雷狼月山記   作:アンディー012345

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九 雨の日の午前

絶え間なく雨粒が地に叩きつけられ、うなるような風が木々を揺るがす。それらの音で、おれは目覚めた。

今日の狩りは中止かな……そんなことを考える。

それにしても、ジーナが来てから、目覚めがよくなった気がするな。

そのとき、首筋に風を感じた。壁に穴でも空いたか?

なんて考えて首を横に向けると、瞼を閉じた少女がいた。

ゆっくりとしたリズムで呼吸が繰り返されている。枕を這う銀髪からは果実の匂いがほのかに香る。布団を通して、彼女の体温が伝わってくる。

……ついこの間まで、いつ寝首をかかれるか分からないとまで言っていたというのに、あの時の警戒心はどこへやら。信頼してくれたということなのだろうか。

慎重に布団から這い出て、改めて少女を見下ろす。

おれとジーナは、ベッドと敷き布団を交互に使うことにしている。今回はジーナがベッドの日だったのだが、そんなに床が落ち着くのだろうか。そう言えばジンオウガの寝床は地べただったな。

なら、例えばナルガクルガが人間化したとしたらベッドを好むのだろうか?奴は木の上で睡眠をとるからな。

おれはつり目で黒髪短髪の美少女を想像してみた。ふむ、今度狩る時、ドキドキノコを食わせてみようか。

「ん……アベル、起きたのか?」

おれは妄想を中断した。

「ああ、おはようジーナ」

そう言って、顔を洗いに行こうとすると、がしりと足首を掴まれた。

「何だ?」

「もう少し寝ていよう」

「どうして?」

「とにかく、もう一眠りするぞ!」

妙な圧力に押されて、おれは布団に入り直すことになった。

ジーナはもぞもぞと、しゃくとり虫の原理でこちらに近づいてきた。しかし近づきすぎると顔を赤くして、またもぞもぞして後退する。それを何度も繰り返した末に、ちょうど良い位置に落ち着いたようだ。

「どうしておれの布団にいるんだ?」

「……別に。なんとなくだ」

ジーナは目を瞑った。

おれは、彼女が眼前に置いた小さな手のひらが、震えていることに気がついた。

山の方で雷鳴が轟く。

まさかジンオウガが雷を恐れて震えるなんて滑稽な話はあるまい。

では、体調不良か?

