生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第十九話:

 二度寝から又起き直して幕屋の中を見回すが誰の姿もなく、やおら立ち上がって表に顔を出すと見慣れた二人組の背中が見えて、焚き火を囲繞する木材や石の輪の縁に歩み寄って朝の挨拶を交わした。二人曰くお昼時だそうで、早寝遅起きと言われた通りに随分遅く起きた私は驚きの余り暫く突っ立って居た。遅く起きるなぞ宣言した覚えは無いが、不言実行した自身を褒める可きか寝汚いと呆れる可きか、最高権力を有する者の下知通りに遅く迄惰眠を貪ったのだから褒められた方が心の健康に大変宜しい。如何に二人組がお早うでなく遅ようと子供染みた挨拶で人様を揶揄しようと知らん振り、自分は乙破千代と自身の為に二度寝迄したのだ、寧ろ拍手喝采に包まれ褒め称えられる可きである。

 二人組の喧しい挨拶の後、朝食兼昼食を摂る事になり、その時になって山田さんに挨拶一つすら言っていない事に気付き、慌ててカメラの手入れで丸まった背中を探すが見当たらない。何処に行ったのだろうと問えば、今朝早くハオの許へ行って帰って来ないと言われ、普段幕屋に控える彼に与えられる仕事とは何か、気に掛けても仕方が無い、自身に言い聞かし諦念の体で焚き火の輪の内側に踏み込んだ。

 その日逗留先に居たのは私と乙破千代と日本人二人組だけで、他に遊牧民の一家が居たけれど彼らは勘定に入れない、何故なら一行の関係者と言う立場でなく一行の隠れ蓑と言う利用される立場の人達だからだ。ハンさんが作り置いてくれたらしい食事を認め、済ます事を全て済ませば常の如く退屈なのは常識で、退屈な時間は余計な物事を考える時間に当てられる。子育て以外の遣り甲斐ある事に当てれば良いのだが、やはりハオ迄不在な事は不思議でならない、当然の疑問と思われる旨を二人組に告げて改めて他の人達の行方を尋ねた。

 皆仲間集めに忙しいのさ、時には魂狩りもして持ち霊に与えにゃならない。二人組は言ってもう後は話さない。まるで蛇蝎のようにその話題を嫌がった。

 激しく琵琶を鳴らす様子を乙破千代が面白がって、木材に腰掛けて輪の外側でやたら宗教色の濃い特訓をつくづく眺め、そうして二人組の数少ない原作の登場場面を重ね、現状と原作の撞着に嫌な予感が湧き起こり胴を震わせ素肌の出ている腕を摩った。原作の二人組は大会の中途にハオの下を脱し、以降別の組と行動を共にした筈だが、抑も彼らのハオに付き従った経緯を知らない。知らないと言う言葉に語弊があるなら憶えていないと言い直す。原作の登場人物の顔や名前を全て一致させられるか問われたら、私は間違い無く物語の中心人物、即ち主人公と近しい関係者の顔と名前しか答えられないと断言する。二人組だってハオの元麾下の者だから辛うじて記憶に引っ掛かっていた程度で、原作を離れる事数十年、最早主要な人物でなければ記憶に無かった。

 私に質問の隙を与えない為の故意か偶然か知らないが、観客の二人と一頭を一顧だにしない演奏者達は遠くの空に太陽が傾く頃迄、夕食も忘れて只管手と口を動かしていた。大粒の汗の淋漓として滴り四辺に散る様が、彼ら二人の苦悩を表すようで不思議と目を逸らす事無く、瞬きすら惜しんで見詰めた。

 当日、遂にハオ達は帰って来なかった。

 ではいつ頃皆が帰還したかと言うに、まず私はその日の深夜、寝るに寝付けず焚き火の傍で愚図愚図と火影の揺らぎを見ていた。火はハオが出掛ける直前点けて行ったそうで、居残った二人組が交代で番をする。子供は寝ろと舌鋒鋭く注意らしい言葉を掛ける善さんに眠くないと駄々を捏ね、ママが怒ると良さんに促され、梃子でも動かんと首を振って就寝を拒んだ私は深々と更ける夜に身震いした。後に思えば本能的に危機を察知し、如何なる事態が起ころうと迅速な行動を取って危難を逃れる為、平和惚けの頭で察した防衛本能だったに違いない。

