生者必滅、会者定離   作:赤茄子

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第六十六話:厭離穢土②

 入浴道具一式を小脇に抱え、末っ子に男湯女湯どちらに入るか問い、昼間自称未来王事ハオと入ったので夜は姉貴分の世話係と入る、そう言う末っ子は渋色の外套を脱ぎ捨て手拭い一枚を腰に巻き、後で全身を拭く為の手拭いを片手に携えたハオを見送った。露天風呂と周囲の森林とを隔てる垣根の手前で、彼は私達を回顧し、今日は露天風呂を止めて屋内の風呂に入れ、と警告だか予言だか知れない剣呑な言葉を言い置き、一足飛びに垣根を越えて明るい露天風呂の見当に姿を消した。地面に脱ぎ捨てられた着物を拾い、彼の言葉に従って屋内の風呂に入ろうと、弟さん一行の宿舎の玄関に回って呼鈴を鳴らした。中で軽快な足音がして、間も無く引戸が開き、家政婦の少女が応対して目を剥いて奇声を発した。一晩お世話になります、と糞爺の様に面の皮を厚くし一揖する。どうぞ、と家政婦の少女は滑らかな所作で体を退けた。

 土間は三和土で、一枚皮の靴を脱ぎ、足底の汚れた末っ子を抱いて上がり框に一足置いた。案内人を買って出て下さった家政婦の少女の先導で風呂場を目指し、脱衣所の前で一別すると赤色の布地に白抜きの女湯とある暖簾を潜り、図書館の本棚の如く列ぶ棚の、風呂場の扉に最も近い棚を選び、籐籠に着替え一式を詰め、末っ子共々着物や外套を脱いで棚に仕舞い、末っ子の頭部を分厚い手拭いで覆って屋内の風呂の扉に手を掛けた。峡谷の間の建築物にあったは廃棄物その物の浴槽とは比較にならぬ程綺麗な、又広い十数畳敷きの風呂場に感銘した。窓硝子が割れていない、罅一つ無い事に知らず総身が震え、手近の蛇口を捻り、風呂用の椅子を二個引き摺って来た末っ子を座らせ、風呂桶にお湯を溜めて、背中を洗った。

 石鹸を使って末っ子の体を洗う途中、隣の男湯の露天風呂に消えたハオに頭髪を纏め上げてから湯船に浸かるよう言う事を忘れ、その儘手を振って送り出してしまった事実を思い出し、泡に塗れた矮躯にお湯を掛けながら髪ゴムか手拭いを渡すか考え、両方渡す事に思考を落ち着けて自身の頭を洗った。先に湯船に浸かる末っ子は大声で子守唄に歌った朧月夜を熱唱し、私が体を洗い終え、扉を開けた儘脱衣所に戻ると甲高い歌声が狭い部屋に響いて五月蠅かった。髪ゴムは無いので未使用の手拭いを畳み、光源の無い、隣の照明の漏れて来る光が頼りの女湯の露天風呂の扉を開けて男湯とを仕切る壁の向うに声を張り上げた。

 ハオ様、髪の毛はお湯に浸からないように纏めるんだよ、今手拭いを投げるからね。

 相手の返事は聞かん振り、畳んだ手拭いを投げる。私は前世現代も変わらず、学校の体力テスト等で物を投げる場合、幾ら先生級友の指南を受けても中々投球技術は向上せず、到頭平均距離まで飛距離を伸ばす事が出来なかった。以上の事から私は投球、延いては投擲が不得手である。壁を越した手拭いの無事は保障出来ないし、彼が受け取ったとも思われない、後は知らんと屋内に戻って末っ子と仲良く湯船に入り、色々の歌を合唱したり輪唱したり、最後のお風呂を堪能した。末っ子が言うには、羊のママは女湯の暖簾の前で威嚇の構えで座って居るらしく、威嚇の対象は、気持悪い狸と狐の精霊と言うので、気持悪い精霊も居るんだなと感慨深く思った。

