列車の甲高い様な腹に落ち込む様な汽笛が高らかに轟き、貨物車内の私は親戚の小父さん宜しく永遠の別れの間際に挨拶一つ交わせなかった山田さんに抱き付いて、別段悪い事をした覚えは無いが、数ヶ月振りの親父の顔に歓喜の余り謝罪の言葉を並べ立てた。頭の中が縺れて、自身が何を言うのか判然しない。黒色の外套を鷲掴みながら胸板に顔を押し付け、自身の腰に抱き付く末っ子の細腕の感触を忘れ、背中や頭を叩いて撫ぜて、彼に何も聞いていないかと問う山田さんの言に顔面をくしゃくしゃにして頷いた。山田さんは頻りに、可笑しいな頼んだのに、と言って自分の頭を掻き毟ったり、私の頭や末っ子の頭を撫ぜた。
豪壮な響きを揺曳し列車は的皪と輝く空間を割って突入した。漫画本編最終巻の戦いの絶頂で、真っ黒の大穴に吸い込まれ様とする五人の戦士に、小人の少年の手が差し延べられ、手を握り合い鎖状に連結した子供達は生気溌溂、星の王様の癇癪を余所に銘々言いたい放題言って王様の心を揺さぶった。列車周囲の人達も騒ぎ出し、物語の顛末を知る私は、不意に星の王様事ハオの居ない世界を考えて、次いで腰にくっ付く縮れ毛の丸い頭を見下ろす。唐突に想到した自身の居る異世界の顛末に、脳天から冷水をぶっ掛けられた様な気持になり、思考を纏める為、一時末っ子の存在を意識の外に追い遣った。大事は大事だが、これが良くなかった。
ある瞬間ふっと腰の辺りが軽くなり、我に返って貨物車の表の剥き出しの壁を見遣って、床を離れる矮小な爪先が目に留まる。腰にあった筈の塊を手で探るが、当然其処は蛻の殻で、目的の人物は今正に貨物車の外に身投げして、吸い寄せられる儘真っ黒の大穴の見当に凄絶な速さで飛んで行く。現場に居合わせた大勢の悲鳴が響き渡り、その声の叱咤を受け、咄嗟に全身を伸ばして漸く届く距離の渋色の外套の裾に指を引っ掛けるも後方の人に首根っこを掴まれ引き戻され、指先に捉えた末っ子は離れて行く。喉が裂けん許りの絶叫が自身の喉から発せられ、貨物車の鉄製の扉と壁の隙間に爪を立て、少しでも距離を縮めようと藻掻くが、結局大穴に向かう矮躯を連れ戻す事は敵わなかった。
物語は順調に進捗し、母子の再会の名場面まで漕ぎ着け、余所様の揉め事が吹っ飛んだ状態の私は選手参加者諸子の視界の隅を滑り抜けて、白い空間の真ん中にぽつねんと突っ立つ末っ子を抱き締める。要するに漫画本の最後の場面を、全く見る事無く放置し、一人末っ子の怪我の有無を確かめ、佳境を迎え、越えた所の霊能者達の物語は余所事と断じて別の事に意識を集中する。抱き上げた末っ子の顔が千年振りの再会を果たした母子と十数年間顔を合わさなかった兄弟の方を向く。私の耳は、ハオの弟さんの言葉を確と拾い、遥か頭上の星の王様を振り仰いで見ると、背中を向ける糞爺の偉そうな姿に非常に腹が立った。私は先刻思い付いた事柄も含め、遥か上方の糞爺に向かって怒声を張り上げた。
「君、一寸待った、十年以上も放ったらかした弟に、たった今、兄ちゃんと呼ばれて置いて、又放置か。散々自分を兄だと言って、漸く兄ちゃんと弟に呼ばせたら、そっぽを向いて放置か」
怪しからん、と内心唸って、相手の遥か下方に居る私は首を痛める程仰け反るのを止め、直前に彼を兄と呼んだ弟さんを振り返る。
「葉さん、貴方は良いのですか、十年以上も放置されて、いざ兄ちゃんと呼んだら顧みもせず放置ですよ。此処は文句の十や二十、百や千は言っても構わない、誰も貴方を責めません」
「そうね、良いと思うわ」と賛同下さったのは許嫁さんだった。
弟さんは奇声を発し、急にもじもじし出して顔を赤らめる。優柔不断とも違うが、愚図愚図と物言わぬ旦那さんの態度に痺れを切らした風の許嫁さんが、代わって頭上の糞爺に怒鳴った。
「一寸あんた、葉に対して、他に言う事がある筈よ」
「そうだ、静かな大団円なぞあるものか、弟さんは君への不平不満で一杯だ」
