天賦の才を有する魔術師が闇堕ちして魔王になるのを防ぎたいだけの人生だった   作:門崎タッタ

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第3話

 

「245……246……247……248っ……!」

 

 数字を数えながら、剣の素振りを行う。

 ルシルは、俺が鍛錬を積む姿を眺めながら、ペンを片手に紙に何かを書いている。

 素振りが終わったら、ランニング、上体起こし、腕立て伏せ、スクワット、プランク。

 とにかく、体を痛めて痛めて痛めまくる。

 キツイし苦しいけど、脳内麻薬が出まくってめちゃくちゃ気持ちいい……!

 

「エドヴィンさんの顔、とても愉快ですよ。私の自信作を学徒の皆さんにも見せたいので、学院内に貼り付けてきてもいいですか?」

 

「頼むからやめてくれ。社会的に死ぬ」

 

 快楽に浸っている自分の似顔絵を見せられた俺は、即座に正気に戻った。

 中々に良い性格をしているルシルならば、本気でやりかねない。

 冗談だよな、冗談であってくれ!

 

「もちろん、冗談です」

 

「ほっ……」

 

「学内に貼るだけでは勿体無いので、清書してコンクールに出してみようと思います。世界中に、エドヴィンさんの笑顔の素晴らしさを広めましょう」

 

「お前は悪魔かっ!」

 

 あたふたと焦る俺の顔が面白かったのか、ルシルは口元を押さえてくつくつと笑う。

 学園に入学してから2ヶ月。

 俺達の距離は順調に縮まっていた。

 関わり始めた頃の余所余所しさはすっかり消え失せ、気軽に冗談を言える仲へと変化している。

 だが、純粋な友人関係では断じてない。

 俺もルシルも、お互いを完全に信頼していない故に引かれた境界線が確かに存在していた。

 それは、知り合って間もないからだとか、信頼関係を築いている段階だからだとか。

 微笑ましいものでは、決してない。

 

「あの二人、例の子達じゃない?」

 

「ああ、平民と御三家の令嬢がデキてるって噂の。彼氏を馬鹿にした同級生をボコボコにした……」

 

 ルシルが同級生を叩きのめした事件から、俺達は完全に腫れ物と化した。

 学院内では誰一人として話しかけようとせず、露骨に避けられまくる。

 常に二人で行動している背景も相まって、身分違いの恋をしているという噂まで流れていた。

 もちろん、付き合ってなどない。

 ルシルが俺に恋心を抱いている可能性は微塵も無いし、俺は……寧ろ、疑念を抱いていた。

 

 何故なら、他者から忌避されている今の状況は、ルシルが意図的に生み出したのでは無いかと考えているから。

 無論、根拠はない。

 しかし、人よりも聡い彼女が、同級生を過剰なほど叩きのめして、周囲から白い目で見られる事態を予想できなかったとは、どうしても思えないのだ。

 ルシルの行動には、理由がある。

 しかし、それは感情的なものではない。

 俺が不当に虐げられるのを目の当たりにして憤った……なんて、理由ではないと断言できる。

 ルシルは、情動的な人間ではない。

 寧ろ、感情の赴くままに動く人間を、軽蔑するような気質を持っていた。

 その上で、考えてみるものの、今の状況を意図的に作り出した目的は……分からない。

 彼女の思考を推測するために必要な材料が、あまりにも不足していた。

 だが、二人きりになって邪魔されずに過ごしたいとか、生温い目的ではない事だけはわかる。

 

「シャワー浴びてくる。トレーニング室の外で待っていてくれ」

 

「はい。分かりました」

 

 今も尚、ルシルが俺に対して向ける目。

 ……特別な何かを期待するような。

 こちらを品定めしている眼差しに込められているのは、生優しい感情では断じてないから。

 

「エドヴィンさんは勤勉な方ですね。講義が終わればトレーニングに、予習や復習。私との魔術談義も欠かさない。そこまで色々な物事に根を詰めていると、いっときも気が休まる時が無いのでは?」

 

「いや、そうでもないさ。休息はキチンと取っているし……体を鍛えたり、魔術の勉強をするのは好きでやってる事だから。趣味の延長みたいなものだ。何より、四六時中魔術について考えてる君に比べたら、俺なんて未熟者だしな」

 

「ふふふ、謙虚ですね。……現状を正しく把握している点は評価すべきポイントですよ。やはり、貴方は優れた人間です。私には、及びませんが」

 

