生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第三十五話:

 翌朝目覚めて昼頃迄に起きようと決めて又寝して、真昼に山田さんの拳骨で起床を促され、渋々起き出し鳩尾に顔を埋めるオパチョを抱いて表へ這い出した。見えぬ私の為に羊のママが足下で寝転がって居ると親切心か、邪推するなら悪意を以てお教え下さる人々の言葉や目線や指先の示す先の何も無い空間を振り返って、其処に寝息を立てて横たわる姿が有り有りと浮かび上がって来るので目の奥が痛かった。未だ不貞腐れ目覚める事を嫌がるオパチョが霊魂の存在に気付いているか知らないが、気付いたら気持を持ち直すかしらと考え、やはり原作の持ち霊獲得の経緯に思い至って本日中の回復の見込みは無いかと落胆した。

 垂れ幕の横に射干玉の頭髪を地面の上に広げる姿を認め、幕屋の壁に凭れ掛かる寸前で半端な姿勢を保つハオに目を遣り、真面に屈んで繁く嗚咽するオパチョを胴から剥がし突き出した。事の深刻さを諒解済みのハオは矮躯を抱き取って胸に掻き抱き、小刻みに震える背中を叩いて鼻歌を歌い出し、それで安心と思って一寸距離を置こうか黙考中に私の後退の足音を聞き付けたオパチョが顔をこちらに向けて洟を啜った。啜り過ぎると宜しくない。観念して垂れ幕を避けた歌い手の隣に腰を下ろし、更に隣にママが寝転がったと誰かが言い、一方に鼻歌を歌う人が居て、もう一方は異国情緒の溢れる砂を運ぶ風が吹き込む広野が見えて、そうして広野の手前の、それも私の極近くに居ると言う意味を把握し目を細めた。だが、幾ら目を凝らそうとも見えぬものは見えない、私にそれらの才能は皆無であった。

 山田さんが湯気の立つ昼食の盛られた大皿を両手に抱えて来て、腰を曲げ大皿を置き、少々焼き過ぎに思われる骨付き肉を勧め、自分が先に一つ頬張り又飯の山から取り上げて勧める。食欲云々と言って困らせる事が子供の特権だが、世話係の特権はお世話する主人に気に入られる事で物事を拒む権利と異なる。同年代の者は居ても意味が無い、何故なら同年代の彼女達は霊能力を有する選ばれし者で、今の自身が喉から手が出る程欲する力を持って第三の母たる羊のママの姿を捉え、視線の素通りしあらぬ方向を見遣る私を鼻で笑う。被害妄想甚だしいが良い印象を持たない間柄故に、お互い相手の心底を邪推し、陰で悪口を叩き必要の無い恨みを晴らしていく。

 上記の齎す弊害を鑑みた時、自称未来王のお家芸の何と都合の良い。当人は自業自得だけれど、お家芸の存在を疎んじているらしく、オパチョが千里眼や読心術の力を持つと察した時なぞ健全な成長の可能性を危ぶみ、一時は千年の秘術を以て能力を封じるか真剣に考えた。有りの儘に育てれば良い、元来利口な子だから能力の有無に拘らず人間嫌いになる時はなるし、一行に疎まれる時は疎まれる、一事が万事見通す才能有る子をその儘育てれば良い。駄目なら私が連れて行く、何処と問う勿れ、行く当てなぞ無い、無いから足を伸ばし当てを作る迄だ。

 直に鼻歌も終わり同時に食事を終え、外套の下に隠れ寝入ったオパチョを受け取り荒野の居場所を当座の隠れ家に、雨風を凌ぐ木陰に閑居して傷心の癒える日を待つ事を思い付いた。思い付けば即座に行動す可し、徐に立って広野の方角、即ちママの寝転ぶ見当を向いて目顔で意志を伝え、恐らく後を追って来るママを信じて反対方向の荒れ果てた大地に向き直り、一足出した瞬間着物の裾を摘まれ半歩引いた。血を吸って三日経つ自称未来王様の腹心のお手製貫頭衣擬きは見事な黒い着物に染め上がり、乾いた布地が異様に硬く、皮膚を引っ掻き小さな擦過傷を作ってその箇所が少し痒い。夕方に着物を捲って目の届く範囲を確認した所、痒い箇所に発赤が見られ、蚯蚓脹れのような赤い線も数カ所あり、悪化の兆候として軽く掻くだけで猛烈な痒みを覚え着替えざるを得ず、ラキストさんに直接言って翌日に新しい貫頭衣擬きを一着戴いた。着替えて数日はやはり痒みが残り、しかし時間が経っていつの間にか消えた。

 不意に裾を摘まれ立ち止まり、大皿の脇に屈んで鼻歌を一緒に聴いていた山田さんが全く形容し難い顔で立つと焚き火の方に行ってしまい、残った私は裾を摘む野郎を見下ろし、誰何する迄も無い野郎に言った。此処に居辛いから向うに行く。

