「おはようアベル」
「おはようジーナ。昨日のことを覚えていたな。偉いぞ」
ジーナはふふん、と得意げに踏ん反り返った。ただの少女にしか見えないが、一応彼女はジンオウガ……らしい。寝て、思考をリセットすると、本当にただの少女にしか見えない。いや、ただの少女だろう、これ。ただの少女に裸ワイシャツを着せ、トイレのお世話をするおれはひょっとしたらとんでもない変態なのではなかろうか。
まあいいか変態でも。
「寝れたか?」
「問題ない、体は好調だ」
寝れてはいないが、大丈夫と言いたいのだろう。
「布団はこうやって畳むんだ」
「それよりアベル、腹が減った!肉食いたい、肉ー!」
おれの家には水ぐらいしかない。いつもなら集会所で食うのだが、今日はそうもいかない。
「ちょっと待ってろ。買ってくるから」
「狩りに行くのか?私も手伝うぞ!こんな体だが、小物ならなんとか……」
「お前は外に出るな。鍵を閉めて、おれ以外の人間が来ても開けるな。いいな?」
「どうしてだ?私も外に出たい!」
「お前はまだ人間になってから日が浅いし、ルールも身についていないから、外に出せない」
何よりその格好では外に出せない。
「分かった。迅速に頼むぞ、アベル」
おれは迅速に弁当を買い、迅速に呉服屋で服を買った。店員に白い目で見られたが、気にしない。狭い村なので、おれが女物の服を買い漁ったという噂も迅速に流れるかもしれないが、気にしない。
「あ、アベル」
声をかけられた。ハンター仲間のフウカだ。胸元がご開帳された艶かしいレウス装備を着て、太刀をひっさげている。
「おっす」
さりげなくジーナ用の服が入った紙袋を後ろに隠す。
「昨日、ジンオウガ討伐失敗したんだって?それも下位!情けないわねー」
「うっせ」
「ところで今何隠したの?」
「なんも隠してねーけど」
「いいじゃん、見せてよ」
この女には見られたくない。見られたらとても面倒なことになる。フウカはおれの背後をとろうと高速でステップを踏み、おれもまたとられまいと高速で回転する。目が回る。
「どんだけ見られたくないのよ……まあ、いいけどね。それよりアベル、一緒に朝ごはん食べにいこーよ!」
「もう弁当買っちまった」
「お昼用にすればいーじゃん!行こうよ!」
「断る」
「むうっ、私からのお誘いを断るなんていい度胸……じ、じゃあ昼、とか……」
「急いでるんだ、またな」
「あっ……もう。つれないなあ」
「遅いぞアベル!もう帰ってこないかと思ったぞ!あ……これは肉の匂い!?」
「これは弁当だ。こうやって開ける」
「おおお!」
数量限定ガーグァ肉弁当。おれも甘いものだ……。
おれは犬食いを始めようとしたジーナを制した。
「人間ルールその5。人間は箸を使って食う」
「箸?」
「これだ。こいつで食い物を掴むんだ」
「そんなもの必要ない!」
「箸を使わないならおあずけだ」
「そ、そんなあ……」
こうやって練習風景を見ていると、箸をマスターした自分が天才に思えてくる。
「ルール6。人前で涎は垂らさない」
「無理だ。涎を止めるのも無理だし箸で掴むのも無理だしこの空腹に耐えることも無理だああああ!」
発狂するジーナを見て、自分が村に来たばかりの頃を思い出す。おれも始めは全然できなくて、彼女のようになったものだ。こんな時、おれは確か……。
おれは箸で肉をつまんだ。そして、ジーナの口元に持っていく。
「ほら口開けろ」
「……いいのか?」
「今回だけ特別だ。次からは自分でできるようになれ」
ジーナは食い入るように箸先の肉を見つめていたが、ぷいと顔を逸らした。
「……じ、自分で食える。助けなんて、必要ない」
「じゃあおれが食うわ」
ぱくっ。うまっ。
「ううう……」
ジーナはそれから何度も挑戦したが、あと少しのところで肉が箸から滑り落ちてしまう。しばらくして、ジーナは箸を置いた。
「……アベル」
ジーナの顔は真っ赤になっていた。
「肉を……食べさせてくれ」
絞り出したような小さな声。
おれはジンオウガが、他人に頼ることのない孤高の種だと改めて気付かされた。交尾のためなら何でも言うことを聞く!といったジーナの態度が、忠実な犬のような態度として認識させられていたのだけれど、全くの誤解だった。
「ほら、口開けろ」
ジーナは目を瞑ったまま口を開いた。八重歯がのぞいた小さな口に、肉を突っ込む。
「うまいか?」
「……」
ジーナはごくりと飲み込んでから、また口を開けた。
いかんな、ジンオウガがここまで可愛いとは……。
今回だけ、と自分に言い聞かせて、すぐに次の肉を食わせてやる。飲み込むと、また口を開ける。また食わせる。
屈辱に歪んでいたジーナの顔は、次第に満たされたように朗らかになっていった。
結局食べ終えるまでにかなりの時間を要した。野菜も与えようとするとジーナは拒んだが、野菜も食べないと人間は死ぬと脅して無理やり食べさせた。
「野菜、まずい……」
「食い終えたら、ごちそうさま、だ」
