生者必滅、会者定離   作:赤茄子

42 / 74
第四十一話:

 第一印象は不毛の大地、遥々その異国から海を越え辿り着いた飽食国家の日本の首都東京。都心を離れ夜の帳が下りると真昼の如き照明の届かぬ真っ暗闇の支配する僻陬の地、一度神奈川県の何処かに降り立ち、一泊した後東京の片田舎に遣って来た。現在地を確かめる為に近くの看板の宣伝文句やらを黙読し、抑も前世も現代も東京等の都会に縁の薄い生活を送って来た事を思い付き現地の名称を聞いただけで地図上の位置を把握なぞ出来る筈がなかった。原作に登場する固有名詞は大半が作者の言葉遊びによって、著作権云々もあるのか知らないが変更を余儀無くされ、都会の地理に暗い私は捻った名前を見ても名前の原型が全く解らない。前提として現在、地に足を着ける世界は漫画が元になった世界で、漫画の舞台の参考になった世界が現実の世界で、間に幾つも捻りを加えた為自身の持つ知識では追っ付かない。

 と言う事情で看板を見上げる私は神奈川県と東京都の境目に居る事に気付かず、知っても実益は無いが、やはり疑問が解消された時の爽快感に勝るものは無いので貧しい知識を引っ掻き回し似通った名称を探す。生憎学生の時分、苦手分野は暗記物で歴史と地理は理数系同様に鬼門だった。暗記出来ていない物を思い出す事は不可能だ。それは記憶云々でなく創作の域に達している。記憶の何処か奥深くにあるのは間違い無いが見付からないので面倒臭くなって止めた。

 見上げる程高い位置にある看板の掃き溜めを背に二股に分かれた道路の合流する一本の道を行き、体感時間で一時間歩き通して脇道に入る事も無く太い国道に出た。やはり二股に分かれ、看板の照明が眩しいその場に立ち止まり、裾を引かれ振り返るとハオが戻ろうと真っ黒の道を顎で示した。人工光に嫌悪感を露にした顔のハオは足下に居たオパチョを拾い、私が抱き取って四人足並みを揃え道を戻り、今度は中途の脇道を覗き込んだり獣道でもない草叢を掻き分けたり、まるで何か落し物を探す様に来た道を徂徠するので不思議に思った。用件を尋ね手伝う意志を告げると離れないで同道すれば良いような事を言われ、戦力外通告は最初から承知の事で、だから別に腹は立たないが何が始まるのか皆目見当もつかず不安が募った。

 太い道を往復二回、漸く何か見付けて、草叢に体を捻じ込み、奥へ驀地に進み開けた磧に出て歩みを止めた。身辺は濃い夜陰に包まれ自身の手を目前に翳し開閉して、何となく手が動くと感じる程度の闇の中、ハオが手掌に灯した火影の向うで嫣然として杉林の一等立派な杉の根元に泊まろうと言った。夜の闇の深い理由が幹の周りの弥太い、見事な杉が叢生する所為と知り、私は違うが花粉症の患者がこの杉林を前にしたら殺意が湧くのかしらと真剣に考えた。

 鬱蒼たる樹冠の密接する闇の下に一同体を横たえ、末っ子の心身の安寧を考えて自称未来王と隣り合わせになる様並び、自分は親戚の小父さん宜しく整髪料の利いた頭髪を特別手入れもせず就寝の態勢を取る山田さんの隣に滑り込んだ。他意は無いが自称未来王の腹心たるラキストさんの隣は遠慮し、自称未来王の隣は喜んで末っ子に譲った。貫頭衣擬きの着物の裾を脚に巻き付け、山田さんのご好意の外套を更に巻き付け、傍で眠たげに目を擦る小さな手を掴み、目を傷付けるから止めなさい、と口煩い姉貴根性を発揮して矮躯を抱き寄せて眠りに就いた。体の隅々が引き攣れ胴震いする全身を押さえ切れず瞼の裏に鮮紅色の火の粉が舞い、黒煙を棚引かせ、黒の粒子を振り払って向うに横臥した儘微動も出来ない私に手を伸ばす人影の浮揚する指の先の墨色がいつ迄も消えなかった。

