生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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 この物語はフィクションです。
 作中に登場します地名・国名・人物・団体・事件その他諸々は、現実とは一切関係ありません。


第三章:屋烏之愛~私と子供と未来王~
第二十一話:


 踏切を越えて直ぐ丁字路に突き当たり左折し、向いの歩道に渡って真っ直ぐ行き、陸橋が見え出し隣の小学校だか中学校の校庭と鼠色の陰気な打ちっ放しのコンクリート校舎を横目に通り過ぎて、陸橋を潜った所で速度を無視した反対車線の自動車が物凄い速さで追い越して行った。所謂鼠取りと言う奴に捕まり兼ねない速さだから見付かれば言い逃れは出来まい。一車線分の幅があるのに疾風が起こり制服の裾が翻って素肌の見える太腿がくすぐったく、ブラウスの袖の釦で引っ掻いて、既に見えない速度違反の車の走って行った方向に捕まっちまえと暴言を吐いた。

 それでそう言やと思い返す。いつだったか現代の私は祖父か父の運転手を務める車に乗り込み、高速道路だかを走行中、気分が悪くなって自分は運転免許を取るまいと固く決意した。あれは前世の死因が関係すると思い、交通事故で死なない為の措置として決めた事だったけれど、今思えば無駄な足掻きだと失笑を漏らし、当時の自分に言えるなら後が面倒臭いから取っておきなさい等々の助言を呈したろう。

 果ての無い青空を仰ぎ、耳の底に残る先の自動車の爆音を繰り返し思い出して苦笑を浮かべ、記憶の沼の泥の沈殿したへどろの辺りを浚い、掻き分け見付けた記憶に憂鬱な気持になって肩を落とした。爆音は自動車でなく自身の周囲を照らす赤色に合わせ轟き、轟々と、誰かが悲鳴を上げて姦しく、誰かが苦痛を訴え誰かが喉の渇きを訴え、様々の音響に耳を塞ぐ事も忘れて蜘蛛の巣状に罅の走ったフロントガラスの向うの光景に見入った。

 と其処で足下を風が通り抜け、砂が舞って肌の露出部分が痒い。短く切った爪で掻き毟り、少し遅めの歩調で通学路を行く。

 

 * * *

 

 鳥居頭の赤い巨人の背中か手掌に乗っかって、泣き止んだ乙破千代を抱き締めて夜空を仰ぎ、山田さんのご好意に甘え拝借さして頂いた黒い外套を羽織り、遥か下方の酸鼻極まる惨状に顔を顰め、失礼を承知で顔を背けた。風は追風で、改めて髪留めで纏めた伸び放題の髪と髪留めの暗色のリボンの先が視界を遮るので状況の理解に難渋し、一度酷い勢いで地面に転がった矮躯を手放すのも気が引けるから往生する。睫毛が目に入るのと同程度に煩わしく感じられる髪の毛先が目に入り、痛みに苛立ちが募るも当たる術も相手もなく、至って健康体の乙破千代と乙破千代にお乳をやって一仕事を終えた羊のママの体毛に埋もれて押し黙る。表面の少しく硬いママの毛はその殆どが泥や周辺に生える草が絡まる所為で、原因を取り除けばさぞ柔らかく心地好い事だろう。

 二日前に私は見ず知らずの人達の襲撃を受け、居合わせたと言う理由で攫われ、今日迄手足を折った状態で拘束されて居たらしく、二日振りに手足を伸ばし自由を取り戻した。と言われども、全く記憶に無いから感慨も無い、あるのは目覚めて直ぐの暴力と僅かな優しさと無慈悲な火災と頑是無い子に注がれた無償の愛の記憶だ。無償の愛は勿論ハオの乙破千代に対するものであって、私や他の人達に向けられるものでないし向けられる謂れも無い、自身に彼のそれが注がれる所を想像すると肌が粟立ち震えが止まない。

 黒い外套に着られる程の体を一層縮め、隣に座る山田さんの手元のカメラを見遣り、不可視の飛行機に引っ張り上げられる際にハンさんからお聞きした話に万謝の念を抱き、愛用のカメラを持つ無骨な手を突いてこちらに意識を向けてもらう。半眼で眠た気にどうしたと問う山田さんに教えて頂いた内容を告げ、居住まいを正して頭を下げ謝辞を述べる。何に感謝の心を持ったかと言うと、腕を蹴飛ばされ、吹っ飛んだ乙破千代を取り戻さんと藻掻いたあの時急に頭が軽くなったのは山田さんが人の髪を掴む蛮人の腕を斬り落としたからだそうで、野蛮な行為と言えど腕を斬り落とされた相手に申し訳無く思う気持はあるが、乙破千代を蹴飛ばしたも同然の蛮行で帳消しにして、そうして私は山田さんへしんから感謝の気持を伝える。心優しきお人は莞爾として笑い、意気消沈気味の背後の二人組を指差し勘弁してやれと仰った。私も釣られて瞼の裏の惨状を払拭するかのように破顔一笑、庇って下さった事を深く低頭する事で謝意を表した。

