一 変身
網戸ごしに空を見る。満月が光っている。
今日の狩りは失敗だった。クエスト内容はジンオウガ一頭の討伐。下位だからさほど苦労することもないだろうと高を括っていたが、逃げたジンオウガを見失ってしまった。
手負いのモンスターを放置しておくと、復讐しに村まで下りて来る可能性もある。
己の慢心が招いた結果だ。明日、確実に仕留めなくては。
戸が鳴った。風かと思ったが違うようだ。起きて確かめるのが面倒くさいなーとゴロゴロしてる間も鳴り続ける。誰か外にいるのだろうかか? 鍵はかかっていないため、開けることが目的ではないようだ。では一体何を目的に?
おれは体を起こし、ロウソクを点け、戸を開けた。
「わわっ」
全裸の少女が驚きの声を上げた。歳は15、16ほどだろうか。瑠璃色の瞳に、右の目元には細長い傷。白銀の髪が背中まで伸び、体つきは華奢だが出るとこは出ていた。
少女は戸に体重をかけていたために、戸のスライドに合わせて上体がねじれ、小ぶりな乳房がぷるんと揺れた。少女は瑠璃色の目を丸くしていたが、おれに気付くとぱっと顔を明るくした。
「やっと見つけたぞニンゲン!私と交尾しろ!」
そう言って少女は八重歯を見せた。
「何を言っているのかさっぱり分からない」
いったいどういうことだこれは?見知らぬ少女が全裸で夜這いしに家までやって来たなど、官能小説でも見受けられない。
「ニンゲンの生殖器は……ここら辺か?」
少女はおれの下半身で鼻をくんくんさせた。
「ちょっちょい待て待て」
慌ててひっぺがす。
「遠慮するな、私は適齢になったばかりだぞ。元気な子を産めるぞ」
「いや遠慮するよ! 淫婦を頼んだ覚えはない!」
「インフ? 何だそれは?。いいから私と交尾しろー! 交尾、交尾ー!」
「わああ! とにかくお前中入れ!」
おれは少女の口を塞ぎ、力ずくで家に入れた。こんなところを誰かに見られたらやばい。
「なんか服着せてあげるから、お前は早く帰れ」
「貴様と交尾するまでは帰らん」
「さっきから交尾交尾言ってるが、どうしておれなんだ?初対面だと思うんだが」
「強い雄の子を産み、より強い子孫を残す……。当たり前のことだろう? それに、初対面ではない。今日、会っているではないか」
はてと首を傾ぐ。一生頭に焼きつきそうな容姿なのだが、心当たりない。
「そうか、やはりこの見た目では分からんか……私は、貴様に殺されかけたジンオウガだ」
「そんな馬鹿な」
笑おうとして、頬が引きつる。八重歯、瑠璃色の瞳、白銀の髪、犬のような匂いの嗅ぎ方、全裸であること、言語の不自然さ、そして目元の傷。あらゆる要素が、彼女がジンオウガであると告げているようであった。
「思い出してくれたようだな。それでは始めるか」
「待て待て待てい」
「むう……やはり私では釣り合わないと言うか。同族では強い方だと自負していたのだがな……」
少女は寂しそうに俯いた。
「ならば、私を殺すがいい!」
「いや殺しもしないし」
「何故だ!?さっきはあんなに殺そうとしていたのに!」
「お前が人間だからだよ。つーか、お前がジンオウガだとして、どうしてそんな姿になった?」
「それについては、私もよく分からん。傷を癒そうと丸鳥を喰おうとしたが、丸鳥を見つける前に限界が来て、仕方ないから近くにあったキノコを食った。そしたら意識を失って、起きたらこの姿だ」
「……ちなみにそのキノコってのは、どんなキノコだ?」
「紫色で、食えそうにない匂いのキノコだ。まさか、それを食べたせいで?」
「……その可能性はある」
紫色のキノコとは、おそらくドキドキノコのことだ。このキノコは食べると何が起こるかわからない奇妙なキノコだ。腹が膨れたり、逆に腹が減ったり、元気が出たり、失ったり……。その怪異さを利用した怪奇小説に、人がドキドキノコを食べてモンスターになる、という話がある。ならば、モンスターが人になることもありえるのではないか。しかし所詮はフィクションの話だ。彼女が作り話をしているという可能性も、十分にある。
