで、人の心が読めるみたい」と私はいつぞや言った事を繰り返した。
あの時は友好関係を築く気も無かったし、しかし軽口にしても悪口にしても失礼千万な物言いであった事は確かで、彼が本当に心を読める如何に拘らず、非常に口が悪くて人様を不愉快な気持にさせる言葉であったのは最早疑う余地も無い。自分の機嫌が悪いからって余所様への八つ当たりが肯定される訳が無いのだ。
ハオはママの向うに居るらしい。らしいと曖昧な理由は段差を下りたような足音が一つ、その見当で聞こえたからで確かめる術は起き上がって見れば済むのだけれど、前述の通り起き上がるのは億劫だから起きないで粘る事にする。
「……出来たら、何事も簡単だろうね」とハオは言った。
「ポーカーとか、担当の先生が作ったテストの時なんかは最強だね」と私は言って、読めるのかな、と再度問うた。
「……出来ないさ。出来たら気持悪い」
ハオが言うので非常な罪悪感を覚えて目の奥が熱くなった。以前謝ったけれど、まだその暴言について謝った事は無かったと思う。
私は乙破千代を抱えて起き上がり、髪に絡まる砂埃を払った後にハオを見上げた。彼は真っ直ぐ私を見下ろして何も言わない。
「それも、御免なさい。ハオを気持悪いと言った訳じゃない。心を読めても、気持悪いとかじゃ、ない。私が勝手に不機嫌になって、酷い事を言ったのだから、本当に御免」
月明かりに見えるハオの青白い顔を見詰め続けるのが怖くて、若し相手が自身の想像以上に傷付いていたら謝るだけでは済まされない。同時に償いようもないが、やはり相手次第の問題だ。
「何か、変わったね。元がそうなのだろうけれど、漸く落ち着いて来たの?」
「最近ね、やりたい事が決まったんだ、乙破千代の世話以外に、やりたい事が。だから、そっちの方に考える余力を回す事にしたんだ」
ハオは目を瞬いて生返事をしてその場に座る。ママが間に寝転がるから彼との距離が縮まる事は有り得ない。
戻れと促した当人が荒野の真ん中に御輿を据えるので、先客の私も戻り難く、しかし全く口を利かなくなったハオの気配を傍らにひしひしと感じつつ夜空を眺める気概は、誠に遺憾ながら持ち合わせていない。要するに居辛い。居辛いと思う自身を見透かされる事は私が気まずい思いをする。気まずい思いをするのは私が彼のお家芸を把握済みの上、彼のお家芸の原因も知っている為だ。こちらが気まずいのはこちらの勝手で、こちらの勝手で傷心者の相手を一層傷付ける真似は、現代の祖父の言葉で怪しからん事だ。傷付くのは相手の勝手でも心が読めてしまう事は不可抗力なのだもの。
それにしても沈黙が痛々しい。
私は一呼吸置いて、それで言いたい事を言おうと決心する。それでハオが傷付くなら額を地面に擦り付け、頭を踏み抜かれる覚悟で謝ろう。その決意を見透かすハオは顔を私の方に向けて黙っている。
「ハオ、私は、やっぱり幽霊を信じるのは、難しい」
次回、殺伐と語り合う。(誰がとは、言わずもがな)
いい加減進みたいです…。