天賦の才を有する魔術師が闇堕ちして魔王になるのを防ぎたいだけの人生だった 作:門崎タッタ
「う……あ……?」
全身が燃えるように熱い。
体を動かそうとしても、ピクリとも動かず、自分が先ほどまで何をしていたのかもわからない。
「……貴方がここまでやられるとは。数の力というのも侮れないものですね、エドヴィンさん」
俺の名を呼ぶ声がする。
余力を振り絞って瞼を開けると、そこには俺の主人であるルシルフェルトがいた。
彼女は憐れむような眼差しを向けている。
「……そうか、俺は……」
そんなルシルの様子を見て、ようやく今の状況を思い出すことができた。
俺と彼女は純血派の魔術師と交戦していたのだ。
そして、戦いの最中で刺し違えた俺は……。
腹部に手を当てる。
すると、どろりとした赤い液体が手に付着した。
「革命軍は……?」
「殲滅済みです。雌雄は決しました。ですが……」
もうじき、俺は死ぬ。
そうルシルは言いたいのだろう。
記憶が正しければ、両脚は吹き飛んでおり、臓器はズタズタになっているはずだ。
ここまで損傷が酷いと、どんなに優秀な治癒術師であっても治すことはできない。
……たった一人の例外を除いては。
「本当に、下らない。血統や家柄、魔術師としての矜持。これらは掃いて捨てるべき旧世代の価値観です。こんな物に固執するから、私に勝てなかった。貴方程度の人間しか打ち倒せなかった。生まれや血筋など関係ない……自らに与えられた素質を研ぎ澄ませて作り出す、己以外の存在を圧倒する力だけが、世界を変えられるというのに」
……ルシルの言う通りだ。
彼女が述べたような旧世代の価値観に固執する者が、大層なお題目を掲げて革命を引き起こした。
血を血で洗うような悲劇を引き起こし、情けない事に俺は遅れをとって。
最後には、ルシルフェルトの圧倒的な力で叩き潰されて終わった。
本当に口惜しいが、彼女の手足となって魔術の真理に辿り着くという夢は叶いそうにない。
きっと、彼女は既に決断している。
全てを投げ捨て、自分一人で歩むと。
「魔術師は……人間は、愚かですね。魔物という脅威が側にあるのにも関わらず、同族を憎み、妬み、殺し合う。自らを正義と信じ、敵対する者を悪だと断ずる。……本当に、この世界に守る価値ってあると思いますか? 貴方のような人間を傷つけ、私のような呪われた命を生み出して……」
「……なにを」
「絶対的な力を振り翳す、本当の悪が出現したら……少しは世界がまともになると思いません? 皆が恐怖する存在が頂点に君臨すれば、身内同士で殺し合いしようとする馬鹿は居なくなります。……いえ、これは自らの行いを正当化するための方便ですね。私は、真理に辿り着きたいだけ。法や秩序や禁忌という鎖を引き千切って、最適なルートを歩きたいだけですね。……まぁ、いずれにせよ、これでお別れです。貴方は、弱くて……優しすぎる」
「やめろ、後悔するぞ……」
「しませんよ。私の足を引っ張る全てを切り捨てられるのですから。愚鈍な民衆も、不遜な魔術師も、鬱陶しい法や秩序も、足手纏いの貴方も。煩わしい存在を何もかも取っ払ってしまえば、私は必ず、真理へと辿り着きます。幼い頃から胸に抱いていた夢が叶うのですから、後悔する道理がありません」
ルシルの瞳は、微かに揺れていた。
普段ならば決して見せることのない、精神的な動揺が見て取れた。
確かに、彼女は悲しんでいたのだ。
「今まで、付き従ってくれたお礼代わりに、貴方は生かしておいてあげます。私の行いに文句をつけたいのなら……いつの日か、私を殺しに来てください。同じ夢を見ていた貴方に殺されるのなら、きっと納得して死ねるから」
俺は、言わなければならない。
そう考えて、必死に口を開こうとするも、漏れ出すのは空気だけ。
言葉を紡ぐ事は叶わなかった。
「さような……。愛………ますよ、我が……。もしも………変われ……な……………」
