曰く飛行機の片翼の面に腰掛ける形で搭乗した訳だが、一方の翼に大人数が乗っかり空気抵抗が増しては宜しくないのでなか、そう思うも素知らぬ顔の自称未来王は下方の風向を眺め遣り一頻り堪能すると目線を明後日に向けて鼻歌を歌い出す。頭髪を整えた御蔭か大層ご機嫌な風の鼻歌で、怒られて以来意気消沈気味の膝に抱く末っ子のオパチョの暗い顔も忽ち明るさを取り戻し、膝を降りて愉快げなハオの方に歩み寄る。飛行機の翼に居座る訳だから吹き付ける冷風も一等冷たく、又体重の軽い末っ子だと攫われそうな程強い。風に巻かれ異国の大地に落ち、ぺしゃんこになった子の残骸なぞ見たくない。その一心で何処が翼と空気の境界か判然しない不可視の足場を四つ這いになって追い掛け、丸い腹に片腕を回し掬い、両腕に抱き込み膝を進めてハオの横にへたる。彼は鼻歌を歌いつつ横目にこちらを見て、それで嫣然として団栗眼で見上げる末っ子の頬を突いた。
本物の飛行機が飛べば雲の上を飛ぶ事が正しいと思われるが、私は飛行機に興味が無いし持つ気も無い、豪壮な音を轟かす電車の疾駆する様が感興をそそると誰かが言ったが同意出来ず、出来る要素が全く無かったから沈黙を通したけれど、人の中には飛行機の文字通り飛行する様子や電車の走る姿に心が打たれる者が絶対数は少ないだろうが居ると聞く。無機物に心引かれる事を理解出来ないでもないが、今の所目前にするだけで感動に打ち震える無機物と出会えた覚えは無い。今後も無いと確信めいた気持が胸の最奥で仁王像の如く立ち塞がる。
閑話休題、興味の問題は他者に任せ、飛行機にしては低空飛行の不可視の飛行機の話に戻す。
上記の通りハオ御用達の不可視の飛行機は海面すれすれに滑空だか飛行だか違いを知る由は無いが飛び、真昼の凶暴な太陽光を照り返す黒の海面を脚下に広げ、真っ白の硝子の破片に似た光の散らかる様に感嘆の溜息を吐く。日光は生身の私達に降り注ぐのと同じく黒の海面も照らし、反射の度に硝子の破片が人様の目を射り、時折痛むが気にせず陸地を離れ大海を飛び続ける彼の持ち霊と彼自身の力の強大さに思いを馳せる。彼の力なら大自然が脅威と雖も平然とした顔で遣り過ごす事が敵いそうで、別に星の光と言う名の未来への標だの自然の流れを読むだのせずとも強引に物事を成立させる事も可能でないか。現状彼の力に頼る他に日本の首都東京に辿り着く術は無い。しかしこれで彼が極一般的霊能者であった場合、遥か異国の大地のど真ん中で大会の開催を告げる星を見届けても、其処から更に異国の小島に渡る術は無いと思われ、つまり大会の参加の為の試験を受ける事すら儘ならない。原作開始時点の主人公に空を飛ぶ術があったとして、南アフリカから日本へ渡航するだけの力は備わってはいるまい。こう考えると彼の異常な力を比較し易い。彼は余りに大きな力を持っているのだ。
だが、正直言うなら強大な力を持つ彼が、滅多と自身のような経験ある者に出会さないと自覚済みなら、他者を小さいだの弱いだの散々非難した挙句人様に聞こえるよう声を大にして愚痴を零すのは宜しくない。貴方のような経験豊富乃至力を持つ者ばかりが世界に生きている訳でないのだもの。貴方は弱者を嫌うが、弱者だって好きで弱者の立場にある訳でない。弱者と呼ばれる大勢が向上心を以て日々己を磨こうとも、向上心を以て日々己を磨く貴方のような強大な力を持つ人が居ては、当然いつ迄経っても弱者の儘だ。だのに貴方は弱者達に生きるを許さない。とんだ独裁国家だ。