 ナチュラルに傲慢な発言。

 知らず知らずのうちに、ルシルは素の性格を隠さなくなっていた。

 丁寧な物腰の裏に隠された苛烈な本性を、俺の前に限って露呈するようになったのだ。

 前々から察してはいたが、彼女は自分以外の存在を薄っすらと見下している節がある。

 お世辞にも善良とは言えない、歪み切った人間性を有していた。

 だが、不快感を覚えることはない。

 何故なら、彼女より魔術の才能に恵まれ、努力する人間と出会った事がなかったから。

 身体能力や性格に難があるなんて、魔術を最も重んじる俺にとっては些細な問題だ。

 寧ろ、極めて高い自己評価に見合った素質を有し、尚且つ自己研鑽も怠らないルシルは、魔術師が模範とすべき存在だと思っている。

 

「そういえば、エドヴィンさん。今週末って、空いていますか?」

 

「ああ。空いてるけど……」

 

「良ければ、一緒にお出かけしませんか?」

 

 驚きのあまり、言葉が詰まる。

 ルシルがこういった誘いをするのは、出会ってから初めてのことだった。

 俺達は四六時中、一緒にいる訳ではない。

 平日は共に行動するものの、休日はお互いに自分の時間を過ごす……というのが、一種の不文律になっていると思っていたのに。

 まさか、彼女の方から誘ってくるとは。

 しかし……。

 

「魔物の血を採取したいんです。なので、屈強な肉体を持つ貴方に着いてきて欲しくて……」

 

 そんなところだろうな。

 不思議と、安心した。

 俺はルシルの事を何も知らない。

 生い立ちも、好きな食べ物も、趣味も、将来の夢も、神を信仰しているか否かも。

 俺とルシルの繋がりは、魔術しかない。

 価値観が合う訳でも、思い出がある訳でも、特別な情がある訳でもないけれど。

 その関係性が、心地よい。

 少なくとも俺にとって、魔術への飽くなき探究心を有する彼女と同じ時間を出来ている事実が、何よりも誇らしい……が。

 馬鹿正直に隷属する心算はない。

 ルシルが俺を利用するように。

 俺も彼女を利用して、理想を実現する。

 必ずや魔術の真理へと、辿り着きたいという思いがあった。

 

 ……だが、それと同じくらい。

 現在、俺たちの間に存在する境界線や、密かに抱いている疑念などを全て取っ払った上で、今のような心地よい関係に甘んじる事なく。

 もっと、ルシルの事を知りたい。

 相互理解を深めた上で、対等な友人になりたいという思いがある。

 そうしなければならないという強迫観念が、確かに存在していた。

 

 ◇

 

「ふっ!」

 

 青い色のジェル状の魔物の脳天に向かって、大剣を振り下ろす。

 物理攻撃に耐性を持つスライムであっても、魔力を付与してしまえば、こちらのもの。

 持ち前の弾性を発揮すること無く、真っ二つに切り裂かれて物言わぬ屍と化した。

 

「刀身に強化魔術を付与する。一流冒険者も舌を巻く、素晴らしい技術ですね」

 

「お褒め頂き光栄だが……スライム数匹倒すのに四苦八苦している俺の隣で、大量のスライムを狩っている君が言うと、皮肉に聞こえるな」

 

「ふふふ、捻くれていますね。褒め言葉は素直に受け取るべきですよ?」

 

 ルシルの後方には、山積みになっているスライムの死骸がある。

 彼女が扱う魔術の精度は、並外れていた。

 魔力の操作に一切の無駄がなく、詠唱も必要とせず、最小限の魔力で最大限の効果を発揮する。

 彼女自身が生み出した攻撃魔術は、画家が描いた絵画のような美しさがあった。

 先人が生み出した魔術の雛形をそのまま用いる俺とは、魔術師としての格が違う。

 

 加えて、本人曰く、魔物との戦闘は初めてらしいが、そうは思えなかった。

 使用する魔術の判断は的確で、前衛を務める俺との連携もバッチリ。

 どうやら、ルシルには、魔術の才能のみならず、戦闘の才能も備わっているようだ。

 ……だからといって、悲観したりしない。

 人の歩む速度は千差万別。

 ルシルはルシルのペースで、俺は俺のペースで魔術を追い求めれば良いのだから。

 

「そろそろ、休憩しよう」

 

