帰宅道中膝栗毛 作:William Sagagenji
極度の緊張状態が──実際に「緊張」していたのは僕だけだったにせよ──緩和に向かう。空間の一点に集中していた得体の知れないエネルギーが霧散し、何事も無かったかのように空気が揺らぐ。風も吹かなければ金属音も鳴らない。
僕は癙蝨の肩を掴んで座るように促すと、思いの外抵抗も無く癙蝨は座る。
「…………」
先程まで非物質的な殺意を直射されていた筈の大司教は、特段変わらず──強いて言えばその薄気味悪い笑顔を解いた程度で──向かいの席に座り直している。ここまでの異常性に触れておいて平然としているのは、単に鈍感なのか、はたまた肝が据わっているのか、自身に何が起きようとしたのか理解していないのか。或いは、異世界においてこういった事は驚くに値しないレベルで
その詐欺師めいた表情作りだけは見習いたいものだ。
「…………連れが、失礼しました」
「……いえいえ、私が要らぬ発言をした為で御座います……お詫び申し上げます」
取り敢えずこの場を取り繕いたいのは僕も大司教も同じだったようで、双方共にガワだけで中身空洞の謝罪を敢行する。
要らぬ発言も何も、向こう方だって本当に「要らぬ発言」と思っている訳でもなければ、僕等も別に発言自体にキレていた訳でも無いので、本当に只の茶番謝罪だ。くっだらねえ。
桐切さんは……もう此方への興味は失ったようで、何時の間にか出されていた茶(のようなもの)をシバいている。何しに来たんだろうかこの人は。本当に僕らの案内だけか?
もう少し何かこう……此方側のフォローをしてくれたって良いんじゃないだろうか。
「とは言え、喚び出しておいて『帰れません』を、ハイそうですかと簡単に聞き入れる訳にもいかないのは確かです。良ければ論理的で理性的な理由をお伺いしても?」
何であれ、話を元に戻す必要がある。僕は、なるべく話が拗れないように注意しながら言葉を選ぶ。大人しくなったかと思いきや未だ威嚇を止めない癙蝨は、心苦しいが無視である。
「そうですね……」と、大司教は少しばかり言い淀んだ後、こちらもまた言葉を選びながら話を続ける。
「貴方がたを帰す方法が無い、と言うのは、第一に、そもそも我等は貴方がた異邦人を喚び出す方法を把握しているわけでは御座いません」
「ふうん、それはまた大きく出ましたね。現にこうして僕と貴方が話しているというのに、話し相手を招く方法が『分かりません』と?」
「ええ、ええ、まさしく。まさしくその通りで御座いますとも。そもそも我等は貴方がたを直接喚び出している訳では無いのです。我等は只、主に捧ぐ贄を以て、主に乞い願うのみに御座います。『主よ、御心ならば、我等を導く光をこの地に降ろして頂けます』と。貴方がたはそうして
────ナンテ。
────────ナンテコトダ。
────────────何という、碌でも無い事だ。
「主の奇跡を、我等がどうして理解出来るでしょうか」
つまりは、完全にオーバーテクノロジーじゃないか。何でそんな物に内憂外患を任せるんだ。何時使えなくなるかも分からない、何時壊れてもおかしくない、そもそも『主』とかいう……神と言うか何と言うか、上位存在に国家興廃をブン投げるというのは、完全に失敗国家も末期国家じゃないか!
そんなモノに僕を巻き込むんじゃないよ!
