帰宅道中膝栗毛 作:William Sagagenji
思い付きで書いた。
反省はしている。
異世界で迎える朝も、これで七回目だ。時が経つのは思いの外早く、全く以て面白味の無いこの状況が意外にも早く過ぎ去っていくのは、素直に喜ぶべきだろうか。やや現実味のある夢と全く現実感の無い現実との境を彷徨いながら、僕は意識を現実へと引っ張り上げて目を覚ました。
朝、と言ってもまだ太陽が顔を出した様子は無く、窓から差し込む光はカーテンに遮られるまでも無く微々たるものだった。この部屋には時計が無いので正確な時間は分からないが、季節と陽光で推測するに、凡そ六時半頃だろう。
「……おはよう」
誰に、という事も無い独り言の挨拶をして、僕は身体を起こした。
まだ平衡感覚が正常に機能していない中をフラフラと立ち上がり、カーテンを開ける。四階から見下ろす光景は、周囲に背の高い建物が無いせいか押し並べて平たく見え、遠くの地平線がうっすらと朝日の存在を示唆している。世間様はまだ起床時間ではないらしい。
毎度の事だが、もう少しだけ寝ていても罰は当たらないだろうと思ってしまう。そう思ってはいても、ここ十数年間続いた生活習慣が、たかが異世界に来た程度でそう簡単に変わるはずもなく、起きてから部屋を出るまでの時間を無為に無策に過ごすのが、直近一週間の僕の朝活動だった。
あれ程鬱陶しく感じていた学校という制度も、こうして失ってみると意外と意味があったんだなあと思う。健康な生活習慣の維持という重要な意味が。
いや、どちらかと言えば僕の方が、学校という制度に適合させられていたのか。
「……帰りてえなあ」
しばらく部屋の中を歩き回り、平衡感覚が通常運転を再開するまで待つ。ようやく意識がはっきりとし出してふらつき加減も落ち着いたら深呼吸。セルフ二倍速ラジオ体操第一で心身共に完全な起床を確認したら、顔面に冷や水を叩き付けるべく洗面台へと向かう。
この部屋は完全とは言わないまでも、限りなく完璧に近い形で現代日本文明を再現している。
洗面台の蛇口。捻れば水が出る。
まだ点けてない照明。スイッチ一つで部屋を明るくする。
恐らく本物であろう観葉植物。部屋に飾れば、雰囲気を良くする。
小型の冷蔵庫。中に入れたものを冷やしておく事が出来る。
やけに消音の効いたエアコン。リモコンまで付いている。
水洗トイレ。ちゃんと水が流れる。
まるでホテルの一室だ。いや、実際この建物は『HOTEL Midori』の名を冠するホテルなのだから「まるで」も何も普通に一字一句ホテルで間違いはないのだが、周辺の文明レベルが近世ヨーロッパ風味である事を考えれば非常に異質だ。高級ホテルどころの話ではなく事実として唯一無二なホテルである。
寝間着代わりの学校指定ジャージを脱ぎ、普段着を着る。
真っ黒な長袖インナーに袖を通し、その上からYシャツを着て、無地の真っ黒なワイドパンツを履いてベルトにホルスターを装着。少しだけ肌寒いのでクローゼットから学校指定カーディガンを羽織れば、現代日本と何ら変わり映えのない若者の完成である。異世界とは。
粗方身支度を済ませると、太陽がある程度の高度に達するまでの時間がまるまる全部暇になる。普段なら読書か、或いは携帯端末で適当にインターネットを彷徨い歩くのだが、今の身の上でそんな贅沢は不可能だ。本なんて碌に存在せず、ホテルの隣に図書館はあるのだが貸し出し不可能。
