生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第六十二話:軽裘肥馬

 末っ子が競技場に行くかと言うので、暴力狂乱の戦場なぞ観覧する度胸の無い小心者は返答に窮し、無垢の瞳に気後れして目線を彷徨わす様子を憐れんだ羊のママが制止の声を掛け、末っ子は小心者の世話係と一緒に弟さん達の宿舎で一服する事になった。茶の間の濡れ縁に端居した私達を残し、一足先に帰ると言い、民宿独特の趣のある庭と往来を隔てた垣根の向うに、子供の嫌いな臭いを漂わす空瓶の処理を忘れて消えた自称未来王の腹心の寂しげな横顔を思い浮かべる。酒臭い呼気に二人で顰蹙し、顔を背けた事が悪かったと思われるが、鼻の利く末っ子が、特に酒の臭いを嫌うと解って顔を近付けたのだから止むを得ない。

 道蓮さん一行に始まる第二回戦第一試合目、神様の力を使う人達と闘うそうで、緊張した面持ちの三人は意気阻喪の体で風呂に行き、準備を万端整えて戦場へ赴いた。弟さん達は御友人方の応援に駆け付けられ、宿舎に居残った私達は、濡れ縁で番茶を啜り、晏如として鼠色の雲の重く垂れ込めた全天を眺めた。大会主催者の出身村で二ヶ月間臥床して以来、前世の漫画本を読む夢を見る事がない、現代の自室の文机や出窓に積み重ねた本の山が懐かしい。私は物語の顛末、自称未来王の近い将来を把握しているが、くどいようだが今一度言う、四肢の金環に機械と人間の戦闘の時間に自称未来王の散歩の時間帯、これらの漫画本との齟齬は近い将来に如何なる影響を与えるのか、全く予想もつかない椿事に背筋が寒くなる。一歩違えば、自称未来王は本当に人類滅亡計画を完遂させるだろう。滅べば自身の魂の寄る辺と言う名の故郷はどうなるか、行方知れずの儘当て所も無い漂泊の強制は必至で、現代に帰られるか知れない。

 正直、漫画本は漫画本、自身の描く死後の世界は漫画本のような思想云々が反映し、在る世界ではない。それ程悪い行いをした覚えも無いが、自身の魂が安らぎを得られる場所へ行けるとも思われない。死は恐ろしい。何故なら私は霊能力でなく非霊能者で、本来一個の生命とは、一度終われば黄泉返る事なぞ不可能だ。しかし此処の霊能者達は違う。何度死んでも、肉体の損傷の度合いもあるが、黄泉返って普段通りの日常を送る。復活、黄泉返り、之を約束された霊能者達は死後の世界なぞ恐ろしくもない、と勝手に考える。非霊能者達が争うは何故か、一個につき一度限りの生命故に非霊能者達は、自分自身の生がより豊かである為に他者を蹴落とす、と私は考え、その不平不満或いは欲望願望を果たさんと闘争に明け暮れる。当然だ、と私は思う。非霊能者が己の死後を良い方向に考えられるか、人は無意識にネガティブにあり、死後はそれが災いして悪い場所へ落っこちる。

 自称未来王事ハオの悲願を理解出来ぬ事もない。死後の有様を理解出来得る者である為に、他者の深層心理を垣間見る力を以て、己の生が他者より豊かで在らんとする者達の卑しさ、歓楽の為なら周囲の者足下の者を幾ら蹂躙しようが微塵も揺らがぬ薄汚い根性、又力に抵抗する事を億劫がって流される儘の大勢の卑屈さ、ハオはこれを嫌うのだろう。出来得る力、憖じ癪を立てた許りに後戻り出来ない所迄来て、理解を求めて癇癪を続ける他無かったと思われる。一度憤慨すると後に引けない事が間々ある。今回の彼の行為は、事が事だけに止めたと言って事後の責任を放棄する真似は許されない大事だ。それなら貫く以外に術は無い。前世で読んだ文庫本か何か小説で呪詛は遣るか遣らないか、両極端しかないと術師が言った。彼の千年計画は、彼が人類に掛けた呪詛なのだと、私は思った。