桐切さんに連れられて部屋を出る。「最近は疫病が酷くてですね。異邦人の皆様方も、どうかお気を付けて」と曰う大司教をガン無視し、暴徒化寸前の癙蝨の右手首を堅く掴みながら廊下を歩く。この動作とも言えぬ動作に一体何の意味があるのかとは思うが、こうでもしないとまたさっきのように──見境無しに僕の見知らぬ奇妙奇天烈奇怪不愉快な暴力沙汰を振り蒔かれるやも知れんのだ。と言うか、僕自身が現状不愉快なので、僕が己を諌める為にもまた必要な行為であった。
ええい、全く酷いモンだ。
廊下を歩いて歩いて、また大きなドーム状の空間に出る。来る時には気付かなかったが、この広い空間はどうやら礼拝堂の役目を担っているようで、幾人かの信者が空間の中心に対して祈りの姿勢を取っている。
こんな碌でも無い宗教にも、普通に信者が居るのは気に食わねえなあと思いながら、信者に合わせて空間の中心に視線を移し────。
「……桐切さん」
「ん? 何でぇどうした、何かあったか?」
……どうしたも何もあるか。
僕は言葉が出なかった。どうにも喉が言う事を聞かなかったので、空いている左手でその中心を指差す。
「嗚呼、
広い空間の中心。机のような、台のような。そんな物の上に鎮座する、普通によくある、よくある代物。今じゃ何処でも見るだろう。今は何処にでもあるだろう。
だから何だ、だからこそ
「まあ、何だ。あんまり深く考えなくても良い。十字架だとか仏像だとか神棚だとかお地蔵様とか……そういう祈りの対象さ。聞いた話によると、どうも
だったら何だ。それは、あんな形をして良い理由にはならんだろう。幾ら何でも
────ようやく、喉が機能する。
「何で……何で、ラップトップ・パソコンが
◆ ◆ ◆
……ブ──ンブ──ンブ──ンブ──ンブ──ン……。
桐切さんの運転の元、車は唾棄すべき宗教の街ヒンノムから、歪な俗世ツァーリツイン市の『HOTEL Midori』へと帰路を辿っている。癙蝨は昼間の全てに飽きたのか、まだ日も完全に沈んでいないというのに一足早く眠ってしまった。
僕はと言うと、完全に目を覚ました脳髄を今更落ち着かせる事も叶わず、只々車窓の景色が前から後ろへ流れるのを無心無気力に眺めているだけである。
今日はもう疲れた。
「いやあ、しっかし……アタシとしては、君が言語系統の魔法を使えた事の方が意外だったけどねえ。今日は通訳のつもりで構えてたんだぜ」
エンジン音を軸に周囲の音がバックグラウンドを奏でながら、ついでとばかりに桐切さんの言葉を耳に運んでくる。
「僕が使える訳ではありませんよ……『翻訳魔法』自体は癙蝨のものです。正確には、僕が聴覚で拾った言語を一旦癙蝨に送り、癙蝨の脳髄の演算能力で翻訳をした後、僕の思考回路に送り返す形で擬似的な『翻訳魔法』を再現しているんですよ」
「……んん? よく分かんねえや。もう少し簡単に説明してくれい」
「僕自身は魔法を使えないので、癙蝨を翻訳サイト代わりにして翻訳を行っているんです。此方から発話する時も大体似たような仕組み……だった気がします」
「嗚呼……成程。今日になっていきなり異世界人と意思疎通が出来るようだったから吃驚したぜ、アタシは。昨日に徹夜のお勉強でもしたモンだと」
「まさかそんな。……あと別に、今日が初めてという訳でもありませんよ。普段から……食材の配給を取りに行く時とか、配給の列でお隣さんと話したりとか普通にしますし。そもそも、向かい隣の図書館で資料漁りをしてる時点で気付いてくださいよ」
「えっそうなん?」
と言うか、僕は此処に来た初日と今日以外でホテルの外へ出た桐切さんを見た事がない。この人は普段、一体どういう生活をしているのだろうか。まあ偶に訪れる客は──泊まっていく訳でもないので『客』という表現が正しいかどうかは兎も角──居るので、人付き合いが完全に無いという事は無いのだろうが。それにしたって、外へ出なさ過ぎだ。
話に出てきた『翻訳魔法』については、僕も仕組みを詳しく知っている訳ではない。さっきの話だって、癙蝨の拙い解説を僕なりに噛み砕いた解釈でしかない。そもそも分からないから『魔法』なのであって。