「ごちそうさま……野菜はまずかったけど、肉、美味かった。あと、米って食い物も、なくていいけどあっても良かった」
「あとでまた練習するからな。次からは一人で食えるようになれよ」
「わ、分かっている!」
ジーナはろくに使いもしなかった自分の箸を、おかしな持ち方でぎゅっと握りしめた。
「あまりキョロキョロするなよ、ジーナ」
「う……うむ」
おれとジーナは並んで村の通りを歩いていた。ジーナはおれがさっき買ってきた簡素な服を着ている。もちろん下着も履いている。
たまに声をかけられる度に、おれらはこう反応する。
「親戚の子を急遽預かることになったんだ」
「ジーナです。よろしく」
村人たちの反応は驚くか、ジーナの可愛さを讃えるか、おれに怨みの言葉を吐くかだった。
「こんな可愛い娘と同居……!?許さねえ……」
村人の怒りに反応すると、ジーナは目を三角にしたが、沈黙を貫いてくれた。
おれは村長に、彼女と同居すると伝えることにした。ジーナの存在を隠し切るのは無理だ。なら、人間社会に適応するしかない。そのためにはまず、住人の一人として受け入れてもらわなければならない。
おれはジーナに最低限の常識を教えた。と言ってもジンオウガだということを話さず、おれの親戚として振る舞え。また人を傷つけるな、ぐらいしか言っていないが。
「あらアベルさん。おはようございますそちらの可愛らしいお嬢さんは?」
村長はいつものように、イチョウの木の下のベンチに腰掛けていた。
「おはようございます。親戚の子で急遽うちで預かることになりまして」
「ジーナです。よろしくお願いします」
「ふふ、よろしく。私がこの村の村長よ」
「ソンチョー?」
「この村の代表ということです。まあ、大したものじゃありませんけどね」
「ボス、ということはアベルより格上!?私、目上のニンゲンにどう振る舞えばいいか分からない……どうしよう、アベル!」
「静かにしてりゃ大丈夫だ」
「格上ではありませんよ」
村長が言った。
「ってことは格下か同格?」
「こらっ口を慎みなさいジーナ。ほんともう、この娘はもー常識がなくてですね」
「その態度……やっぱりアベルが格下なんだ!」
「おっと急用を思い出した~それじゃあそういうことなんで村長さんまた今度!」
そう言っておれはジーナを連れてその場を去った。
離れたところの草むらで、ジーナは言う。
「あの女、やはりアベルより強いようには見えない……どういうことなんだ?」
「人間は基本的に年功序列なんだ。年上を敬う。力の強さも敬意の対象になることもあるが、そこはあまり関係がない」
「強さは関係ない……信じられないな。強くなければ、生きられないというのに」
「一部おれのような奴らが強ければあとは弱くても構わないんだ。そいつらは安全が保障されているからな」
「情けない奴らだな。自らを守る手段を持たないとは」
「ジンオウガから見たらそう見えるかもな。でもな、人間は全員が自分の身を守るための力を持つことは必要なくなった。それほどに人間という種としての力が強いということだ」
「分かった。だが、なんか、納得いかん」
「それはおれも度々思うよ。さて、ジーナ。風呂行くぞ」
おれは唐突に話題を変えた。
「フロ?」
「身体を洗う温かいお湯があるところだ」
「温泉のことか!ちょうど身体の汚れが気になって来たところだ!すぐ行こうアベル!」
「ジンオウガも温泉を知っているのか」
湯に浸かっているジンオウガを想像してみると、少しほっこりした。
「アベル、こっちは家だぞ」
「いいんだよこっちで」
この村のギルドは温泉と隣接している。またおれの家はギルドに隣接している。だからいつでも温泉に入れるのだ。
番台のアイルーと例のやりとりをして、二人で脱衣所に入る。
「移動時はタオルで弱点を隠すのが風呂のルールだ」
「いつ何時も油断は禁物、ということだな!」
「おおよそそう」
浴場に入ると、ジーナは歓声を上げた。
「温泉!ニンゲンになっても入れてよかった!すっごく気持ちいいんだよな~これ!」
「ニャニャ!犯罪の匂いがするニャ!アベル、その娘は誰ニャ!」
この村の温泉は混浴であり、男女で入っても問題はない。その代わり、怪しい行為に至らないよう、ジュース売りを兼ねてアイルーが見張っている。
「急遽うちで預かることになった親戚の子だ。犯罪ではない」
「ネコ。番台のネコも然り、貴様は何故モンスターの癖に人間に媚びへつらっている?」
「失礼な小娘ニャ!アベル、教育はしっかりしておくニャ!」
「すんません。ほらまだ行くな、ジーナ。まずはお湯を身体にかける」
「面倒だな……早く入らせろ!」
ジーナにお湯を三回かけてから、風呂入りを許可する。ジーナは湯船に向かってダッシュした。
「あ、こら危ない!」
おれの注意も手遅れで、ジーナは滑って頭から転倒した。
「いったあい!クソ、ニンゲンの皮膚はどうしてこんなに弱いんだ!」