 飛行機は体感時間で一時間後、逗留先に着いて、東の空の白む様を一瞥したら幕屋に押し込まれて就寝を促され、拒む理由も無いから隅に転がって瞑目する。丁度その時、耳の底に響く轟々と言う正体不明の音が大きくなって、外耳道を通って外に溢れ出し、丸まった体を覆い暗い地中深くに引き摺り込んだ。

 それは現代の自身より数段目線の高い視界で、踝迄の縁の赤い靴下を履き白い底の扁平な運動靴を履き、一度穿いたら洗濯機に直行のジーンズに、お洒落に興味は持ち合わせないから無地の茶色の長袖シャツ、上半身に着る物は全て男物と思われる大きさだった。丈の長いシャツの裾を整えて上がり框の上のボストンバッグを取って私が退くのを待つ人物を見上げ、相手は早くと云って顔を顰めた。多分鬼も戦く不興顔の相手は誰だったか、目鼻立ちも曖昧でぼんやりして判然しない。しかしこの自分は非常に気を許しているらしく恐ろしい顔を露と気にせず笑って受け答え、玄関の片開きのドアを開けてタイル貼りの三和土を退いた。

 芝生を髣髴させる若葉色の足下、ベランダの左手の奥は家より一寸迫り出した硝子張りの物干し場があって、中に母が居て玄関の外に立つ私を見て行ってらっしゃいと大きく手を左右に振った。私が両手で振り返していると中の人も三和土を降りて母に会釈し、右手の階段を下り一番下で私が追い付くのを待ち、追い付いたらボストンバッグを引っ手繰り、こちらが目を白黒させる内に正方形の飛石の上を跳ね回り向うに行ってしまった。返せ、と私は叫ぶらしい。らしいと云うのは「返せ」が「きゃぁせぇ」に聞こえた為だ。相手は振り向いて自分自身を指差し、それで私は了解したが、良いのかと云って確認を取った。「良いの」は「いいぃぃお」と聞こえた。

 これで遠巻きに眺める現代の鏡で見詰め合う自身とは少し容姿の異なる自身の違和感に想到し、あちらの自分は耳が不自由なのかと納得いくようないかないような、もう何でも良いから二人の行方を見守り目を凝らした。

 私は相手と共に見慣れぬ─と云うけれど現代の自分の持つ前世の朧げな記憶の為に一概に見慣れないと断ずるは早計だが他に表現のしようが無いので止むを得ない─道筋を辿り、中途半端に発展した駅に着き、自動改札口を抜けてホームに立った。先に立ち止まったのは相手で、背負ったバックパックから手帳を取り出して付属の鉛筆で何やら書き込み、こちらに紙面を向けて嫣然として手帳を手渡し、私は返事を書き込んで相手に返す。どうやら手話でなく筆談を日常のコミュニケーションに使っているらしかった。会話の内容は知らないが二人で大分盛り上がり、直に上り電車が轟音を響かせホームに入って徐に停車し、ドアが開いて乗り込むと車内は閑散としていてこれなら発声しての会話も可能と思われ、椅子に腰掛けた私は荷物全般を網棚に載っける相手を見遣り「ついえうえぇ」と云った。相手は類稀なる読解力を有するようで、奇跡の御業で以て私の言葉を理解して「うん」と云って力強く頷いた。

 そうして場面は変わる。今度は中途半端に賑わう停留所に突っ立ち、散々待って遣って来たバスに乗り込んだ。車内を見て遠巻きに眺める私が思ったのは、旅行用のバスらしい事、市中を走り回るバスとは趣の異なる車内を見回して嫌な気持になった。

 バスは走り出し、真ん中の窓際に座る私は手帳に書き込み相手に見せ、相手は笑って手帳に書き込む。暫く書面での応酬が続き、軈て相手が何か云う。何かと思ったのは聞き取れなかったからだ。遠巻きの私が首を傾げると次第に聞き取れなかった音や言葉が明晰になり、不自由している私の方は知らないが、記憶を垣間見る方の私は会話がはっきりと音声で認識出来た。

 当時の私の記憶とは思われない。現代の記憶がごちゃ混ぜになっているようだった。

 バスは走る。車窓の外は高速道路か何からしく、高い柵の時折見られる隙間から青い景色が覗き、見える度私は相手を引っ張って指差した。相手が何か云い、解らないけれど不自由な私は解った振りで頻りに頷いて居る。相手は「今何処辺りだっけ」と云った。