昨日の凍土での狩りで、ジーナは結局ホットドリンクを飲まずしてギギネブラを討伐した。しかしおれがポポの肉を焼いている間に限界が来たらしく、最終的には飲んだ。

それでもあれだけの長時間、冷気に吹きさらされていれば風邪をひいてもおかしくない。

おれはジーナの額に手を当てた。熱はないようだ。

「あ、アベル。それ、もう一度やってくれないか」

「?別にいいけど」

「アベルの手、大きくてあったかいな……」

「どうしたんだ今日は。なんかおかしいぞ」

「アベル……今日は一日、こうしていよう……」

ジーナはふにゃっと笑った。

「……なんかよく分からんが、理由がないならおれは起きるぞ。雨だろうとやることがあるからな」

このままでは誘惑に打ち負けそうだったので、意を決して布団から出る。

足首を掴もうとして伸ばされた手をひょいと避け、歩き去る。

「あっ……」

ジーナは切なげな声を出したが、それきり何も言わなかった。

おれは踵を返して布団に入った。

「あ、アベル?」

「やっぱちょっとだけ二度寝する」

そう言って目を瞑る。無心だ、無心になればいいのだ。無心無心無心無心むしん……。

そのとき、ギルド側の戸が鳴った。

「アベルー、ジーナちゃーん。この天気だし、今日の狩りは中止にして、朝ご飯一緒に食べない?」

フウカだ。おれは布団に入ったまま、

「すまーーん」

とだけ言っておいた。

「何でーー?」

「眠ーーい」

「起きなさいよ!って、きゃあああああ!」

毎度毎度、何故貴様は許可なく人の家に侵入するのか。そろそろ錠前でも買ったほうが良さそうだ。

「何で二人で寝てるのよおおおお!」

そう叫ばれても、おれとジーナは布団から出ようとしない。

「ジーナが勝手に入ってきた」

「アベルが勝手に入ってきた」

「ア~べ~ル~?」

おれはかかと落としを顔面にくらった。何故だ。

「信じらんないわ。ジーナちゃんに手を出すなんて」

「出しとらんわ」

フウカはどういうわけかおれとジーナの間を割るように、布団に潜り込んできた。

長い黒髪が枕元に垂れる。花の香りが鼻腔をくすぐる。

フウカに押し出されたおれは敷き布団から落下し、畳上で寝る羽目になった。

「おい……家どころか、布団にまで不法侵入とはなにごとだ」

「ジーナちゃんは私が守るわ」

「だから、ジーナから来たんだって。信じてくれよ」

最終的にはおれから入ったのだけれど。

「いやですー」

フウカはジーナの方を向いて、おもむろに抱きしめた。

「ジーナちゃん、いい匂い……」

「やめろフウカ。あ、暑苦しい」

やれやれ。なんにせよ、フウカが代わりをしてくれるのならばそれでいいだろう。

「どこ行くのよ?」

「顔洗って飯食ってクソしてくる」

今度はフウカが足首を掴んできた。

「もうちょっとゆっくりしていきなさいよ」

「自分で追い出しといて何言ってんだ」

「ほら、ちょっとだけ敷き布団のスペースあげるから、おいで?」

フウカは布団の真ん中に移動して、布団の端っこををぼふぼふ叩いた。

「アベル、私の隣に来い」

ジーナも同じように移動する。その結果、二人は密着する形になる。

どうやらおれは、どちらの隣で寝るかという二択に迫られたらしい。

「いや、来いと言われても……」

フウカのいる前で、おれがジーナに欲情することはない。しようとしたら暴力によって阻止される。だからと言ってジーナの隣に行けば、どっちみちフウカは怒るので、フウカの隣に行くのが妥当……と考えたが、友人止まりの異性と同じ布団で寝るとはいかがなものか。以前読んだ官能小説だと、似た状況の二人はそのまま情事に至ってしまっていた。

……いやいや、何を考えているんだおれは。官能小説の読み過ぎだ。フウカの隣で添い寝を試みた日には、ラージャン並の突きがおれの鳩尾をえぐる。これが現実だ。

その時、かつて空想した、おれとフウカが夫婦でジーナが娘、という奇妙な家庭が思い浮かんだ。

……下らん妄想だ。

おれはベッドで寝た。

 

 

「アベル、起きろ。やることがあるんじゃなかったのか」

ゆさゆさと身体を揺すられて、おれは目覚めた。時計を見ると、既に11時を過ぎていた。すっかり二度寝を満喫してしまったようだ。

「フウカは?」

「さっき起きて帰った行った」

「そうか」

もぬけの殻となった布団を見やる。

あのフウカが、一時的とはいえおれの隣に寝ていた……。感慨深い気持ちにふける。

奴が何も言わずに帰るとは思えなかったが、彼女について言及するのはやめた。

 

 

風は多少弱まったようで、しとしとと柔らかな雨音が響いている。

「で……いあ、でぃあ、ふ、ぶろす?」

「正解だ。よし、次はこいつだ」

家にいる間は、ジーナに勉強を教えている。特に字は、人間として生きる上で基盤となるものだから、ここから教えないと何も始まらない。

幸いにもジーナは言葉を話すことはできるため、教えやすい。

愛や信頼、夢、希望などといった抽象的、イメージ的な言葉はまだよく分かっていないようだが、彼女が人間である以上これらの概念は必ず存在する。彼女と過ごす中で、ゆっくり教えてやろう。いくら机上で鉛筆をすり減らしても、理解することができないことなのだから。

「この絵……ドスジャギィに似ているな。ええと、どす……は、ばぎい?」

「正解。読めるようになってきたな」

ジーナは誇らしげに微笑んだ。

文字とモンスター、両方を教えられるようにとモンスター図鑑を教材に用いてみた。それは狩る者であるジーナにとって興味深いものだったらしく、熱心に取り組んでくれていた。

その時ふと、おれはジーナが両手で股を押さえつけていることに気づいた。

「……またトイレ我慢してるのか?」

「トレーニングだ。肝心な時に耐えられなかったら困るからな」

そう言ってジーナは座布団の隅をつかみ、股で強く挟み込んだ。そのまま前後に身体を揺らす。

「……やりすぎたら病気になるから、ほどほどにしとけよ」

「わかった」

努力することはいいことだ。その方向性に疑問を投じたくなっても、彼女の成長しようとする意思を妨げることはおれにはできない。

ジーナはあるページを前にして眉をひそめた。

「む、なんだこの奇妙な形のモンスターは。紋様に見えるが……」

「ああ、それは疑問符だ。姿形が分かっていないから、そう表すしかないんだよ」

「分かってないなら、何故図鑑に載せる?」

「いるのは分かっているんだ。だが、実際に目にして生き延びた人はいないってことだな。まあ、都市伝説とかデマの可能性もあるわけだが……」

そうは言いつつ、おれは図鑑に載っているモンスターの全てが存在すると思っている。ギルド公式のこの図鑑は、正確な調査と記録に基づいたものだ、信頼に値する。

何より、実物を目にしてしまえば、否応なく認めることになる。

「あ……ま……つ……ま……」

ジーナの指が、そのモンスターの名前一字一字をなぞる。

「が……つ……」

あと一字を残したところで、ジーナは口をつぐんだ。

顔は青ざめ、半開きの口から乱れた息が漏れている。腕には鳥肌が立ち、指先が小刻みに震えていた。

名を言い切ってしまったら、図鑑から飛び出してくるかもしれない。そんな妄想に怯えているようにさえ見えた。

「ジーナ、まさか見たことがあるんじゃないか?このモンスターを」

「……やめろ」

ジーナは図鑑を閉じた。

「……トイレ」

ジーナはそれだけ言って、部屋から出て行った。

怖いものは、竜撃砲だけ。

嘘だな、ジーナ。

おれはついさっき郵便受けから取り出した封筒の束を握りつぶし、ゴミ箱に放り投げた。

のそのそとタンスへ向かい、数ヶ月ぶりに便箋を出した。筆をとり、こう書き出す。

 

『まだしばらく此処で暮らすことになりそうだ。

 

 

 





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