真っ暗闇を横切る光芒の鋭い輝きが眩しくて瞼を押し上げて、視界いっぱいに黒色の扁平な顔を認めて喉に力を入れ、思い通りに声が出ない所為か黒色の顔が悲壮さを露に咽び泣く。黒色の後方の黄色の扁平な顔も不細工に歪み、自身の顔の横に膝を突いて、背中を丸めて鼻面を近付け具合を窺う愛娘に笑い掛ける。彼女は愛しい子供達に必死の笑顔を見せて喉首から淋漓として滴る鮮血に塗れた胸に矮躯を誘い、前脚で抱き寄せ慰藉し、顔の横の愛娘の泣き顔に末っ子の未来を託した。命の糧の血潮は大地に吸われ、軈て黒くなって固まった。
深夜、世話役達が騒ぎを聞き付け飛び出すと棒杭の向うの彼女達の喉笛に食らい付く猛獣と出会し、銘々武器を手に追っ払うが、数頭の彼女の同胞は連れ去られた。非力な生き物達のぐるりに設置した棒杭の中は食い荒らされ息絶えた同胞や絶え絶えの同胞が横たわり、彼女も又瀕死の状態で彼方を見詰め、遣って来た世話役の一人に傷を見られ、模糊として不明瞭な世話役の逞しい輪郭に一瞬期待を膨らませ、後の世話役に顔を振る様を睨んで諦めた。誰に見られ、誰が見ても言う、当の彼女も言う。もうお仕舞いだ。
猛獣の消えた見当に子供達の洞窟があったが、数人の世話役の足音が遠退き安堵に胸を撫で下ろし、そうして洞窟の見当から猛獣の断末魔が轟き瞠目した。耳朶を打ち大地を震え上がらす轟音を聞いて間も無く眠っていた筈の子供達が駆けて来て、彼女を囲む棒杭と棒杭の間に張る紐を潜り地面にくっ付いて離れない顔の横に座り込んだ。愛娘が末っ子を抱き膝が折れて強かぶつけ、湿気を多分に含む音を立てて地面に接する膝が沈み甲走った短い声を上げ尻餅を搗いた。既に相当量の血潮が体外に流出し、命の糧を失い、夜気に冷やされた真っ黒の土が急速に体温を奪って地面の底へ引き摺り込み、最早逃げ場の無い彼女を摂理に逆らい取り戻さんと子供達が声を張り上げ抵抗する。
一度彼女は意識を地面の底に引っ張られる儘留め、暫く経って子供の泣き声に我に返って瞼を押し上げ、末っ子の顔に恐怖と思しき感情が湧いて胴を震わせた。声は出る気配も無い、喉笛を抉られ、今絶命せずに子供の顔を見られる事が奇跡に思われ、更に後ろに蹲る愛娘の姿を見て本当に安堵した。不測の事態に末っ子を連れて行動出来れば何も問題無い、安心して甘えたい盛りの末っ子を遺せる。気付けば半晴の雨季の空が広がる朝を迎え、彼女達を囲繞する棒杭は引っこ抜かれ別の場所に簡易の棒杭の囲いを作り、生き残った彼女達の同胞を纏めて世話役達も何やら慌てて支度に取り掛かる。尚も動かぬ愛娘と末っ子は、血溜まりの真ん中に蹲って歔欷して居た。
彼女は千切れかけの首の筋に力を入れ上体を持ち上げて愛娘の方に首を伸ばし、愛娘も気付き後脚に乗り出す彼女の顎を血溜まりに突いた両の前足で受け止めて喉を鳴らす事も出来ぬ母の姿に大粒の涙を流した。血潮を吸った土を抉りつつ膝を進める愛娘の後脚に顎を載せ、鼻腔に詰まった血を噴き出し、幾らか楽になった呼吸を浅く早く繰り返して途絶えそうな命を繋ぐ。自身の前脚に抱く末っ子の喘ぎ声が喉の傷口を刺激して酷く痛んだ。
視界が真っ赤に染まり、真っ赤の末っ子の顔と同じく真っ赤の愛娘の顔に涙が滲み、一層朦朧として見える暗い視界の中央に蹲る子供の背中や頼りない肢体に未練が頭を擡げる。何故此処で終わるのか。声の出ない喉を震わせ、迸る鮮血に悲鳴を上げた愛娘の両の前足の体温に薄目を開け、喉の傷口から止まる気配の無い血潮に洟を啜り愛娘の方が重傷を負ったのかと錯覚させる程の惨い有様に、母の矜恃も手伝い、彼女は顔を逸らす事で愛娘の前足と自身の傷を遠ざけた。愛しい前足が追い縋り、傷の無い首を頻りに撫ぜて、逸らした頭を再び後脚に載っけてくれて、全身を使い彼女と末っ子に覆い被さって静かに泣いた。
彼女の意識は、今度は前脚の末っ子に移る。陰々滅々とした顔色で岩場の陰に居た愛娘に抱えられ、腹を空かす余り喚き散らし、自身に母の義務を思い出させてくれた乳飲み子の頃の今以上に頼りない体躯を想起する。お乳を飲み干さんと食い付く感触に涙を催した瞬間、何が気に入らなかったのか夜泣きの酷い日々、歌を歌えば御機嫌に居眠りを始めて彼女や姉貴分の愛娘を安堵させた。今だって世話役擬きの男の子と姉貴分が居なければ無闇に不安を募らし、限界が訪れ泣き叫び、彼女や姉貴分が素っ飛んで来てあやす迄暴れる事を止めない末っ子は、甘えられる無条件の安全地帯なくして生きられない。でも大丈夫、姉貴分の愛娘が居る。彼女の胸元に団子宜しく丸まる末っ子の矮躯が大きく震え、縮れた丸い体毛を揺らし血塗れの顔を上げ又絶叫した。
