生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第二十九話:

 夜の気配が世界の隅に追い遣られ朝日を受けて雲散霧消、白い光は朝焼けの色に染まって頭上を覆い、白雲も赤雲に変わるが風の随に流れる事は変わらず、乾いた風に吹かれて私達の衣服の裾や傷んだ髪も翻る。胴部分と袖の間が縫われただけの貫頭衣擬きの裾が浮き上がり、鳩尾の辺りに抱える乙破千代が重石になって捲れる事を防いでくれるが、陰から露になった素肌に砂塵が当たって痒かった。空いた片手で気になる箇所を掻き毟りつつ、先刻自身の言い連ねた彼らの関係を第三者の視点で見た時の見解を、自他共に認める向こう見ずの性格を遺憾無く発揮して懸河の勢いで述べた事を後悔する。言い終えた後の身勝手な意見を聞かされた相手の反応を考えていなかった。

 物事の前後が肝要で、しかし後を考えぬ事は前を考えていない事に他ならず、私は正に物事の前後を考えないで人様を怒らせる天賦の才を持つと自負している。他者の機微に疎い事が証左である。相手の顔色を窺い心情を推し量る真似が不得手で、顔色が目に見えて赤くなったり青くなったり、大抵赤黒くなって怒鳴る人ばかりだから他者の満面朱を濺ぐ瞬間を目算する事は得手だった。今も目前のお相手の青白い顔を見詰め、感情の振幅を測り、平素見聞きして来た反応と異なる反応に気付いた。

 青白い頬に紅が混じり、目玉が動き目線を下げるのが判る。視線の先の私の急所の鳩尾には側頭部を脂肪に食い込む程密着した真っ黒の矮躯が横たわり、爛々と輝く団栗眼を見開いた乙破千代が、自身の心底慕うお人を見上げ欣々然として両手を伸ばし甲高い声で笑う。足下の羊のママも歓声に鼻面を上向かせ、乙破千代の顰みに倣い濁声で、まるで笑って答えるかのように鳴き、軽快な足取りで人様の胸元を凝視する阿呆面のハオに歩み寄って分厚い手袋から食み出た指に狭い額を擦り付けた。他者に好意を抱き、表現の仕方は千差万別、けれど質と言うか規模と言うかそんな言葉で形容出来ない情愛をそれぞれ胸に抱いて、情の対象の前で表さんとする姿は、やはり優劣を付けるものではない。

 茫然自失のハオの赤面を目前に、私は後先を考慮せず放った言葉を吟味し、そうして納得した風な気持で一つの誤りを訂正した。

「御免、私が君を好きと言うのは、多分間違いだ」

 と言うなりラキストさんの魔法使いの三角帽子の陰に隠れた双眸が開かれ、蓄え整えられたご自慢の顎髭の上に覗く口元が引き攣るのを認めた。彼の尊崇する少年─中身は大変な糞爺だが外見上の年齢で言い表そう─の心底に蟠踞する、又少年の千年計画の礎となる負の感情を私の中に見て取り、眼光鋭く睨み付け、懐の拳銃を引き抜こうと黒の外套の下で肘を曲げる。外套の膨らみでそれが判った。

 当の少年は阿呆面の儘頭を擡げ、自分より少し目線の高い私を見上げて目を瞬かせる。

「だって、ほら、君、私は君を詳しく知らない、まだ何も解っていない」片手を広げ一本一本指を折って数えていく。「君が千年前の陰陽師で、霊の見えない人間の諍い他諸々に厭いてぶっ殺す事を決めて、何ちゃら大会を知って参加して死んで転生して、又死んで、又産まれて、今度の大会で星の王様になって霊の見えない人間を滅ぼして、霊の見える人間の世界を造る、と言う事しか知らない。……言ってみると、結構知っている気がするな」

 でも、と真面に顔を向けて続ける。

「それを達成したい君の事を、まだよく解らない。君が今言った事を達成したい人だと知っているけれど、大勢を殺して少数を残す、その気持を理解するに至っていない」

 言って、自身の彼を解ろうと言う内容が違う気がして、別に彼の行動の理解に努める必要は無いと思い至り、行動の理解でなく個人の理解だと思い直す。個人を理解すると言う事が、一体具体的に何を知り、深めていけば理解に至るか、まるで想像のつかない哲学の土壺に嵌まって一瞬口の動きが鈍る。

「気持の理解なんて、賛成多数を得られない意見を主張する君からすると物凄く腹立たしい事だろうけれど、まあ、確かに気持を解ろうとは思わない、解りたいのは、……何だろうね、まだ其処まで考えていなかった。まず、其処から考えなければ」