と弱者代表たる私は思う。無い物は無い、無いから取り入れる事は理解の範疇だが、それが相手の納得或いは妥協の範疇かは知らない。此処で齟齬が生じ、弱者は自身の出来る範囲の事をやり尽くして尚求められ、相手は弱者の限界を把握した上で一切の妥協を許さず自分に追い付けと難題を突き付け、弱者が出来ないと弱いと言って鰾膠も無く切り捨て一顧だにしない。それで逐一切り捨るのも大変な苦労を要するが、強大な力を持つ者の苦労は他に数多ある事は考える迄も無いが、弱者も強き者が切り捨てる中で藻掻き生きている。一体弱者側は強者の苦労なぞ知らない、弱き存在も認めよと声高に訴えねば地に足を着け生きる事が出来ない、強者が全ての生殺与奪の権を掌握している為だ。
原作の彼は言う。生きれば死ぬ、生きている者は死に物狂いで生きている、何れ死に行く存在が、死を拒絶する。言葉の意味合いはこんな感じだった。
だから私は反論したい。霊の見える貴方はそうだろう。だが、霊の見えぬ私のような徒人が死後の自身を想像して、それでどうして良い方向に考えられるだろう。生きているのだもの、死後を見通せぬ徒人に、戦争を繰り返す馬鹿野郎と言うのは徒人同士も思うから構わないが、他者を押し退け生き永らえる、生き汚い生き物のような物言いは考え直して頂きたい。生きているのに生き汚く生きないで、どうして生きていられるのか。己の命を護るのに、何故疑心暗鬼にならずに居られるか。他者の奇行は恐ろしい、いつ己の命を脅かすか知れないのだ、疑念も拒絶も、突き詰めると生きる為の努力に過ぎない。生きるには疑う事と信じる事が肝要である。疑い、漸く信じ、そうして凝り固まるのは仕様がないし被害を被るのは御免蒙るが、弱者が集う事を何故嫌悪するのだろう。
だって、と私は、非常に申し訳ない気持でハオを見遣って腕の中の末っ子を抱き締める。だって、そうしないと貴方のような強者が殺しに来るのだもの。
直に空が暮れ、中天が紫紺に変わり、下るに連れ空の色は淡白な色になり水平線上で急激に色を濃くし、黒の水波が砕け白の硝子片の散る大海原を真っ赤に染め上げる。黒の波も赤く、白の硝子片は無論眩しい緋色の宝石に早変わりした。
当のご本人様の目線が確かにこちらを向き、搗ち合って勝手に気圧され顔ごと背け、しかし無駄と解って再度隣を振り向いて心中に仕舞い込み披露する事は無いと口を噤んでいた内容を吐き出したくなった。手元の頑是無い末っ子に聞かれる事は心情的にも相手の精神衛生的にも好ましい方に進展する事は望めない。やっぱり緘口し、それで縮れ毛の丸い頭に額を乗っけて態度も意見も曖昧な儘座っていた。
不意に肩を叩かれ、見上げるとハオが何も無い空間を指差して移動を促した。徒人に不可視と言っても霊能者の他の人達には赤色の半透明か不透明か知らない飛行機がはっきり見えている訳で、片翼に異国の大地に居残った者が全員乗り込むのは、やはり不均衡で飛び難いのかもしれない。徐に立って移動した。途中、前からも後ろからも屁っ放り腰と揶揄された。
