生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第三十一話:

 世話役擬きの嬰児の悲鳴を聞き付け、彼女は棒杭を越えて世話役擬き達の洞窟に駆け込みお乳を与え、爾来そろそろかしらと思われる頃に独断で棒杭の向うの洞窟目指して跳んで行く。そんな日々が続き、段々と我が子を喪った虚無感が充実感に変わり、洞窟を離れる事が億劫になって小心者の世話役擬きの傍らに控えていつでもお乳をやれる態勢を整えた。

 そうして小心者の世話役擬きの傍で当人を見守っていると、世話役や世話役擬きにも性別があると解り、小心者の世話役擬きが女と知れ、そして他の者達から煙たがられ距離を置かれたりあからさまな敵意を向けられたりしている事が解った。泣かぬよう耐える様は酷く惨めで、努力で馴染もうと四苦八苦する様が酷く哀れで、彼女は小心者の世話役擬きの傍を離れず見守ろうと決めた。

 ある日ある時、小心者の世話役擬きが他の世話役擬き達に責め立てられる風に囲まれ、好き放題言われる所を見掛け不愉快な気持になって見ていた。複数で弱者を囲んだ世話役擬き達は散々小心者の世話役擬きを苛めて何処かに行ってしまい、残された者はしくしく泣いて居たと見える。

 彼女は小心者の世話役擬きを護らんと立ち上がる事に決めた。何故そうしたかと言うに、まず世話役擬きの嬰児のお乳遣りを手伝ってくれる事、張り詰めた乳房を解す為に一番手っ取り早い方法で、そして母親としての立場を回復する機会を与えられ頼りされる、何より彼女の愛娘を護れなかった母親の意地が勝って得た新しい居場所だった。故に彼女は悟る。小心者の世話役擬きは寂しい。同胞に忌避され、近寄って来る同胞に蔑まれ、誰一人として小心者の世話役擬きを庇う者は居ない、後に誰一人と評するは語弊であると解ったが味方らしき世話役擬きも常時傍に居られる訳でないと見て解った。寄る辺無き小心者の世話役擬きの拠り所が世話役擬きの嬰児のみと知り、何と哀れな子だろうかと涙を催す境遇に彼女の気概は一層高まった。

 数日間付きっ切りで見守ると小心者の世話役擬きの名前を覚えた。アユムと言うらしく、世話役擬きの嬰児の名前をオハチヨと言った。彼女の中で世話役擬きに仲間意識が芽生え、又名前を覚える事で我が子に向ける筈だった愛情の明確な行き先が決定した。

 言葉が通じぬのは誠に残念至極だが、彼女の言葉で新しい愛娘の名前を頻りに呼び、伝わり難い呼び掛けに振り向いて少しく安堵した顔で駆け寄る姿に、お乳を求め棒杭の内側に駆け込む我が子の影を重ねた。

 数ヶ月を共に過ごしたある日、アユムは他の少数の世話役擬きと共に食事を認め、彼女の横腹に凭れるように座り直して目前の世話役擬きの男の子に何か尋ね、世話役擬きの男の子が曖昧な顔で受け答えをして不機嫌になる様子を眺めた。恐らく空寝の事実が知れている。しかし今更起きるのも業腹だから彼女は空寝を押し通し、自身の理解の及ばぬ言語に耳を攲て、子細を理解する事は敵わなかったが愛娘が嫌悪の対象にされている事を察した。愛娘の左右に座る世話役擬きの男達も悄然と甘ったるい匂いを放つ乾燥した実を齧った。

 食事の後、愛娘のアユムはオハチヨを抱いて索漠とした岩場の方に身を寄せ、同族に味方の居ぬを憂うが如く哀愁を漂わし広野の向うを見詰めて居た。退屈を極めるかのような無言の横顔を見詰め、足下に寝転がって見守りつつ、すっかり身辺が暗くなった頃家に戻るよう声を掛けかけ、世話役擬きの男の子の足音を聞き付け警戒を強めた。果たして上段の岩の影から顔を覗かせた世話役擬きの男の子が下りて来た。アユムの隣に御輿を据えて手掌に煌々と火を灯し、互いに何か言い合い、癪に障る事を言ったか言われたか、言葉の異なる彼女は解らなかったが世話役擬きの男の子が物騒な気配を放ち出して仰天した。相手は扁平な顔に皺を寄せた愛想笑いで彼女に対し謝辞を述べ、又アユムと何やら話して呵々と笑い、疲労困憊の顔のアユムは立ち上がると岩を登って洞窟に帰って行った。

