生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第五章:老驥伏櫪~星と皆と朴念仁~
第三十八話:


 制服のスカートの襞を整え再び歩き出す。真っ直ぐ行って何気無く車道を見遣り、向うから聞き覚えのある爆音が聞こえて来て思わず立ち止まったが、非常識甚だしい速度で横を通り過ぎて私が振り向いたらもう車は見当たらない。

 少し胸がどきどきする。聞き覚えのある爆音は彼の亜空間で耳にした物で、あれ以来終生聴く事の無い音を懐かしく思う日が来るとは、様々な事に七転八倒して悩みに悩み、最後は投げ遣りになって皆を見送った日の自分が知れば目を剥き引っ繰り返るだろう。

 

 * * *

 

 ある日払暁の遊牧地の片隅の幕屋の四隅に蹲る人一人の塊の一部である私が起き出し、胸元の末っ子を屋根の下の広間の中央に陣取る自称未来王の脇に寝かして、擦り切れて隙間風の肌寒い気がしてならない幕屋を這い出した。皮膚を傷付ける風を思う存分総身に受け止め、散髪の機会を逸した挙句毛先が傷んで色の抜け落ちた黒髪を纏める髪留めの糸の解れたリボンが茶色か黄色か曖昧な色の髪と一緒になって顔を叩く。紫紺の全天を仰ぎ鬱陶しい髪を片手で束ね押さえ、毛先の靡く先を見遣って焚き火の跡が目に付いた。中心の黒炭を囲繞する石や木材の輪っかの外に立ち、ぐるり辺りを見回すも見慣れた修行中の背中や砂埃は認められず、其処で漸く一行の大部分が一時祖国や生家に戻り、代表の声が掛かる迄各々待機するよう下知を受けて此処を去った印象的な日を思い出した。

 最後まで居残ると主張し続けた花組の三人娘も昨晩不承不承の体で辞去し、行く当ての無い私達や、私達を残す訳にいかないと態々居残って下さった山田さんや、抑も御輿を上げる気なぞ全く無く尻に根を生やした野郎、野郎の腹心の魔法使いの帽子の手入れや顎髭の手入れに忙しいラキストさんが幕屋に這入り無駄口を叩きつつ就寝した。異国の大地に故郷を持たない─正確に言うと何処かにあるのは間違い無いが探すのが七面倒臭い事を理由に無いと当人が断言している─末っ子のオパチョは一応故郷のある一行の代表のハオが自分を置いて帰郷してしまうのでは、と昨日の晩に杞憂の原因の彼が居残る旨を告げる迄落ち込んでいた。

 紫紺の紺色が薄れ、紫色が強くなり、朝風の随に流れる白雲と共に暗色が払われ濃い朝焼けが寝惚け眼を射った。瞑目して瞼で目を護るが、強烈な朝日は瞼を穿ち自然の光の力強さを訴える。更に強く目を瞑ると睫毛が入ったらしく涙を催す激痛が目に走った。時折私の睫毛は緩く逆さに生え、風に煽られ瞬きの度に疼痛がする事が幾度もある。故郷を離れ最初に逆さ睫毛で悩んだのは一年前だ。普段睫毛の所為で目が痛くとも擦る内に毛が取れて治るが、悩んだその日は中々異物感が消えず四六時中目を擦るので衛生上宜しくないと心配した山田さんに取って頂いた。一週間後に又毛が入って痛み、涙を流して頻りに目を擦る様子を見兼ねた二人組の内、手を洗い帰って来た善さんが取って下さった。そうして本日朝焼けに文字通り目を焼かれ反射的に瞑目した為、逆さ睫毛を巻き込んで目を閉じたのは疑いなく、異物感や涙なぞ彼方に吹き飛び、強風の中目を開け砂が入ったような酷い痛みに悶え唸った。数ヶ月振りの激痛だ。

 衛生的でないと承知の上で不良の睫毛を取り除かんと涙の滲む目を擦り、指先に砂粒が残っていたのだろう、更なる痛みと同時に瞼と粘膜の間に異物感を覚えて増悪しただけの目の具合にひいひい言った。焚き火の輪の一部の縦長の木材に躓き空足を踏み、顔面から大地と抱擁を交わす瞬間、首根っこを掴まれ呼吸が止まるだけで済んだ。着物の襟刳りは頭が容易に通る程大きく、御蔭で前に倒れかけの体を軽く引っ張っても転倒は免れない、一緒に後ろ向きに倒れる覚悟で手前に引き寄せねばならない。引っ張る人は覚悟を以て引いたと思われ、英断の甲斐あって主に鼻面を強か打つ醜態を曝す事無く呼吸困難に陥って咳き入る私を見下ろすらしかった。

 尻餅を搗く事も免れ、宛ら絞首刑に処せられた死刑囚の如く一人の腕にぶら下がり、意識が朦朧として真っ黒の星が視界を縁取り内へと侵食し顔面から血の気が引くのを感じた。状況は甚だ宜しくない。必死に両足で踏ん張って自重を支え、首根っこを掴む人も真っ青な真っ赤か知らないが不気味な顔色の私に気付き、急に腕の力を抜き荷物を放る様に私を地面に下ろした。尻を伝い背骨を登って脳天を貫き、全身に落下の衝撃が響いて鈍痛が腰を中心に暫く続いた。