「そうですね。目的地は目と鼻の先ですし。コンディションを整えるのは大切です」

 

 魔物の血の採取に赴いた俺達は、目当ての魔物が生息する洞窟の近辺で腰を下ろす。

 次いで、鞄から、折り畳んだ敷物と、自作のサンドイッチが入ったカゴと水筒を取り出した。

 地面に敷物を敷いて、持参した使い捨ての手拭いで手の汚れを拭き取る。

 そうして、サンドイッチを手に取ると。

 

「そのサンドイッチ、店売りのものではないようですね。……エドヴィンさんは、随分と美味しそうな料理が作れるのですね」

 

 何かを期待するようにこちらを見つめる、ルシルの視線が突き刺さった。

 彼女が手に持つのは、無機質な栄養調整食品。

 ブロック状のそれは、効率の良い栄養補給のために作られた食べ物。

 お世辞にも美味しいとは言えない。

 

「……食べるか? 味は保証しかねるが」

 

「いいのですか!?」

 

 ずずいと前のめりになったルシルの顔が、すぐ目の前に迫る。

 俺は……思わず、見惚れてしまった。

 常日頃から、張り付いたような笑みを浮かべるルシルが、喜色を滲ませるのは。

 人間らしい感情を、心からの笑顔を見せてくれるのは、初めてのことで。

 不覚にも、心を奪われそうになった。

 

「た、沢山あるから、遠慮せずに食べてくれ」

 

「ありがとうございますっ。それでは、頂きます」

 

 僅かに頬を赤らめながら、ルシルはサンドイッチを口にする。

 目を瞑りながら、小さい口で咀嚼していく。

 その姿は、小動物のようで可愛らしい。

 天賦の才能を有する魔術師である彼女。

 しかし、この瞬間に限っては、ごく普通の同世代の少女にしか見えなかった。

 

「すごく、美味しいです。誰かの手料理を食べるのは初めてなので、感動もひとしおです」

 

「手料理が、初めて……?」

 

「素性の知れない人間が作った料理なんて、何が入っているか分からないでしょう? ……けど、エドヴィンさんのことは、信頼していますから」

 

 表情を取り繕う事ができずに、絶句してしまう。

 思い返してみると、確かにそうだ。

 ルシルが口にする食べ物は、いつだって封が切られていない無機質な食べ物。

 俺と食堂で食事する時も、それは変わらない。

 当然ながら、違和感は覚えていた。

 だが、一度も誰かの手料理を食べた事がないなんて、想像していなかった。

 出された料理に疑念を抱く……といった発想を出力する下地が、平民の俺には無かったのだ。

 

 ルシルは、俺と何もかも異なる身分。

 何事にも縛られずに伸び伸びと生きていた俺とは違って、御三家とも呼ばれる魔術師の家系。

 学院に入学するまでに、どんな環境で生きてきたのか……。

 平民の俺には、推測する事すらできない。

 だが、生半可な覚悟では生き抜けない、地獄に等しい場所なのは分かった。

 ルシルの浮世離れした振る舞いと、他者と壁を作る丁寧な物腰は。

 誰一人として信用できない環境を生きていく上で、自然と身につけた処世術かもしれない。

 そう考えると、ズキリと胸が痛んだ。

 

「俺の作る料理で良ければ、だけど。これからも、作ろうか?」

 

「……私にとっては、願ってもない申し出ですが、宜しいのですか?」

 

「構わないよ。君からは講義を受けても得られない魔術の知識を貰ってるからな。その礼代わりだ」

 

「エドヴィンさんはお優しいですね。……では、お言葉に甘えさせて頂きます」

 

 これまで何があったのか、なんて口が裂けても聞けないし、聞くつもりもない。

 だが、その上で。

 俺に出来ることは、してみたい。

 利害とか、隷属とか関係なしに、ルシルの信頼に応えたいと思った。

 

「そういえば、今日討伐する魔物は、ガーゴイルだったよな。どうして、ガーゴイルの血を集めたいんだ?」

 

 食事を終えたルシルに、質問を投げかける。

 すると、彼女は一瞬だけ言い淀んだ後に、ゆっくりと口を開いた。

 

「ガーゴイルが、魔術刻印を有している魔物だからです。……エドヴィンさん、人間と魔物の類似性の論文の内容を覚えていますか?」

 