 すると野郎も言う。それなら行こう。

 当然の如く立って裾を手放し、人様の進路を遮って先頭を行った。二三歩遅れて歩き出した私と恐らく随伴するママは、荒野を横断して雨風を凌げる木陰に体を押し込み、子供一人分が精々の居場所の広さに半ば呆れ気味のハオは正面に腰を下ろして真横の何も無い空間に手を振った。何も無いと思い込む空間は何か在ると思われ、非霊能者の自身が恨めしく又遺憾であるが、彼の手を振る範囲にママが横たわっているのだろう。稲に類似或いはその物を地面に擦る程の体毛に絡めて全体的に薄汚い胴体を重い音を立てて倒す様を想見し、全長も胴回りも感覚が覚えていて、ハオの隣の向うの景色の見える空間に居ると思われるママの寝姿と地面に差す影すら手に取るように想像出来た。

 胸と膝の間にオパチョを抱え、潰さぬ程度に体重をかけて密着する。この方が相手の鼓動を感じ易く自身も落ち着き、又相手も落ち着く。現に胸元に顔を押し付け離れないオパチョの背中の震えが治まり、規則正しい呼吸に整い始め一度深呼吸した後常の呼吸の速度に戻った。

 暫し木陰で愚図愚図と曇天を仰ぎ、ふとママの方に目線を遣って、やはり見えなくて涙が滲んだ。胸元の縮れ毛の丸い頭を撫ぜ、見える筈のオパチョが不貞寝をする理由を考え、正面の野郎の生き物の温もりと言う言葉を思い付いて嘆息する。見える事の贅沢な事、現実に目を向けぬ幼子に愚痴を零そうかと益体の無い事に思考が及び、慈愛の貧困振りに自分自身を鼻で笑う。この子は今の私の内心を覗いて何を思うかしら。

 そうして憂悶し、少し経ってオパチョは、私の憂いに辛抱堪らず行動したと思われる事を言い出した。

「アユム、おうた」と言って、私は内心歌う気力が湧かず煩わしく思ってしまうが、不思議な事に聡い筈のオパチョは気が触れたように歌を強請った。

 此処まで言われ峻拒しては頑是無い子が忍びない、渋々応じ子守唄代わりの歌を数曲歌い、軈てママの寝転ぶらしい見当が視界に入らぬ鳩尾の辺りに蹲って啜り泣く。丸い頭の両手を置いて髪型が崩れない加減で撫で回し、一層大きくなる泣き声に諦観の体で真っ黒の項を見詰めた。

 又少し経って、オパチョが歌を強請る。私は面倒臭く思いつつも歌い、喉の奥がしくしくして声が震えて長く歌えない。しかしオパチョは何度も歌を強請り、一寸歌を止めると鳩尾を軽く蹴って続きを強制し、息が続かなくなった私は正面の感情を排した風のハオに目顔で助けを求め、人様の思考や逼迫した身体状況を把握済みのくせに口を開きもしない様子に困惑した。痛む喉に灼熱の眼底、鳩尾を蹴り上げ歌をせがむ我が儘な末っ子、二人の人間の心中の最奥も読み取って尚微動もしない野郎、縋りたいのに其処に存在を感じられない第三の母、歌の為に呼吸が困難になって二進も三進も行かなくなり息苦しさの余り到頭涙が溢れた。

 あの晩一緒に寝れば良かった。異変に早く気付けば良かった。猛獣の居る大地に野営するのだからもっと警戒す可きだった。考えて、考えて、後から後からこうすればああすればと思い付いて止まらない。

「……歩」とハオは抑揚の無い声音で言う。「オパチョは確かに心が読める。でも、君の心は読めない。その分君に言葉を掛けて欲しいんだ」

 温もりも、言葉も欲しい。

 俯けた顔を気持上げ、無精たらしく伸びた前髪を右寄りで左右に分けて後ろ髪と纏めて留め、開けた視界の中央の相手を上目遣いに見遣り眉根を寄せた。頬を掻いて非常に鬱陶しい前髪が除かれ、今度は項をくすぐる後ろ髪が邪魔臭く思われて、オパチョの腹に被さる耳の脇の髪を掻き上げた。

「心が読める事は想像がついたけれど、読めないとは思い付かなかった」

「心を読む力、霊視の秘密は『寂しさ』にある。頭の足りない歩の為に精一杯僕の頭を働かせてこれでもかと噛み砕いて言うと」

「悪意満点の言い回しだね。私も見習って誹謗中傷を極めて、いつか君に披露する事を誓おう」

 ハオは一拍置いて溜息を吐いてから分厚い手袋の外に出ている指先で足下の砂利を引っ繰り返し投げ遣りに言った。

「相手の顔色を窺うと言う事さ」

「それは臆病、恐怖や不信感だろう」

「突き詰めれば『寂しさ』だよ。誰も信用出来ない、誰も解ってくれない、そんな気持」

「オパチョが顔色を窺って生きているなら、それは申し訳ない。不安を感じる生活をさせてしまったか」

「一度は餓死寸前だった、仕方無いさ。でも、歩、君は違う。オパチョは君の心が見えない。それはね、この忌まわしい力を持つ者からすると、素晴らしい事なんだ」

「相手の心が読めると、つい読んで、それが癖になって、読めない事を不安に思い出すだろう。読んで、勝手にその人に期待して、期待外れの中身に傷付いて、人間不信や人間嫌いになるのは、君の勝手だ」