魔法というのは、基本的に『人智の外側』なんだ。
「そうだ、そういや高校生、ものっそい今更な……確認しておきたい事があんだけど、良いかい?」
「? どうぞ遠慮なく。答えられる範囲であればお答えしますが」
「ああそうかい、じゃあ……」
桐切さんは一旦そこで言葉を切り、続けて言った。
「お嬢さん、『魔法』を使えるんだな。初めて知った」
「……そうですが」
何を今更。
この流れで、本当に今更な質問が来ることってあるんだ。初めて知った。素人質問を素人がしているような感覚だ。
「シツコイかも知れんが一応聞いておくと────何か、『異世界転移特典』とはまた違うんだよな?」
「ええ、勿論。その『特典』についてはよく知りませんが……癙蝨の魔法は、正真正銘『元々持っていた能力』という認識で間違いありませんよ」
「……へぇ」
ミラー越しに、桐切さんが感心したような表情を見せる。いや、あれは……感心じゃないな、多分。あれは、動物園で珍獣を見た人の顔だ。幾らか好奇心の混ざった顔だ。
「いやあ実のところ、前の世界じゃあ魔法使いの知り合いも居なければ、実際に魔法を見たこともなかったんでなあ。異世界に来てからなんだぜ、魔法の実物を見んの。いやまさか、今になって同じ日本人で魔法を使える奴がコッチに来るとは思わなんだ!」
「……それもそうですね。癙蝨でかなり慣れていましたが、そもそも魔法使い自体が珍しいものでしたね」
「珍しいどころの話じゃあない! そもそも昔は、『魔法使い』なんて胡乱な存在、全く以て居なかったんだぜ高校生。君が生まれる前の話さ!」
そう言って、ケタケタと笑う桐切さん。今の話にそんなに面白い要素があっただろうか。この人の笑いのツボはイマイチよく分からない。
「アタシがまだガキの頃──小学生くらいの頃は、魔法使いなんてのはテレビジョン……公共放送の中だけの存在だった。御伽噺かアニメーションか漫画か……兎に角、大真面目に魔法なんてのを語る奴は居なかった」
「……らしいですね。話にはよく聞きます」
「それが、何時の間にかぐるりと回って、何時の間にかオカルトめいた事物事象が街ん中歩き回ってらあ。『宇宙の法則が乱れる!』って奴だ、戦争ってのは、何もかも変えちまうモンなんだなあ」
「…………」
異世界に来てまで、平和学習を受けるとは。
何か、前にもあったなこの流れ。
先の戦争を、ここまで勢い良く
小学生の頃から年に一回程度、体育館に集められて聞かされる『戦争体験談』を思い出す。ああいった話は大抵──核兵器が云々とか、東京のキノコ雲がどうこうとか、都市丸ごと消滅とか──豪快だけれども何となく後ろ向きで、壮大過ぎて何も分からないモノが多かった気がする。多分、話をしている本人達も、何が起きたか未だに分かっていないのだろう。
どうやって分かれと言うんだ、タッタ一週間で世界の都市という都市が軒並み滅んだ、なんて不愉快で不条理な話を。
「お偉いさんが言うには、遥か昔から『魔法』ってのはあって、戦後復興の為に仕方無く波及させたって話だがねえ。笑えるぜ、『知識は、やはり独占されていた!』なぁんて、ねえ」
「昔の空気感は知りようもありませんが、事実として『魔法』は独占状態であった訳ですし、現状だって『今更出し惜しみなんて無理』というのが行政府並びに魔法使い共の本音でしょう。大気には魔力が充満し、戦略兵器は核から魔法に取って代わり、いよいよ物理学の教科書にまで『
「良い事だ。いやあ、知識が独占されずに下々の民にまで波及する──良い時代になったモンだよ全く」
その割には、全く嬉しそうには聞こえないけれど。
まあ、色々と思うところはあるのだろう。僕にとっての魔法は、物心が付いた時には既に存在した技術だった──一方で、桐切さんにとっての魔法は、人生の途中にポっと出てきた未知なる者共なのだから。
「それにしたって、そこの眠れるお嬢さん、感情と行動が直結し過ぎやしないかい? 今日みたいに、あんなポンポン魔法を使われても困るってんだ」
