雷狼月山記   作:アンディー012345

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二十四 雷狼月山記

 ソフィアとグレンは、無事に逃げおおせたことだろう。

 私は坂で足をすべらせ、五メートルほど転がり落ち、泥だらけになって座り込んでいた。

 アマツマガツチが来ている様子はない。しかし、暴れる音は確かに聞こえる。向こうでアベルが戦っている。たった一人で。湧き出る不安と罪悪感を押し込めて、目を瞑る。今の精神状態では到底戦えない。アベルはそれを読み取って、撤退の命を下したのだ。心を落ち着かせた者にしか、あそこで戦う資格はない。

「フウカ、怖いか?」

「え……」

 目を開ける。ジンオウ装備の少女がそこにいた。

 蒼の鎧に、ジンオウガの毛があしらわれている。その艶はG級のものだ。露出された腹部は透き通るように白く、しなやかだ。少女は、流れるような銀色の髪が顔にまとわりつくのを乱暴に払った。目の下には見慣れた傷。瞳の色は瑠璃色。瞳の宝石のような輝きは、彼女が人間でないことを静寂に示していた。

「私も怖い。何度、引き返そうと思ったことか。でも私はもう逃げない。人間であることから。人間としてアベルを愛すことから」

 少女は微笑む。

「ああ、この防具は、アベルが武具屋に頼んで、内密に制作されたものらしい。これ以上となく強靭なジンオウガが使われている。防御力不足ということはないから、心配無用だ」

 少女は担いでいたハンマーを見せた。

「このえたいきかいつい、と言うらしい。アベルの装備ボックスから勝手にとってきた。殴ると火が飛び出る仕組みがある。アマツマガツチは火が弱点とモンスター大全に載っていたからな。……無駄話が過ぎたな。フウカ、今はアベルが一人で戦っているのだろう?」

 頷く。

「アベルならきっと大丈夫だ。しかし、万全は期すに越したことはない。私は、サポートに行く。……フウカ、嵐龍の覚醒に気圧されるのは生物として自然の反応だ。だがそれを乗り越える勇気と、強さと、想いがフウカにはあることを私は知っている」

 嘘のように大人びた微笑みを浮かべて、少女は私の横を通り過ぎる。

「……そんなこと言われたら、行くしかないわよね」

 彼女の背を追う日がこんなにも早く来るとは思わなかった。でも考えてみたら、当然だ。もともと強く、高潔なジンオウガが、アベルと一緒に住んだのだ。強くならないわけがない。

 私とジンオウガの少女は、決戦場へ続く坂を登った。……あ、ジーナちゃん、愛の意味、覚えたんだ。愛の巣はどうだろう。

 

 

 アマツマガツチは天高く飛翔し、頭上から超高圧水流をぶちまける。石のフィールドに無数の亀裂が走っている。三角形がたくさん取り出せそうだ。

 亀裂は、私とジーナちゃんのすぐ横にも増えた。

「フウカ、ジーナ! 気をつけろ! 上から目を離すな!」

 アベルは、最初からジーナちゃんがいたかのように言った。

「ああ!」

「分かってるわよ!」

「横に来る!」

 アベルの言った通り、水流ブレスは右から左へ地面を抉った。左右に振るなら、縦に動けば容易に避けられる。

「降りてくる。突進が来るぞ!」

 またアベルの言う通り。観察しすぎて予知じみてきている。私とジーナちゃんは大きく横っ飛びした。

「ジーナ、背中を狙え! 火炎弾の跡がある! フウカは腹だ! 傷を広げろ!」

「任せろ!」

「了解!」

 こうして三人揃って狩りをするなんて、とても久しぶりな気がする。それでもまるで昨日練習したかのように、齟齬のない連携がとれる。嬉しかった。やっぱり、この三人が一番良い。

「ブレスが来るぞ!」

 アベルの言う通り避けようとしたが、ブレスは放たれなかった。いや、放てなかったと言うのが正しいか。アマツマガツチは水流ブレスの代わりに、血を大量に吐いた。

「……もう、少し、だ」

 アベルはそう言って崩れ落ちた。不調に関わらず何時間も戦い続けた彼の身体は、とっくに限界を迎えていたのだ。でも、もう倒せる。アベルが狙われる前に、倒す!

 アマツマガツチはふらふらと高度を上げた。逃がさない。走る。全力で走る。アマツマガツチは高度を上げ、身体を捻る。

「はあああああああああ!」

 切っ先は皮だけを削いだ。水流ブレスが放たれる。    

 ここでもし私を狙っていたら、アマツマガツチは勝てたはずだ。なのに、どうして狙わなかったのだろう。どうして狙う必要のないアベルを狙ったのだろう。

「アベル!!」

 長々と走るはずだった亀裂は、アベルが倒れていた場所で止まった。次の瞬間、そこから水の柱が噴き上がった。

 血と共に。

 無我夢中だった。跳躍し、もはや水滴一つ落ちない口の下を斬る。手応えがあった。戦いは終わったのだ。だが、勝利の喜びなど欠片もない。

 振り返って、目を疑う。

「ジーナ……ちゃん……?」

 血まみれになって倒れているのはアベルではなく、ジンオウガだった。その背中は無残に割れ、滔々と血が流れている。その下から、ガンランスがはみ出ている。ジンオウガはアベルに覆いかぶさっていた。