 ハオは少し黙る。黙って砂利を弄る手を見詰め、軈て埃を被ったように白く汚れた指で人様の脚を引っ掻き、最後に爪を立てるので仕返しに千年の膏血を表すかの如く外見年齢不相応の無骨な手の甲を抓った。何故彼の手が筋張っているかと言うに、当時異国の遊牧民を隠れ蓑に生活を送っていた為、現代っ子の省略する日常生活の瑣事も生真面目に熟さねばならなかった所為だろう。主に平和惚けの日本の現代っ子の手より肌が荒れて見えた。

 彼は抓られた手を引っ込め、何が面白いか知らないが愛想笑いでもない妙に機嫌の良さげな笑顔で、やはり痛いらしい手を振って痛いと呟いた。

「前に君の言った子供の癇癪と言うやつ、それなら世界の戦争もだろう」

「あれね、戦争は大人の癇癪や都合だよ。大人の不機嫌の嫌な所は、子供より卑しい事だ。子供の癇癪の面倒臭い所は、原因を取り除くか、出来なければ只管宥める他無い事だ」

「僕のは、子供か」

「だって、何だかんだ、大切な物があって、譲れないからでしょう」

「戦争も、大人の譲れないものだろう」

「言い方は悪いが、見栄の張り合いに思うよ」

 私は真面にハオの名状し難い笑顔を見る。

「解ってもらえない辛さは、何度も言うが、よく解る。宗教は解り合えなければ、互いの生きるに必要な縋る相手の存在を揺るがし、下手すりゃ、縋る存在を奪うから、皆縋る物を護るだろう。君は宗教と言うより、よく言う個性だ。君の霊能力と言う、世界の大多数が存在を疑問視する個性を認めてもらえない、且つそれを理由に何もかも失くして、自分の個性に苦しんで」

「個性と言う表現は、卑怯だろう」

「他に解らない。其処まで語彙は多くない。頭も良くない」

「なら、何故考えるの。解らなくて良いよ。もう、止めてしまえ」

「それで、ほら、やっぱり、て言って傷付くのが君だ。私もそうだ。解って欲しい事を解ってもらえず、もう良いなんて、そりゃ嘘だ」

「虚勢のつもりはない。良いよ」

「良くないよ。何故なら私が良くない。よく言うだろう、諦めたら試合終了だぜ」

 実は余り某漫画の内容を知らないのだが、良い言葉が思い付かなくて引用させて頂いた。

「そうかい」

「そうさ」

「何だかなあ」

「ちっちぇえな。で、素晴らしいって何さ」

 目を丸めて、次いで莞爾として笑ったハオは、懲りるずに又人様の脚を引っ掻き始め、いい加減振り払う動作も大儀だから放って置いて、すると満足行く迄脚を掻いたらしく手を引っ込め足下の砂利を弄り出した。引っ込めた手指の爪と肉の境目に黒い滓が食い込み、彼が脚に付いたママの血を剥がしたと解った。

「君がオパチョを愛して、オパチョも君を愛している。相思相愛。オパチョの慕う僕なら好きと言う程、君はオパチョを深く愛している」

「当然だ。行く当てが無いのも確かだけれど、愛がなけりゃ居続けるなぞ出来んさ」

「最初は、オパチョも君の心を読めたろう。でも、妙に聡い子すら心底愛した君を、オパチョも愛した」

「霊視は面白いね。愛を試すみたいだ」

「……今の歩が最初から居たら、何か変わったかな」

 そうして又黙る。

 急所の鳩尾のオパチョが動いて息が詰まり、咳き入った私は腕に抱き直して、見えないママに隣に来るよう頼み、数秒待って小学校の音楽の教科書に載っていた朧月夜を歌った。歌い終わる頃に洟を繁く啜り、その勢いよく啜る様子に鼻血の心配が胸中に去来し、汚い着物を承知で裾を捲り鼻の下辺りを拭い、ママの居るだろう方向を指差して居るだろうと言葉を掛けた。霊能力を望み、しかし生憎才能に恵まれないが為に自身の存命中に再び相見える事の敵わぬママを、見る才能に恵まれたオパチョは現実逃避か或いは霊魂が恐ろしいか、どちらか判然しないが反応を見るに半透明のママとの対面を拒否しているようだ。幼子は頑として顔を上げない。

 困ってハオの顔を盗み見て、砂利を弄るのが気に入ったのか、誰も相手になってくれず不貞腐れたか、中身の糞爺と言う言葉の相応しい年齢を思い、本当は糞爺の皮を被った幼児でないかしらと不審がった。そんな私の心中も糞爺のお家芸の前では裸も同然、彼は人間臭い不機嫌な面でこちらを見て、顔に反して酷く真面目な声音で言った。

「ねえ、この世に留まりたいかい?」




 異文化と個性。
 どっちが適当か考えて、どうでも良いやと投げた。
 霊視の話を完全版で読んだ感想。
 人類は試されている……。
 てな訳で、愛。
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