「いや、別に不満も何も無いって」と慌てた様子の弟さんは叫ぶ事で私の言葉を制した。
上昇を止めた糞爺は、やおら脚下の稠人公衆の先頭に立つ私達と弟さんご夫婦を振り返り、遠目では判然しないが不機嫌そうな膨れっ面で、それ以上歩みを進める事はしないらしい。一応傾聴の姿勢を取ったと見做し、私は再度弟さんに言った。
「貴方の気持はどうです、折角兄ちゃんと呼んだのに、今度はシャーマンキングと呼ぶ事を強要する実兄に対し、何か文句、言いたい事の百や万はあるでしょう」
「桁が飛んだぞ」と青みを帯びた黒髪の少年事ホロホロさんが言った。
到頭身じろぐ事も止め、俯き加減の弟さんは足の指を動かし、心中を吐露するか否かまごまごして言葉にならない唸り声を上げる。頬を紅潮させ、我慢する風に口元を真一文字に引き結ぶ様は、私の腕の中の末っ子の指摘で判った。
遥か上方の糞爺を仰ぎ見ると、彼も又弟さんの発言を待っている様で、先程から微動もしない。
「お、…ぉ…オイラ」と弟さんは吃りながら続ける。「兄ちゃんが、…良いなら、良い。でも、オイラの気持、…は、……出来るなら、家族として、地上で遣って行きたい」
「それですよ、世間一般の十四、五歳の兄弟は一緒に居るものです、まだ離れる時期でない」
「だ、そうよ。どうなの、葉の気持に返事もせず、この儘シャーマンキングになるの」
許嫁さんの水波の立たない、寒風の凪いだ湖面の様な静かな声が真っ白の空間に響いた。
押し黙った儘頭上に立ち尽くすハオは、しかし許嫁さんの次の言葉で肩を跳ねた。
「話し合う時は、同じ目線! 下りて来なさい」
落雷の如き衝撃が辺りを聳動させ、身を竦ませるのは一人二人ではなく、勿論言い出しっぺの私も総身を震わせ末っ子を抱く腕の力を強めた。
意地が砕け、不承不承降下したハオは、弟さんの眼前に立って膨れっ面を逸らした。
「嫌だね、何故地上の地獄に舞い戻る。絶対、嫌だ」とハオは言って目を伏せる。
「うん、兄ちゃんが、そうしたいなら、それで良い」
と弟さんは力無く言い、正面に立って目線を逸らすハオは、一瞬目線を上げて相手の気色を窺うが、相手も項垂れている為顔色が判らない。天の邪鬼と言うか卑屈と言うか、ふと私は彼の横顔を見て先日の会話を想起した。彼は自覚があると言っていた。
「ハオ」と私が敬称を付けるのを面倒臭がり省略しても誰も文句を言わない。「君は、以前、自覚があると言った。色々遣って来た自覚がある、一度始めたから後戻り出来ない、そう言ったね。周りの人達は、皆地上の生を望んでいる、皆が望む地上の生を、弟さんの誘いで自分が望むのはいけない、そう思うのかい?」
口を開くのも躊躇う風の彼は、弟さん同様、もじもじし出し、外套の下で赤色の泥除けを握り締めて口元を引き結ぶ。私の正鵠を得た言葉を聞いた後方に控える選手参加者諸氏に激震が走ったか、各々拳を握って悔しがったり、舌打ちしたり、様々の反応を見せて目線を逸らす。周囲の人達、主に彼の行為に恨みを持つ人達が歯噛みして、黙って私共の会話の行方を見守った。
私は、彼の態度大いに結構と頷いて、先の言葉を掘り返して言った。
「確かに良いと考える人は少なかろう、しかし物は言い様、考え様。千年の時間の内、九百年も地獄に引き籠もった君だ、九百年の地獄より現世の百年の方が苦しかった、なら星の王様の在位五百年の内、百年を地上で、人間として生きる」
「馬鹿だな、都合が良過ぎる」とハオが半畳を入れて自分の足下を見る様に俯いた。
「と、言う事は、君は弟と地上で一緒に居る事は悪くない、と考えている訳だ。良かったね、弟さん」
私は弟さんを顧みて、弟さんは顔を真っ赤にして踏み出した。決意を表す拳を握り締めた弟さんが、一方の開いた手で、兄の手を取って詰め寄った。
