絶え間なく降り注ぐ雨。その間を縫うように足音が近づいていた。
微かに高鳴り出す胸の鼓動を諌める。
足音は三角座りをする私の手前で止んだ。
「髪、すごいことになってんな」
一番見たくて、一番見たくない顔。
傘もささずに、人のことを言えないほど髪を濡らして、アベルはやってきた。
「……何よ」
「お前は、おれを、受け入れてくれていたんだよな」
「……」
「お前を仲間だと認めていなかったのはおれの方だった。すまない」
どうして、頭を下げるのよ。余計にみじめになるからやめて。
そう思っても声にはならない。
「……そうそう、ジーナがうちに来た日、お前、初めておれを飯に誘ってくれたよな。あれ、結構嬉しかったぜ」
……だから、やめて。
「……それにしても、さっきは驚いたぜ。まさか布団にまで入ってくるとはな」
あああああ!その話もやめて!
「……何せ、以前読んだ恋愛小説と似た展開だったからさ。ほら、お前が奪っておいて官能小説だとのたまったやつだよ」
この後に及んでシラを切るつもりかこの変態は。……尤も、私が言えることでもないが。今朝は本当に頭がどうかしていたし、今もどうかしている。
「……もしかしたら、あの時から既に、お前はおれを仲間だと認めてくれていたのか?」
どきりとした。私は答えられなかった。
私がアベルにそのような態度を取り始めたのはごく最近だった。しかし心中に限定するなら、いつから始まったのか私にも分からない。
多分、明確なきっかけなどなかったのだ。
「なあ、フウカ。見ての通りおれは人の気持ちを考えられない愚か者だ。でも、考えられるようになりたい。だから、もう一度宣言する。おれはお前を一人前にするための、ユクモ村専属ハンターになる」
アベルは真っ直ぐに私を見つめていた。
「そして、ずっと一緒にいてやる」
「えっ……」
私の頭で大タル爆弾Gが爆発した。ただの爆発ではない。複数個設置されたそれを、竜撃砲で起爆したぐらいの凄まじさだ。
「あ」
失言に気付いたのか、アベルは目を逸らし、頭を掻いた。
「ち、違うんだ、語弊、語弊が生じた。変な意味じゃない!」
私も死ぬほど恥ずかしかったが、ここまで狼狽するアベルを見たのは初めてだったから、何か追い討ちをかけなければならない気がした。
私は立ち上がった。
「く、来るか!?」
アベルは防御の構えをとった。
「謝らないといけないのは私の方よ」
私は彼につかつかと歩み寄り、腕を押しのけた。背中に腕を回し、爪先立ちをする。そして目を瞑りーー。
唇を唇に当てた。
遠くで雷が鳴った。
顔を話すと、当惑するアベルと目があった。
「……えっと……フウカ、これは……」
「あああああああああ!」
私は発狂して、全速力で逃げ出した。
ずぶりとぬかるみにはまり、盛大に転倒する。冷たい泥パックを被ることになったが、唇に残る熱は消えていなかった。
唇……。
「〜〜〜〜〜〜ッッッッッ!」
沈みたい。いっそこのまま全身を泥の中に沈めたい。エリア移動して、砂漠に出て、ボルボロスとして生きるのだ。ちょうど頭から湯気が出ているので、私には素質があるようだ。明日からオルタロスを食べて生きます。
「おい、大丈夫か!?」
「きゃああああああ!来るなああああああああああっ!」
自分からキスしておいてこの被害者じみた言い方。最低である。最低である私にはボルボロスすら格調高い。オルタロス……いや、凍土のマカライト鉱石だ。壁に埋まって一生頭を冷やします。
「どうしたんですかフウカさん、ドロッドロのビッショビショじゃないですか!」
「うん。ちょっと……ね」
部屋の布団で永久にジタバタするには、まずはこの身体を洗わなくてはならない。
そう思って浴場へ向かう際に通ったカウンターで、コノハがそんなコメントをした。
「アベルさんと何かあった?」
ササユがにやにらしながら尋ねた。
「ない!!」
「そ、そう」
なかった。何もなかった。
本当に何もなかった!