三回もの雨季を過ごした仲だ。小心者の世話役擬きと世話役擬きの嬰児と彼女は、紛う事無く親子である。母親の勘と共に過ごした月日の御蔭で、子供達の言葉を半ば以上理解する事が出来た。末っ子の絶叫は簡潔であった。
死なないで。
出来るならそうしたい。彼女は瞼を目一杯押し上げて唯一末っ子を託せる愛娘の狭い額を見遣った。届かぬ言葉を心中で繰り返し、そうしてか細い息が途絶えた。
お姉ちゃん、お願いね。
愛娘も言葉が解るなら、幾度も頷き応えたと思われる。解った、我が儘な末っ子の事は任せてね。
末っ子の絶叫の音量が弥増し、弾けるように顔を上げた愛娘は鼻や喉や腹に前足の細い小枝を広げて撫で回し、溜息混じりに昨晩洞窟内で寝入っていた事を謝罪した。間に合っていればなぞ関係無い、その時居て何が出来た訳でもない、只々言う可き言葉を思い付けず零れる儘に言葉を述べた。
──ねえ、ハオ、…さま、ハオさまは?
と末っ子のオハチヨが呟き、悲壮に歪んだ顔の姉貴分のアユムは首を横に振って不在の旨を伝える。
──ハオさま、なおして……。
──そうだね。ハオ、ハオ、…何処だろう。
と酸鼻を極めた彼女の死に様に、到頭アユムも耐え切れず、数々の奇跡の御業を起こし、不可能な事があるか疑わしい世話役擬きの男の子の姿を捜す。
──ハオ、ハオ…様、何処だろうね。
──ハオさま、ママなおして。しんじゃう。
──何で、居ないの。……間の悪い人だ、オパチョが泣いているのに、肝心な時に、……いつも居やしない。
オハチヨが頭上の姉貴分の泣き顔を振り仰ぎ、血餅のくっ付いた両の前足で顔面を押さえるアユムの血塗れの顔を認める。そうして薄汚れた体毛を赤黒く染めた彼女の前足を鷲掴み、赤黒い自身の前足で渋色の貫頭衣擬きの裾を握り締めて再度言う。
──ハオさま。…アユム、ハオさま、どこ。…ママしんじゃう。
着物の裾を握る小さい前足の上からアユムの二回りも大きな前足が覆い、力強く握り返して訥々と言い出した。
──オパチョ、ハオ様は間に合わないよ。もう、間に合わない。ハオ様は人間の体を治す事が出来るけれど、ママの体を治す事は出来ないだろう。
──ハオさま、なおす。アユム、なおした、ママなおして、ハオさま。
──ねえ、オパチョ。治って欲しい。死なないで。……ママ、私やオパチョを残すのか。
──ハオさまハオさま、どこ、どこ、ママしんじゃう。
──やだよ。やだね。…苦しいね、こんな死に方、苦しいね。ママ、御免ね、昨日一緒に寝れば良かったね。
咽び泣くアユムの後方から世話役擬きの仲の良い男が遣って来て血溜まりに躊躇無く膝を突き、顔面に爪を立てる小枝を摘み丁寧に引っ剥がし、両の前足を膝の上で組ませ、男のもっと大きな前足で押さえた。
──ダマヤジ、ハオさま。
──ハオ様は、帰って来れても明後日だ。予定でもそうだ。間に合わねえ。
嫌々と叫びオハチヨは地団駄を踏み、撥ねた血が涙に濡れる顔にかかり、粘度の高かった血は涙と混じって福々しい頬を滑り落ちた。
アユムの顔も又酷い。涙と血が混じって黄色い顔は赤黒い箇所が見当たらぬ程汚れ、顎を伝い落ちる血涙が乾き始めた着物に薄い斑を作り、既に汚れた箇所と繋がって不吉な模様は広がっていった。
──ハオ様、治せるかな。
──多分、無理だろう。ハオ様はシャーマンキングになるお方だが、まだ、只の人だ。必ず限界がある。
──来たら、試すくらい、してくれるかなあ。
──千年生き死にを見て来た方だ。一目で判るだろう。アユム、我慢せず泣いちまえ。オパチョもお前も関係無い、お前達二人はママの為に等しく泣いて良い。
その言葉を最後にアユムはオハチヨごと彼女の体を抱き締めてわんわんと泣いた。
オパチョとママの絡む描写が足りないように思われますが、書く側が母子の関係を書けない為です。すみません。
ハオ様、流石に人間以外の動物の治療は出来ませんよね。
シャーマンキングになった後は兎も角。
と言う訳で、ママ死亡です。