作中登場する地名・国名・人物・団体・事件その他諸々は、現実の出来事とは一切関係ありません。
翌々日の昧爽、幕屋を取っ払って移動の準備を整え、遊牧民が駱駝の背に荷物を積み上げ紐で括る様子を遠巻きに眺め、紐を引っ張る度に背中の荷物が大仰に揺れて、それでも均衡を保つから荷造りの熟練の成せる技だ。積み切れぬ荷物を自分達で背負い、各々駱駝の手綱を引く者、家畜を誘導する者、移動先の下検分が終わっていない為に先を行って見て来る者に分かれ、平素より聊か早い移動は始まった。金魚の糞宜しく一行も準備を万端整えて代表者の透明な飛行機に乗り込み、住み慣れる前に離れる事の決まった土地を後顧の憂え無く飛び立ち、一人我執に囚われ足下の荒野や疎林を見遣る小娘を余所に飛行機は風を切って遠くの土地を目指す。後で何故移動が決まったかのか山田さんに尋ねるが、彼は渋面を前の逗留先の見当に向けて緘黙を貫き、言い難いなら仕方が無いと法衣姿の二人組に尋ねて答えを戴いた。曰く、土地が保護区に指定されそうだから速やかな移動を願う、とお国の使者、延いてはお国からの御達しを受け、準備と移動に幾日かの猶予を与えられたと言うが時間が足りない事は言うに及ばず、路頭に迷った遊牧民は、しかしお国に逆らう訳にもいかずすごすごと土地を退去する羽目になった。
急遽土地の変更が決まった一行と遊牧民は他の遊牧地を探し飛び回り歩き回り、手付かずの場所を必死に探すけれど、運良く家畜を養えそうな土地の発見も其処に長逗留は望めまい、元々成算の無い移動だから、到頭その日の内に見付かる事無く日は暮れた。仮家を組み立て簡易の柵の内側に家畜を追い遣り、見守りを立て、男女は分かれて仕事に取り掛かる。遊牧民の支度を上空の透明の飛行機に胡坐をかいて俯瞰し、魔法使い帽子を被ったラキストさんが上意下達の任を負って一行の代表の決定内容を告げ、降下を始めた飛行機の上で迫る地面を睨み、銘々独特の顰めっ面で着陸の為に身構えた。
機体は動揺も無く地面に着き、私は山田さんの後を追い掛け降りて、次に降り出す二人組の方を見届け、一足飛びに着地したハオの号令で男衆が雑に仮家を建てると直ぐ薪集めを下された。花組の三人娘も加わって散開した集団の背中を追っ掛けるか二の足を踏み、腕を引かれ顧みると愛想笑いを湛える青白い顔があって、私と乙破千代は労働の免除を賜り焚き火を作るらしい石の囲いの傍に立ち尽くした。周囲は薄闇が染み渡り風光を眺め遣る気も起きず手持ち無沙汰で、何やら露骨な迄に不機嫌を顔に出した風の一行の親玉の後ろ姿を点景に、面白みの欠片も無い家畜の柵の中を蠢く黒い塊を眺めた。
暫し突っ立ち足腰の疲れに自覚症状の出る頃、手掌に火を灯し愛想笑いを照らすハオと共に地面に座り込み、家畜の柵を飛び越える音を聞きながら星の瞬き出す墨色の空を仰ぎ見る。大地を通し重量感のある足音に柵の見当を向いて、薄ぼんやりと浮かび上がった白色の塊を認め手を伸ばし、指先に鼻面の触れる距離で羊のママの羊面と白色の体毛の区別がついた。当たり前のようにママは私の体に毛むくじゃらの胴体を寄せて寝転がった。
薪集めの集団は未だ帰らず、私と乙破千代とママとハオの三人と一頭は、闇に埋没する景色を眺めるか闇に負けず輝く星を眺めるか、私はママの体温を感じつつ星空を仰いで余所見をしないので、ハオが何を見ているのかは知らない。照明は彼の手掌の火が一つ、他は星明かり月明かりが頼りだから物の輪郭を明瞭に捉えられぬ曖昧さが心許無く、かと言って天候を操る術の無い私は黙って身動きしないで照明の増える時を待って居た。
向うの遊牧民の作業も終わり彼らは晩御飯を掻き込むらしく、乾燥した風の土埃の臭いに噎せつつ乙破千代のお乳を済ませ、森閑とした身辺の闇に胴を震わせた。素人の目線で見た遊牧地に転用出来そうな草の繁茂する此処いら一帯の光景を思い返し、玄人達が日が暮れたと言う不平たらたらの理由を胸に不承不承この場所での野営を決め、口数少なく寝る準備をして、もう寝ようとしている。早いな、と私が声に出すでもなく内心言って又夜空に目を転じた時、場所が決まらないから明日も早くに移動しなければいけないもの、とハオが懇切に講釈を垂れ、彼の心情に呼応するように手掌の火勢は増した。赤色は青色に変わり、照らし出した周囲の物の色も青み掛かって見られ、青白い顔は病人のそれで、物を知らぬ私は飛行機に大勢を乗せて飛行した後照明代わりの火を維持する所為かしらと考えた。直ぐ隣で笑いを堪える風のハオの元気な姿に、弱い頭で捻り出した考えを否定され、元気なら宜しいと乙破千代を抱く腕を軽く揺すった。