 手元の湯呑の中身が無くなり、家政婦の少女が用意してくれた丸盆に置いた急須を取り上げ、蓋を取って、引き寄せた電気ポットの口の下に持って行ってお湯を注ぎ、蓋を戻し軽く揺する。取っ手を伝い急須の中のお湯が波打つ感覚に平和を願いつつ白磁の湯呑に番茶を注いだ。末っ子に番茶の御代りを尋ね、同じ白磁の湯呑を突き出すので受け取り、底の細かい茶葉の沈んだ濃い茶を薄める様に熱い番茶を注ぐ。一声掛けて手渡すと、お湯に熱された湯呑の余りの熱さに紅葉の様な可愛らしい手を引っ込め、程好く冷める迄丸盆の上に放置を決めた。

 宿舎から徒歩十分だか五分だかで競技場に着くらしいが、茶の間に居ると、垣根と樹木が邪魔して雨曇りの空しか見えない。競技場の輪奐の威圧感も、濡れ縁に腰掛け便々と茶を啜って一服する私達には意味を成さない、視界に入らぬ物を恐れる必要は全く無い。異国の大地の退屈な時間と同等の時間を過ごし、鼠色の雲の行方を目で追い、時々湯呑を取り上げ茶を啜る。丸盆に放置を決め込んだ湯呑が程好く冷め、待望の番茶を美味そうな顔で末っ子が啜り、年寄り臭く破顔すると私の膝に這い登って庭の方向に足を投げ出した。私は湯呑を脇に置き、空いた片手で縮れ毛の丸い頭を撫ぜ、一方の手は床板に突いて長閑な時を堪能した。

 この時、私は物語の顛末を知るとは言え、漫画本の細々とした内容や時系列を失念している事に気付かず、道蓮さん率いる一行が神様の組と試合の後の騒動に対する心構えを終える暇も無く、全く無防備の状態でそれを迎える事になった。後の惨劇を忘れ、可愛い末っ子と末っ子の傍でどかりと胴体を横たえるママの寝姿を想見し、仮初めの寧日の曇天を仰いで居た。

 時折手洗いに立ち、食べる許可を得ている煎餅や他の茶菓子を持ち出し末っ子と分け、長い間表を眺め御輿を据えていた時だった。矢庭に膝の上の末っ子が身を乗り出し、虚空に手を伸ばして悲鳴を上げた。

 不意の絶叫に私自身も悲鳴を上げた瞬間、身辺の音が一瞬にして消える。視界の半分を真っ白く塗り潰す閃光が孤島の真ん中を突貫した。数拍遅れて地響きが伝わり、耳を劈く轟音が産毛を撫ぜ、皮膚の上を静電気が走る様な不快感に身震いが止まらない。目を焼く閃光の後遺症で視界が暗く、薄闇に星の如く煌めく消しゴムの滓がちらついて鬱陶しい。火の粉が温風に煽られ踊る様に、光る滓も千々に舞い上がり、硬く目を瞑って両手で擦るも眼底の疼痛は脈打ち治まる気がせず、膝に立ち上がった末っ子が転落しないよう抱き締めに腕を伸ばして抱え込むのが精一杯だ。疼痛に合わせ耳鳴りがし出す。耳の最奥の脈打つ箇所が段々範囲を広げ、頭の芯に到達すると酷い頭痛に襲われた。

 唐突に、脳裏に白黒の絵が浮かび、凶悪な笑みを湛えて光線から身を護るハオと本日勃発する騒動を思い出して、痛む目を見開いたと思うと磁器の割れる耳障りな音がした。半ば暗い視界の中垣根を手探りで探して鷲掴み、体を垣根の方に引き寄せる。物の輪郭も色彩も覚束無い視界、周囲の音も聞き取れない耳、頭痛に見舞われ言う事を聞かない体を前に前にと進め、漸く往来に出て、緊張感を孕んだ末っ子の硬い声を案内役に、一路私達の寝泊まりする建物目指して歩き出した。早鐘を打つ心臓が苦しい、髪の生え際に汗が溜まって、溢れて顔面を流れ落ちる。胸中に悲鳴と後悔と焦燥と、色々の事が綯い交ぜになって喉が閊える気がした。