「あれでも一応、マシにはなって来てるんですよ。大目に見てはくれませんか?」
「昔のアタシなら『無理だ』っつったろうなあ。今なら少しだけ大目に見てやるよ」
「まあ次は無えけど」と言って、また笑う。よく笑う人だ。此方だって
「人間情緒の形成期なんですよ。癙蝨はまだ十六……思春期真っ盛りですので」
「十六なら『もう』だろう? 高校生活も後半戦じゃあないか」
「それを言われると此方の立つ瀬が無いのですが、まあ最善は尽くしてるつもりですよ」
「何でえ高校生、君はお嬢さんの教育係か何かかい?」
「はい、多分」
そんな字面からして大層面倒臭そうな仕事に就いた覚えは微塵もないが、僕の現状を客観的に見ると多分そうなる。実際、僕のバイトの内容だって大体そんな感じの業務内容だし。
教育係。
世話係。
最終責任者とも言う。
「何だっけ、『吸血鬼』だったっけ? お嬢さんの種族。まさか
「貴女の使う……『ステータス』だか何だか、兎に角それが何処まで正しいものかは知りませんが、概ね合っているんじゃないですかね」
「概ね、ってのはどういうこったい高校生」
「英米式分類法だと『吸血鬼』でしたね。準大陸式だと『人狼』、カトリック式だと『悪魔』、日本式だと『妖怪Ⅱ種』……人の形を模した人外の分類基準は、世界的に統一されてないんですよ。特に──癙蝨のように、何らかの伝説や民話に出て来ることのない正体不明な『何か』の場合は、分類が適当になりがちですし。そう思うと、この世界は英米式で動いてるんですかね?」
「そんな分類法、初めて知ったぞ。何だなんだ水臭い、学校で教えてくれりゃあ良いのに」
僕に言われても。
別に、魔法なり人外なり、そういった人智の外側の連中を無理くり分類するのに何か根拠がある訳でもない。そんな物を教科書に載せる方が問題になりそうだ。そもそも分類できないからこそ「未知」であり「魔法」なのだから。
「そんなんで
「……どういう意味です? それは」
ミラー越し、先程までずっと口角を上げていたその顔面が、何時の間にか塵芥程の感情すら見せない無表情になっている。目だけが──目だけが僕を見て、僕に対して何かを問い掛けている。
何だって? 『オカシクなったり』だって? そりゃあ
────何故だろうか。
「正体不明で何時暴発するかも分からん、不可解不明瞭摩訶不思議な奴を四六時中側に侍らせて、アタシだったらとっくの昔に発狂してるぜ。────そこんとこはどうなんだい? 頭がイカれっちまわねえか?」
「別に────────慣れて、ますから」
……ブ…………ンンンンン……。
というエンジンの音が、座席の下から聞こえて来た。癙蝨の寝息がピッタリと止んだ。
「へえ、
と、桐切さんは静かに、しかしはっきりとそう言った。今回は笑わなかった。
「君が此処に来た時からずっと言ってる『帰りたい』ってのがどうにも理解できねえんだ、高校生。何が理解できねえって、『帰りたい』って言う割にはあんまり取り乱してねえトコだなあ。コイツぁ矛盾だぜ。異世界に来る奴なんざ大抵皆──転移チート持ってはしゃぐか、現状に困惑して取り乱しながら寝言を言うかの二択さ。────それも
「……貴女も一つ、やってみれば分かるでしょう。……自分の理解の及ばない、
無性に何か言い返したくなって、僕はそう言い返した。反論するみたいに。口答えする子供みたいに。
他に、『慣れている』以外に、何か言い表せる言葉はあったのだろうか。癙蝨のそばに居る事に耐え得る方法を、『慣れ』以外で言い表せるのだろうか。
多分、無いんだろう。
「慣れているんです」「へえ、そうかい」
だから、そういう事なのだろう。
慣れているんだ。
何か特別理由がどうだのこうだの、そういう事は、無いのだろう。
「話は変わるんだけどさ」
「はい?」
「何時からやってんだ? その『教育係』っての」
「話が変わってなさそうですが、まあ昔からです」
「へえ。やっぱり狂ってんのか?」
