二月中旬、三人で行動を共にする事が決まった。知人も無いので仕様がない。可愛い末っ子と可愛くない自称未来王の大会の本戦出場を賭けた予選に付き合い、今日も墨汁をぶち撒けた真っ黒の夜空の下、肌を切り裂く寒風に凍え身震いしながら一方の勝利に終わる予選第二戦を観戦する。廃屋染みた操車場の錆びた列車の上の屋根の縁に末っ子を抱え端座し、脚下の酸鼻を極めた戦場を、言っても聞かないから憫黙として眺め遣り、胸元の縮れ毛を撫で回す。戦場のぐるりに林立し衆目から覆い隠す杉林の樹冠を照らす銀色の月明かりを打ち消し、夜陰を圧し、夜の気配を徒人の手の届かぬ虚空に衝き上げる業火の絢爛たる有様を、白光りする炎の中で黒炭と化す者の断末魔を聞きつつ見下ろし、嘆息した。自身の膝に居る末っ子は、頬杖を突いて退屈そうだった。
顔面を焼く灼熱の火焔の照らし出す操車場内の廃屋振りに溜息を幾つも吐いて、軈て戦闘が決着し、勝者のハオが伏臥する敗者の男性の頭上に、東の黎明の空の茜色を浴びながら屹然として突っ立ち、電車の屋根に腰掛ける私達の耳に届かぬ音量で何か言うらしかった。延焼して、窓硝子を破り赤い舌を突き出す、未だ鎮火せず燃焼の続く電車や地面を這う炎の垣根の中心で二人は何事か話し合う。直ぐに男性が跳ね起きてハオの首飾りを掴み、胸倉を掴み上げる要領で持ち上げ、鼻面を近付けてこちらに迄届く様な大音声の罵詈雑言を浴びせ掛けた。罵倒の内容は、やはり出会って数年間、時偶見掛けた持ち霊の食事風景や仲間集めとやらが遠因の自業自得も過言ではないものだった。只要因と言わず遠因なのは、何だか相手の様子が違う事と罵声を聞き流すハオの様子が違う為だ。ハオに恨みある者達は大抵真面な会話を交わす事無く突っ込み彼に殺され、そうして彼の持ち霊の餌になる。しかし唾を飛ばしハオを痛罵する今の男性は中々死なない、当然ハオが殺さないからで、しない理由があるに違いない。
何かしら、と思案投げ首、腕の矮躯を抱き直して車両の連結部まで駆け、連結部の覆い伝いに震えながら地面に降りて炎の垣根を目指して疾走した。垣根は私の胸くらいの高さで動揺し、火は端から千々に散り、風向きの所為か火の粉が顔に吹き付け怖くて堪らない。一足二足後退して、中心の二人へ言葉を掛けた。終わったなら、もう行こう。
途端炎の垣根を掻き分け饐えた臭いが鼻を衝く黒色の物体が飛び出して来て、同じく黒色の枯れ枝の様な腕を、人様の顔面目掛けて伸ばし爪でも突き立てる恰好で襲い掛かる。不意の出来事で体が動かない。上体を捻って腕のオパチョを庇うのが精一杯だった。悲鳴が喉の半ば迄出掛かった時、朝日と同色の炎が目睫の間に迫る物体を取り囲み、断末魔ごと呑み込んで塵も残さず燃やしてしまった。
「力量の差を見極め、無謀を承知の上で終焉に臨む確固たる意志、称賛に値する」と垣根の向うに佇むハオが賞嘆する。
長い前髪が乱れ顔色を窺う事は出来ないが、声色から察するに余り機嫌は宜しくないらしい。抑揚の無い冷淡な物言いで先の対戦相手を批評する。業火の名残の色濃い温風と二月の風が混ざり合い、生暖かな風が自身の頭髪も彼の前髪も巻き上げ、視界は一層暗くなる。朝日が髪の毛の一本一本の間を縫って目を射るので、片手を顔の前に翳して日陰を作った。向うでハオが歩き出すのが見えた。
彼は真っ直ぐ歩いて来て私の目前に立ち止まった。対戦相手の命を奪った業火の余燼を踏み潰し尚踏み躙り、光を通さぬ黒目で見下すなり言葉を繋ぐ。
「塵中に気高き金玉の魂、誉めて遣わす」と言って踵で踏み荒らした遺灰か将又焦げた土か、どちらか知らない黒炭を脇に寄せて溜息を吐いた。手掌に火を点して、傍の黒炭は再び燃え上がり、今度こそ皆燃えてしまう。
分厚い手袋の無い手を振り火を消し、それから眩しそうに目を細めて色褪せた茜色の朝日を遮る前髪を手櫛で梳き、然し、と何気無い風に続ける。
「事も有ろうに来る我が新世界の輩に牙を剥くとは赦し難き蛮行。その魂に愛でて我が配下に降るならばと止めを刺さず置いたが、致し方無い」とハオはつい先刻火を消したばかりの手掌を返すと指先で何か弾く真似をして拳を握り締める。弾いた指先にちろりと火の粉が見えた。
黒炭を寄せた辺りから又数歩先で業火が唸りを上げて、私に見えぬ男性の魂を寸毫の容赦も無く燃やす。腕のオパチョも身を硬くし、私の腕にしがみ付いて欠片すら残さず消える魂の最期を見届けた。