 ハオの頭上に躊躇無く降り注ぐ閃光、あれは彼を恨む人達の最期の足掻きの筈だ。つまり彼は無事と言う事なのだが、一寸の齟齬が気に掛かって無事を確認する迄落ち着かない。腕の矮躯が異常に重く感じられ、手が滑って落っことしそうで、何度も抱え直して枝葉の被さった暗い道を歩き詰めに歩き、そうして宿舎に戻る途次心配の種の人物が木陰に出迎えた。無傷のように見えた。腕の末っ子を下ろしてやると矢も楯も堪らず走り寄って、土の付着した赤色の泥除けに抱き付いた。

 純真無垢の末っ子の愛情表現に気を良くしたハオは、矮躯を抱き上げ、私達が危惧した健康状態を無言で示し、よろよろと近寄る私を認めると態々彼の方から寄って来て末っ子を抱いていない一方の腕を広げて見せた。無事なら宜しい、物語に変更は無い。頽れそうな足腰を叱咤して背筋を伸ばし、先刻の閃光と轟音の子細を問い質したが、内容は自身の記憶と寸分違わぬ酸鼻を極めたもので、当人の口から語られる真相は聞き手を聳動させるに十二分な恐怖があった。自身に光線が向けられれば、まず命は無い。何て恐ろしい話だ。

「で、どっか行くかい?」とハオは言って末っ子を抱き直した。

「君に任せるよ」

「そう。じゃ、行こう」

 折角抱き直した末っ子を私に渡し、私は収まりの良い位置に矮躯を抱いて、私達を一顧だにせず歩いて行ってしまうハオを追い掛けた。又道中、腹心ラキストさんとも合流し、四人でうねくった道を行き、草藪を掻き分け尚進むと突然道が無くなり、石を割った表面の様な崖の縁に立ち止まる。彼の持ち霊に連れられ崖の底の森の開けた場所に降り立ち、鼻の長い男性と家政婦の少女と小人の少年が悲鳴染みた奇声を上げ、鼻の長い男性は気炎万丈、居たらしい眼鏡を掛けた金髪の男性を踏み付けた。

「ご苦労だったね、アナホル」

「いえいえそんな、当然の事です、ハオ様」

「あ、初めてだっけ」とハオは私を顧みて言う。「あいつはアナホル。ナイルズのアナテルって奴の弟」

 私は鼻の長い男性に一揖し、ハオと家政婦の少女を見比べた。特に理由は無い、人が人に踏み付けられる様を初めて見た為、目の遣り場に困却した。

「ほら、ゴーレムの件、終わって二人が寝た後に見付けてね、道に迷ったって五月蠅いものだから、顔を見に行ったら顔立ちそっくりでしょう。復讐したい、て言うしさ、僕の仕事の手伝いがてら復讐するって事で承諾を得たんだ」

 五月蠅いと思い顔を見に行く、と言う事は、何か違えばハオに殺されていた訳で、彼の言葉に顔面蒼白になって空笑いする鼻の長い男性は鞭の柄を握り締めて眼鏡の男性の胸部に踵を押し付ける。すると眼鏡の男性は余程苦しいのか、記憶通りなら胸部に怪我を負った筈だが、目を凝らして踵の減り込む箇所を見て、一部変色した皮膚を認めて物語の予定調和に安堵した。

 ふと気付くと会話は進行し、腕の末っ子が肩を攀じ登って、肩越しに家政婦の少女が立つ方向を見遣った。指差して、あれ、と言う。

 自身の耳元でハオの声がした。

「狸が。良い助けを呼んでくれる」

 私は振り向く事無く鼻の長い男性の足下の眼鏡の男性を見下ろし、傷跡を見詰めて溜息を吐いた。




軽裘肥馬(けいきゅうひば)
:豊かな生活。
(意訳?
:転生とか蘇生とか欠損部位の完治とか、便利なもんだな。)

 ざっくざっく進みます。
 ムー大陸まで後何日?
 一日で大移動し過ぎと思うのですが、皆足速いですね。

 命の軽さを実感する主人公。
 これが世界中の人に行き渡ったら、どうなるのかなあ。なんて。
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