 腰の染みる鈍痛の余り目の痛みなぞ忘れた。自然に逆らう真似をせず前に倒れる儘倒れていれば、元々低い鼻がもっと低くなる程度で済んだに違いない。腰の痛みと鼻の高低、どちらか一方を免除すると言われたら腰の痛みを選ぶ。腰は危ない、歩けなくなってしまう。若さに胡坐をかいて健康を疎かにしては、数年後の後悔は必至である。尻の上の腰部を摩り頭上を振り仰いで首を絞めて助けて下さった相手の顔を見付け、何を血迷ったか知る所でないが頭髪を刺股状に二つの束に分け整髪料で固めた、何処ぞのお笑い芸人も裸足で逃げ出す個性を極めた髪型の山田さんが突っ立って居られた。大きな襟を立てた真っ黒の外套の裾が砂埃を浚い、舞い上がる埃を吸って堪らず咳き込んだ。元凶の着物を着込む山田さんは袖の豪奢な釦が髪留めに引っ掛からないよう人様の頭を撫ぜ回し、私は首が絞まった事は水に流して謝辞を述べ又咳き込む。気が済む迄撫でた山田さんは焚き火の輪を跨いで黒炭を手早く集め、恐らく火の点き具合を考慮に入れた積み重ね方で炭や薪を組み、屈めた腰を伸ばして幕屋に取って返す。点火係を呼びに行ったのだろう。

 焼けた空が中天から群青色に変わり、軈て地平線と接する空も浅葱色に変色し、頭上の空に近付くに連れて青は色濃くなり雨季を忘れた青空が大地に被さる。地面すれすれに砂塵が舞い、高い空を汚す埃を運ぶ強風は無い。

 腰が痛いので手近な木材に腰掛け休憩し、幕屋の外れ掛けた垂れ幕を引き千切る様に飛び出して、未だ腰の痛みに溜息を吐く世話係の背中に抱き付くオパチョの一切減速しない体当たりに踏ん張れず、今度こそ顔面から地面に突っ込んだ。鼻を強か打って、鼻血は出ないが、鼻の次に打った額を小石が抉った。背後から陽気な笑い声が聞こえ、非常に腹が立った私は背中を離れぬオパチョを背負って立ち上がり、勢いを殺す事無く振り向いて嘲笑の主を認めた。

 ハオは愛想笑いを湛えた儘輪っかの一部の石に腰掛け、私は真正面から少し外れた位置に座り、他二人も向かい合って座って簡単な朝食が始まった。

 私は背中の末っ子の重みが気になって余り食べられなかった。

 朝にす可き事は何も無い、あっても遊牧地内での安息の地で退屈する事がす可き事だ。なので安息の地で退屈を堪能して、その最中に悪戯に来たハオの話し相手になって、オパチョと歌を歌ったり、又オパチョが歌を強請ってハオが歌って、彼が嫌味な笑顔をこちらに向けるから睨み付けて、と愚図愚図戯れる間に時間が過ぎて昼を飛ばし夜になった。昼食も忘れて遊びに耽る三人を捜しに行かねばどんな大事があるか知らない。これは妄想だが、幕屋の方に置いてけぼりにされた自称未来王の腹心と子供二人の親戚の小父さんは、帰らぬ三人を捜して其処いらを歩き回ったろう。

 夜の帳が下り切り四方の隅々迄墨汁をぶち撒けた真の闇が蔓延る中、安息の地に蟠踞する私達は、自称未来王の手掌の光源もあって互いの顔の判別に苦労しなかった。不細工な樹木の幹に寄り掛かる自称未来王が胡坐をかいて、片脚の上に末っ子が乗っかり、世話係が背凭れ役に片手で幼児を支え、見事な連携に我ながら世話係と言うか姉役と言うか、何より瀕死の嬰児が逞しく成長した事実に感銘した。人の片脚に座る末っ子の豪儀さに感動しつつ、人間臭い笑顔の自称未来王の時折私に向ける喧嘩を売り込でいるとしか思われぬ非常に人間臭い御機嫌な笑顔を、末っ子の大きな頭を巻き込む事無く殴るにはどうするかと真剣に考えた。

 その時だ。不意に身辺が明るくなった。決して夜の闇が晴れた訳ではない。夜の真っ暗闇を打ち消す程の燦爛と輝く巨大な彗星が、非常な速さで頭上を通り過ぎて行く。

 的皪と輝く彗星は周囲の星の光を打ち消して地球を一周するらしく、箒の掃き跡のような尾を遠くに残してまだ何処かへ飛んで行く。その凄絶な光は真昼の太陽の如く夜の大地を照らし、真っ暗闇に埋没する黒も赤も緑も関係無く白く浮かび上がらせ、枝葉の張り出す天然の庇に居る私達の黒髪すら白光りする。今朝の朝焼けと同じく眩しさに目を固く瞑ろうとも無遠慮な光は瞼の裏の黒色を白に塗り潰す。凡そ自然界で太陽より強く輝く物は無いと想像するが、今空を掃いて夜陰を引き裂く彗星の白が太陽に匹敵すると思われた。

 びっくりして顔を上げると隣でハオが言った。

「羅睺。始まるんだ、シャーマンファイトが」

 それに実感と言うものは、全く湧いて来なかった。




 いえーい始まりました原作沿いです。
 多分原作の場面は殆ど無いです。
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