全てが終わりハオが顔を上げてオパチョを見る。晴れ晴れした顔を近付け、五月蝿くて御免よ、と言って縮れ毛を撫で回した。私は五月蝿いの一言で諒解した。オパチョは燃え盛る魂を見下すハオの力に悚懼したのでなく、魂の断末魔の叫びのその音量に身を竦ませたのだ。霊能力を持たぬ私の耳は魂の声を知覚する事も出来ない御蔭で至って健康だが、生ける物や死んだ物の声が区別なく聞こえる二人の耳の具合はどうなのか、他者の死を悼む気持より二人の鼓膜の状態を案じて、たった今死んだばかりの男性に申し訳ないが心配なものは心配だ。オパチョの頭髪に隠れた黒い耳を撫ぜ、具合を尋ねて無事を確認すると腕の中で笑い転げた。何故かは知らない。
オパチョが無事なら一等頑丈なハオも無傷だろう。特段声は掛けず次の言葉を待ち、彼も諒解して一度上京後に最初に訪れた小川の辺り迄行こうと言い、私は不穏な言葉で思い付いた不可視の飛行機に身構えて、果然内臓の浮く感覚と地面の遠ざかる足下の風景を見て尻餅を搗いた。透明だから尻は遥か下方の地面に落ちて可笑しくないが、形容し難い硬質な何かが地面に代わり私の尻を受け止めた。腰に響く鈍痛は地面で素っ転んだ衝撃と変わらない。
腰の鈍痛の収まる頃、東京上陸の際に訪れた杉の繁茂する小川の畔に降り立ち、その日は樹木の根元で三人矮躯を寄せて眠りに就き、翌朝昧爽、目覚めると私は喉の違和感を覚えて酷く焦った。必然と言えば必然だし、自業自得と言えば自業自得、自身を特別頑健な体と自負してはいないが、いないからこそ日常生活に於て用心す可き必須事項だった。現在日本の二月中旬、水辺と言う事を踏まえても肌寒い風が吹き荒び、周辺に雨雪の気配は見られぬが樹木の付近の枯茶色の草葉に霜が降り、小指の爪大の霜柱も見られ、凡そ人間が雨風を凌げる壁も屋根も無い吹き曝しの屋外で野宿出来る環境ではない。喉の違和感程度で始まる事がある種奇跡のように思われる。
本格的に風邪を引く手前の一寸引いている状態で治癒せねば、世は厳寒で、爾後暖かくなるに任せた時節でも風邪は油断ならない。齢五つに満たない末っ子の健康を慮ると、姉貴分の世話係が風邪引きでは面目を潰し兼ねないし、末っ子の顔を真っ黒くして寝込む様も見る羽目になる。大変宜しくない。
気持で洟を啜り溜息を吐くと顰め面の末っ子が鼻面を突き出して風邪引きの世話係の間抜け面を覗き込み、後からハオが来て、横に片膝を突き、暫く野宿は止めて何処か屋根と壁と寝床のある場所に泊まろうと言った。即ち不可視の飛行機に乗って、肌寒い所か風邪を引く程寒さの堪える空の旅を強制しておいて、私か末っ子の一方が体調不良を訴える瞬間まで冬季東京の寒空の下で野宿を続けた訳だ。内心、何故野郎だけ凍える様子も無く平生と変わり無く素知らぬ顔で寝起き出来るのか、原作の描写を思い返せば真冬の野宿の敢行も当然の理屈だが、当時私は何故と首を傾げる許りで彼の持ち霊の利便性を失念していた。
鼻水を垂らし袖で拭い、又溜息を吐いて、喉の違和感が段々酷くなる気配に頭痛を覚えた。無論この頭痛は苦悩による頭痛で風邪の症状に数えない。断々乎として否定する。私が風邪を自覚したのはつい先刻だ。半日経たずに全身の違和感が増悪するなぞ、これでは流行り風邪のようだ、しかし違う、世間様との交流の浅い自身が容易に流行り風邪に罹る事があっては、傍の末っ子の健康が危ぶまれる。
普通の風邪だ、早く治そうと言い聞かす。すると横のハオが笑って人の背中を馴れ馴れしく叩き、不興顔のオパチョを肩車して、さあ行こうと言う。彼は私へ分厚い手袋を嵌めた手を差し延べ、辞退の事由の無い私は有難く手を掴んで引っ張り上げてもらった。一瞬地面が動揺した気がして、目先が黒くなりかけ、まだ相手の手を掴んで放さなかった御蔭で起立と同時に転倒と言う無様を曝さないで済んだ。
ハオの首に跨る末っ子の憂いを帯びた眼差しを受けて大いに面目を潰した気持がした。末っ子の世話ならまだしも、自分自身が世話を必要とする状態に陥るとは、情けなくて遣る瀬無くて憂鬱だった。
お馴染みの不可視の飛行機に乗り込み、遥か異国の大地から海を渡る最中に一度末っ子を押し込んだ屋根のある座席に、今度は私が一人座る事になった。三四回拒絶の意志を伝えたが、最後は末っ子の懇願で、一人お飾りの操縦席に潜った。其処で眼下の景色を眺める気持は起こらず、段々風邪が本格的になって本物の頭痛がし出し、膝を抱える恰好で背凭れに凭れ、少し楽な姿勢の所為か意識が遠退いて左右どちらかの壁の方へ上体が傾き、側頭部をぶつけたと思った時は夢の世界の住人として迎えられて居た。
主人公体調不良の巻。
ストレスですね。
後人死にを見ても何とも思わん訳ではありません。
只体調不良の前兆なだけです。