「まさか。それに、さっきは『危険』と言いましたが、別に安全装置が無い訳でもないですし、ちゃんと行政の手も入っていますからね。貴女が想像しているよりも僕個人に掛かる負担は少ない……と思っていますが」
先程の……何とも言い難い空気は何処へやら。桐切さんの視線は前方に戻り、運転に集中する。
……そういえば、さっき桐切さんは「異世界に来て初めて魔法の実物を見た」と言っていた。つまり、そもそも桐切さんは地球世界の日本では魔法を見る機会が無かった──という事でもある。そうすると、一体彼女は何処まで日本の魔法事情を知っているのだろうか。
「僕の方から話を変えますが、桐切さんは《疫病神》について何処までご存じです?」
「おいおいおい、馬鹿にしてくれるじゃねえか。アタシが幾ら勉強嫌いだからって、これでも大学は出てんだぜ、社会一般常識くらいはまだまだ覚えてらあ」
そういって、桐切さんは記憶の隅から思い出すように、少しばかり顔を上に向ける。
「嗚呼、ちゃんと覚えてるさ。《疫病神》────存在するかどうかも分からん、稀代の魔法使いだろう? アタシが日本にいない間に消えてなきゃあ、他の意味はない筈だ。陛下を除けば────日本でもベストワンの魔法使いだろうって話だ。こんなオカルトが社会常識になってんのは
「……桐切さん、よくご存じで」
「馬鹿にしてんのか」
馬鹿にするしない以前の話──日本人たるもの成人までに一度は超常的な何かを目にするものなので、「見たことない」事の方がおかしい訳で。文字通り「常識を疑う」のも無理は無い……筈だ。まあ畢竟、桐切さんは本当に運悪く魔法に触れる機会が無かったのだろう。
「で、アタシを試すようなマネして、何か面白え事でもあんのか?」
「では、癙蝨の『癙』の字を訓読みで意味を取ってみては如何でしょうか」
桐切さんは数秒程黙りこくった後、眉に皺を寄せてミラー越しに僕を見る。
「……とても『安全装置』が働いてるたぁ思えねえがな、現状を見る限りじゃあ」
「それはもう、まさか国家の切り札、《疫病神》が異世界に拉致されるとは、誰も予想しなかったでしょう。僕が経験した中では……今の癙蝨は今迄で一番『
何の制約も無く、何の制限も無く。
拘束束縛繋縛掣肘規定規則抑止抑圧要件条件制馭頸木手枷足枷桎梏羈束────凡そ全ての障害も無く。
行政の手が入っている魔法使いに有るまじき状態。
「碌でも無えなあ。そいで以て
「つまりは、そうです」
これも全部──異世界だとか神だとかが原因だと思うと、本当に碌でも無い。
「成程、成程。どうりで帰還に執着する訳だ。そりゃあそうだろうなあ、帰る理由と責務があるんだもんなあ」
車が右へ傾き、車窓の景色が緑色から灰色へ──ツァーリツインの城壁へと移る。
「とは言え、なんだが高校生。アタシは君が《手綱》に成り得るとも思えんがなあ。相手は人外魔境の魔法使いだぜ。何でえやっぱり君も人外的な何かかい?」
「さあどうでしょう。僕は自分を人間だと思いますが、それも結局は自己評価です。もしかしたら人間の皮を被った人外かも知れませんよ」
「かもなあ。まあ君の
果たして、僕なんかに他人に語れるような背景があるんだろうか。癙蝨の事はその全てがとことん異常な存在ではあるが、翻って、僕自体は特段何か突出した人間要素がある訳じゃない。僕は単なる一般人だ。常人だ。そう、自覚している。
強いて言うなら、僕の隣に癙蝨が居る事だけが──異常な事なのかも知れない。いや、
「どうだい高校生、良い機会だ。自分の身の上話を語る気はあるかい?」
「ありませんよ。と言うか──これ以上は語る内容がありませんね。僕自身に、それ程内容なんて物は無いでしょう」
「へえ、どーだか」
そう言うと、桐切さんの様子が──ミラー越しの視線が、何となく胡乱な空気を醸し出す。嫌な空気だ。何かを探るような目……違う、何かを
「──高校生、名前は……『カシワ』だったっけ?」
「正確には『
「そうかい。────────本名は『
「………………はい?」
何故。
何故、それを。
今、何故それを言った? 何故それを知っている?
