生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第五十四話:

 目覚めた部下を伴い最奥の村に踏み入った自称未来王の野郎は、一段高い広場に立ち止まって洞窟の天井を仰ぎ見た。ぐるりを柵が囲繞した野球場の真上は表に通じているのか知らないが真っ黒の巨大な穴が開き、光合成の為の光源確保の苦難が計り知れない事は勿論、柵の周囲を光源の確保の方法すら不明の森林が洞窟内に繁茂する。岩壁に隙間があって外の光が届くでも、天井の大穴から降り注ぐでもないのに其処の村は光に溢れていた。照明が設置されていると思われたが、辺りを見渡すも不審な物は見当たらず、自称未来王曰く伝統工芸の一言で万事済ます、不思議の世界の不思議の村だった。

 広場を一段下りて近場のホテルの看板を見掛けるも誰一人として目を向けない、先頭の一行の代表の背中を追い掛けて村の端の破屋にお邪魔し、存外損傷の軽微な内装を見て伝統工芸の頑丈さに感動した。部屋は多数あるが使用に耐える部屋は幾つもない。三階建ての破屋の三階は全滅で、二階に四室、一階に一室、一行の合議の末、一階を自称未来王が率いる星組が使い、二階の四室を各々で好きに使う事が決まった。一階の玄関の直ぐ横の空き部屋は縁側のような台が窓硝子の無い大窓の外側に置かれ、その丁度良い広さの部屋は約二ヶ月の間に自然と食堂として使われるようになった。尤も食堂を使うのは星組と土組、世話係の私を含め七人の使用が大半を占め、他の七人は外食が多いらしかった。邪推だが、花組は私と顔を合わす機会を減らす為に外食に徹したのではないか、自称未来王を尊崇する彼女達の性格を考慮すればする程そう思えてならない。申し訳ないが、しかしこの二ヶ月間の私の心身の状態を顧みた時、彼女達の心情を慮る余裕は生憎と皆無だった。大変申し訳ない、寂しくて、虚しくて、立ち直れる気もしなかったのだ。

 姉貴分の世話係を末っ子と引き離すなぞ末っ子の常識では論外だったらしく、仮令風邪引きだろうが私の胴体に抱き付いて離れない。普段駄々を捏ねる子供を宥める役は山田さんが請け負う事が多く、既にこの世に亡い人に任す訳にもいかないのでラキストさんが宥めるが末っ子は有らん限りの力で抵抗を試み、以前山田さんのおっしゃった癇癪振りが虚言や誇張でない事実を叩き付けてくれた。末っ子を可愛がる自称未来王之を気の毒がり、彼の頑張りもあって平静を取り戻した末っ子だけれど風邪引きの私と寝起きする覚悟は変わらなかった。親戚の小父さんと慕うお人の死に酷く落ち込む姉貴分を見て、一家の末っ子気質を発揮して甘えたかったと思われる。

 一階の部屋に収まった私達は窓外の野球場を、悠揚たる構えで眺めて窓際の寝台に腰掛け小憩した。二階の四室の部屋割りも決まったのか、日本人二人組が下りて来て人様の顔を無遠慮に覗き込み、頭を撫で回して何も言わない。風邪引きは寝なさい、と山田さんは言うだろう、言わない日本人二人組の法衣の襟の上の尖った顎先を瞥見し、その後は膝を抱え不貞腐れた。末っ子が自身の心身の健康を案じて頬を擦り寄せるが、正直気分が悪い、遊び相手になれる程の気持の余裕が無い、私の心を読み取れないと言う末っ子は姉貴分の世話係の顔色を窺って涙を滲ませる。そして心を読み取れない代わりに経験で人様の心身の状況を察する二人組は、善さんが末っ子を抱き上げ、扉の無い部屋の外へ追い遣り、残った良さんは黙って足下に屈んだ。癇癪を起こした末っ子の絶叫が耳を劈き、駆け付けたラキストさんに引き取られた。

 善さんも室内に戻って来て私の隣に腰掛けた。二人共何も言わず、私も言わない、口を開くのも不快でならない。膝小僧に額を押し付けた儘、身辺の物音に耳を澄まし、又前と横の気配を逃すまいと意識を集中した。当時まだ食堂扱いしていない空き部屋の見当から地響きを伴う絶叫が轟き、石か土か知らない一見脆そうな壁が細かく揺れ、低い天井から土埃が降って空気を汚した。暫く絶叫は続き、その内暴れ疲れた末っ子は自称未来王に抱かれて寝入ったと見られ、地響きも土埃も収まった。自称未来王が居れば世話係は要らない、もう廃棄物その物だ、放って置いてくれ、内心こう叫ぼうと二人組は読心術なぞ持ち合わせないので、いつ迄経っても前と横を固めて離れない。煩わしい等と心中で散々な罵詈雑言を吐くのに、段々目が潤み、ぽろぽろ玉になって零れる涙で顔面を濡らし出すと、二人は頭を撫ぜて、そうして私が癇癪を起こし振り払う迄撫ぜていた。

 何故二人の手を払ったのか、落ち込んだ気持の儘誰かに優しく接せられ、彼らの様に振る舞えぬ自身が情けなくて、且つ山田さんのお姿やお声を捉えられぬ目や耳である事実が嫌で、山田さんがそうなってしまって二度と触れ合えぬ現実が虚しくて、縺れた感情を、兎に角体を動かす事で発露させた。二人は手を離し、御飯は何が良い、お粥は食べられるか、と尋ねられるも私が無言を貫く為に次の行動に出られなくて困却し、軈て軽い呼気の音が聞こえてお粥を持って来ると言って部屋を出た。それが又情けなく思われた。二人の優しさに触れると山田さんを思い出す。一行の中で一番最初に仲好くして下さった人、一番お世話になった人、育児中の心を支えて下さった人、何だかんだ末っ子もだけれど、それでも言葉を介して物を教え、心身を支えて下さったのは山田さんだ。精神的支えと言うのは、私の中では、末っ子より優先されていたらしい。その支柱も、もうない。