「はあ……はあ……!」

 アベルが這い出す。頭と腕装備がない。

「ううっ……ああ……」

 絶望が心を支配した。ジーナちゃんは、身を呈してアベルを守ったのだ。人間の身体では覆いきれないから、わざわざジンオウガに戻って。

「ジーナ!」

 アベルが呼びかける。

「まだ息がある……ジーナ、人間に戻れ! 人間の姿になったら、その傷はほぼなかったことになる! 人間になれ! ジーナ! 起きろ!」

「ジーナちゃん! 起きて! ねえ、ジーナちゃん!」

 ジーナちゃんは眠るように目を閉じていた。微かに繰り返されていた呼吸も、あるのかないのか分からないほどに浅くなっていく。本当はもう呼吸をしていなくて、まだ生きていると私が思いたかっただけなのかもしれない。

「何で……庇ったりなんかしたんだ……! おれが……おれが守ると……!」

「また三人で狩りに行こうよ! 美味しい物もいっぱい食べよう? 温泉もまた入ろう! あ、アマツマガツチを倒したから祝いの祭りが開かれるわ! 祭りって分かるかな? すっごく楽しいのよ。金魚すくいとか、輪投げとか、射的とか……美味しい物もたくさんあるわ! だから……起きてよジーナちゃん! ジーナちゃん……ジーナちゃん! こんな……こんな終わりってないよ!」

 次に私たちは有りっ丈の回復アイテムを傷口にぶちまけた始めた。手遅れであることは明らかで、無駄な行為としか言えない。私はともかく、アベルがこんなことをするほどに狼狽するのを、私は初めて見た。

 最後の回復薬を空にした頃、嵐が止んでいることに気がついた。そういえば、アマツマガツチが絶命した時から晴れ出していた。

 優しい風が吹き抜けて、星々が薄っすらと顔を出す。

 ジーナちゃんの背中から、雷光虫が飛び立った。一匹、二匹、三匹。見ていて不安になるほどに不規則な明滅。弱々しい光を湛え、塵のように浮かぶ。星みたいだ。

「心臓に電気ショックを浴びせることで蘇生すると書かれた論文を読んだことがある」

「……え?」

 アベルはドキドキノコを齧りだした。

「何してるの?」

「おれがジンオウガになり、電気ショックでジーナの心臓を動かす」

「……」

「あ、フウカ。複婚な」

 やっぱり、おかしくなってしまった。ジーナちゃんがいなくなって、アベルがおかしくなったら、私はどうしたら。

「……そんなことできるわけないでしょ……複婚もそうだけど、ジンオウガになるなんて……」

「シグルズができるならおれにもできる」

 アベルが光り、ジンオウガになった。

 唖然とする。

 大きいジンオウガが、小さいジンオウガを見下ろしている。大きいジンオウガの背中に、雷光虫たちが集まってくる。渇いた音を立てて、電気が迸る。

 夜空と、星と、山々と。二匹のジンオウガと、舞う雷光虫。閃光が時折光り、ジンオウガたちを照らす。小さいジンオウガが光った。そばに近づく。一糸まとわぬ姿の少女が眠っていた。すべらかな肌には、傷一つない。

「ジーナちゃん!」

 脈と息を確認する。ある。生きている。涙がぼろぼろと溢れ出て、ジーナちゃんの頬に落ちた。

「ん……フウカ……?」

 意識も。私はジーナちゃんを揺さぶる。

 目が開いた。きつく抱きしめる。

「……いたい」

「ジーナちゃん……よかった……」

「はは……フウカ、泣きすぎだ」

「だってぇ……」

「……アベルも竜になれるのだな。無事で、よかった……」

 ジンオウガは黙ってジーナちゃんを見下ろしていた。

「アベル……好きだ。愛してる」

 か細くもはっきりした声で、ジーナちゃんは言い切った。 

 こちらの方がドキドキしてしまう。アベル、何であんたこんな時にモンスターなのよ。こんな可愛い娘に告白されることなんて、一生ないわよ。

「……これで、いいのか、な……たぶん。合ってる。心が……晴れやか、だ」

 変身して外傷がなくなったとはいえ、体力の消耗は引き継がれるのだろう。ジーナちゃんは安らかな寝息を立てだした。

「アベル……答えは?」

 ジンオウガは微動だにしない。

「まさか……戻れないの? それとも……戻らないの?」

 ジンオウガは後ろを向いて、歩き出した。

「ちょっと、何処行くの!?」

「アベル、大丈夫か!」

「アベルさん!」

 崖下からグレンとソフィアの声。

「わ、私が説明する。分かってもらえるって!」

 ジンオウガは歩みを止めない。

「…………結婚! 結婚してあげるわ!」

 ジンオウガは歩みを速めた。

「何で速度上げんのよ!」

 笑い声が響いた気がした。ジンオウガは走り出す。風で倒された木々を飛び越え、山を駆け上る。

 満月の下。雷狼竜が吠えた。




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