 腕に抱く乙破千代の笑い声が耳を衝き、思考の縺れる今だけ酷く煩わしく感じた。自身の都合の良さに非常に呆れ、心中を読み取るハオの反応を窺う気も起きなくて俯き加減に続けた。

「まあね、兎に角、気持は置いておいて、君を解ろうと藻掻く事は止めないけれど、解ろうとしたいから君に好意を持っている事にはならない」

 と漸く言いたい事に繋ぐ言葉を見付け、更にそれに繋ぐ言葉を模索する。

「嫌いじゃないと言った、事実嫌いじゃない、でも好きでもない、好きか嫌いの二択を迫られたら嫌いは選ばないが、好きを選ぶ事も気持的にしたいと思わない。二択を迫られたら黙っているよ。君を嫌いでも好きでもない、無関心ではないよ、どちらを選ぶか決まらないから考える、その為に黙るんだ」

「ま、滅ぼすと言い切る奴に好意を抱く事は、まず無いね」とハオは愚痴を零すように吐き捨てた。

「うん。で、私は君一人だと嫌いも好きもない、解らない、君が解ってもらえず辛いのは解っているけれどね。だから、止めないよ。でね、その中で例外もあってね、君一人じゃ嫌いも好きも決まらないと言ったけれど、決める方法が一つある」

 彼の少し上気した頬が朝焼けに冷やされて徐々に元の青白い頬に戻る様を見守りつつ、折り畳んだ指を一度広げて人差し指以外の四指を折り、残った指を前後に動かし、さも重要な事を嘯くかの如く、特段重要でも何でもない事を言った。因みに自分が眼前で前述のような仕草を見せ付けられたら憤慨するに違いない。

 ハオは半眼で私を見る。心中を読み取るのが先か、私が言うのが先か知らないが、彼の反応は極めて冷淡だった。数ヶ月接して存外感情の起伏が激しい事が解り、しかし顔に出る事は決して多くない。大抵人様を小馬鹿にした顔─前に閃いた愛想笑いだ─に韜晦し、恐らく目標達成の為のやる気の起爆剤代わりにしていると思われ、代用出来ない感情が、時折私と二人になった時や以前起こった誘拐事件の時のような大事に発露するのだろう。荒れ狂う感情の矛先の相手の気苦労も素知らぬ顔で撥ね付けるから、真面にぶつけられる相手は堪らない。同様に感情が弾けて罵りたい気持が湧いて来る。これが私の場合、本当に罵る事しかしないので始末が悪い。この野郎、と言うだけで収まらない為、成る丈罵詈雑言を聞かないよう耳を塞ぎ、しかしその時機を計るのが下手くそで、現代では時偶幼馴染の翔子と喧嘩をした。

 また話が逸れるので戻す。

 ハオは分厚い面の皮の下に激情を隠し、一見冷淡な眼差しでこちらを見詰める。

「私は乙破千代のお世話の為に此処に居る、何故居られるかと言うと、乙破千代が好きだから。好きな乙破千代の好きなハオは好きだと断言出来る」と禅問答染みた事を言って一人満足して頷いた。

 素っ頓狂な声を上げて巫山戯るなと言ったのはラキストさんで、尖った頭の上の魔法使いの三角帽子が肩を跳ね上げた拍子に地面に落っこち、帽子の飾り羽が一本飛んで、ママが興味を示して吹っ飛んだ方に顔を遣る。帽子の持ち主は飾り羽の行方を気にする様子も無く、外套の下の拳銃を引っこ抜き、銃口を空に向けて構えながら大分低い位置にある私の脳天を見遣り、口を開かぬ少年の脳天を瞥見して歯噛みする。平和惚けの代表格の国の生まれの小娘が人生で一度目にする機会があるか無いか判然しない無骨な鉄の塊を掲げ、ふと目線を揺らし、やおら腕を下ろすと拳銃も外套の下の懐に仕舞った。

 外套の下に黒いスーツを着込み、一昔前の役者が上着の内ポケットに名刺を仕舞う所作で、不気味な拳銃を専用のポケットに仕舞い込む。空いた両手は胴体の脇に垂らし、何か掴み掛かる事もせず所在無げに拳を握り締める。

 そんな腹心の乱心にお得意の愛想笑い一つ見せる事無くハオは真っ直ぐにこちらを見詰め続け、実は拳銃を引っ張り出された瞬間、腹の溶岩が内臓と一緒に攪拌機にかけられたかのような眩暈と吐き気を覚え、危うく乙破千代に胃の内容物を押っ被せる所だった。眼力の凄まじい事、蛇に睨まれた蛙宜しくその場で足踏みも出来ない程空気を重く感じ、足底に根っこを生やして立ち尽くした。

