生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第四章:舐犢之愛~私と子供と母の想い~
第三十話:


 思い起こせば中々面白い一生であったと考える。曇天を仰ぎ仰向けに寝て気息奄々、頭の横に蹲る我が子を横目に喉を震わせる。

 

 * * *

 

 初産を数日後に控え、数日後無事出産を終えて初めて自身の腹の内に護っていた我が子と対面を果たし、これから来る新しく忙しい日々に胸をふくらませ、羊水や鮮血塗れの我が子の体を舐め回した。周囲の世話役達も有象無象の輩に見られる程、彼女は可愛らしい嬰児の誕生を喜び、又母親としての意識を高め、命を懸けて愛娘を護る事を大自然に誓った。その宣誓を周囲の輩は毫も知らないが、知る必要を感じず、只己が誓い己が遵守すれば良いと信じ、実際それだけで物事は上手く片付いたので誰も気に留める事もしなかった。兎にも角にも初産を無事に終えた。

 我が子の立ち上がる様、自身の痛い程張った乳房に額を寄せてお乳を飲む様、草を食む視界の脇で寝転がる様、色々の愛おしい姿を目に焼き付け、しかしその光景を当たり前のものと思い込む度に、情けない話、有難みも失せて心に刻み付ける事をしなくなった。四辺に散る同胞が同じく知らん顔で子供を見詰め、時間になってお乳を与え、又時間が来て草を食み、日々はこれの繰り返しで成り立ち、別段疑問を抱く事無く過ぎ去った。

 瞼越しに目を射る強烈な朝日に覚醒を強制され、やおら起きて一鳴き、同胞が起き出し、軈て身辺が賑々しくなり世話役達も広野に建てた洞窟から這い出して仕事を始める。行動を制限する等間隔に立つ棒杭とその間を繋ぐ紐、上下の紐の間に首を突っ込み届く範囲の草を摘み食いし、時折取り合うような雄叫びを聞き溜息混じりに振り向いて馬鹿騒ぎの原因を見遣った。男同士の草の取り合いらしく、太い角を突き出し、衝突を繰り返す事数回、朝食を認めていた世話役達が駆け付けて喧嘩を制した。

 日が昇り切って少し、最初に男達が世話役に連れられ食事に向かい、彼女達は煩わしい男達の後ろ姿が凶悪な白日に塗り潰され見えなくなった事を契機に各々喧しい男の悪口を言い立てる。彼女自身も気に食わない男の悪口を親友に零し、親友の慰めの言葉を戒めに別の棒杭に囲まれる我が子の見当を振り向き、将来あんな奴にならないと良いわね、と言い合った。彼女の子供は女だが、親友の子供は男で、双方その男の子の行く末を案じていた。腕白坊主と言うには生温い、世話役の怒号の止まぬ暴れ振りに遠巻きに眺める母親もはらはらしながら見守り、何度棒杭を飛び越え息子を叱りに行ったか知らない。彼女の親友の悪餓鬼は叱責に堪えた風も無く、小馬鹿にした笑みを湛え、母親とは離れた棒杭の向うで跳ね回る。我慢強い奴にも限界がある、堪忍袋の緒が切れる日も近い、傍らで憤怒の形相で息子を睨む親友を見て彼女は思った。

 男達が帰り、今度は女の番である。世話役を連れ立って草の生えた場所に赴き、心行く迄食事を満喫し、満腹になった頃を見計らった世話役の判断で棒杭に囲まれた家に帰った。

 家に帰ると待って居るのは腹を空かした子供達だ。世話役達が受け皿を手に提げ、彼女達の足下に置き、下腹部に手を添えて少しお乳を搾り、それが終わると子供達の食事の時間になる。我が子が駆け寄って彼女の腹の下に潜り込み、鼻面を上向かせ腹部の突起を探り当ててお乳を飲む。子供のお乳の間、只突っ立って待つのも非常に大儀なので彼女は我が子に自身の居ぬ間の出来事を尋ね暇を潰し、お乳を飲む合間の子供の返答を聞き流したり聞き流せない内容に目を剥いたりと忙しい。そうする内に子供の食事が終わり、軽く毛繕いをしてやって、尻を押して遠くの棒杭の方へ帰した。

 腹も満たされ張った乳房も程好く柔らかくなり憂い一つ思い浮かばず彼女は親友と共に丈の短い草の上に寝転がり、時折遠くに聴こえる世話役達と似通った容姿の世話役擬き達の陽気な歌声が響き渡って非常に邪魔で、気性の荒い男の方で暴れる無頼漢が複数出た。世話役擬きの歌は幾日も止まず、しかし聞き慣れると子守唄のように思われて、睡眠の導入に貢献していると親友と話し、他の女達と歌声の聴こえる方角を向いて一緒に歌ったりした。

