開会式の翌日の昼食以降、ハオは宿泊施設を出て何処かで野宿しながら済まして置きたい事がある、と言って一ヶ月後の集合日まで私と末っ子の宿泊する部屋に寄り付かなかった。早朝風呂を促して頬を上気させた湯上りの姿で部屋に戻って、異国の大地で遊牧民を隠れ蓑にしていた頃の服装だったので驚いた。飾り羽の無い烏の濡れ羽色の頭髪を手拭いで拭き、服装の違いを私が尋ねると飽きたの一言でお仕舞いにした。恰好を真似られた十祭司の人達が聞いたら、人様の恰好を飽きたと切って捨てる彼をどう思うか、只真似ただけで飽きる飽きないが相手の勝手でも別の言い訳の方が収まりが良い気がする。
出掛けに分厚い手袋や靴等に彼の名前をアルファベットで記したブロックを付けて、前世の記憶の儘の彼が私達の前に立って喋り辞去するから記憶の原作の世界だなと強く思った。そうやって原作通りに物事が進捗する様子を傍で、時に渦中で目撃、実感を抱いて何が違えば良かったと無意味に心細く感じた。昼食を終えた彼を見送り、卓上に食べ止しの玉子焼きが二切れ残っていて、末っ子と一つずつ食べた。中心部の熱い黄色い玉子焼きを一口で半分食べて、隣席の末っ子の恰好を見遣り、今迄気が付かなかったが記憶との相違点を見付けて箸の先の玉子焼きを落とした。記憶通りなら末っ子の首や四肢には民族衣装の資料集で見掛けるような金環が嵌まっているが、目前の末っ子はママの皮を鞣したヘアバンドと自称未来王の外套を模した渋色の外套を纏うだけの、特別息苦しくもなさそうな恰好だった。
記憶と異なる恰好に驚いた。玉子焼きを食べて、急ぎ居残った山田さんを捜し、未だ焼き魚をおかずに醤油と鰹節を味付けたお結びを頬張る末っ子の昼食現場へ連れ込み、当然気になったのですがと切り出した。
「オパチョのオーバーソウルって、どんなのですか?」と私は昼食の漬物を銜えた山田さんに、先刻自身が使っていた椅子を勧め言った。
山田さんは椅子に腰掛け、私は末っ子を自身の膝に載せ、末っ子は変わらず御飯を続けて満足げの顔でお結びを掴んでいる。
「急にどうした。ハオ様に何か言われたか」と山田さんは真っ先に現実味ある事を思い付いて、特段捻りもせず真っ正直に言い返した。
「違います」
「どうした?」
「ハオ様は、暫く出掛けると言って出て行っただけです。彼は関係無い」
「だから、どうした」
「何となく、ハオ様のオーバーソウルは、ほら、オパチョがまだ小さかった時、攫われた時に見たと言ったでしょう。で、今、急に他の人のはどうか気になったのです」
私は尤もらしい事を言った気になったが、後で考え直すと、だから何故と、話に脈絡が無さ過ぎる。咄嗟に思い付いて矢も楯も堪らず御飯の最中の人を引っ張って連れ出す非常識を正当化出来る─と言っても非常識を正当化してはならないが─程の理由に値しない。しかし退っ引きならない事由でもないが記憶と眼前の現実との相違は気に掛かる。記憶と現実の齟齬を、無力無能の私が聞いて把握して、何が出来るでもないし、何かしなければならない訳も無いが、腹の底が気持悪くて仕方なかった。
山田さんは親戚の娘を可愛がる小父さん宜しく腕組みして頻りに頷き、自惚れでなく私に頼られた事に気を良くしたようで、昔の外国の壮年の男性の肖像画か何かで見られそうな立派な黒の顎鬚を撫ぜて口を開いた。
「オパチョはヘアバンドとママを憑依合体させて、角の生えたママの恰好になる。俺から言わせれば、人面犬ならぬ人面羊だ。大きさはオパチョの体より一回り大きい、羊毛の分な」
と山田さんは又頻りに頷いて、他は誰が良いと言った。
私は山田さんご自身のオーバーソウルも、と状態の説明を依頼し、山田さんはその通りにご説明下さった。そして聞く限りは、二人の持ち霊とオーバーソウルは記憶の通りの羊のママと蟹だかザリガニだか、恰好も特筆す可き違いは無いと思われた。
他に日本人二人組やハンさん、マイヤーさん、花の三人娘のオーバーソウルも問い質し、到頭全員の持ち霊や技等を聞き出して、いざ記憶と現実の違いを精査と言う段階になって調べる方法が無い事に気付いた。自身の前世の記憶頼りの精査だが、記憶違いである証拠もそれを自覚する術も無い。抑も多少の相違があったから何だ、原作に忠実であればある程原作通りに物事は進み、軈て私の知る所に終着して物語が終わる。自称未来王は星の王様の玉座に就き、下々の者達は王様のご機嫌取りと称し世界の平和活動へ身を投じる。物語はお仕舞いだ。お仕舞いになって私はどうなるか、実家の、あの懐かしき梯子段を登った先の畳敷きの自室で寝起き出来る生活に戻れるのか、愛猫達の缶詰を強請る喧しい声を聞けるのか、両親祖父母幼馴染の居る世界へ帰れるのか、自称未来王すら知らぬ私の真実はどうなるのか全く不透明であった。
つまり、末っ子オパチョより未来の不透明の私は、世界が終わらず進み続ける事を知っていて、進んで行くなら其処に取り残される自身はどうなるのだろう。
末っ子の原作と異なる恰好に気付かなければ良かった、心底そう思う。まるで顧みる機会の無かった不安が蓋を押し上げ溢れ出し、人の足下を流れて水溜まりの様に一箇所に集い、急速に温度を失い凍り付いて、立場の怪しい小娘をその場に縫い止める。いっそ時間が止まれば良い。今直ぐ世界が終われば良い。