 暫く黙って、そして黙っている事が苦痛でなくなった頃、すっかり夜の気配の消え去った朝風に前髪が翻り毛先が目に入って正面のハオから視線を外した。片手で髪を払い、自身の動き出した手を視界の縁に捉え、黙る事が暗黙の了解となりかけた雰囲気を打破するに究竟の機会と見做し口を開いた。

「乙破千代の好きな君が好きだと、自信を持って言おう。だから、何ちゃら大会が始まる前にお別れだけれど、若し新しい世界で生き残れたら、世界の片隅に引き籠もりながら乙破千代と君を見守る事にする」

 私は至極真面目に言って、腕の乙破千代を撫ぜようと片手を持ち上げた時ハオが言い出した。

「シャーマンファイトが始まる前に居なくなるって、何故だい。乙破千代は、ずっと一緒に居る気なのに、歩は一緒に居てあげないの?」

「おや、居て良いのか。てっきり、大会の前にさよならかと思った」

「勝手に居なくならないでよ。乙破千代は、君が居ないと泣き止まない。解っていないようだけれど、君が居なくなったら、乙破千代は僕がどんなにあやしても泣き止まないよ。君が居る事が前提だ、これに嘘は無い」

「そいつは嬉しいね。有難う、乙破千代」

 と手元の乙破千代を見遣ると片腕に感じていた重みが、幾らか軽い事に気が付いた。

 片腕の中の乙破千代は大きな頭を擡げ、小娘の細腕と言う不安定な足場で器用に上体を起こして両手を私ともう一人、心底慕う少年に伸ばしていた。今迄片時も離れず傍に居て、定位置が腕の中と決まった頃から就寝時も活動時も、極稀にママの横腹に寝かした事があったが、基本私が抱いて夜に眠り朝昼に動き回った。知らぬ間に首が据わって寝返りを打てるようになり、俯せに寝入っても窒息する心配の減った事は大変喜ばしいが、人生初の子育ての記憶を手繰っても寝返りを打つ必要のある体勢で寝かした覚えは全く無い。故に、抱く際に首を支えず背中に手を添え抱き上げる少しく危険な真似をしない限り、首の状態を実感する事は出来なかった。況して首どころか上半身を自力で起こし、その姿勢を保持するなぞ全く予想だにしない吉事である。

 上半身を起こし腕を振る乙破千代の真っ黒の団栗眼と目が合い、緩慢に目線を上げて正面のハオの顔色を窺い、彼も又私の顔色を上目遣いに盗み見ていて、双方顔を見合わせ同時に乙破千代を見下ろす。やはり元気に起き上がって手を振っている。

 徐に屈み草の少ない地面に膝を突き、草の多い所に注目の対象を座らせ、一人背筋を伸ばし尻餅を搗いたような体勢で座り続ける乙破千代に周囲から歓声が沸き起こった。

「見ろよ、座ってる!」「解ってるって!」「嗚呼、何で今迄気付かなかったのか」「今気付いたし、構わないさ」「座っているよ」「この前迄、寝返りも打てなかった子が!」「ラキストさん」「ラキスト、ご覧」「座っていますよ!」「座っている!」「はいはいももう直ぐかな」「さすがに早いよ。いや、乙破千代なら直ぐかな」「何にしても」「そうさ、目出度いじゃないか」

 と二人揃って、乙破千代を見たり互いの顔を見合わせたり、決して器用に均衡を保つ矮躯に触れる事をせず、最初に私がハオの肩を引っ叩き、痛みに気付かぬハオも私の肩を掴んで揺らし、そうして身辺の様子なぞ委細構わず興奮と感動を分かち合うように騒いで目を輝かし、後方の声も無く突っ立つ人を振り返りもしないで只管嬰児の成長を褒め称えた。そんな狂喜に浸かる世話役と保護者の後方、一切顧みられる事無く置いてけぼりを食らった一名は飾り羽を銜え足下に遣って来たママの一鳴きに我を取り戻し、足や尻に根を生やして動く気配の無い平凡な小娘と中身が糞爺の筈の外見相応に幼稚な少年を前に立ち尽くした。それから暫し黙った後、手の舞い足の踏む所を知らず喜ぶ私達の前から乙破千代を抱き上げて幕屋のある遊牧地へ帰る事を提案した。

 蛇足だが、帰り際、私の膝小僧の傷に気付いたハオは気分が宜しいようで、当たり前の手付きで傷の直上に手を翳し、未だ痛みを感じない傷を治してくれた。気分の宜しい私は、しんから感謝の念を込めて深く頭を下げながら謝辞を述べた。




屋烏之愛(おくうのあい)
:深い愛情、その人に関係するもの全てを愛する。

 気分はハ○ジ。立った、クラ○が立った!
 立ってはいませんが、一寸ずつ成長するオパチョ。
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