中々薪集めの人達は戻らない。そうして待ち惚けを食らう三人と一頭は、いつ迄も其処に座って、一人は夜空に飽いて寝転がり、一人は人の腕に抱かれ夢の国へ旅立ち、一人は灯台の明かりを絶やさず、一頭は駆け寄った時から寝転がって鼾をかいているから何かを案じる必要も無い。乙破千代とママは気にならないが、やはり何処か不機嫌なお隣の青白い顔は気になって、時折皮脂でべた付く射干玉の長髪に覆われる後頭部を盗み見ては抗議もしないで緘口した。
居心地の悪さを感じて尻がむずむずし出した頃、可笑しいだろう、とハオは言い出した。何がと首を傾げるより前に彼は続けた。
「遊牧民の伝統的遊牧地は、国の経済発展だの、自然保護だの、如何にもな理由の名の下に奪われて行く。これを警告した者が居た。ダマヤジから聞いたろう。だのに誰も聞きやしない、警告を無視し、其処に生きる者を追い出して、自分達はやる可き事をやったと言う顔で踏ん反り返るのだから」
ハオは一拍置いて尚続ける。
「警告した者を無視し、その土地に生きる者を無視し、自分達は飢餓や雨風の脅威に晒される事の無い頑丈な屋根の下で、どこそこの自然を守った、動植物を守ったと言うんだ。想像より遥かに凶悪な自然の中で生きる勇敢な者達の生活は二の次、いや、考えもしない」
ハオは言って一度言葉を切る。手掌の火が大きく左右に揺れて草や石や私達の陰が化け物の如く膨れ、軈て落ち着きを取り戻して小さくなる。
星の為と言うけれど、遊牧民の中に彼の気に入る強い霊能力者が居るのかしら。私は腹の上の乙破千代の寝言を聞きながら、又ママの横腹の汚れを見ながら続きを待った。
「人は自然を守れと言う、人は動物を守れと言う、人は草木を守れと言う、人は弱者を守れと言う。悉皆守るなぞ出来よう筈が無い。そんな能力も無いくせに、自分はそれを叶える事なぞ出来もしないくせに、言うだけ言って正しい者の顔をする」
何気無く彼の千年程前の前世の出来事を思い返し、弱者を理解する筈の人が弱者の主張を理解するどころか真っ向から批判し、暴力を以て口を封じ、いざ自分の目で真実を見た時は現実逃避の命乞いのように助けを求める様に何を思ったか、一言一言を順々に思い浮かべ溜息を吐いた。言った事、伝えたい事、伝わってほしい事を語り続け訴え続け、それでも信じてもらえず、一つも伝わらず、何も理解していない輩の非難を受けて傷付けば、もう伝える事も話す事も疲れてしまう。口を開く気力も失われる。
ハオは愛想笑いでも、感情の無い顔でもない、人間臭くて不細工な、笑顔を作り損なった変な顔をこちらに向けて言った。
「警告した者は、無視されても訴え続けたそうだ。彼は遊牧民に友人が居て、友人の苦しむ様、動植物の保護と言う名目で自然の摂理を踏み躙られる様に心を痛め、行動に出た。でも、今回の事で疲れ果て、力尽きてしまった」
胸の痛い話ではないか。他人事の私は生返事と一緒に、内心可哀想にと言う他無かった。
「そうだね、可哀想と言う言葉しか無い。何故だろうね、彼は、報われても良い程に頑張った。必ず報われる事は無いけれど、僕から見ても、彼の願いは叶っても良かった」
でも叶わなかった。
いつの間にか目を覚ました乙破千代は腹の上で輾転反側、私の鳩尾に一撃を食らわして寝入るらしかった。
「本当に、何故、人は見えぬのだろう。大切なもの、尊いもの、何故見えぬのにのうのうと生きているのだろう」
ハオは悲嘆か怨嗟か呪詛か知らないが、何か感情の籠もった言葉を言って閉口した。私は青く浮かび上がる四辺の影を眺め、彼の言葉を内心復唱し、相手の事を解らぬ分からず屋だから周囲を巻き込み滅ぼそうと言う思考に、少しく寂しさを感じて目を閉じた。私はハオに告げず、恐らく読み取られる事の無い私見を心中で述べた。
そりゃあ殺意が湧くけれど、実行は出来ないさ、平和惚けた日本で、更に家族から様々な形で心配され愛され育った自分が、最後に家族を切り捨てる真似なぞ出来よう筈も無い。彼の悲劇は、その家族を喪った事と思われる。
ふと目を瞬き半眼で夜空に目を転じた。
その言葉の家族とは、前世か現代か或いは両方か、一体どれなのだろうか。
細けえ事は良いのに気にする主人公。
ハオ様は愛情に飢える真っ盛りに母を亡くしましたし、その傷は容易に癒えるものではないのでしょう。
人類滅亡計画は迷惑極まりないですが。