何か起伏のある箇所を乗り越えると見て、オパチョが風邪を引かないか問うと彼も肩越しに黒色の矮躯を顧み、片足で踏み付ける周囲より隆然と盛り上がった足下を指で示し、愛想笑いを浮かべ手招きする。震動は無いが、何分飛行中の為風が強い。踏ん張っても次の瞬間に足底が足場を離れ、風に攫われ錐揉みしながら海面に激突し海の藻屑となる自身の無惨な死に様が有り有りと想像出来て、一歩一歩に慎重にならざるを得ない。内心不平を鳴らし、表面は閉口し、無様を絵に描いたような恰好で丘に着き、嘲笑を堪える風の彼が不可視の蓋を開けて、矮躯を抱き取って中に納めた。中で待機の旨を伝え、蓋を閉め、私は脚下に望む海原と同色の体の末っ子を踏まぬよう跨いで向うの翼に辿り着いた。一生分の冒険をした気がした。
末っ子の落ち着く飛行機の操縦席の壁に凭れて気息奄々、空の旅の真っ最中には梃子でも動くまいと、誰でもなく小心者の自分自身に誓った。風に飛ばされ大怪我で済めば僥倖、怪我無く目的に着けば空の旅は重畳、日本に着いても後で又一二回は不可視の飛行機に乗る必要があるが、それを前世の記憶の原作で知っている事が若干恨めしく思うが、運命と言う言葉で無理矢理納得して往生する。
人心地がついた所で開口一番、私は言った。
「霊の見えない立場として言うが、異文化を受け入れられず迫害を受け、家族を失って、人の汚い生き様に飽き飽きして世界中の人間をぶっ潰そうぜ、と言う話は、まあ解った。でも、霊が見えないを理由に、問答無用で滅ぼされちゃ、私は困るよ」
「なら、歩は特別に見逃してやる」
「だから賛同しろって。無理だよ。私は同じく霊の見えない家族が居る、親戚も、友達も。皆揃って、それで漸く私の人生がある」
「誰か一人死んでご覧、君の人生の内容が変わるかい。其処に居た人は、何れ居ない事が当たり前になって違和感なぞ無くなるさ」
私は一寸口を噤み、前世の家族と現代の家族、他周囲の人々の顔や私の不在後の反応を想像した。前世の母は泣きじゃくり、いつか立ち直って仏壇の前に座して遺影を眺め、一日の報告を長々語り、又少し経って一日の報告を省略するようになるのだろう。
寂しい、と素直に思った。
「滅びる側だって、弱いから滅びるのが怖い、弱いから滅びを間近に感じ、只管怖がる」
「己の理解の範疇を超える物を、態々否定する為に、鬼や化け狐の許に足繁く通うのか」
「弱いからね」
「相手も弱かったら」
「弱い奴が、そんな事に気付くものか。気付ないから弱い立場なのさ」
「だから、死ななくて良いの?」
「……違うよ。でも、弱い立場の者が何に怯えて、何があると死ぬか、それを解っていて」
「弱い中にも結局序列は生まれる。その序列で、やっぱり差別は生まれる。人は、拒絶なくして生きられない」
ハオは温度の無い声音で言うが、段々一言一言、一音一音に熱が入って来るらしかった。
「馬鹿じゃないか。何故態々否定する、無関心で在れば良いじゃないか、石を投げ、追い回し、果てに殺すのか、何故其処まで」
「怖いよ。自分が死ぬかもって」
「人は死ぬ。生き物は死ぬ。生きれば必然死ぬ。強者も永遠じゃない、死ぬんだよ、皆死んで終わる、死の瞬間は遣って来る、何故先延ばしにしたがる」
「だって、見えないよ。霊の見えない人に、死後の自分の有様を想像させて、弱い私のような人間達が、良い姿を想像出来るものか」
「お前らが、自然への畏敬の念を忘れるから、自然から心が離れるから、だから本当に大切なものが見えないんだ」
私は目を瞬かせ彼の月明かりを照り返す白い額を見詰め、前世の記憶を掘り返し、発掘した原作の一部を脳裏に再生する。すると兎だか化け兎だか判然しない一本角の白い小鬼の姿を見付ける事の出来なかった、原作の大分終盤の方の彼の顔を思い出し、本当に大切な物を視認出来ず辛酸を嘗める羽目になったのは、何だかんだ君だろうと内心で言い返した。