「そうだったのか。この体は小さいし、遅いし、弱いし、雷光虫も集められないし、五感も鈍るしで散々だ。だが、この体は強い貴様と交尾ができるから、まあよいと思ったのだが……できないとなると……私はどうすればいいんだ……森で生きることすらままならない……こうなったら、力ずくでも私と交尾してもらうぞ!」
「だからしないっての!」
突進してくる少女の肩を押さえつける。少女は獣のように息を荒くし、畳をだんだんと踏みならした。
「つーか、お前は人間なんだろ?ならお前が産む子は人間だぞ?」
少女はぴたりと止まった。
「な……私はジンオウガだぞ!?なら産まれる子もジンオウガに決まって……」
「だから、お前は今、人間だろ?」
おれは少女の肩から手を離した。少女はしばらく黙り込んでいたが、やがて決意したようにおれを見上げた。
「それでも構わん!」
「構ってくれよ!」
再び攻防が始まった。このままでは拉致があかない。
「分かった、分かった、交尾してやる!」
おれは彼女の話を信じることにした。
「ほんとか!なら、この手を離してくれ」
「しかしお前は今人間だ。人間であるからには、人間のルールに従ってもらう。それが守れたら、交尾することも考えてやる」
「分かった守ろう!そのるうるとやらを!」
「人間は初対面の異性といきなり交尾はしない。一定期間の交際を経て初めてことに至る」
「ふむ……その期間とはどれぐらいだ?」
「それは個体差による。最低でも一ヶ月ぐらいだな」
「長いな……繁殖期が終わってしまうぞ」
「嫌ならいいんだけど」
「いや、文句は言わん!貴様と交尾できるなら!」
「そしてその間は、お前に人間として振舞ってもらうことになる」
「ニンゲンの行動をするとは屈辱だが、貴様の命令なら何でも聞こう!まずは何をすればいいんだ?」
「おれの名前はアベルだ」
「いきなりどうした」
「人間は初めて会った人には、お互いの名前を交わし、その名で呼び合う。それがルール1だ」
「なるほど。私はジンオウガだ」
「そういうことじゃない。それは種族の名前であって、お前自身の名前ではない」
「私自身の、名前……?」
「ないならおれがつけてやる。そうだな……ジーナ、でいいかな。一文字同じだし。今日からお前の名はジーナだ。よろしくな、ジーナ」
「ジーナ、それが私の名前か。よく分からないが、よろしくアベル」
「よし。では、ルール2だ。人間は男女問わず、身体を洗う時と交尾の時以外は服を着る」
「お前が私を殺そうとした時に着ていたモンスターの皮か」
「それは戦う時専用。普段はふつうの布の服だ。今おれが着ているようなやつな」
「何故戦いに役立たないのに着ているんだ?意味がないだろう」
「人間はな、身体を晒すことをしないんだ。特に生殖器、女だったら乳房はな」
「なるほど、弱点を服で隠すということか」
「まあ、おおよそそういうことだ」
「というわけで服を着てもらいたいんだが、あいにく夜中なので呉服屋も空いていない。ということでおれの服を着てもらう」
「あれがいい!」
ジーナは壁にかけられているジンオウガ装備を指差した。
「だから、あれは戦い専用だから普段は着ないんだって。……つーか、同じ種族の皮だぞ?嫌な気分とかしたりしないもんなのか?」
「そんなことはない。ジンオウガを倒した証なのだろう?強さの証拠であり、誇りだ。あ、でも、アベルの誇りということは、私が着ていいものではないな」
ジンオウガは一切群れることない孤高の種族だ。ジーナには仲間とか、家族とかいう概念はないのだろうう。これから教えてやらなくてはな……。
「とりあえずは、これを着ていろ」
おれはタンスからワイシャツを取り出した。
「ほら、両手を広げて」
ワイシャツを着せる。ボタンを留めている間は特に強烈な罪悪感に襲われた。袖がかなり余ったので、四回折ると、ちょうど長袖の長さになった。
「なんかゴワゴワする……脱ぎたい」
「そのうち慣れる。よし、ちょっと立って見ろ」
体のラインはワイシャツによってすっかり覆い尽くされ、膝上までの丈のワンピースのようになっている。
「次は下着なんだが……」
トランクスを履かせようとも、大きすぎてずり落ちることは目に見えている。絵的に更にまずいことになるが、ふんどしを履かせてやるほかない。