後二口のお結びを握って形を整える末っ子を見て、身勝手の願い事を、一瞬でも本気に願った自身が恨めしい。生きる事を望んだ筈の子を前に、何て残酷非道な願いを、一瞬でも本気に願ったのか。私は末っ子のお結びを見詰め、半分だけ頂戴、と言う。すると素直な末っ子は満面の笑みを湛え、丸めたお結びを半分に割り、一方を情けない姉貴分の世話係に分けてくれた。一口で食べ終わったお結びは、家族を想って毎日御飯を作り食卓に並べる母や祖母の料理のように、改めて噛み締めて食べると、何とも言われない郷愁をそそる味がした。
「ハオ様、星の王様になると、何処に住むのかしら」
「シャーマンキングダムは、地上に建立すると聞くから、地上の何処かだろう」
「ハオさま、グレートスピリッツになる」
それで思い出した。ハオはグレートスピリッツと一体化する為に死ぬのだ。
「シャーマンキングはグレートスピリッツを持ち霊とする。その方法は、グレートスピリッツと一つになる事だ」
「憑依合体でしたっけ」
「違う。グレートスピリッツと一つになる為に、死ぬんだ。死の眠りに就く」
「オパチョ、ハオさま、まもる」
死と聞いて連想した光景は、血塗れのママの抉られた喉笛だった。物の輪郭が朦朧として見え出し、顔も手も血溜まりに突っ込み、全身から鉄の臭いと死臭を漂わして亡骸に縋り付いた日々を思い出す。
目を瞬かして現実の視界は至って明瞭な事に安堵の溜息を吐き、隣席の末っ子の金環の無い首を見て、金環の無い四肢を見て、原作との違いによる未来の出来事を思って憂鬱な気持になった。全世界の非霊能者に悪いが、私は末っ子が無事に生き延びるならハオの悲願が成就しても良いと思っている。自分自身が死ぬのは恐ろしいし、惨めな死に方も嫌だし、家族が死ぬのはもっと嫌だけれど家族は此処に居ないから私の憂いは末っ子の将来だけだ。と言い聞かし、ふと顔面を殴って遣りたいと思い続けた野郎の、別の最後を思う。あんまり昔の事だから判然しないが、アニメだと彼は悲願が達成される事無く死んでしまった気がする。
「死んでしまうのか」
「まあな。五百年も人間が生きられる筈がない。その為の措置だ」
「ハオさま、かみさま」
これ迄共に過ごした人間臭い彼を思うと、悲願成就が成らず、皆に疎まれ死んでしまうと言う決着の仕方は私が嫌だった。一番嫌なのは、皆に疎まれて殺される、と言う所だ。少なくとも共に居た彼がそうとは思えない。
「それは、あれだ、あれですよ」
「何だ」
「寂しいですね。うん、私は、ママが見えない。寂しいよ」
「アユム、ママここ」
末っ子は身を乗り出して私の真後ろを指差すが、私が背凭れに肘を突いて振り向いて見ても、其処は蛻の殻で、ママが胴体を横たえて欠伸を連発する様は幾らでも想像出来た。出来るからこそ、出来る事が敵うだけ過ごした時間が懐かしく、又虚しくもあった。
「有難う、オパチョ。ハオ様が居る場所も、教えてね、私は判らないから」
「うん」
オパチョは確と頷き、お結びを握った両手を布巾で拭い、綺麗さっぱりした両手で教えた通りに食器を重ね、纏め終えて私の膝を降りてママを呼ぶ。
子供が羊と戯れる様子を想像し、子供が彼と歌う様子を想像し、その描いた中に自身の影も形もない事を当然と受け止めて口を真一文字に引き結んだ。口が開けば嗚咽が出そうで、涙が滲みそうな目は、膝を抱えて顔を伏せる事で誤魔化した。私は彼を嫌いでない、好きでもないかと問われると、今は嫌いでないから好きと答えられる。悲願成就は人類が困るし私も困る、しかし彼の居場所が見付からず寂しげにぽつねんと突っ立つ様を仕方ないと妥協出来る程、彼を他人と切り捨てる事もしたくない。
末っ子はママと取っ組み合う様に遊ぶらしい。その様子は、非霊能者の私の目線では、小さい子がでんぐり返しをして遊んでいる様にしか見えない。これを末っ子と星の王様の彼が歌う時に置き換え、彼の歌声の聴こえぬ私には子供の甲高い歌声しか聴こえず、一人蚊帳の外で見守る孤独感に身震いした。
「山田さん、私は、駄目かもしれない」
「どうした」
食器を片付ける山田さんへお手伝いを申し出て、平たい皿を受け取って言った。
「ハオが見えなくなったら、私は、寂しいと思う。でも、オパチョも山田さんも、皆見えるでしょう。私一人だけ、姿も声も判らない、寂しいんです」
末っ子の甲高い声が止み、軽い足音が近付いて足下で消える。一寸目線を下げると、やっぱり団栗眼を見開いた末っ子が居た。
私は、それって、と続ける。
「ハオと一緒に居る時間が、オパチョやママと居る時間と同じで、寂しくないんです。怖くも辛くも悲しくもない。居なくなったら、私の目では、空っぽにしか見えない」
無骨な手が伸びて来て私の頭を撫で回した。
私は伏せた目をその儘に、皿の汚れを見詰めて震える声で言った。
「見えない私には、死は全ての終わりです。死は、お別れです。お別れって、やっぱり寂しいものですね」
老驥伏櫪(ろうきふくれき)
:年老いて尚大志を抱く事。
此処ら辺から時間の流れがよく解らん。
ま、雰囲気で。