活字すら且つ有らず、況やインターネットをや。
普段から使っている携帯Linux端末は手元にあれど、残念ながら充電設備の無いこの世界では単なる190gの黒い板でしかない。何時必要になるかも分かったモンじゃないので電源を切って放置している。家電はあるのにコンセント差込口が無いとはこれ如何に。
今迄の我等が故郷の先進文明に改めて深い感謝の念を抱きつつ、特にすることも無いのでうろ覚えのラジオ体操第二を踊り、それでも時間が余るので第一に戻ってループをし続ける。
そんな意味のあるかどうかを判断する価値すら無い動作を延々と垂れ流すと、ようやくお天道様が開けたカーテンの向こう側から自己主張を始めたので、僕は部屋を出た。
幾何学模様のカーペットの上を歩いて階段へ。この建物にエレベーターは無いので階段を使って一階まで下りる。四階から一階までの労力というのは、想像するよりもずっと面倒臭く手間が掛かる。まあ負担が掛かるのは脚の方なのだけれど。
薄暗い中で客の全く居ないホテルほど静かで不気味な場所も無いだろう。いや、探せば幾らでもあるのかもしれないが、日常でうっかり遭遇してもおかしくなさそうな状況を限定して考えれば、やはり思い当たる中で最大の不気味さだろう、この状況は。
他では学校や病院なんかが脳裏を横切るが、残念ながら薄暗い時間帯に学校に入った経験も無ければ、夜中の病院を駆け巡った経験も無い。そもそも、その辺に転がっているホラーゲームが安易に学校や病院を舞台にするせいで、あんまり新鮮な不気味さや不安を感じる事が無い。
「...I’m thinker to...to...to...to...」
そんな不気味なホテルの一階を歌を口ずさみながらしばらく歩き、ご丁寧に日本語で「調理室」と書かれた扉を開けて中に入る。
現代でもよく見る、普通の大型調理室だ。生憎僕は飲食店でバイトをした事は無いが、レストランなんかでちらりと見える調理場と大体似たような形状、色合いをしている事から、まあ凡そ現代のそれと大きく違う事は無いだろうと思える。
そんな有り余った設備にしたってまさか全て使う訳でも無いので、殆どの機能は割とどうでも良かったりする。
壁にあるスイッチを手探りで探し照明を点ける。床がカーペットからタイルに変わり、でもやっぱり足音らしい足音がしない中を歩いて冷蔵庫へ。今日の朝食は何にしようか、なんて考えながら、仮寝室の小型冷蔵庫の三回りくらい大きな大型冷蔵庫の扉を開けて中を見る。
贅沢を言うなら、やはり米は欠かせない。納豆があるなら尚良し。朝の主菜と言えば……魚が良いだろう、最近食べてないし。あとは適当に味噌汁でも作って、ヤクルトの一本でもあれば有難い限りだ。
さて、冷蔵庫の中身は僕の都合を一切考慮に入れてくれないらしい。
謎の液体型乳製品、何者かの卵、やたら平たい肉、様々な野菜、冷凍室には食パン?まで――当然これらの食材は僕の小さな期待を大きく裏切るばかりでなく、そもそもが正体不明の異世界製品共だ。中身は意外と充実しているが、求めている物が無いのであれば、単に色彩豊かなだけで意味は無い。
言うまでもなく米は存在しない。冷蔵庫の中にも外にも無いのだから、普通に無駄な期待だった訳だ。
「……まあ、分かってはいたけどね」
と言うか、この一週間は大体こんな感じだった。そもそもこの世界の食糧事情はごくありふれた配給制なので、本当に文句の言いようが無い。戦時下かな?
