和室で身を起こし出窓の障子戸を開け放ち、窓硝子は面倒に思って閉めた儘朝日を室内に受け入れ、畳の上の蒲団一式を常の如く畳んで押入れに仕舞った。部屋を出て廊下を伝い、鉤の手になった所の梯子段を下りて階下の茶の間へ赴き、廊下と茶の間を隔てる障子戸を開けて、長机に居並ぶ家族と朝の挨拶を交わした。朝食は卓上に揃い、白米を盛った茶碗を、台所から持って来た祖母と母が早く座れと舌鋒鋭く言うので渋々座った。座らねば食事を始める事は出来ないが、人様の叱責を受けて着座するのは、自分が悪くとも気分が悪い。自身を戒め、祖母の持つ茶碗を受け取って固定の位置に座る。それで現代の私の家族の朝食は始まった。
朝目覚めて補聴器を引っ掛けるのは前世の話で、洋風造りの家で暮らした前世は、二世帯住宅だった。二階に私の家族、一階は父方か母方か失念して申し訳ないが一方の祖父母が住み、家の中の急勾配の階段で繋がり、又二階のベランダから続く階段もあった。現代は和風の家だから自室も畳敷きで、寝起きは蒲団を敷き、夢の中で頻繁に使ったベッドは前世の物だ。茶の間の食事も椅子に座るのは前世で間違いない。現代の家は椅子を使用する機会が殆ど無く、あるとすれば夏の祭りの時期に、地域の御神輿が我が家の広い庭に小憩しに来る時、折り畳み式の椅子を引っ張り出すくらいである。それ以外は祖父母愛用の座椅子が、極稀に茶の間に顔を見せる程度で、現代の家だと椅子と言う物に縁が薄い。
朝食の醤油で味付けた卵焼きを二切れ続けて食べ、茶碗の白米を掻き込み、誰かの土産の会津味噌の味噌汁で飲み下し、急ぎ片付けて使った食器を台所へ持って行った。流し台の中に置き、水を被せて後は祖母と母に任せる。二階の自室に駆け戻り、押入れを開けて長袖とジーンズを取り出して着替える。文机のランドセルを引っ掴んで梯子段を下り、後三段の所で飛び降りると、着地と同時にどすんと床が悲鳴を上げて茶の間の障子戸の隙間から祖父が顔を出して怒鳴った。静かにしねえか。私は片手で応え、梯子段の下の洗面所に行って洗顔と歯磨きをした。等閑な歯磨きを終え登校の時刻が迫る。
一度茶の間の家族の方に顔を出し、行って来ます、と言って障子戸を閉める。広い庭に面した縁側と廊下と大窓に射し込む赤色系の朝日を横目に玄関の上がり框を飛び越え、靴下の儘三和土で靴を履き、再度行って来ますと声を張り上げて玄関の引き戸を開けた。其処に飛び石は無い。飛び石があるのは前世だ。庭を抜け左手の白壁のお倉の幽霊の出そうな陰と右手の雑木林の陰鬱な樹影を無視して、昔車の出入りしていたと聞く、現在は常時開いている乳鋲の打たれた観音開きの門を潜って道普請の進捗具合の怪しい歩道に出た。今こそ地域の人々の往来する歩道だが、曾祖父母か或いはその先代様か、私は小耳に挟んだ程度だが以前はこの歩道から向いの家迄、元は我が家の土地だったそうだ。市に車道を造ると言われ、我が家は管理も面倒と言う理由で売っ払い、工事の騒音に睡眠の妨害を受けつつ文句を堪え、数ヶ月後何故か歩道が出来た。
歩道の完成で私は助かっている。此処に車道が出来た日には、登校も七面倒臭いだろう。因みに家の裏側に車庫があって、両親の自動車は其処にある。車道も車庫の常時開いた出入り口から直ぐだ。
しかし人の出入りの激しい玄関は車道の反対側、其処は前述の通り歩道があって、学生の登下校の時刻が来ると制服姿の中高生や色々の服装の小学生が行き来する。斜向いの鎌谷さんと隣家の幼馴染の翔子の家は、聞く所によると母親同士が又従姉妹だそうで、ほぼ赤の他人だけれど大晦日は一緒に過ごす事が多いと当の翔子から聞いた。遠縁でも親類縁者がご近所さんでは気を遣うだろうと尋ねると、長期休みに遠出が出来る事の方が嬉しい、と言ってよく土産をくれた。北は北海道、南は鹿児島、土産の菓子を摘み写真を見せられ、今度は未踏の地の四国に行くと言い、夏休みは沖縄に行ってシーサーを買うらしい。旅行好きの血筋は話題に事欠かないで、いつ迄も口を動かしていられる。今度の四国の何処かは決まらないそうだが、沖縄土産はサーターアンダギーを頼んだ。
蛇足で申し訳ないが、やはり気になるので言っておく。斜向いの鎌谷さんは「かまたに」でなく「かまや」である。翔子の苗字は「金森」と書くが、読みは「かなもり」でなく「かねもり」と言うそうだ。調べて見たが、殆ど「かなもり」と読むのに何故一家の読むだけ「かねもり」なのかは知らない。本人達も理由を知らない。