ジーナは頭を押さえたまま、よろよろと湯船に入った。肩まで浸かった時、苦悶に満ちていた表情は解き放たれたようになった。
「はあっ、気持ちいい……溶けそうだ……」
「よかったな」
おれも入る。気持ちいい。おれたちはしばらくの間、静かに温泉を満喫した。
「……なんだか、身体が熱いな……」
「人間だから体温が上がるのが早いのかもな。もう上がるか?」
「でもまだ上がりたくない……」
「のぼせちまうぞ」
嫌がるジーナを引っ張り上げ、身体を洗わせる。おれは終始アイルーの視線にびくびくしていた。ほっとしたことに、ジーナは一人でしっかり身体を洗えていた。おれが直接彼女の肢体をタオルでこすった日には即、ブタ箱行きだからな。
「風呂上がりはあのネコからドリンクを買うのが常識だ」
「アイルーニャ」
おれはネコからドリンクを二本もらった。
「なんだこの液体は?果物の搾りかすを混ぜたものか?」
「ドリンクも知らないニャんてアベルよりも田舎者だニャー。いいからさっさと飲むニャ」
おそるおそる口にするジーナ。
「……うまい!なんだこれは!なんだかよくわからんがうまい!」
「よかったなジーナ」
「ネコ、うまいぞこの液体!」
「だからドリンクだって言ってるニャ!」
服を着て、ひとまず家に戻ることにする。その途中、ギルドを通ることになるのだが、そこで受付嬢のコノハに声をかけられた。
「アベルさん!誰ですかその娘!?」
おれはすっかり慣れた説明をした。
「へえ、可愛いですね。アベルさんの親戚とは思えません!」
「るっせ」
その時、ジーナが低い声を出した。
「アベル、この女から離れろ」
「どうしたジーナ」
「この女は、アベルを狙っている!アベルは渡さんぞ!」
隣にいたギルドマスターが噴き出した。もう一人の受付嬢であるササユもくすくすと笑っており、コノハだけが鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「ななななな何言ってるんですかジーナちゃん!取りませんよ!」
「怪しい……」
「さっさと帰るぞジーナ……」
おれたちは家に戻った。出る時とは違うギルドの廊下から入ったため、ジーナはアベルの巣だ!と驚いていた。
「ただいま!」
家を出る前に教えた挨拶もしっかりと覚えている。ジンオウガという種としてそこそこ知能が高いため、記憶力はいいようだ。
「ジーナ、何でコノハにあんなこと言ったんだ?」
「さっき言っただろう。アベルを狙っていたんだ」
「だから人間同士は基本的に殺しあわないんだって。それもコノハがなんて、ありえない」
「そういうことじゃない。雄としてアベルを狙っている、ということだ」
「へ?」
「アベルを前にした時の目線、呼吸、発汗が他の雌と明らかに異なっていた。きっと発情のサインだ」
「そんなこと分かるのかよ……すごいなジンオウガ」
「私の動きを読めるアベルの方が凄いけどな」
「……待てよ。それじゃあおれが興奮しても分かるわけ?」
「ああ。アベルはさっきの温泉と昨日の夜に、私に対して発情をしていた」
「マジかよ……うわ、恥ずいな。ジーナ、発情を読むのはいいけど、読めても隠しておいてくれ。人間は気持ちを隠したがる生き物なんだ」
「それは私も同じだ。自分の考えが知られてしまうことは恐ろしいことだ。今後注意する」
「助かるよ」
それにしても、コノハが、まさか、おれを……。ぐふふっ。
いや待て落ちつけ、ジーナが出鱈目を言った可能性もあるのだ、思い上がってはいけない。
「まあ、その話はさておいて、だ。おれはお前のようなモンスターを狩りまくるハンターだ。だから今日もモンスターを狩りに行こうと思う。問題はおれが狩りに行っている間、お前はどうするかだ」
「アベル。私も戦いたい」
「……薄々、そう言うんじゃないかとは思ってた」
「しかし私は弱い。今の力では、ジャギィにすら勝てる気がしない……」
そう言って、ジーナは小さな拳を握りしめる。
「教えてくれアベル。私はどうしたら貴様のように強くなれる?」
「戦いの強さなら、まずは慣れだな。その体を自在に動かせるようになれ。次に装備だ。強固な鎧を着れば死ににくくなり、強力な武器を持てば殺しやすくなる。そして何よりも大事なのが、ここだ」
おれは自分の頭を指差した。
「頭突きか?」
「違う。考えることだ。どうすれば勝てるのか、どうすれば生き延びられるのか、戦略的に考え、実行する」
「私もアベルと戦った時、色々考えていたんだが……。あの尖ったのには当たらないようにしよう、とか」
「そしてもう一つ、頭には最も重要な役割がある。仲間を想うことができる、ということだ」
「仲間?思う?」
「そのうち分かる」
「またそのうち分かる、か……。アベル、それが分かった時、私は強くなっていると思うか?」
「ああ。と言うか、おれが強くしてやる」
「……ありがとう」
ジーナは微笑んだ。それを見て、おれの決意も強固になった。