「チミチミ、待ちたまえ」
しわがれた声に呼び止められる。いつの間にかギルドマネージャーが定位置に座っていた。
「後でアベルちゃんと、村長とで大事なお話があるからね」
「お話?」
「とりあえずお風呂に行ってきな」
「分かりました」
ギルドマネージャーからの話は、私とアベル、二人合わせていっぺんに告げられることが多い。村周辺でブナハブラが大量発生しているから退治してくれとか、遭難者がいるから救助に向かってくれとか、時にはハンターの仕事を越えたことを頼まれる。
何にせよ、こんな状況で再びアベルと顔を合わせることができそうにもなかった。いっそ風呂から上がらなければいいとも考えたが、ユクモ村のハンターとしての使命感がかろうじて打ち勝ち、私は浴場を出た。
集会所に戻ると、ギルドマネージャー、村長、アベルがテーブルを囲っていた。
「やあ、遅かったね。まあ座りなさい」
私の席はアベルの隣しか残されていなかった。無論、猛烈な恥ずかしさが私を襲った。
ギルドマネージャーは一枚の紙を置いた。
「古龍観測所からの調査結果だよ」
そのタイトルを見て、やはりそうかと納得した。
「アマツマガツチ……ですか」
古龍観測所とは、古龍の生息地域や生態を調査、研究する機関である。由緒ある機関であり、ギルドマネージャーの手からその報告書が出たということは、その内容は事実とみなして問題はない。
「意外に驚いてないみたいだね」
「ええ、まあ……」
嵐龍アマツマガツチは伝承として古くから村に伝わっているだけで、その存在自体は認められていない。あくまでお伽話の領域だ。
しかし私は人になったモンスターや、古龍と呼ばれるモンスターを目にしてきた。モンスター関連で驚くことはもうないかもしれない。
「この報告書によれば、調査用の気球が突風で墜落させられている。嵐龍の姿形は視認できていないものの、自然的な風でなかったことは確からしいね。そしてもう一つ。ユクモ村に頻出するようになったジンオウガやアオアシラは、観測隊が墜落させられた付近にいた個体であることが分かったそうだよ。つまり、嵐龍に住処を追いやられたと考えられるわけだ。以上のことから、嵐龍が存在する可能性は限りなく高い、とのことだ」
「……アマツマガツチが、この村に来る可能性は?」
私は尋ねた。
「まだ調査中らしいね。しかし……恐らく来る、とアタシは踏んでいるよ」
「私もです」
村長が同意した。
「遥か昔から、この地域一帯はアマツマガツチに脅かされてきましたから」
ああ、そうか。
村長や、ギルドマネージャーのような竜人は、ヒトとは比べら物にならないほど長い時間を生きていた。彼らにとって、私たちが言う伝説は、経験にすぎないのだ。
「しかしこの、ジンオウガやアオアシラの頻出が嵐龍の存在に関連しているってところは、アベルちゃんも推察していたね。気になって観測所に聞いてみたんだが、ビンゴだったようだ。流石は元ドンドルマの専属ハンターってところかな」
「恐縮です」
「フウカちゃんの伸びも、ここ半年でめざましい。チミの指導のおかげかな?」
「おれは何もしてませんよ」
「ひょひょ、謙虚だね。とにかくチミの能力は誰もが認めている。それは優秀なハンターが集まるドンドルマとて例外ではない。何度も戻ってくるように言われているそうだね?」
アベルは苦笑した。
「ええ、ありがたいことに」
「……戻るつもりはないのかい?」
「戻りませんよ。自分は多分一生ユクモ村の専属ハンターです。もしアマツマガツチが来ても、自分が討伐します」
ギルドマネージャーは声高らかに笑った。
「ひょひょひょ!頼む前に頼まれてくれたか!それじゃあその時は、よろしく頼むよ!」
村長も微笑を浮かべる。
「ありがとうございます、アベル様。村を代表して、感謝致しますわ。でも、不思議ですね。貴方は自由を愛していましたのに」
アベルは頭を掻いた。
「まあ……一度宣言してしまったもんで」
「フウカちゃんも、厳しいと思うが頼むよ。今のチミなら、いけるはずだ」
私はぽかんと口を開けていた。
「……アベルは、アマツマガツチを倒すために村に来たわけじゃないの?」
トンチンカンな発言に、ギルドマネージャーは首を傾げた。
「アベル様はフウカ様を一人前に育て上げるためにこの村に住むことを決意したのではなかったのですか?」
村長が言った。
「そもそも嵐龍を匂わせる情報自体、一ヶ月前のものだよ。アベルちゃんが来たのは半年ほど前じゃなかったかい?」
どうやら、勘違いをしていたらしい。アベルの書いた手紙の内容は事実だったが、それは村にとどまる理由を示すものではなかったのだ。
身体中の力が抜け落ちていくのを感じた。羞恥というよりは、安堵の方が大きかった。
三人の視線が私に集中していることに気付くと、続いて自身の状態にも気付いた。
「こ、これは、あの、その……さ、さよなら!」
私は席を立ち、目元をこすりながら、早足で集会所を出た。
ドスジャギィ討伐の帰り道、茶化すつもりで言った言葉。まさか私に帰ってくるとは思いもしなかった。
明日から、どんな顔して会えばいいのだろう。
分からない。分からないけど、今は眠ろう。この満ち足りた感覚が消えないうちに。