心中の愚痴を読んだらしい彼の眦は忽ち吊り上がって、両手を手前に突いて身を乗り出し、鼻面を突き合わす恰好で言った。愛想笑いも千年の老爺の顔もかなぐり捨てた人間染みた形相だった。
「その、途中の空白で、お前は何を嗤う。いつも、いつも、話の途中で急に読めなくなる。嫌なんだよ、心を読まれる事を読むなら読めと豪語するくせに、じゃあ何故急に拒絶するんだ」
嗚呼、と漸く得心いった私は頷きかけ、首を上下に振ると白い額に頭突きを食らわし兼ねない体勢に、慌てて身を引き、余勢で後頭部を操縦席の壁か窓に強かぶつけた。中の座席に粛々と座る末っ子の様子は知らないが目睫の間に迫るハオの憤慨した顔はよく見え、正直人の怒った顔程間近に見たくない物は無いが、此処で離れてと言っても聞く耳を持たない事は明白で、仕方なく両手で相手の肩を掴み、自分の腕で閊え棒代わりに肘を伸ばす。馬鹿力のハオも抵抗して中々離れない。
彼の言う空白は以前述べた通り前世現代、将又異世界云々の情報と思われる。これは彼の常識の範疇外だから、小鬼の乙破千代が見えなかった事、死後の世界の母親の気配に気付けなかった事と多少の齟齬はご愛嬌だが似たようなものと判断した。
「君は心を読む力を忌ま忌ましいとか言わなかったか。だのに読めない事を喜ばないのかい。変な奴だねえ」
「構わんと嘯いた奴が、拒絶の態度とは。お前は僕を謀ったのか? 今迄読んでいた心は、実は幻術の類だったのか?」
「それが出来りゃ、最初から乙破千代を連れて日本に向かっているよ」
「何で今のは読めるんだ。それも嘘か?」
「何で君は、疑心暗鬼になって、そう迄して人の心を読むのかな。信じられないんだろう。信用してもらえる関係でない証拠だが、本音を言えば寂しいよ、仕方ないと解っても本心は嫌いと、学校の友人関係みたいで嫌な気持だ」
「勝手にそう言って」
「勝手に期待して、裏切られた気になっているのだろう。そりゃ君、心が弱い証拠だ、特段の寂しがり屋だね、誰か傍に居てくれなきゃ寂しくて目が真っ赤になりそうだ」
「又、空白だ。何で、オパチョは良いくせに、同じ力なのに、何でそんな中途半端なんだ。その空白で、本当は、ずっと」
と言ってハオは後退した。
色鮮やかな星の輝きを背景に彼は黒髪の陰に歪んだ顔を隠し、後は目線を上げる事も無く、正面の私を空気の如く無視した。私も相手の肩を押さえる両手を離して、手持ち無沙汰の空手を泳がせ、開いた儘俯き加減の人に向ける気分の悪さを覚えて膝に下ろす。
「空白で、帰れない世界の事を考えているのさ」
と私は告白した。
彼は顔を上げて眉間の皺を増やす。
「ほら、君も信じない。私は嘘を言っていないよ。後ね、君の凄まじい力を怖いと思う、でも、それで君を嫌う事は無い、それは理由にならない、要するに私は君を嫌いじゃない」
もう一度言おう、理解の努力を止めない。
「でも、まだ待ってね。まだ全然、解らないんだ」
気持が解るから非常に申し訳なくなって、目の奥の熱くなった阿呆面を両手で覆い、暫く私の不在後の前世と現代の家族の反応を考えた。そうすると無性に羊のママの腐臭が恋しくなった。
ふと些細な事でハオ様の力を思い出す主人公。
その力を高めた理由を思うと遣る瀬無い気持になるようです。
主人公だって家族大好きです。