 解った振りで成立し難い会話を続ける事数時間、筆談は疾うに止めて、車に酔いかけの相手が私に寄り掛かる。邪魔と云っても相手は聞かない、酔ったと云って又体重をかけて来るので苛々したが溜息と共に諦めて、車外の変わらぬ風景を眺め続け、何気無くバスの進行方向を見て橙色の明かりの灯る半円状の隧道を認めた。確かご立派な名称が付いていた筈だが憶えていない。車体は隧道に突っ込み、橙色の明かりで一層顔色の悪く見られる相手を横目に硝子に映る不細工な自身の顔を見詰めた。焦点を変えれば硝子窓の向うの景色が見え、進行方向の同じ自動車がバスを追い越し追い越され何処かに向かって驀進し、この中のどの車が自分達と同じ目的地に着くか考え少しにやにや笑った。笑った次の瞬間、隣席の相手は「──」と私の名前を叫び胸元に引き寄せ、頭と首を抱えて身を低くする。不自由な私の方は全く聞き取れず、突然乱暴に引っ張られ憤慨した様子で腕に閉じ込めようと絡まる相手の腕を跳ね除け、何をすると怒鳴ったが、段違いの力で再度引っ張られて体を伏せる。

 遠巻きの私に衝撃の一つも来なかった。バスの中の私は相手に抱えられた儘前の椅子の背凭れに激突し、前後の椅子同士の間に落っこち一等体を丸めて衝撃を遣り過ごす。顔を上げ身辺の安全確認を行い、相手の青褪めた顔を見上げて何事か尋ね、相手は手帳か何か筆談に使える物を探すようにきょろきょろして、しかし物の散乱した車内に使えそうな物は見当たらず早々に諦めた風の相手は私の真正面に顔を持って行ってゆっくり話し出す。私は解らない。周囲が物騒で、音響に溢れて相手の声を探すので手一杯だった。更に其処から拾った音声を正しく認識する真似は、耳に不自由している者に聞き取れる筈が無い。解らない、と私は叫んだ。ゆっくり話せば解るとは限らない、そう了解済みの相手は頭を掻き毟って、右手の甲を上に、指を揃えて中手指節関節を曲げ顎の下に持って行く。待って、と云った。

「ねえ、どうした」「ママ、いたい」「おいおい、巫山戯るな、降ろせ」「どうした、どうした」「何だ、どうした」「降りたい、降ろして」「バスを戻せ、早く、早く」「動かない、もう無理だ」「戻ろう、降りて戻ろう」「戻れない」「後ろ、後ろ」「前が」「前が、前、火事」「──、大丈夫」「後ろも駄目だ」

 顔を上げた私はフロント硝子の蜘蛛の巣状に走った罅の向うに見える赤色に仰天して尻餅を搗き、最後部の窓硝子を見遣り、その向うの赤色に血の気が引いていくのを感じ、相手の腕にしがみ付いてどうしようと悲鳴を上げたが明晰な発音でなくて、濁声で唸ったようにしか聞こえなかった。

 周囲の騒音に右往左往、私は自身の腰掛けて居た席の窓の見当を振り返り、コンクリートの壁に映る黒い陰と赤い色に目を剥いた。火事だ。私の頭を占めた最初の言葉だった。騒音は轟々と云う不気味な音が交じって一層高く、喧しくなっていった。轟々と、赤色は肉薄して、私は火照り熱くなった顔を手の甲で擦り、長袖に付いた濃い染みにぞっとした。

「お早う」と甲高い声で子供は言った。

 目を見開き慌てて上体を起こして、顔面の熱に両の掌で頬を叩き、膝に転がる乙破千代を抱き上げて真横に屈んで人様の寝姿を覗き込む変態野郎を睥睨した。

「ほぼ一日、眠っていたよ。どんな夢を見ていたんだい」とハオは言って乙破千代の頭を撫ぜ、目顔で私に夢の内容を語るよう命ずるが、到底語る気にもなれない夢見の悪さに明後日の方を向いて首を振った。

 ハオは其処に尻を突き、両手で頬杖を突いてこちらを見る。

「見てはいたようだけれど、僕には見えない。空白だ」

「お早う、物凄く嫌な夢だった。話したくもない嫌な夢だから、聞かないでおくれよ」

「ますます興味が湧いて来る。歩って、その空白で何を考えているのさ。悪巧み?」

「ハオをどうやってたこ殴りにしてやろうかしら、と考えているのさ」

「そいつは酷い。聞いたかい、乙破千代、歩は酷いよ、僕をたこ殴りにするんだって」

「こら、言い付けるな」

「乙破千代、乙破千代、聞いておくれ。歩がね」

「ええい、止めろ。乙破千代の情操教育に悪いだろう」

「だったら、まず、歩の口調から直そうぜ」

「言ったな、この野郎」

 と私とハオの応酬はラキストさんが朝食に呼びに来られる迄続いた。

 そういやそうね、と内心思い、夢の自身に想いを馳せて溜息を吐いた。相手の言葉が解らないのは辛いし、自分の状態を解ってもらえない事も辛い。なあんだ、と声に出かけた呟きを呑み込み心中で続ける。

 私はずっと、ずっと以前から解ってもらえないと言う事を解っていたんじゃないか。




 前世から付き纏う苦痛でした。
 最初この話を書こうか迷いましたが、悩むくらいなら書いちまえ、と勢いで書きました。
 後悔をしていないとは言い切れません。
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