僕が日本食を食べられるのは随分先の話になりそうだ。いや、先も何も当てが無いから、日本食に有り付く機会はもう訪れないかもしれない。
悲観していても仕方ないので、兎に角今ある材料で朝食を作る。
卵を適当に割り、丁度近くにあったボウルに落とす。黄身(意外にもちゃんと黄色い)と白身(意外にも略)がほどよく混ざるよう、その辺にあったフォークで掻き回す。そこに牛乳(牛の物かどうかは知らん)を加え砂糖(であってほしい何か)を一匙。バニラエッセンスがあればそれっぽさが増すのだが、それもまた贅沢というものだ。妥協というのはこういう時に便利な言葉だ。
食パンを四枚、それぞれ半分に切り、ボウルの卵液に浸す。所謂『フレンチトースト』なる料理だ……作り方はうろ覚えだったりする。兎に角、食パンはしばらく置いて馴染ませる──本来であれば一晩中漬けるのが良いのだが面倒なのでそんな用意はしない。それでもある程度の時間は置くので、その間に他の料理に取り掛かる。
その辺に転がっているフライパンを幾つか持って来てコンロに着火。四人分ともなればマルチロール必至である。いやはや、世の中のお母さん方には
フライパンを熱し、少量のバター(それ以外に形容しようがない物体)を落とす。ジュワッという音とともにバターが溶け、香ばしい匂いが立ち上る。そこに卵を静かに落とし、隣に平たい肉(ベーコンの様な物)を並べれば、ジリジリと油が弾ける音が心地よい。こういう音を聞いていると「ああ、朝食を作っているなあ」という気分になる。異世界だろうと何処だろうと、朝食の風景に変わりはないのだ……変わりなく在ってほしい。
目玉焼きは半熟が好みだが、今回はそこまでこだわらず、ほどよい焼き加減で仕上げることにする。塩を軽く振り、蓋をして蒸らす。ベーコンはいい感じにカリカリになってきたので、先に皿に取り出す。
次は冷蔵庫内の適当な野菜でサラダを作る。レタス(らしき物)とトマト(の様なナニカ)、キュウリ(モドキ)を適当に切って盛るだけ。ドレッシングやマヨネーズなんて物は存在しないので、適当に塩か胡椒(にも似たスパイス)かオリーブオイル(仮)で十分だろう。
こういう面倒な作業が続く時ほどスープはインスタントに限るのだが、例の如くそんな物は無い。しかし、調味料棚の一番下に入っている謎の白い粉を使うと、何故か味付けに違和感の無いスープモドキが作れてしまう事を一昨日知った。
お湯を沸かし、粉末を溶かすだけの簡単なお仕事。もし本格的に作るなら野菜を刻んで炒めて……とやるべきなのだろうが、そこまでの余裕はない。手軽さとは、遍くこの世の絶対正義なのだ。異世界でもそれが通じるかどうかは知らんが。
ここで先程浸した食パンに戻る。十分とは言い難いが取り敢えず卵液を吸ったパンを、再びバターを熱したフライパンに乗せればジュッという音が鳴り、食欲をそそる甘い香りが広がる。片面がこんがりと焼けたら、ひっくり返してもう片面も焼く。焼き色が均一になるよう、ヘラで軽く押し付けるのがポイントだ。家庭科の授業を話半分で聞いていた甲斐があった。
残った卵液は、勿体無いので有効活用しよう。調味料棚の一番上にある『TEA』と書かれた袋を取り出し、中にある茶葉的なモノ(香りはほうじ茶に近い)を取り出して四つのマグカップに適度適当にブッ込む。それに先程の卵液を注げば、見た目だけはミルクティーに近いとも言えるかもしれない名称不明のドリンクの完成だ。
目玉焼きもフレンチトーストも良い感じに焼けたので、今日の料理も成功と言って差支えないだろう。少なくとも食える程度にはまともな味がするはずである。
もう一週間も大体同じ作業をすれば慣れたもの。ホテルを称する癖に料理人が一人もいないこの施設において、現在進行形で料理人をやっているのは言うまでも無く僕だ。こんなだから客が来ないんじゃないだろうか。
まあ、僕は当然一文無しなので、こういった風に労働で家賃(ホテル代、と言う感じは全く無いが)代わりに出来る事は素直に有難いけど。