 風呂を上がって脱衣所で体を拭き、着替えを済ませ暖簾を潜って、末っ子は持ち霊のママと再会し、丁度隣の男湯の暖簾を撥ねて出て来たハオと顔を合わして今晩の寝室を尋ねた。多分蒲団がある筈だから敷蒲団や掛蒲団、枕の準備も必要と思われた。湿った頭髪を手拭いで覆って両の手掌に挟んで下ろす、彼はこの動作を繰り返して髪を乾かし、満足する迄髪を弄り、心行く迄乾かすと今度は洗髪した私の髪を乾かすと言うので、何処か適当な部屋を探して、二階建て日本家屋の渡り廊下で結ばれた離れ座敷を借りて端座した。障子戸を開けた縁側に末っ子が飛び出し輾転反側、湯冷めするから中に入るよう諭すと素直に従い戻って来た。縁側から見える小さい日本庭園を障子戸で遮った。六畳の座敷は物が無い所為か殺風景で物寂しく、此処で一晩かと考えると母屋の賑やかな明かりを恋しく感じた。

 髪を乾かし終えて、ハオは持参の櫛を突き出して私に髪を括れと言った。今日を最後と思うだけで涙が滲み、口を引き結んで櫛を取り、相手の背後に回って紙紐か髪ゴムが欲しいと所望し、猩々緋の髪ゴムが渡された。余り手先が器用ではないが不器用と胸を張れる程不器用でもなく、細い毛髪が縺れぬよう留意しつつ梳いて、ある程度梳いたら括る位置を尋ねた。彼は上と短く断言した。了承の意を行動で示し、纏めた一束を旋毛の一寸下辺りに集め直して、頬の脇に垂れる前髪の処理を尋ねようか逡巡したが、口を開く前に放置の旨を彼の方から言うので一切触らなかった。毛髪を頭部の大分上の方で束ね、会話も無く室内が森閑として障子紙越しに射し込む月光が、紙を擦り畳を焼く錯覚を起こした。鏡を透かし日光を一点集中させるなら兎も角、淡い月光で出来る気もしないから明日の物語の続きに参っていると判じた。

 気分転換に話題を物色して露天風呂で髪を上げて入ったか否か尋ねた。彼は弟さん達が私の事を化物を見る様に見ていた、見たと言っても男女別の露天風呂を隔てる壁を見遣った訳で、実際に姿を目視された訳ではない。畳んだ手拭いの末路を聞くと、指示通りに湯船に浸かっていた頭髪を纏め上げ手拭いで留めたそうだ。それで会話は終わる。結果の知れた話題程面白くないものは無い、互いに口を噤み、六畳間の四隅を転がって巻き寿司と言って笑う遊びを始めた末っ子の、畳を擦る音が座敷に響いた。

 障子紙越しに座敷に注がれる月明かりが、真新しい畳に照り返され、照明の無い六畳間の漆塗りの柱を光らせる。藺草の匂い満ちた室内に石鹸の匂いが混じり、母屋の人声も届かぬ離れ座敷に取り残された様に居座る者の、二人の心境は知らないが、私の腹の底に鉛の如き重石となって、異物感を伴い落っこちる。今共に居る二人と、明日の昼頃には通り一遍の袂別の挨拶を交わし、或いは言葉を掛ける暇も、自身の気力も無く、只無言の内に見送って、永遠の別れを演ずる訳だ。山田さんの死を実感した瞬間の再現は忌む可き醜態だが、彼らの旅立ちに慟哭し、縋り付いて生き残る事を望めば変わるのか、と考えて術無い未来に項垂れた。

 明日、言う気力があるか解らない。私は未だ座敷の四隅に寝転がる末っ子を呼んで膝に乗せ、ハオを頼むと、ハオと一緒に怪我の無いよう、気を付けて行ってらっしゃい、そう何度も言って団栗眼を瞬く末っ子を抱き締めた。

