ざっくざっく進みます。
何だか業腹な質問を投じて来た少年は、嬰児の顔を見ようと歩み寄り、別段不都合は無い筈なのに勝手に腹を立てた私の足が邪魔して近寄れない。右足は地面を踏んだ儘、左足を振り上げ拒絶の意を示し、包んだ嬰児を掻き抱く。布越しに骨張った手の動くのを確認して、蝿の集る最中を生き残ったのかと、生物の生への執着振りに心中で感嘆した。
外国のお菓子を髣髴させる鮮烈な青空を背景に少年は屹立する。座り込む自身と少年の目線に高低差が生ずるのは至極当然、起立する相手の目線の高い事は自明で、低い所に目のある私は必然見上げて陽光に目を細めた。太陽を背負っている状態でこちらが仰視する訳だから多少相手の顔色が翳って見えても良いだろう、しかし激しく輝くお天道様は、大地に碌な陰を作る事無く手当り次第物を照らして人の脳天を焼く。彫りの深くない扁平な顔立ちの少年の顔に陰は見当たらず、真っ黒の前髪を真ん中分けし黄色人種の中では白い額を晒す。
「うん、言っただけ」と少年。
振り上げ蹴飛ばす事もせず所在無げに足底を相手に向け、構えを取っていた左足を下ろし踵を地面に叩き付けた。砂埃が立ち目に痒みを覚えた。擦る真似はしない、此処ですれば不衛生だ。
「君は、何故此処に?」と少年。
私は小首を傾げて緘黙する。
「君、日本人だよね。在住する日本人……、でもないか」言って少年は腕組みして細い顎に右手を添える。「此処、南アフリカ。解っているかい?」
ミナミアフリカ、と口中で二度復唱した私は言葉を認識するなり瞠目し、酷薄な現実に凍り付いた。腕の中の嬰児が身じろいだように思われた。
「解っていないんだ。何故此処に居るの? 家出? 誘拐?」又質問した少年は歩み寄って足許に屈み込む。「日本人の子供なら誘拐かな。ご愁傷様」
随分な軽口だ、お前は絶対面白がっているだろう。
的皪と輝く大地の向こうに人影を認め、我知らず胸元の塊を遠ざけようと身構えた。人影は雄大な大地を闊歩し一路こちらを目指しやって来る。一人でなく複数人居るらしかった。奇怪な集団が漸次接近し、そうして視力検査でBかCの目にも明瞭に見える程の距離になり、魔法使いの三角帽子に黒色のポンチョの縦長の大男、丸い体に横も縦も立派な大男、筋骨隆々とした大男、年頃の少女一人に年少の少女二人、他諸々非常に怪しく一目で不審者と断ずるに足る集団に唖然とする。
阿呆面で見上げる私に破顔一笑、少年は言った。
「で、その赤ん坊、僕が引き取るよ」
呆然と、それで居て確り私は頷き道破した。
「いや、君にだけは、やめておく」
相手は一層笑みを深めた。
「育てるかい? でも、君、死ぬよ」
「初対面の奴に向かって死亡宣言、何処かの漫画の死亡予告証みたいじゃないか。だったらきちんとした書面でもって通告しろよ。君は非常識だね」
「文書で死亡宣告したら、君は死ぬの? 変な子」
「もう一回言うけれど、初対面の人間に死ねと言うお前が変な奴だ」
「別に死ね、と言ってはいない。死んでしまう、と言ったんだ」
逐一丁寧に訂正する阿呆だと痛罵しつつ、私は皮膚を刺激する鋭利な視線を辿る。辿り着いた先は三人の少女で、その目付きたるや死刑の執行人でなく死刑に処される側、最早救いようの無い大量殺戮者のそれだった。
「ニュアンスが、そうだった」
と私は言った。
私の視線の先を察しているだろう少年は一笑して首を傾げた。
「違うよ。このまま、此処に居ると死んでしまう、そんな君に赤ん坊を育てる余力があるのか、と言いたかったんだ」
「そう。生憎、瞬間的に難聴になったんだ」
と何処で読んだか聞いたか判然しない言い回しで返答した。
「それは、残念な耳と言う可きか、都合の良い耳と言う可きか」
「私にとって、今、この瞬間は、とても便利な耳さ」
「まあ、それはそれで。実際問題、どうするの?」
質問の多い奴だと思う。故に私は言った。
「君は質問が多いね」
「だって、分からないじゃない。僕は、その赤ん坊に死なれるのは困るんだ」