「ッそれは────!」
「穂谷基宏、16歳独身。千葉県立第二明星高等学校の二学年、成績は中の下。中学二年の頃からバイトに励んでおり、現在のバイト先は国防省の陸軍局経理事務、勤務態度は良好也。最近では特に近衛──」
「癙蝨、精神汚染だ! 攻性防壁をアクティブ、第三章を無修正でループ再生!
「……今やってるから、慌てなくて良いよカシワちゃん」
寝ている筈の癙蝨の、白と黒がランダムに配置されている髪が一面真っ黒に染まり、続いて少しばかり小さな円形の模様が僕の視界の前面に現れる。
「──師団の……何だこれ、ッあまっアガッギャアッコ゜ッッ!!」
車が大きく左右に
反撃は確かに効いたようだ。
「油断も隙もあったモンじゃないよ迅ちゃん。でも相手が悪かったね、私はそういうのには慣れっこだよ……一昨日来やがれー」
「ヴォエッきったねえなあ何だ今の!? 茶色い映像が勝手に頭ん中に……うげえ、SAN値削れる……」
「他人の記憶を勝手に読むからです、自業自得でしょう。……桐切さん、魔法は使えないんじゃなかったんですか?」
緑色の塊がのた打ち回る。
自業自得も何も、そもそも記憶の傍受は犯罪だ。重犯罪だ。何やってんだこの人は。本当に油断も隙もあったもんじゃ無い。まあコッチの使った攻性防壁代わりの精神汚染術式も禁忌指定だが。
正当防衛だ正当防衛。
「……『転移者特典』だよ高校生。<解析>スキルの応用さ……<ステータス>と同じように、対象の表面上の来歴程度なら簡単に辿れる超便利機能だぞぅ」
「成程そいつは便利そうですね。面接の書類選考が必要なくなる程度には生産的だ。とは言えそれは重犯罪ですよ」
「記憶傍受は市民権剥奪又は8年以上のちょーえき、だよ。今回は大目に見るけど次は無いからね、迅ちゃん」
「……へぇい」
マトモに聞いたんだか聞いてないんだか分からない返答を返す桐切さん。まあ、流石に懲りただろうから、また僕の記憶を盗み見ようとは思わないだろう。しかし──。
しかし、何の事はない。桐切さんも、存外にイカれていた──只々それだけの事だった訳だ。
思えば、此処に来てオカシクなかった事など何一つとして無い。
今まさに戻ってきたツァーリツインの街、象徴的に鎮座する現代建築の『HOTEL Midori』にしたって、或いは、今乗っている
今更、宗教施設にノートPCがあったところで、気にしても仕方無いのかも知れない。
そんな事を思いながら、僕は癙蝨の髪を──真っ黒から再びモノクロカラーのランダム配置に変わった、その綺麗な髪を見ていた。