 愛娘に置いて行かれ、慌てて追い掛ける為に腰を浮かした彼女は、しかし考えを改め腰を元の場所に戻して世話役擬きの男の子を見上げた。手掌の火影の向うに濃淡の明瞭な陰を作った彼は惨めな顔をしていた。思わず彼女は言った。

「馬鹿ね、坊や。女を困らせるからよ」と彼女が言うと世話役擬きの男の子は目を瞬かせて頷き返した。

 あの子が大事なんだね。二人共、君の大事な子供なんだねえ。

 と世話役擬きの男の子は言い、彼女も頷き返して顎を前足に乗っけて大きな欠伸を三度見せ付け、馬鹿ねともう一度言った。

 あの子は変わっている。全ての始まりの千年前、あの子が居たら、どうだったろう。同じ村に生まれたら村人に感化されて今のあの子のようにはならなかったかな。いや、あの子なら、なったかも知れない。

 面白そうだ、と世話役擬きの男の子は言う。無論面白くない彼女は不興顔で相手を睥睨し、相手はこれを鼻で笑って御輿を上げ、前方に広がる樹木の無い、真昼に苛烈な太陽を遮る術の無い広野を見渡し吐息を吐いて岩を登って行った。

 別の日、アユムは何かお礼を言いたいらしく、色々の人を訪ね歩き、最後に世話役擬きの男の子を捜して回った。臭いとオハチヨの示す道を聞き取れぬアユムに代わり、彼女は先頭に立って導き、世話役擬きの男女を会わしてやったが一方が機嫌が悪く、もう一方も不機嫌が伝染してしまい喧嘩別れのような雰囲気で明後日の方に話題は流れた。その時はそれでお仕舞い、後日仲直りしたようだがその仲直りをきっかけに何か思い付いたアユムは世話役擬きの女達と接触したがり、単身その一人に話し掛け連れ出し、其処は岩場のあった場所ではないけれど彼女や愛娘の憩いの場であった事に違いはなく、疎林の外迄行って愛娘と世話役擬きの女の子は話し合った。否、世話役擬きの女の子が一方的に彼女の愛娘に非難の言葉を浴びせ、愛娘の方は黙って聞いていた。

 彼女が歩み寄って宥めると、愛娘のアユムは嗚咽して彼女の胴に顔を埋め、繁く洟を啜って愚痴を零した。まだ全てを理解出来る訳ではないが、当時彼女は世話役や世話役擬きの言葉の理解に努め、この時アユムの言葉を半ば以上了解していた。

 ──辛い、苦しい、寂しい、怖い。解ってくれないくせに、信じてくれないくせに。

 ──嗚呼、死ぬのは恐ろしい。

 ──君は正しい、貧しい私は死ぬ可きだ。

 悲しい事を言うな、私が此処に居る。

 そう伝わるならと彼女は悔しさを滲ませ、繁く泣く愛娘の顔を見遣る。毛に鼻先を埋めた横顔が愛おしい。嗚咽して尚オハチヨの矮躯を離さぬ姉の根性に感銘し、オハチヨより力がある筈なのに、誰より無力に思われる愛娘の姿に母性の愛が募り、二人を護ろうと彼女に一層強く誓わせた。

 彼女は思う。我が子は何処に居るだろう。腹を空かせていないだろうか、空かせていたら草を食べる事を思い付くだろうか。死んでいやしないか。死んだなら楽に死ねたかしら。

 決意を新たに顔を上げて濡れた目元を拭う愛娘を見上げ、彼女は追い縋って共に居られなかった我が子の一生に思いを馳せた。




 三人称擬き。
 一人称にすれば良かったと後悔中。
 いつか書き直す事にして、大事な章ですが、さっさと次章に行きたいと思います。
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