 世話役擬きの歌声が聴こえるようになって数日、雨季の真っ只中とあって鬱陶しい夜来の雨が降り籠め、草を食べに行くのも陰鬱な陰の落ちる道を通る為に食欲が失せる時期、その日は一等酷い雨が降っていた。朝起き出して直ぐ目が開き難く、中途半端に半眼で視界が利かなくて不自由した。世話役達は彼女の目の具合に気付かず放置し、子供達を彼女達の居る棒杭の中に迎え入れ、子供達は一散に自分の母親の許に駆け寄りお乳を飲み、母子の触れ合いの時間を堪能して子供達は別の棒杭の向うへ帰ろうと言う時、一部の子供達が群れを離れて別行動を取った。無論母親の許可を得てらず、無断での別行動である。世話役達が大声を上げて子供達を追い、騒ぎに気付いた彼女達も顔を上げて走り去る子供達の群れを見送った。

 彼女はその中に我が子の姿を認め悲鳴を上げた。

 他、自身の子供の姿を群れに見た母親達が喚き、棒杭を飛び越え我が子を追う者が出て、後は最初の脱走者改め追跡者に倣い母親達は雪崩を打って棒杭を越えて子供の群れを追い掛けた。

 当然彼女も追い掛けたが、母親の大半は、追い付いた世話役達に捕まり棒杭の向うに連れ戻され、到頭我が子を連れ戻すと言う母の義務を果たす事は敵わなかった。彼女含め子供の脱走した母親達は数日もの間、我が子の安否を知る事も出来ず、そんな中で食欲が出る筈も無く、心労と時節柄食欲の減退する事も手伝い相次いで女達が倒れた。彼女は我が子の無事を信じ踏み止まるが、更に数日経って諦めた。追い掛けた世話役達が捜索を止め、彼らの普段の生活に戻ってしまった。棒杭を越える事を制限される彼女は、我が子を捜しに行く事が許されず遠方の陽炎の如く朦朧と見える地平線を見詰めて直ぐ項垂れた。せめて我が子が空腹でない事、死んでしまったなら苦しい死に様でない事を祈り、我が子を産む前の生活に戻るが、心が戻り切れず疲弊した心身を抱え、親友に尻を押され草を食みに行く毎日を送った。

 精彩を欠いた毎日を送る事一ヶ月余り、ある日彼女は草を食みに行く女達の群れを世話役の目を盗んで外れ、遠い土地に行って其処で力尽きたいと思い、思いの儘の見当へ歩を進めた。樹木の影も形もない広野の中央を突っ切ってやる為に腹拵えと、運命の出逢いがあると知らず彼女は段々なった岩場の陰に踏み入り、好物の草を見付けて歩み寄り、それが目に留まった。

 世話役や世話役擬きと同様の容姿の新しい世話役擬きだった。地肌の色が広野の土と似て、寝転がって息を殺されると区別がつかないと思った。新しい世話役擬きは彼女の好物の草の根元に座り込み、彼女達と違い地面に着く機会の少ない前足で掬い上げる世話役擬き達の嬰児を見遣り、音も無く食べられないと呟いた。無意識に声に出したと思われ、新しい世話役擬きは溜息を吐いて草を睨み付けていた。

 彼女は相手が居なくなって使い道の無くなった自身の乳房が張るのを感じ、涙が滲み、物の輪郭の曖昧な視界の中央に蹲る新しい世話役擬きとその嬰児を見詰めた。成る丈足音を殺し、さも食事の為に来たと言う顔で草に食らい付き、新しい世話役擬きの奇声に彼女方も仰天したが、相手が非常に小心者であると見抜いて飛び上がりそうな全身を抑え込み草を食んだ。

 草を食べ終えて、ではどうしようと悩み、自覚した乳房の張りの限界を感じ取ってその場に横になり、言葉の通じぬ新しい世話役擬きに無防備な腹を見せた。

 小心者の世話役擬きは、小心のくせに賢いのか、彼女の腹を弄り体毛を掻き分け、目的の突起を見付けて世話役擬きの嬰児の体を寄せてお乳を与えた。その吸われる感覚の懐かしい事。涙の滲む視界の中、恐怖に引き攣った可哀想な小心者の世話役擬きの顔を見たり更に背後の上段の岩と空の境目を見たり、言葉が異なる為世間話に興じる事は出来ないが贅沢は言うまいと、愛おしい感覚とそれを取り戻させてくれた小心者の世話役擬きと機会をくれた嬰児に心中深謝した。




 小心者の世話役擬きとは主人公です。
 機会をくれた嬰児はオパチョ。
 因みに「機会をくれた」とは、オパチョが泣き叫んだ所を言っています。
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