 人間と魔物の類似性……。

 たしか、人間の魔術師が有する魔術の術式と魔物に刻み込まれている魔術刻印の類似性だったか。

 当然、記憶している。

 掻い摘んで話すと、人間が持つ魔術の術式も、魔物が持つ魔術刻印も、名前こそ違えど構造は同じ。

 どちらも、体内を流れる血を起源としている……といった内容だった筈だ。

 

「覚えているよ」

 

「魔術術式と魔術刻印を同一とする学説。別個とする学説。主流なのは後者の方ですが、私は前者を支持しています。もちろん、あの論文の全てを鵜呑みにしているわけではありません。しかし、部分的に妥当性があるのは確かです。その前提の上で、エドヴィンさんと意見を交わした果てに、人間が持つ術式と魔物が持つ刻印に細かい差異はありますが、根本的な構造は同じだという考えに至りました」

 

「まぁ、俺も概ね同意だな」

 

「単刀直入に言いますね。私は、魔術刻印を有する魔物の血にアプローチする事が、魔術の真理へと辿り着く近道だと結論付けました」

 

 魔術の真理。

 その単語を耳にした俺は、息を呑む。

 まさしく、不意打ちを喰らった気分だった。

 

 魔術は、自らの体に刻まれた術式に魔力を流すことで発動できる。

 これは、子供でも知ってる理論。

 だが、その仕組みは解き明かされていない。

 魔力は、どのようなエネルギーなのか。

 術式は、どのような原理で、魔術を発現させているのか。

 存命している魔術師の誰一人として、構造の全容を把握できていない。

 

 要するに、魔術は、完全なブラックボックスなのである。

 この世界で、魔術というブラックボックスを解き明かしたのは……魔術の真理に辿り着いたのは、魔術の始祖である『ヴィザード・ケイン』のみ。

 現在、我々が魔術を扱えているのは、ヴィザードが機能や使い方を残してくれたから。

 彼が存在しなければ、魔術という概念は、御伽話の産物のままだったのである。

 

 無知で無力な現代の魔術師に出来るのは、自らの体に刻まれた術式を研磨することのみ。

 魔術というブラックボックスを解き明かそうとする行為は、タブーとされていた。

 その理由は、分からない。

 ただ、古くから伝わる禁忌として、破ろうとする愚か者は誰も居なかった。

 生涯をかけて、禁忌を冒してまで魔術の真理を追い求める人間は他にいない。

 この世界に、俺だけしかいない。

 ……そう、確信していたのに。

 目の前に立つ少女は。

 ルシルは、魔術の真理と口にした。

 

「ねぇ、エドヴィンさん」

 

 びくりと体が跳ね上がる。

 心理的な動揺を隠す事が出来ない。

 

「私と、お付き合いしませんか?」

 

 何を言っているんだ。

 と、言ってやりたかった。

 けど、すんでのところで飲み込んだ。

 もう、訳が分からない。

 ルシルは魔術の真理という禁忌の言葉を口にして、矢継ぎ早に告白してきて。

 情報量が多すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

 悪い夢を見ているような気分だった。

 でも、紛れもない現実だった。

 

「エドヴィンさんも、同じ気持ちだと知っていますよ。魔術の真理に辿り着きたいと思っていて、私を憎からず思っていますよね」

 

 いつの間にか、ルシルは目の前に立っていた。

 そして、躊躇する事なく、倒れ掛かってくる。

 最後に、耳元に手を当てて、甘い言葉を囁いた。

 先程までの。

 小動物のようにサンドイッチを食べていた少女と、同一人物とは思えない。

 

「なら、良いじゃないですか。互いを愛する恋人になって、魔術師にとっての禁忌を犯す共犯者になって……私に全てを捧げてください。その代わりに、貴方には、私の全てを差し上げます」

 

 魅力的な提案だと思ってしまった。

 それくらい、ルシルの視線に熱が篭っていた。

 腕を絡め取られ、手のひら同士を合わせ、指の一本一本を交差するように握られる。

 汗一つかいていない、同世代の少女の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 仕草の一つ一つが、こちらの情欲を掻き立てて、理性を溶かそうとする。

 本当に、どうにかなってしまいそうだ。

 

「……私は、エドヴィンさんが欲しいんです。心優しい貴方が、優秀な魔術師である貴方が。どうしても、狂おしいほどに」

 

 揺れていた。

 自らの心が、軸を失いかけていた。

 そんな俺の心情を見透かすかのように、ルシルは口元を歪ませていた。

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