「成る程、私は死んで宜しい、赤ん坊を寄越せと」
喜色満面の笑みを湛え少年は布越しに嬰児を撫ぜ、首回りの実に鬱陶しそうな黒髪を地面に迄垂らして人様の顔を覗き込む。濃褐色の双眸に自分の顔の映る様を見詰め、少年の目の奥底に灼熱か将又極寒の不毛の大地を見て取った。四肢の末端が金氷になって呼気迄凍り付きそうで、刹那脳裏をよぎった言葉は「死ぬんだ」だった。
少年は両手で恭しく長袖ティーシャツごと嬰児を抱き上げると身を翻して言い放つ。
「行こう。新しい仲間だ」
見逃してやる、其処で惨めに野垂れ死にするが良い。言外に告げる少年が真っ黒の焼死体を背負っていると錯覚し、近寄り難くて、何より不気味で仕様がない。鼻先に形容し難い臭気を感じて息を詰め、少年の背中の焼死体が振り向いたかと思われたが、実際は長い髪が当人の歩行に合わせて左右に揺れているだけで異常は無い。けれど肌は粟立ち歯の根も合わず、耳障りな歯軋りに似た音に意識を集中して忘れねばと努めた。体を畳んで薄い色の地面を凝視する。
恐怖に喘いで蹲る私の耳に蝿に集られた嬰児の泣き声が蘇る。つい宣告聞いた悲痛かどうか判然しないが、子供まして赤ん坊の声とは思いたくない程の暗澹たる声音に胴を震わせた。遥か遠くで彼らの話し声がする。目線を上げ目玉を動かし発信源を探す。彼の産声は二度耳にして漸く見付け、無聊を慰める程度の冒険と発見としか考えておらず、後先無しに拾い上げた痩せこけた赤ん坊だ。幻覚の消えた黒髪の踊る背中を見送って俯き加減に膝を見る。砂の付いた膝を見て自身に言い聞かせる、今は命が惜しい。
──その子は、君の兄弟?
ふと少年の言葉も蘇り、緩慢に顔を上げて白々しい景色の中の黒髪に覆われた背中を捜す。左右に揺れる髪を風に遊ばす姿を目視すると俄然気持が湧き起こって四肢の体温が戻り始め、叱咤すると一層早く熱が戻り、もう一度叩いて立ち上がる。
二度ある事は三度ある、声に出して言うと失笑した。死んだら又何処かに行くさ。
低い姿勢で駆け出し音に振り向いた魔法使いの三角帽子を被った大男が体ごと向き直って腕を伸ばす。更に姿勢を低くし保ち、両の手を伸ばして一方に偏り出した長い黒髪を遮二無二引っ掴み、力任せに引き寄せ少年の胸元の布の塊を片腕で掬い上げた。少年は勢いよく振り向いて目を見開く。私は相手を一瞥する事も無く片腕で引き寄せた嬰児を抱き直し、君にだけは無理だよ、と突慳貪に言った。すると忽ち三人の少女に囲まれ、銃や箒を向けられた。年長の少女が般若の顔付きで私の胸倉を掴まんと手を伸ばし、これを当の少年に制され抗議の声を上げた。
当人は抗議の声を黙殺して問うた。
「育てるの?」
私は言下に頷き長袖ティーシャツを捲って黒い顔を見遣った。
「なら、一緒に来る?」
「何で」
やっと目を少年にやって小首を傾げた。
「赤ん坊が、君を気に入っているみたいなんだ」
「私が、この子を然る可き場所に連れて行き、赤ん坊の保護を求めれば良いだろう」
少年は私の言葉に不興顔で答えた。
「無駄さ」
妙に力強い言葉で、何となく真実なんだろうと思った。
頷いて同意すると彼は目を瞬かせ、一緒に首を傾げて嬰児の黒い顔を見た。
「解った。君に任すと怖い事になりそうだし、他の人達が許してくれるなら」
「一緒に来るかい?」
「他の人達が許すなら」
「大丈夫。僕が、この赤ん坊に免じて、許してあげる」
不意に熱風が吹いて突っ立っている人々の頭髪や衣服の裾を翻し、低い唸り声に似た風音が揺曳する。何処ぞの隧道でもあるまいし、何故こんな音がするのかそらとお天道様を見上げた。相変わらず雲一つ無い不健康なお菓子を髣髴させる青い空に一点、強烈な白い光を放つ太陽が不吉なものに思われた。
蹶起(決起)(けっき):決意して立ち上がる事です。
承乏(しょうぼう):他に人が居ないので代理で自分がやらせてもらう事です。
レッツ出鱈目子育て。どんどん進みます。