 その晩、私達は離れ座敷に蒲団を敷き、月明かりの眩しさに眠りを妨げられ、少々睡眠不足の気がある中、薄青の蔓延る翌日の払暁に目を覚ました。掛蒲団を捲る際、手の震えで身を起こす単純な動作にも難渋し、朝っぱらから目の奥が熱く痛みを宿して、目を開けても物が朦朧と見える許りで心底水気を鬱陶しく思った。同じ蒲団に寝た末っ子は小心者の世話係の無様な様を案じ、涙目で私を見上げ、着物の広い襟刳りを引っ張って胸元に顔を寄せた。直に感じる体温に目の奥の熱が氾濫し、止め処も無く流れる涙が黒い額を濡らして頬を濡らして、涙は鼻の奥に波及して鼻水迄だらしなく垂れ、私の感情に影響された末っ子も静かに涙を流した。

 朝食の時間を過ぎても姿を見せぬ私達を訝った自称未来王の腹心ラキストさんが様子を窺いに来る迄、私達は抱き合って情けない涙を流し続けた。

 不細工な顔を着物の袖で拭おうとして制され、手拭いで乱暴に拭かれ、朝食の並ぶ茶の間に行く前に顔を洗い、肩口に鼻面を押し付ける末っ子を抱いた儘朝食の席に就いた。和食中心の朝食を認め、いっかな顔を上げぬ末っ子を促し、何とか一日の活力の最初の供給を済ませ、時間も差し迫っているとの事で着替えもせず表に出た。曰く、昨日来孤島周辺を探る軍艦数隻或いは数十隻を迎撃、負傷者は治療、死亡者は蘇生、表向きは一切の死傷者を出す事無く艦を撃沈させるだけに留める。実体は、弟さん達用の攻め来る敵艦を迎撃すると言う修業らしく、ハオが協力を要請したと聞くが、今回彼は攻撃より治療、蘇生する側に回り、昼頃に大会主催者や大会運営委員の用いる伝統工芸やらで建造した潜水艦で、運営委員と選手達だけで次の会場に向かう。

 ハオ一派の瓦解し星組を残し全滅した浜辺に、今星組と他の人達が堵列して海上の軍艦の群れを眺め、数人は気落ちした風に肩を落としたり、木刀を携えた男性は酷く落ち込んで、何やら物々しい雰囲気に包まれる。

「限界になったら」「僕が蘇生する。元々、僕が作った術だ。巫力も充分有る」最初で最後の兄弟揃ってのお祭り騒ぎ、終わる時迄確り楽しもう、そんな事を言ってハオは身構え、又隣に突っ立っつ弟さんも身構えた。

「オパチョ、ハオ様を、お願いね」

「うん」

「一緒に居てあげてね」

「うん」

「楽しかったよ」

「アユム」

「オパチョやハオと居るの、本当に、楽しかった」

「アユム」

「大好きだ」

「オパチョも」

「ハオの事も、嫌いじゃない」

「だいすき」

「うん、そうだね、多分大好きだ」

「アユムもオパチョも、ハオさま、だいすき」

 中途半端に曇って薄雲越しに汚い日光の照る昼時、末っ子もハオも、選手達は皆潜水艦に乗り込み、海の底の会場へ行ってしまった。最後の気力を振り絞り末っ子に見送り旁別れの言葉を掛け、序でにと、傍に立つハオにも言うが、彼は末っ子と違って返事する事は無かった。




厭離穢土(おんりえど)
:汚れた世から逃げる事。
(意訳?
:生きるも死ぬも、言う程良いもんじゃない。
 生きるのが良い事ならハオだって九百年も地獄に引き籠もらない。死ぬのが良い事なら皆ハオに立ち向かわんし。
 どちらが良いかって?
 死の穢れと言う。穢れの満ちた魂の故郷を厭う。
 争う馬鹿が居る。争いの満ちた生者の世界を厭う。
 自分の思う楽園へ行こう。苦痛からの逃避行。)

 順調に物語通りに進む。
 一人帰らぬ人が居るけれど、子供は帰って来る。
「家族」との永遠の別れ。
 少しでも「家族」を見た、或いは近かった人は帰らない。
 それが相手の至上の幸福でも、徒人だもの、悲しいです。

 解っちゃいるが、段々面倒臭くなって来た。
 早く結末を書きたいのか、筆をぶん投げたいのか…。
 書くのは好きだけれど、上手くいってくれんもんだ。
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