ルシルが言葉を発するが、何を言っているのかさっぱりわからない。
どうやら俺は、周囲の音すら満足に聞き取れなくなったみたいだ。
意識が消えかかっている中、暖かな光が全身を包んでいくのを感じる。
声を出したいのに、一言も喋れない。
ここまで、後悔ばかり。
最初から最後まで、俺は弱い人間だった。
でも、弱かろうと、才能がなかろうと、ほんの僅かの勇気を出していれば。
隷属するのではなく、対等な存在として隣に立てれば、何かが変わったかもしれないのに。
◇
魔術学院に通い始めてから。
そして、ルシルフェルト・レプトハイムと出会ってから、二週間が経過した。
彼女と共に、多くの時間を過ごしていく中で幾つか分かった事がある。
まず、ルシルは魔術という分野において天賦の才を有している事。
魔術学院に通う生徒は、同世代の人間の中でも上澄みが集められている筈なのだが。
彼女の持つ素質は、我々のそれを遥かに凌駕していたのだ。
「浮いてる……す、すげぇ……!」
思わず、感嘆の声が漏れる。
自由気ままに宙を舞う彼女は、炎と水と雷の魔法をお手玉のようにぐるぐると回転させながら、悠然とした態度で俺達を見下ろしていた。
身につけている魔術を披露する講義。
彼女の後に実践する魔術は、俺も含めて出来の悪い児戯のようにしか見えなかった。
炎・水・風・土・光、などなど。
自然現象に類似していたり、概念的な事象に類似していたりする魔術を属性魔術と呼ぶ。
原則として、魔術師の血を引かない人間は、属性魔術を扱う事ができない。
適性を持たない人間が扱える魔術は、無属性と呼ばれる身体強化魔術を始めとした地味な物のみ。
その上で、魔術師の血を引く人間であっても、扱える属性魔術は一種類だけであり。
極めて稀に二種類の適正を待つ人間もいるそうだが、五種類もの属性魔術を自由自在に扱えるルシルのような天才は、魔術学院の長い教師生活の中で初めて見た……と、先生は仰っていた。
因みに、祖先に魔術師が居ない俺は血を引いていないため、属性魔法は何一つ扱えない。
例の如く、扱えるのは無属性魔法だけである。
「エドヴィンさん。今日の講義が終わったら、人間の魔術師が有する魔術の術式と魔物に刻み込まれている魔術刻印の類似性について検討しませんか? 実は、図書室で興味深い論文を発見しまして。是非、貴方の意見を聞かせて頂きたいのです」
「ああ、分かった」
「ふふ、ありがとうございます。それでは、食堂へと参りましょう」
ルシルは口元に手を当てて、くつくつと笑う。
次に分かったのは、俺は彼女に随分と気に入られたということ。
出会ってからというもの、我々はあまりにも多くの時間を共に過ごしている。
奇しくも、殆ど同じ講義を取っていた背景もあり、学院内では常に一緒。
共に学院へと向かい、共に昼食を取り、共に講義を受ける。
そうして、一通りの講義が終わったら、学院の一角にある休憩スペースに集まり、論文や本を互いに持ち寄って、魔術の見識を深める事が一種のルーチンワークになっていた。
無論、浅学な俺にとって、学院内屈指の才媛であるルシルと過ごせるのは有り難い事この上ない。
だが、いくつか懸念点があるのも事実。
「あいつ、今日もレプトハイムの令嬢と行動してやがる。身の程を知れよ、劣等種が……」
「何故、ルシルフェルト嬢は彼奴を気にかけているのだ? 純血派筆頭、御三家に名を連ねるレプトハイム家の血を引く自覚がないのだろうか」
食堂で食事を摂る俺達を遠巻きに見つめるのは、一回生が集まったグループ。
言わずもがな、これが懸念点の一つ。
祖先に魔術師を持たない平民である俺が、高貴な家柄に生まれたルシルと親しい関係にある事を、快く思わない人間が一定数存在しているのだ。
差別されるのは、元より覚悟していたこと。
俺が一方的に見下されるのは構わない。