 目を開けると見知らぬ天井が視界に被さった。薄汚れた耽美的な木目に板が並び天井を作り、四辺の木枠を境に土壁が六畳半の部屋を囲み、天井の真ん中に下がる照明の和紙風の曇り硝子の嵌まった傘から垂れる短い紐が、風も無いのに揺れている。顔を横に向け出窓の方を見ると母の背中があって、片付けを怠けて出窓に積み重ねた文庫本の山を避けて左右の障子戸を開け、更に窓硝子を開け網戸に変え室内の換気を始め、振り返り蒲団の妖怪になっている私を睨め付けて掛蒲団を剥ぎ取った。中学以来愛用する学校指定のジャージの緑色の薄くなったズボンの擦り切れた裾が目に入る。全身を折り畳み達磨になって寝ていたらしい。壁と出窓に角を合わせた曾祖父の代から受け継がれる文机に母が小趾をぶつけ、机上の乾燥ケースを取って枕元に置き、痛む小趾を庇いつつ廊下に出る様を、奪われた掛蒲団を取り返して包まって見送った。

 私は掛蒲団の中から乾燥ケース内の茜色の補聴器を取り出して両耳に掛け、蓋の中の電池を忘れて外し、今度は電池を入れて耳に掛けた。普段この工程が七面倒臭くて就寝前に仕舞ったりしないが、昨晩は何をとち狂ったか購入時に店員に言われた通り電池を外して迄ご丁寧に仕舞い、翌朝目覚めてやはり面倒臭い方法で耳に引っ掛けた。母は私が以上の手入れを怠る事無く律儀に続けていると思っているのか将又昨晩の思い付きの行動を目撃したか知らないが机上の乾燥ケースを迷わず枕元に置いた事を踏まえ、購入後三日と経たずに省いた朝の工程を続けているとしんから疑っていないと思われた。

 やおら起きて寝巻き姿で廊下を行き、鉤の手になった廊下を曲がって直ぐの梯子段を下り、右手の浴室と隣の手洗いの戸が開いていて同時に父と祖父が現れ、お早うと一言掛けると二人が異口同音にお早うと言い返した。突き当たりの部屋は台所で引き戸が全開になって勝手口を潜る祖母と目が合った。庭兼畑で穫れた人参を数本片手に流しに立ち、私は祖母の後ろ姿を見詰め台所に入り戸棚の観音開きの戸を開けて茶碗を人数分取り出し、大盆中盆小盆と家で呼び習わす内の大盆に茶碗を置き、濡らした杓文字を祖母から手渡され炊飯器の蓋を開けて中の米を掻き混ぜ、程好く混ぜたら茶碗に盛る。人数分の箸を用意し、先に主食を茶の間に出し、戻って味噌汁や焼き魚や漬物を貰い又茶の間に取って返した。祖母は昼飯用に人参を掘って来たらしかった。

 梯子段の向うに見える玄関の硝子戸越しに射し込む赤みを帯びた朝日に冷たい廊下が一層寒々しく見え、身震いして茶の間を仕切る障子戸を開け、後続の祖母を先に入れて後ろ手に戸を閉める。十畳の茶の間に長机を二つ並べ食み出した机の端は襖で仕切った隣の八畳間まで続き、一家で机を囲んで朝食を認めた。向かい側の母の背後に仏壇がある。曾祖父と曾祖母と夭折した叔父の遺影が飾られた仏壇の戸は年がら年中開いて、二三本で一束の線香が焚かれ、下段に包装紙すら無傷の菓子折りや御盆の道具が出しっ放しになって、見慣れた光景の為に文句は無いが、ふと縁側で茶の間を振り返ると汚く思われて、時折無性に掃除がしたくなる。無論思うだけで実行に移される日は来ない。

 朝食を終えて伸びをする。一度二階の自室に戻り着替えを済ませ、又一階に下りて壁掛け時計で時刻を確認し、そろそろかしらと玄関の上がり框に座って来訪者の気配を探った。待つ事数分、呼び鈴が鳴ったのか母が肩を叩く。私は三和土に下りて引き戸を開け、待ち焦がれた人物を迎えて表に出た。不思議な事に靴を履いている。足下を見れば剥き出しのコンクリートの上に泥落とし用の敷物がある筈だが、其処に金属の枠が歪み乗っかると非常に不安定な敷物は見当たらず、しかし私は不審がる様子も無く緑色系のベランダに出て外の階段を下りて行った。