 愚図愚図と蹲って居ると硬い寝台に置いた尻が痛くなり、我慢出来ると思った一瞬後、やはり痛みを我慢出来なくて寝台を降りた。床の冷気が着物越しに伝わって、前世現代の初詣の折に通った仲見世や異世界の真冬の杉林の暗がりで野宿した日々が脳裏に蘇り、熱が籠もって重たい頭を抱えると、宿泊施設で玉子焼きを作って下さった山田さんの声が耳の奥に響く。醤油で味付けた玉子焼きは現代の実家の作り方に似ていて大変美味しかった。食べたいなあ、と呟くと唇が震えた。目の奥が熱い、痛みも感じる。喉が痛い。風邪が本格化したらしかった。

 恥も何も無く思い切り洟を啜っていた時、名前を呼ばれ、期待した声でない事に落胆しつつ顔を上げ、声で正体は自明だが、瞼の裏に焼き付いている顔を捜して目線を彷徨わせた。玩具の様な靴を履いた足が近付いて、人の爪先に接するかしないかの距離で止まる。少し足踏みするように体が揺れるのを認め、不思議に思って目線を天井の方へ遣り、両の頬の横に垂れた射干玉の前髪の間の青白い顔を見付けた。濃色の双眸は平生の愛想笑いでなく、平生の人間染みた色を湛え、私が無愛想に用件を問うとオパチョが寂しがっている旨を聞かされ、私は首肯で返し、声が聞こえて心情を承知済みである事も言った。

 ハオは其処に屈み込み、膝を抱える恰好で人様の不細工な面を覗き込む。感情を排した顔付きに、人間染みた感情を帯びた双眸を見詰め返し、残った水気を袖で拭って当分の末っ子の世話を頼もうか逡巡の後、明日迄に落ちた気持を浮上すると宣言した。ハオは首を上下に振り掛け、途中で止めて頭を真っ直ぐ立て直す。先刻まで微動もしない柳眉が下がったと思うと、寝台を背にした私と壁の隙間に野郎は細い体を捻じ込んで狭い角に御輿を据えた。何だ糞爺、と心中で罵るも口に出さないのは決して億劫だからではなく、普通人は言葉を口に出すもので、口に出した言葉が本音だ。本当は人肌が恋しく、けれど糞爺に解る筈もないが前世含め数十歳になる身で感情の儘涙するのも気恥ずかしく思われ、下らない数十年の矜恃が、子供っぽい糞爺を前にして私に普通の対応をさせた。

 もうずっと空白だね、と糞爺は言う。

 知らない、と私は突慳貪に言い返す。

 重いか軽いか判然しない、しかし余り気分の宜しくない沈黙が続いて、水気の多い鼻水の止まらない私が袖で鼻の下を拭った時、末っ子の泣き声が断続して聞こえて耳を塞ぎたくなった。

 やおら片腕を上げた糞爺は、上げた方が私の座る側の為、伸ばす空間も無いのに肘を真っ直ぐ伸ばし、寝台と私の背中の間に無理矢理押し込んで人の肩を掴むと自分の方に引き寄せた。現代の親戚の葬儀に参列した時に喪主の娘さんが泣き崩れて他のご家族に抱き寄せられる様を見た、その恰好と全く同じ恰好で、しかし抱き寄せる相手は家族でもない他人同士である。末っ子なら家族と見做して抱き締めるが、糞爺は家族と言うより家族の慕う近所のお爺さん乃至お兄さんとの考え方が適切に思われる。

 上着は素肌に外套一枚と言う珍妙な服装を好むハオの鳩尾に、悪気は無いが勢いで頭突きしてしまい、頭上で少し咳き込む音がした。特段仲が良いとも思わない、死者を悼む際に抱き締め合える仲とも思われない、そんな人物に抱き寄せられたのだから非常に腹が立ったが、顔を上げて拳骨を顔面の中央へ叩き込もうと上半身を半ば起こした時だった、善さん良さん、果ては山田さんの様に、ハオは私の頭を慰撫した。二人と同様に振り払えば良いが、本心は人肌が恋しいから、心中を読み取る相手を前に虚勢を張るのも疲れて体を丸める。

 腹立たしい、腹立たしい、と思いつつ、ほんの数日無くて、今後一生涯感じる事の無い感触を思い出して、堪え切れず顔をくしゃくしゃにして慟哭した。

 自身の泣き声に交じって耳元で衣擦れがする。泣くのに必死の私は気にも留めないが、ハオが外套で私の全身を覆い隠した。それでも情けない泣き声は漏れて、空き部屋の人達の迄届いたか知らないが、羊のママは気付いただろう。末っ子か私か、泣き喚く子供二人に右往左往して、聞き慣れぬ内は耳障りで聞き慣れると心地好い濁声を上げて、癇癪の酷い末っ子を慰めて、別室で稚児の如く泣く私の声を聞きながらべえべえ鳴く様子が容易に想像出来た。と言っても想像したのは大分後の事で、後とは、この大会も何もかも終わり、する事が山積みの中の現実逃避がてら思い付いた一種の平和な時間だった。




 ハオ様の行動は、別に特別な事ではありません。
 一応、千年前、ハオがお母さん亡くして、誰かにしてもらいたかった事、と言う設定です。
 主人公目線の為、本編に出て来ない設定なので、此処に出します。
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