「アベル、排泄する時はどうするんだ?これでは引っかかって出ないぞ」
「排泄する時は脱ぐんだよ」
「でも、脱ぐのは外に出る時と体を洗う時だけって……」
「排泄に関しては、後で説明するから……」
おれは何とかふんどしを履かせるという難関を乗り越えた。下手に気を配ると余計に時間がかかるため、開き直ってやった。おかげですっかり目に焼き付いてしまったが、まだまだ序盤だ。こんなところで立ち止まるわけにはいかないのだ。
「随分と時間がかかったな……」
「明日からはもっと早く履けるやつにするから。さあ、ルール3は排泄についてだ。これは最重要と言っても過言ではないぞ。人間は排泄の際、余程のことがない限りトイレを使う」
「トイレ?」
「こっちに来い」
我が家のトイレットルームにジーナを案内する。
「入ったら、まず扉を閉める。そして、鍵をかける」
「外的から身を守るためだな!」
「おおよそそうだ。そして、下穿きを脱ぐ」
「やはりいちいち脱がなくてはいけないのか。面倒だな」
「脱いだら、便器にまたがる。そして便器に便を放つ。この時、外さないように気をつけること。終えたら、この紙で穴を拭き取る。服が汚れてしまうからな。使った紙も便器に入れて、最後に流す」
おれはレバーを引いた。
「わっ、水が流れてきた!」
「そしてふんどしを履き直し、外に出る。これで終わりだ。分かったか?」
「理解はしたが、やはり実感がないとな。アベル、やってみてくれ」
「断る!人間は他人に排泄を見られることが嫌いなんだ」
「そうか。私と同じだな」
「なら要求しないでくれ……」
さて、服と排泄を覚えさせた。見てくれはもう、普通の少女だ。問題は中身である。彼女は単に人間社会を知らないだけではなく、人間の感情というものを知らないだろう。それは一朝一夕で身につくものではない。だから、今後村人と関わらせて行く間に、じっくりと教えるつもりだ。というか、今教えるのは面倒くさい。
「今日教えるのはここまでだ。寝よう」
おれは押し入れから客用の布団を出した。
「これがニンゲンの寝床か」
ジーナはおれが喋ろうとする前に、正しく布団に潜り込んだ。おれもベッドに入る。
「おやすみジーナ」
「おやすみ?」
「ああ、挨拶の説明を忘れていたな……起きたらおはよう、寝る時はおやすみ、朝会ったらおはよう、昼はこんにちは、夜はこんばんはと言うんだ、人間は」
「多いし、面倒だな」
「おれも割とそう思うよ」
「ところでこれはルールじゃないのか?」
「ルールは守らないといけないけど、これは別にしなくていい。でもやった方がいい」
「よく分からない」
「水は飲まなくてはいけないが、丸鳥は食わなくてもいい。他の食い物があるから。でも食えた方がいい。だろ?」
「よく分かった」
「じゃあ、おやすみジーナ」
「おやすみアベル」
ロウソクを消し、目を瞑る。
勢いでジーナを家で育てるような流れにしてしまったが、本当にこれで良かったのだろうか。ジンオウガに戻ることに賭けてドキドキノコを食わせるべきだっただろうか。記憶喪失の子だと説明して施設に引き取らせるべきだっただろうか。
でも……そうしていたらおれは後悔していたと思う。彼女は全裸でおれの前に現れた時から、もう庇護の対象なのだ。
……断じて、みだらな考えがあったわけではないぞ。……多分。
「アベル、起きているか?」
「ああ、よく分かったな」
「呼吸で分かる。アベル、寝られない」
「どうしてた?」
「近くに何かがいながら寝るのは初めてで、落ち着かないんだ。いつアベルが私を殺しに来るかと、つい警戒してしまう」
「そうか。それでいい。おれもジーナに牙を向けられるんじゃないかと警戒しているぜ」
「じゃあ、別の場所で寝よう」
「それはしない」
「どうして?」
「お互いに、信じ合える間柄になりたいからだ」
「シンジアエルってどういうことだ?」
「そのうち分かる」
「そう言わず、教えてくれ」
「おやすみ」
「無視するなよ、アベル。シンジアエルって何だ。なあ…………寝たか。……本当に警戒しているのか!?」