 ボストンバッグを持った相手は飛び石を越えて先に行き、後を追う私は、どうやら鞄を取り返したいらしい。一切疑問を抱く事もせずに眺めて居られたのは此処迄で、我に返ると周囲は一変、火の海の中に私は蹲っていた。額を拭った袖に濃い染みを見て肌が粟立ち、相手は頻りに私の名前を呼び、焼け焦げた四肢を懸命に動かして墨色の指をこちらに伸ばし、服の裾を引っ掛けて自分の体を引き寄せ蹲る私に覆い被さる。瓦礫の破片が眼前に散らかり、相手の体と地面の隙間から天井を見上げ、崩壊した天井の瓦礫が落下する様を確と目に捉え、特段何を思う事も無く相手と共に瓦礫の下敷きになって息絶えた。思えば相手が前世の母の言う「あの子」で、「あの子」が幸福に恵まれるなら自分自身を忘却の彼方に追い遣られようと我慢出来ると思っていた。そうか、と溜息を吐いて項垂れる。生きて欲しいと願った「あの子」も、もう居ないのだ。悲しいも寂しいも無い。只々虚しかった。

 瞬き一つ、視界は変わり自室に籠もる母の姿が脚下にあって、その陰鬱な顔に喉が閊えて言葉が出ない。不自由な筈の耳を攲て気を凝らすと母が娘と娘の友人の死を嘆嗟する様子がよく見えた。何故親を置いて先に逝くのか、この親不孝者。母は顔を両手で覆い、ぶつぶつ言ってその場を動かない。

 ──何で。

と母は顔を上げ、見開いた目に憎悪の炎を揺らめかせ尚言った。

 ──何で、──が死んで、馬鹿共が助かるの。…何で、──が助からないの…!

 私は家族が健康に在れるなら仮令忘失されようと耐えられる。只、家族が元気であれば良い。決して手の届かぬ家族を想い、此処に居るだけの自身はさめざめと泣いて恨み辛みを並べ立てる母の怨嗟の言葉に耳を塞いだ。

 そうして現実で目を開け、上体を起こして杉の枝葉の被さる頭上を仰ぎ、首の疲れを感じて正面を向き、微かな水の音に四つ這いで砂利の上を移動して小川を見付けた。水底の苔の生す砂利を片手で掬い、凛冽たる水気が体の芯を凍らせ、途端寝惚け眼が開いて悲鳴を上げる程冷たい水から手を引いた。指の腹が痺れ、爪と肉の間に鋭利な痛みを覚え、水際の乾いた砂利を握っていた一方の手で金氷になった手指を包み、呼気で暖を取るが一向に温まらない。已んぬる哉と項垂れ膝立ちで水面を見下ろし、東雲の薄青の世界に彩り添える朝焼けに鬱蒼とした樹冠を照らす朝日を浴び、赤や緑や青の映発する様に涙が滲んだ。

 目元を潤す涙が乾く頃、足音を聞き付け振り向くと射干玉の頭髪を手櫛で梳いて整えるハオが居て、人様の隣に無遠慮に腰を下ろして心臓の縮み上がる冷水で顔を洗い、やはり寒いのか肩を震わせ何かを抱き込む様に腕を広げほっと溜息を吐いた。外套の下で縫い包みを抱く様に腕を曲げ、透明の台に顎を載せて横目に私を見遣り、目が合うので私は呟いた。言葉が届かないのは、寂しいと言う可きか、悲しいと言う可きか、何も感じないなら虚しいと言うのかな。

 ハオは目を瞬かすと徐に立ち上がって朝御飯は何が良い、と意見を求めた。




 前世の家族、現代の家族。
 我が子(の一人)を失った親は何を思うか考えて、しにたくなったので書きたくない。
 でも、この位の奇跡がないと主人公も家族もあんまりだ…。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。