だが、差別を受ける対象と関わる事で、ルシルに累が及ぶなら話は別だ。
幸いにも、いまのところは直接的な被害こそ無いけれど。
俺と常に行動を共にしているルシルが、俺以外の学徒と関わりを持つ姿を見た事がない。
接している感じだと、彼女自身はそれで満足しているように見える。
しかし、魔術師の家系の者から、平民と密な関係を築く異端者だと見做されて、忌避されているのは火を見るより明らか。
今の状況は、ルシルにとって良いものではないと、魔術師の社会に詳しくない俺でも分かる。
何か、手を打つべきだろうか……。
「ご存知ですか? 今期の特待生は、私と貴方以外に存在しないそうです。それを踏まえて考えると……彼らの姿、実に滑稽だと思いませんか?」
「……え?」
「あのような輩は自らの血筋しか誇れる長所がない無知蒙昧。エドヴィンさんは特待生で、奴らは普通の学徒。見下している相手より、知性が劣る事実にすら気づく事なく、口から出すのは戯言ばかり。間抜けな猿が喚き散らす姿は、醜悪極まりない。私達と同じ人間だとは、思いたくないですね」
突然の嘲笑。
驚きのあまり、言葉を失った。
ルシルは口元に微笑を浮かべながら、真っ赤な瞳で俺の顔を捉えて離さない。
穏やかな表情に反して、声色には一切の感情が篭っていなかった。
まるで、こちらの浅はかな思考を見透かした上で、余計な事をするな……と、遠回りな言い方で忠告されたような気がしてならない。
いや、実際に釘を刺したのだろう。
勘違いでも、考えすぎでも何でもなく、ルシルは人身掌握術に長けているように思える。
彼女は、紛れもない天才だ。
その前提の上で、彼女は自らの能力の高さを自覚しており、上手く利用しようとしている節がある。
天賦の才を有する自分は特別な存在であり、特別な存在である私に気に入られた貴方もまた、凡庸な他者とは一線を画す特別な存在であると。
選民思想的な意識を俺に植え付け、全能感を巧みに刺激して、自らの意のままに操ろうとする。
そういった思惑が、感じられるのだ。
そして、ルシルの策略を理解しても尚、彼女に高く評価されてる事実を嬉しいと感じる俺がいた。
それだけ、彼女の言葉や立ち振る舞いには、人の心を籠絡してしまえる魔力がある。
一度でも、自制心を失ってしまえば、瞬く間に全てを掌握されてしまうような。
蠱惑的な魅力が存在していて。
何となく、今この瞬間。
俺の返答によって、運命が変わってしまうような……そんな気がしてならない。
ルシルの発言に同意するか、反発するか。
気に入られたいがために過激な発言に同調するか、機嫌を損ねて嫌われるリスクを背負った上で自分の意見を述べるか。
俺のスタンスによって、今後の人生が決まる。
これは、分岐点だという確信を覚えていた。
「君の言いたいことは分からんでもない。でも、血統や家柄は軽んじるものではないよ」
「……続きを」
「魔術を構成する殆どの要素が、個人の資質に依存しているのは事実。謂わば、高名な魔術師の家系に生まれるのもまた、一つの才能だ。学力が劣っていようが、彼らは先天的な素質に恵まれている。だから、あまり口汚く罵らないでくれ。君がその調子だと、俺の立場が無くなってしまうだろ」
「…………」
だが、それでも。
俺は自分の意見を述べた。
ルシルに隷属なんてしないし、安易に媚び諂ったりもしない。
どんなに凡庸な人間だろうと、俺は俺だ。
他人に利用されるなんて、真っ平御免。
俺は自分が生きたいように生きて、言いたいことを言わせてもらう。
その果てに、ルシルとは対等な存在になる。
才能だとか、血統だとか。
煩雑な事情関係無しに、言いたいことを言えるような関係になりたいのだ。
「ふふ、ふふふふっ」
ルシルは笑う。
頬を上気させ、顔を俯かせて。
ひとしきり、笑って笑って、笑い倒す。