「兄ちゃん、嫌なら良い、でも少しでも、一緒に居たいと思ってくれているのなら、地上に戻ろう。誰か他に兄ちゃんを恨む人が居たら、オイラが一緒に居る」
「千年間、一人で多くの物事を考え、復讐と言う一つの事を考え、誰に相談出来る内容でないし、抱え込んで悩み抜いて、こう言う結論に到ったのだろう。今、此処に、大勢の人が居る。多くは地上に帰り、今日を過ごして明日を迎え、寿命迄生き抜き、その間に沢山の事を考える。君が考える事、考えた事、皆考える、今度は皆一緒に考え、悩み、良さげな答えを模索しよう」
「無理さ」と言下にハオが言った。
「そりゃね、ご都合主義と言われたら仕様がない。君は千年前に始め、千年後の今、こうして多くの人達に自分の考え、思いを打ち明けた。千年間の犠牲と言う言葉で片付けるのも申し訳ない人達相手は、今更とか、遅過ぎるとか、色々あるけれど、君は現世に身体が有るし、これからが有る。責任を負ってこれからを諦めるのも一種の償いかも知れないが、これからが有るから、これから始めよう。なあに、百年さ、孤独の百年より皆一緒の百年だ、十回繰り返せば千年だ、でも今回は一回だよ」
「…煩い」と到頭肩を震わせ、声を震わせてハオは言った。
「今の後が有る、後の事がまだ有る、まだ考える事が有る、でも今度は一人で悩むのでなく、皆一緒に、同じ事を悩んでくれる。良いだろう、地獄の地上で、皆と一緒に悩もうぜ」
「うん、そうだな、兄ちゃん、そうしよう。オイラも、皆、一緒に考える。だから、一緒に居よう」
彼は俯いた儘動かない。
背後に鈴の鳴る様な澄んだ音が聞こえ、肩越しに顧みると白い兎の様な一本角の小鬼が居た。灯籠か何か知らない箱状の物体を先端に付けた、身の丈を越す錫杖を携え、こちらに歩み寄って、小鬼の歩幅で後五、六歩と言う距離で立ち止まった。鋭い目付きの小鬼は返答に因循している彼を見上げ、軽く嘆息すると後ろの金茶色の長髪の女性を振り返って、目顔で言葉を交わし、女性が頷いて一足進み出る。足音は無い。しかし彼は気配を察し、緩慢に顔を上げて女性の顔色を窺うらしい。
金茶色の長髪の女性は着物を着ている、彼女が千年前の母親と思われるが、この髪の色は、当時の人々に恐れられても仕方ないと思う。何故彼女の頭髪の色素が薄いか、千年前の事なぞ判然しないが、顔立ちは記憶と大分異なるだろう息子を前に、嫣然として佇む姿は優美なもので、母親の貫禄も見て取れた。
「百年後、皆さんとの土産話を楽しみにしています」と女性は言って頼もしく頷いた。
「良い酒を見繕って来いよ」と小鬼は憎らしい笑顔で腰に手を当てる。
すると私共の後方の人垣からも声が上がった。
「五百年を四百年に出来るだけ、御の字か」
「確かに地上を地獄と言うなら、地獄に居て貰った方が多少は溜飲も下がる」
「彼の悩みは、何れ地上の人々も辿り着く」
「先に俺らで悩んで、他の連中が気付き出したらアドバイスすれば良い」
「一人楽園に居られる位なら、一緒に地獄に居て貰うかな」
「良いねえ、此処に残るなら、引っ張り出しちまえ」
腕の中の末っ子が身を乗り出して両腕を伸ばした。
「ハオさま、かえろ」
人々の目前に立ち、背中が壁の役目を果たして彼の顔は衆目に曝される事を免れたが、最も近くに居る私達や弟さん達は、俯き加減の人間臭い真っ赤な顔を認めた。
一陽来復(いちようらいふく)
:悪い事が続いた後、漸く良い方に向かう事。冬が終わり春が来る事。
一病息災(いちびょうそくさい)
:何も病気しねえより、何か一つ病気持った方が長生きする…らしい。
(意訳?
:苦痛を腹に抱えていきましょう。
頭が禿げる位生きて、溜息を吐いて、気が付きゃ百歳も直ぐだって。)
こればっかは会話でなきゃ。
疲れました。
マタムネとは百年後…。
髪の色のネタは、私が高校卒業の時に思い付いた、只今書き直し中の一次創作のネタだったりします。