本日の試合も熟した選手一行は、競技場の脚下に広がる木造住宅街の一角、宿泊施設に泊まって、明日の第三回戦に備え眠りに就く。第三回戦の試合は一合で終わる。本来は神様の力を使う組も闘うと聞くが、記憶の白黒の人達の多くは辞退を申し出て、五人の戦士と呼ばれる少年五人の居る計三組が、自称未来王率いる星組と共に暗い海の底へ会場を移すそうだ。三組は海底の会場でも試合を辞退し、優勝者即ち星の王様に決定したハオは、大会運営委員の十祭司に奥の部屋へ連れられ、最奥の祭壇だか広間だかで永眠する。文に起こせば以上で、実に簡単明瞭、四百字詰め原稿用紙の一、二枚で粗筋を書けるに違いない。何故八百字程度の内容が、ああも数ヶ月、数年の歳月を経て描かれるか、正直解らないけれど、現に私の話も冗長で目が滑る程締まらない内容だから、已んぬる哉と呟く。
温泉を囲う小屋を離れ、石段を駆け下り先日の道を行き、海沿いの踏み固めた程度の、別段舗装も普請もしていない小道を一人悄然と項垂れ歩いた。右手に梅雨や本格的な夏を迎える頃には藪蚊等の虫が煩わしく、全身に発赤を認めて激烈な痒みを齎す事が想像に難くない薄暗い草藪を見て、左手に地面と崖の境目を判然させる天然の垣根と道沿いに林立する松を見て、只管続くだけの一本道を行く。孤島の季節柄の冷涼な夕風は、海沿いの所為もあって、肌を引っ掻く様で少し痛い。海面を、樹冠を、樹木と樹木の間を縫って頬を撫ぜる風が数年間伸ばし放題の頭髪を乱し、髪留めで纏めても、金具の下方の髪が無闇に踊る。
どれだけの時間を散歩に費やしたか知れないが、薄暮の海原を左手に望み、先程から五月蠅い腹の虫を抱えて手近の松に寄り掛かり、何気無く首を巡らせ周囲の景色を堪能する。ふと道の先に天然の垣根の途切れる箇所を見付け、其処が砂浜の出入り口と気付き、思い立って垣根の終わりに立つと砂浜の、全体は過言だが三分の一は見渡せた。潮騒の迫る垣根の其処に立ち尽くし、私は黄色っぽく汚い浜辺に蹲る巨大な人形の頭部を仰ぎ見た。脳裏に閃く暗色の外套、野暮ったいゴーグル、お菓子の様な尖った帽子、声を涸らして枇杷を掻き鳴らす二人組と陽気に歌うギターの男性、個性的な髪型のその人は時折ハオの鼻歌に合わせ弦を爪弾き、彼らは楽しそうだった。垣根の陰に身を潜め、浜辺の人形の下敷きになった花組を捜す。
花の三人娘は正直怖い、しかし恐怖の対象だから死んでも構わない訳がない、綺麗事だ陳腐だ偽善だと侮蔑されても非霊能者の現代っ子の常識や感性から言って、人様の死は単純な話で終わらない。形容し難いこの心情を、読心術を使うハオは精確に読み取り、その所懐すら彼の経験では埒も無い感慨なのだろう。否定される事は辛い。気持は解る。千年間彼が求めた理解は、非道な世の中か、将又他者を踏み躙る他者か、或いは両方、或いは全く異なる何か、前世の数十年の記憶を持つ現代の私の頭で出せる答えは、精々最愛の母親を亡くした絶望感と孤独感に同情してくれる者、と言う当人に言えば激怒は必至の考えだ。同情と言う言葉は語感が悪い、共感と言い直すのも手だが、結局どの言葉も言い回しも、彼は好かないだろう。只、彼が千年もの間希求した理解は、人は他者の中身を覗く事が困難なので、真に訪れる日は無いと思われる。前も言ったが、だから誰か最悪一人でも手を差し延べてくれる者が必要で、掴む掴まないは目前に垂れる手掌を見詰める側で、掴んだ方が心安いが、依怙地になって目を背け、尚理解を求めるなら、それは単なる馬鹿だ。我が儘も馬鹿も生温い愚か者である。