そうして、ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳には、底知れぬ情念が宿っているように見えた。
「エドヴィンさんは、真摯な態度で私と向き合ってくれるのですね。……生まれて初めてです。貴方のような人間と、出逢ったのは」
「お褒め頂き、恐悦至極に存じるな」
「ふふふ、些か大袈裟ですよ。でも、本当に嬉しいです。感動で胸が打ち震えています。この学院に入学して良かったと、心の底から思えるくらいに」
学院に入学して良かった、か。
その気持ちは、俺がルシルと出会い、会話した時と全く同じ感情。
そうか。
彼女も、そう思ってくれたのか。
並み居る凡人を超越する才能を持ちながら、超然とした振る舞いで人の心を掌握できる才媛。
凡人に過ぎない俺とは、遠く離れた存在。
そんな彼女と、ほんのちょっとだけ近寄れたような気がしたから。
我ながら単純だけれど、俺だって嬉しく思う。
でも、俺は気づけなかった。
本心を入り混じらせたルシルの発言の裏に存在する……倒錯した執着心の発芽を。
想定以上に歪み切っていた心根と、丁寧な言動によって覆い隠されていた異常性を。
「私……貴方と、もっと仲良くなりたいです。なので、煩わしいしがらみを排除してきます」
「は、排除?」
「はい。ここで、待っていてください。そして、しっかりと眼に焼き付けて下さいね」
席を立ったルシルは迷いのない足取りで、歩みを進めていく。
そして、辿り着いたのは。
「な、何だよ、ルシルフェルト。俺達に、言いたいことでもあるのか?」
つい先程、恨みがましい目で俺を見て、陰口を叩いていたグループの席だった。
制服の胸元に付けられている緑のバッジは、彼らが一回生であることを示していて。
想定外の来訪者に驚きを隠せていないようで、明らかに動揺している。
それは、俺も全く同じだ。
ルシルの行動の意図が汲み取れない。
彼女は一体、何をしようとしているのだろうか。
「私と、決闘しませんか?」
「は? 決闘? 俺達と?」
「はい、決闘です。あなた方は私の友人を愚弄しました。その行為に対して、私は腹を立てています。陰でコソコソと減らず口を叩くあなた方を叩き潰さないと、腹の虫が収まらないのです」
「知らねーよ、そんなの。俺達が決闘を受ける理由にはならないね」
「逃げるのですか? 誇り高き純血派と在ろう者が。同級生相手に臆しているなんて情けないですね。自らの血を引く子孫がこの為体では、偉大な祖先も草葉の陰で泣いていることでしょう」
「……なんだと?」
「一対一でなくとも構いません。雑魚が何人増えようと、結果は変わりませんから」
「吐いた言葉、飲み込むんじゃねぇぞ」
苛立ちを露わにする同級生五人と、微笑みを崩さないルシルが、食堂を後にする。
残された学徒の反応は多種多様。
険悪な雰囲気に怯え、先生を呼ぶことを検討する者、決闘を見ようと彼らの後を追いかける者、平民である俺と高貴な身分であるルシルのラブロマンスを夢想して噂する者までいた。
勿論、俺はルシル達の後を追う。
いくら彼女が優秀であっても、複数人相手に敵うとは思えない。
さっきは気圧されて動けなかったが、今からでも十分に間に合う。
体を張ってでも、決闘を止めよう。
……そう、思っていたのに。
「何なんだよ、お前は……化け物がっ」
「クソ、痛い、いてぇよぉ……!」
全ては一瞬の出来事だった。
人混みを掻き分けて、決闘が行われる場所に辿り着いた瞬間に、同級生達が爆ぜた。
ルシルが放った何らかの魔法によって宙を舞い、抵抗すらできずに地に伏したのだ。
俺が割り込む余地など、欠片も無かった。
「良かった。見てくれたんですね、エドヴィンさん。ちょっとだけ、頑張っちゃいました」
ルシルは口元に笑みを浮かべているものの、目が笑っていない。
ハイライトが消え失せた真っ赤な瞳は。
お前を絶対に逃さない……と。
そう告げているような気がした。