歩道を北上し突き当たりの丁字路で右折し、道形に行くと十字路があって国道に出る。右側通行で真っ直ぐ行き、横断歩道で信号を待ち、青を確認して渡って只真っ直ぐ歩くと方々の脇道から色取り取りのランドセルを背負った児童が現れ、椿か何の植物か知らない垣根沿いに角の砕けた暗渠の上を駆けて右手に正門を見付けた。挨拶係の先生の挨拶を挨拶で返し、天を衝く鉄製の門を潜って種類の解らない樹木の並木道を通り抜け、前庭を右手に、正面に今年改装の終えた体育館を見て、体育館の出入り口と校舎を結ぶ渡り廊下を越え低学年の教室を左に、奥に高学年の昇降口があって、手前の中庭を疾走する。
昇降口の硝子戸を押し開け、靴を脱いで下駄箱に沿った簀の子に上がる。上履きと外靴を取り替えて二階の教室へ急ぎ向かう。二段飛ばしで階段を駆け上がり途中予鈴が鳴るが気にせず走って、そうして教室の扉を乱暴に開けて飛び込んだ。扉付近の席の友人がランドセルを机上にランドセルを投げる所だった。
「お早う」と私は言って、自分自身も扉付近の席の為、友人の前の席に着いた。教科書の類を抽斗に仕舞い、後方のロッカーにランドセルを仕舞おうとしたが整理整頓の大嫌いな性分を体現したロッカー内の荷物を見て、机の脇に引っ掛ける事にした。前世は綺麗好きだったように思う。
「今日は算数と理科のテストだって」と後ろの席の友人が言い、前方の教卓の上に積まれた紙束を指差した。溜息交じりに男子がカンニングペーパーを作らんとする旨を零し、私も呆れて鼻で笑った。
隣席は翔子が座る。本来男女が隣同士で、同性が隣り合う事は余程の事情でない限り先生の采配で無理矢理変えられる。小学校の朝の始まりの時間が来て先生が入って来て教卓の前に立ち、色々話して時間が過ぎ、一時間目が始まった。一時間目は算数だ。隣席は変わらず翔子が居る、翔子は目が悪いので教卓の前の席が大体の指定席だが、何故か今日はずっと後ろの私の席の隣に居た。それで漸く理解した。これは夢だ。私は今現代で過ごした夢を見ている、翔子と隣同士になりたいと願った日があって、その願いが叶った夢を見ているのだ。何だかなあ、と思うと耳元で轟音が響いて耳を劈き、席から飛び退き驚くと自身の体勢が変わって、正面に黒い膝小僧があった。
肘を突き上体を支えて起き上がり真っ黒の縮れ毛と真っ黒の双眸を認め、朝の挨拶を一言述べ、末っ子の甲高い声が異国の言語に聞こえたが寝起きの頭の処理が追い付かない所為で別段問題無い。夢の中の轟音は矮小な手掌で以て地面を叩く音らしく、幾らか砂利の食い込んだ掌を、両手を擦り合わして落とす様を眺め、その砂利が瘡蓋を引っ掻いた時の様に汚く落ちるから思わず破顔した。汚いのに何故笑うか、これは現代の話だが、幼稚園の年中の時分に園の庭の隅っこの椿だか種類の不明な植物の花の蜜を吸う事が流行って、給食を食べ終えお昼寝の時間を愚図愚図して、そうして遊ぶ時間を迎え、庭に飛び出した拍子に窓際の踏み石に足を引っ掛け素っ転び膝小僧に砂利をくっ付けた。膝小僧に怪我は無かったが掌を擦り剥き、その傷が乾いて瘡蓋が出来る頃が矢鱈辛く、痒くて引っ掻いて、皮膚が白い画用紙に散らかった事を憶えている。自分の出来事を思い出して笑ったのだ。
末っ子オパチョの準備が整い、私も人前に出て恥をかく事の無い装いで寝床の木陰を這い出し、河畔で一人焚き火に当たる射干玉の頭髪を垂らすハオに瞠目した。平生傍らに控える腹心の魔法使いの帽子は影も無く、親戚の小父さん宜しくカメラ小僧の風体の山田さんも見当たらない。火が掛かる程近くに棒が突き立てられ、焚き火を囲繞する名称不詳の淡水魚の波打つ亡骸を見詰める彼の横顔は真剣その物で、似合わぬ顔付きに面食らった。背後に駆け寄り大人二人の所在を尋ねると、二人は用事を与えられ、当ての無い旅に出たそうだ。よく解らないから朝の挨拶を交わし、真向いに座って火に当たった。末っ子が川を背に、私とハオの間に座った。
真向いのハオを見る。私は又面食らった。彼の恰好が一変、頭部に大羽の飾りを付け、二月中旬の寒空の下、渋色の外套を脱いで裸の首元に首飾りを下げ、脇に飾りの付いたズボンを履いている。両の前腕に腕輪を嵌め、分厚い生地の手袋を外した手で頭部の羽飾りの位置を変えた。民族衣装と言えば民族衣装だ。まるでアメリカインディアンである。
「どうしたの、その恰好」
「マグナの恰好を見て、一寸試したくて。良い羽飾りが見付かったから、漸くね」
まさかラキストさんの魔法使いの帽子の羽飾りか、と問う事は出来なかった。でも、何だか似ている気がしてならない。
ハオの恰好。
十祭司の影響って事で…。
無い頭を捻った結果ですよ。