半分を垣根の葉に隠した人形の頭部が動き、転がって、地面の揺れ具合におっかなびっくり一寸顔を陰から出して見ると、人形の拳付近に大量の血痕を認めた。赤黒い塊が三つ四つ累々と横たわり、傷んだ長い黒髪を項で一括りにした半裸の男性と口髭を蓄えた厚着の男性が赤黒い塊を掴み、着物の汚れ、皮膚の上を光沢のある粘液が滑る不快感を歯牙にも掛けず横抱きにして、人形の離れた場所に置いてあった荷車に載せ、浜辺に倒れ伏す人達を皆荷台に載せて、半裸の男性─鳥のお面を被った人だ─が引き、別の出入り口があるらしく巨大人形を置いて帰ってしまった。
夕風は勢いを増して海面を泡立たせ、砂を噛む波の音が近付く垣根の陰を四つ這いになって這い出て、砂浜に下り、踝から下を一枚皮に包んだ簡易の靴の靴底越しに硬い砂の感触を覚えつつ、夥しい血痕と薄汚い色の砂の境を凝視した。暫し呆然と浜辺に突っ立ち、爪先が上げ潮の波に触れ、やっと我に返った私は身を翻して天然の垣根を背凭れに、潮に満ちる浜を眺め遣る。前世現代等しく空模様と海模様に差異はない、松籟が波の音と交わり耳障りで、しかし移動も七面倒臭く思われて、我慢して其処に座って、水平線上の夕焼けが墨汁をぶち撒けた様な真っ黒の空に変わる迄、顔を上げた儘微動もしない。
到頭日が暮れて身辺は真っ黒になり、頭上に皓々と輝く月を見て大体の時刻を考えるが、洗濯物の乾き具合や如何と気にする程度の知識で見ても、時刻も方角も判然としない。大分長い事砂浜で愚図愚図と考え込んで居たと見え、今更温泉小屋の方に戻っても誰も居ない事は自明の為、明日は明日と時間が過ぎるに任せて膝を抱き抱える。
膝に置いた腕を枕に瞑目し、北山時雨の腹の加減を忘れて船を漕ぎ、軈て本式に眠って、はっと目を見開くと月影を映した半眼の団栗眼が目睫の間にあって仰天した。誰何する迄もなく正体は末っ子だった。辺りは月明かりが頼りの真夜中で、何故頑是無い子が一人で出歩くのか、一緒の野郎共の失態に腹が立った。一人か問うと、末っ子は首肯する。
「ハオさまが、アユムよんできてって」
いつ頃から居たか問うと、今声を掛ける所だったと即答した。
「少し、お話ししても良いかな」と私は涙声で言う。
「おはなし」と末っ子は頷いて私の大腿と腹部の隙間に矮躯を捻じ込んで団栗眼を見開いた。
満目蕭条たる海原を眺めて私達は少しの間ハオを待たせ、此処で私達だけの会話をする。
つい先刻まで半眼で寝惚け顔だった筈の末っ子は、急に精彩を放って羊のママを呼び、私の左隣に寝転がったと言って人より長い鼻筋を撫ぜる仕草を見せる。目の前に稲に似た植物や泥を腹部の毛に巻き込み垂らした、見慣れたママの寝姿、嗅ぎ慣れた腐臭を思い出して手を伸ばす。無論見えないから虚空を掻くが、見兼ねた末っ子が手を取って、此処が鼻、額、頭、首、胴、尻尾、脚、腹、喉、顎、と教えてくれる。何の感触も無いが、指の腹に感触を思い出せる。霊能者は魂の感触を肌に覚えるか問うと、触れない、又は相手が接触する気であれば何となく有る、或いはフ力を用いて触れると感じ易い、と言う。その感触が生前と寸分違わぬか問うのは、それは意地悪だと思われた。
私の顔が余程不細工だったのか、眉根を寄せて目を潤ませる末っ子が首に抱き付いて来た。