 事が起こったのは深夜、夜陰に乗じて焚き火の明かりの届かぬ距離を保ってうろつく輩が居るらしく、何故気付いたかと言えば羊のママが鼻面を左顧右眄、大音声を上げて胴体を持ち上げ暗がりに向き合った。焚き火を見ていた善さんと幕屋で眠っていた良さんが跳ね起きて琵琶と錫杖片手に私の前に飛び出し、闇を睨み誰何の手間を省いてオーバーソウルと居丈高に叫び琵琶を鳴らし錫杖を鳴らす。無論私は状況が解らないから一人悠々閑々と木材に座った儘二人と一頭の睨む方向を見遣った。此処で漸く働いた睡眠を削り身を護らんとした防衛本能が正常に機能すればどうなったか知らないが、本能は働かず、暢気な私は暗闇に潜む何かを探し、神経過敏になっている二人組の背中と闇を見比べて目を瞬かせた。腕の中の乙破千代も世話係の影響を受けたか将又性分か、物怖じせずに抱かれて気持好く眠っていた。

 そんな暢気な姉貴分の世話係と平和な嬰児を余所に、剣呑な二人組は闇に向かって無数の小石を投擲、否小石が勝手に浮遊して蹴飛ばされたように真っ直ぐ向こうに飛んで行った。そうしてやっと事態の深刻さの極一部を感じ取った私は矢庭に席を立って小石の飛んだ見当を向いた。ママが数歩後退り、隣に立って一声上げる。それを合図に二人組と私達の陰を踏んで何かがむくりと上体を起こしたらしかった。私は目を見開きそれを見極めようとするが、十年に及ぶ歳月を田舎町と言えど現代日本で過ごし、暗闇に浮かぶネオンサインに慣れた目で視認する事は非常な難事である。早々に諦めて、それならどうする、と自身に問い、走って逃げるにしても何処へ逃げるのか、そう考えて音を立てて血の気が引いていく。

 歩、と二人組が私を呼ぶ。返事の間も無く更に逃げろと続けるが、上記の通り何処へ逃げろと言うのか、万事休すと乙破千代を抱き締めて立ち竦んだ。

 ハオは来ないのか、よく解らないが乙破千代の危機だと言うのに、何故居ないのか。無責任と罵る事が出来る程自身が有能でも偉い訳でもないし、彼を責められる程一行の目的に貢献している訳でもない、それでもつい誰ぞに転嫁してしまうのは浅ましき人間の性なのだろう。冷汗が噴き出し目線が泳ぎ回って人影を探す瞬間、法衣の切れ端が視界の隅に散った気がした。

 眼前に展開する形容し難い状況に只突っ立って居た。そうして一つ瞬いた後、身辺の様子は一変していた。

 まず第一にママが居ない。首を巡らして見ても二人組が居ない。周囲を見回し焚き火の色や幕屋の垂れ布の陰が見当たらぬ事に気付き、上体を反らして辺りを遠見しようと試みるも虚しく地面に突っ伏し、長く上半身を持ち上げて居られない理由を探ろうと目玉を動かした。すると両眼を右の方に寄せた視界の右の端、見知った一行の誰でもない人影を認め、捻ったのか痛む首筋に呻きつつ愛護的に顔を人影の見易い方へずらした。それでもう一度起き上がれるか試し、胸元に小さくも力強い抵抗を覚え顎を引けば、真っ黒の双眸と目が合った。本当に抱き潰し兼ねない体勢に驚いた私は腕を広げようと肘を伸ばしたが、手の甲が硬い物を押すだけでちっとも自由に伸びない。なら足を、と上の右足を振り上げ勢いを付けて体を起こそうとするがこれも失敗に終わった。地面を叩き損ねた右足が砂利を擦って音を立てる。視界の端に居た人影が振り向くのが見えた。

 地面越しに足音を聞き、次の瞬間地面を転げ回った。上から硬い物を巻いて私と乙破千代を拘束しているらしく、上半身は不自由だけれど下半身は存外自由に振り回せて、つまり両の脚は硬い何かに包まれている訳ではないから足首から下を擦り剥き、爪の間に砂利が減り込んだり皮膚の薄い箇所や骨の突出した箇所を抉った。髪留めの金具が当たって痛い。遠くで乱暴するなと日本語の抗議が飛んで来て、しかし声に聞き覚えは全く無く、乙破千代を抱く腕の力をほんの僅か強めた。