壁にある「呼び鈴」と書かれたボタンをポチッと押すと、施設中のカラクリニワトリが「コ、コケー……?」と情けない朝食の合図を出す。これで皆さん、流石に起きるはずだ。
さて、今日の一番乗りは誰だろう……なんて考えながら、僕は完成した料理を皿に盛り付け、隣の食堂に並べて行った。
◆ ◆ ◆
現在、この施設──と言うか、単にこの建物──にいるのは、僕を含めて四人。一応は客人という体で迎え入れられているのは僕と
「おはようございます、お二方」
「おお、おはようさん高校生。相変わらず朝が早いねえ」
「これでも学生の身分ですからね」
僕に挨拶を返してきた、様子のおかしい上下緑色一色のスーツを着ている成人女性が、このホテルの主人である桐切迅さん。表情の全く分からない顔で会釈だけ返してきた、今時珍しい真っ当なモノクロカラーのメイド服を着た女性が、このホテル唯一のメイドであるHALさん。
二人同着とは珍しい。普段だったらHALさんの方が少し早いというのに。
「今朝のメニューは何かな? アタシはそろそろサンマの塩焼きが食いたくなってきてんだ、なんせもう一年くらい御無沙汰だからなあ」
「残念ですが、昨日の朝と変わりありませんよ。冷蔵庫の中にあるもので作ってますから」
「そいつぁ残念だ」
そう言いながら、桐切さんは食堂の適当な位置に配膳された適当な席に座って、手を合わせて一言「いただきます」と言って食べ始める。様子を見るに、味に文句は無さそうだ(文句があったとて聞き入れるつもりはないが)。HALさんも同じように食べ始める。
「全く、配給制ってのは碌に飯も選べないってのが困る。まるで十六年前だよ、なあ高校生?」
「と、言われましても。僕の生まれた年ですよ、十六年前って。流石に分かりませんよ……何があったんです?」
「ありゃそうか。いやホラ、戦争やってた時、二ヶ月くらい飯が配給制になってたんだよ。当時はまだ小学生だったがよーく覚えてる」
桐切さんは「そうか、最近の若いモンは知らねえのか」と笑ってマグカップを傾ける。
前に聞いた話では、桐切さんが
「主食が米かパンか麺の三択だったんだが、配られる米がタイ米なんだこれが! お陰で確率三分の二で中華だった! タイ米なんて炒飯以外に使い道なんて無かったからなあ」
「……そうですか」
「何だいなんだい興味なさげに、年寄りの話にゃ付き合いきれんってか」
「そういう訳ではありませんが……そういった話は平和学習で嫌という程聞いたので」
「ははん、成程。今時まだやってるんだねえ平和教育なんて」
そう言う桐切さんは、一体何歳なのだろう。恐れ多くも女性に年齢を聞くなんて愚行はしたくないが、今の話を聞くと三十代に届かないくらいだろうか。話し方の快活さから、大学生のような雰囲気も感じる気がする。
年寄りという程ではないが、高校生の身からすると大人というだけで何となく距離がある。フレンドリーな年上なんてその辺の鬼より恐ろしい。何より全身緑色の服装というのが、これまた名状し難い恐怖を場に浸透させて来る。殆ど戦隊モノと同列だ。
「そういう訳なら、君がもう少し興味のありそうな話をしようじゃあないか。この停滞した感のある現状を打開するような、明るい未来のお話しをしよう」
何と言うか、いちいち大げさな表現を使いたがる人だ。
確かに、既に聞き飽きた昔の戦争の話よりかは興味を唆られるが、『現状を打開』とは一体何を指し示しているのだろう。今丁度目の前にある、一週間ほど同じメニューが続いたエセ英国式(見方によっては仏式でもある)朝食の事であれば大歓迎なのだが。
「昨日、件の『教会』のお偉いさん方と話がついた。やろうと思えば今日にでも会いに行けるらしいが……どうするよ高校生?」
「……『会いに行ける』って、つまりどういう経緯で、一体何をしに行くっていうんですか」
「そりゃあ勿論、『元いた地球世界への
「────それは」
それは、どういう意味を。
そう言いかけて止めた。そんな事は自分自身が承知している。何せ自分から言った事なのだから。