「ママ、いる」
「うん。でも、私は判らない。御免ね」
末っ子は顔を上げて破顔した。自分が教えるから大丈夫、と言って、ママの耳が動いていると指差した。羊の可愛い耳が頻りに動く様子も、容易に想像出来た。恒例の謝辞を述べて、教えてもらったママの頭を撫ぜるが、其処でなく此方だと言われて、先刻と違う所に手を持って行かれた。
「オパチョは、ハオ様、好き?」
「オパチョ、ハオさま、すき」
「私は、オパチョが大好きだよ」
「オパチョも、アユムだいすき」
有難う、と呟くと、不思議そうな顔で小首を傾げる末っ子が又可愛くて、縮れ毛の丸い頭を抱えて洟を啜った。
「私も、ハオ様が嫌いじゃない」
「すき?」
「そうだね、嫌いじゃないなら、好きだね」
「アユムも、ハオさまがすき」
「オパチョも好きさ」
「オパチョも」
夜風が強まり、一層波の音と葉擦れ騒がしく、少し肌寒い浜辺で尻を暖めて、私達は会話を続ける。
金環の無い首を伸ばして私の顔を仰ぎ見て、何を見たいか知らないが俯いて目を合わすと、嬉しいか楽しいか、心中の言葉は読心術を持たぬ私が知る由も無いが、末っ子は莞爾として笑う。
「ハオ様は、長く一人で物事を考えて来て、非常にお疲れだ」
「うん」
「だから、オパチョ、肩でも揉んでおあげなさい。若しくは叩いても良い」
「うれしい?」
「体は兎も角、中身はお爺さんだから、優しく揉んで遣りなさい」
「アユムは?」
「私が遣ると、一人で揉まれているハオ様に腹が立って来て、強くやり過ぎてしまう」
「なんで?」
「羨ましいんだ。気持良さそうじゃないか」
「オパチョ、ハオさまとアユムにやる」
有難う、と言って縮れ毛の丸い頭を撫で回す。甲高い子供の声が、波の音と風音に勝って浜辺に響き、余韻が木霊するように耳の奥でいつ迄も耳鳴りとして残った。
「オパチョを、家族と思う」
「かぞく」
「お母さん、お父さん、子供、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも居るかな」
「ママ」
「ママはお母さんだね」
「アユムは」
「お姉ちゃんだね」
「ハオさま」
「……お、…兄ちゃんか、お父さんか、お……」
末っ子は目を瞬かせ、次いで見開いた目を輝かしてにこにこし出した。
「私には、ママ以外の、ママとは別のお母さんが居る。どちらも大事で、どちらも捨てられない。オパチョは、家族だ、でも、オパチョが知らない私の家族も居て、私はその家族も、オパチョも、どちらも捨てられない」
「ハオさまは?」
言うだろうと思っていた、と一つ頷く。頑是無い末っ子を通し出会った一見生意気な少年、中身はミイラ寸前の糞爺、数年間を一緒に過ごした相手は、現代っ子の常識と感性では見える所に居る事が当たり前の人だ。成る丈笑わぬよう、しかし奇妙な気恥ずかしさは隠せず顔が歪み、大変不細工な顔で末っ子を見下ろし言った。
「嫌いじゃない、なら好きだ、ハオ様はそんな人。当然、切り捨てられる人じゃない。だから」
「うん」
「星の王様だって。どうしようね」
末っ子は目を瞬いた。
以上を会話の結びにして御輿を上げて、末っ子の案内で今夜の寝床に向かった。
あれ。主人公がオパチョと真面に会話する場面を書いたの、これが初めて?
バックに流れる曲は故郷かわれは海の子。
オパチョは主人公を家族と、当たり前に思っているよ、と書きたかっただけです。