 耳と側頭部に震動が伝わる。人の歩調に似ていて、恐らく誰かが歩き回っているのだろう。

 転げ回った拍子に耳介を強か打ち付け、と言う事は頭も打った訳で、視界が朦朧として見え難いし音が歪んで聞き取り難い、酷い吐き気もあって泣き出したい気持になった。その気持を吐き気と共に併呑し、胸元の温もりを死守しなければと頭を絞った。

「赤ん坊とその世話の為に連れて来られた子だ。そんな乱暴したら可哀想じゃないか」と先の日本語の怒鳴り声と同じ声が間近で聞こえた。

「若し、野郎に連絡する手段を持っていたらどうする。今、そうだったらどうする」と日本語で別の癇性な声が聞こえ、人様の真横で怒鳴り合うらしい。

「あの二人が奴らに言うさ。終わったらこの子達は解放しよう、無辜の子供に乱暴するなよ」と最初の声が言って持ち主らしき人が傍らに跪き硬い物と私達を一緒に縛る紐を解いた。

 私が困惑した儘上体を起こすより先に癇性な声が、何故解く、危ないぞ、と言って紐を解いて下さった人を殴った。その音に竦み上がって起きられない。人の殴る音を初めて聞いた。

「もう二日経つ。奴はこの子達を見捨てた可能性もある」と解いて下さった人の声で言った。

「油断させる為だ。逃がすな」と癇性な声が一層癪に障る声で怒鳴る。

 二つの日本語の他に多数の異国の言語が聞こえた。どの声も緊張を孕んだ声で、一触即発の二人の間に別の誰かが割って入り引き離す。その言語が英語なのか別の言語なのか外国語に暗いと自他共に認める私は区別がつかない、つかなくても良いが起き上がっても大丈夫かしら。

 彼らの言う通りだと私の最後の記憶の法衣姿の二人組が倒れる様は二日前の出来事らしく、二日間腕を曲げて拘束されていたと解ると肩や肘が痛む気がした。ふと胸元より下、自身の腹部の辺りを覗き込むとやはり乙破千代の粗相の跡があって、一張羅が台無しになってしまった。だが生理現象は止むを得ない、自身が糞尿を垂れ流した様子の無い事は幸いであり、乙女の矜恃は守られた。地面を転がった衝撃で催しても仕方が無い程の時間が経っているようだけれど、自分も緊張感の所為か、そんな感覚は一切無かった。

 地面に接する肩が痛くて今の体勢に嫌気が差し、気付かれぬ程度にゆっくりと体を起こしていく。下の腕を確かめたら肘を突き、前腕全体を地面に横たえ、伸び切った肘を曲げながら痛む肩に力を入れて上半身を持ち上げる。もう少しで頭が完全に地面を離れる、その時に周囲が喧しくなって背後に視線を感じた。勢い任せに体を起こすのは憚られ、首を仰け反らすお馴染みの体勢で背後の視線の正体を探し、直ぐにそれは見付かり目も合って心臓が縮み上がった。胸元の乙破千代にも鼓動が伝わるのか四肢を更に曲げて丸まり、何やら唸って顎を引いて体を小さくする。多分、私も乙破千代も、視線の正体の放つ気配に心底怯えたのだ。

 正体は言う迄も無さそうだがハオだった。

 首を仰け反らすだけでは真後ろを見る事は困難だから彼は私のほぼ頭上に居た訳だ。今度こそ上体を反らし半ば起きてハオの居る見当を見遣った。

 夜の帳が下り切って大分経ち、空は墨汁をぶち撒けたように真っ黒だった。土手があってその上に生き物の未来を示す星を背負った一行が堵列し、冷酷無比の眼差しで下方の群黎を見下ろす。その真ん中に立つハオは射干玉の長髪を夜風に靡かせ、長い前髪の間隙から覗く黒目を見開き、乙破千代をも怯えさせる気配の原因たる愚民を睨み付ける。

 咄嗟にハオの名を呼んで、それが安堵から来る信頼の証であれば子育て以外のやりたい事は完遂したも同然だが、震える喉で絞り出した名前は安堵でも畏怖でも無い、彼の次の行動を制する為の懇願だった。




 大切なオハチヨとそれ以外。解っているから殺さないで。

 ある意味私の想像力の限界です。
 一応第二章は人面獣心なので。
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