当然ではあるが、僕は自らの意思を以てこのトンチキな世界に来た訳では無い。癙蝨にしたって同じだ。僕らは何らかの形で巻き込まれたのか、何かの意図を持って飛ばされたのかは分からないが、不意に不本意に不条理にもこの世界に迷い込んだのだ。
帰れるのならば、帰りたいに決まっている。
とは言え。
「教会、ですか」
「そう、『教会』さ。協会でも境界でもなく教会、『ルチーフェロ教会』──つまりは宗教団体──キリスト教の異世界バージョンとでも思えば良い。例の如く一神教の連中さ。日本人には馴染みが薄いかもしれんが、な」
「それは困った。僕は宗教屋さんとは相性が悪くてですね、出会い頭に喧嘩することもしばしばあるんですが……余り関わりたいとは思えないのです」
「まあ我慢したまえ、辛抱だよ高校生。豪華絢爛な祭服を着て踏ん反り返った俗物に頭を下げるだけで帰れるってなりゃあ、これほどまでに安い買い物も無いって奴だ」
「……帰れるんですかね、それは。そもそも前に聞いた話では『転移者の帰還は想定していない』って話じゃありませんでしたっけ」
「その辺の詳しい事情は知らねえが……まあ、何かしら話せる事はあるんだろ。実際、件の『勇者召喚』の技術的な主導者は『教会』だからなあ」
『勇者召喚』、何という冗談みたいな名前の儀式だろうか。冗談であればどれ程良かったか。
僕と癙蝨がこの胡乱な世界に飛ばされた直後に聞いた、冗談みたいな儀式。曰く「別世界から神の祝福を受けた人間を召喚し、世界を救ってもらう」とか何とか。他力本願の誤用だろうか。
有り体に言えば、単なる未承認国家による邦人誘拐である。新潟県沖の神隠しと同等レベルの国家犯罪だ。冗談で済んでほしかった。
思えば、何という不条理だろう。誘拐犯の一人に向かって、被害者であるはずの僕が帰路を訪ねる必要がある、と言うのは。
無事に帰れたら覚えてろよ、異世界人共。
「仕方ありません。偶には宗教屋さんとお茶をするのも悪くない……と思いたいですね。素直に帰還方法を教えてくれれば良いんですが」
「じゃあ決まりだな。出発は……昼にしよう。昼頃になったらガレージ集合という事でよろしく」
「わざわざ有難う御座います。何から何まで手配してもらって」
「なあに、同郷の
お嬢さん──癙蝨の事か。
少しだけ考え込む。何せ行先は宗教施設だ──癙蝨にとってはこの世に存在する全ての事物の中でも、上から数えた方が早い程には相性が悪い。下手をすれば──下手しなくとも、僕より遥かに。
しかし、此処は異世界だ。このホテルから一歩でも外へ出れば、身の安全は保障されない。日本の政府機関も無ければ大使館も無い、文字通りの人外魔境。
「連れて行きます。相手が宗教屋さんともなれば、やはり人手は多いに越した事は無いですし」
「へえ、意外と心配性なんだな」
「そうですね、僕は心配性なんです」
そこまで言って、僕は一つ、忘れていたことに気付く。
そういえば、当の本人──癙蝨がまだ、食事の席に着いていない。普段と比べると随分遅い、寝坊しているのだろうか。推理小説であれば、今頃死体になっている頃合いだ。
「……流石に起こした方が良さそうですね。失礼、癙蝨の様子を見てきます」
「おう、いってら」
そう言って食堂を離れようとした時、「カシワさん」と呼び止められて一瞬止まり、振り向く。
「ソシツさんは裏庭にいますよ。食堂に来る途中、窓から様子が確認出来ました……何か作業中の様でしたので、お声掛けは致しませんでしたが」
「あ……それは、どうも」
声の主は、今の今までずっと黙っていたHALさんだった。余りに意外過ぎて反応がとても微妙なものになってしまったが、今の僕には驚きの方が勝っていた。
メイドというのは、これまた冗談みたいな存在だ。僕の人生経験上、メイドというのは、秋葉原にのみ生息する珍獣の類だと思っていた。幾ら此処が異世界だとは言え、当然の如くホテル内をメイドが闊歩している様子は、不思議な諧謔を呼び覚ますものだ。
軽く会釈し、食堂の観音扉から出る。目指すは裏庭。
この碌でも無い世界の中で、唯一僕がまともに気を許せる友人──癙蝨の様子を見に行こう。
続くかどうかは知らん。