天賦の才を有する魔術師が闇堕ちして魔王になるのを防ぎたいだけの人生だった 作:門崎タッタ
「……分かった。付き合おう」
「宜しいのですか?」
「…………ああ」
自然と、そう口にしていた。
ドロドロに溶けた心はもう元には戻らない。
知らず知らずのうちに、ルシルフェルト・レプトハイムという少女の毒が全身に回っていて。
自分に軸がない俺は、敢えなく陥落したのだ。
「ふ……ふふふ、ふふふっ」
少女は笑う。
心の底から嬉しそうに。
口元を手で隠す事なく、歪んだ笑顔を見せる。
「私、自分でも不思議なんです。今までずーっと、他人なんてどうでもいいと思ってた。自分以外の人間は、宙に浮かぶ埃と同じ。無駄に数だけ多い、塵芥だと思っていたんです」
口を閉ざす。
何も言えなかった。
言葉を返す権利など無かった。
俺は、彼女に隷属することを選んだから。
「でも、エドヴィンさんは違った。学院で初めて会った時、目を見ただけで分かったんです。貴方は……私と同じだって」
ルシルフェルトは優れた人間だ。
特待生でもなんでもない。
ごく普通の学徒である俺とは格が違う。
そんな彼女が、認めてくれた。
数ある人間の中から、俺を選んでくれた事実が嬉しかった。
甘い言葉を吐いてくれる事実が、俺の自尊心を満たしていく。
ルシルフェルトの存在が、俺の心の中を占めていく。
「貴方の目には意思が介在していた。揺るぎない信念があった。他の有象無象には無い輝きがあったんです。そして、私の見立ては間違いじゃ無かった。貴方と一緒に行動して、一緒に話す度に、疑念が確信に変わっていった。エドヴィンさんも、私と同じ理想を抱いていると、気づいてしまったんです」
魔術の真理。
ずっと夢見ていた頂の景色。
同じ理想を抱く、ルシルフェルトに付き従えば、辿り着けるに違いない。
そんな確信があった。
「嬉しかったなぁ……本当に。隔絶された空間に閉じ込められている私に、救いの手が差し伸べられたような。今まで散々馬鹿にしてきた、メルヘンチックな感覚すら覚えました。有り体に言うと、エドヴィンさんとの出逢いは運命だと感じたんです」
俺も同じだ。
運命だと思った。
ずっと一人だったから。
暗闇の中、手探りで魔術の勉強をする。
正しいのか、間違っているのか、わからないまま、家に置いてあった一冊の本だけを頼りに、一心不乱に魔術の鍛錬を積み重ねた。
その果てに、気がついた。
平民の俺には、何も無いのだと。
誰よりも魔術を愛していると自負しているのに、魔術の才能がなくて。
世界から隔絶されていると、思っていた。
けれども、ルシルフェルトと出逢えて、俺は一人ではないと肯定された気がしたから。
だからこそ、手放したく無かった。
矜持や信念を。
……俺の全てを捧げてでも。
「ずっと、一緒に居ましょう。そして、魔術の真理に辿り着きましょう。……私達、二人だけで」
この時に限って、ルシルフェルトが異常なくらいに幼く見えた。
まるで、欲しがっていた玩具を手に入れた幼子のように、屈託のない笑みを浮かべていて。
俺は、これで良いと思った。
自らの選択は決して、間違いではないと。
違和感から目を背けて、自分を肯定した。
……故に、失敗した。
彼女の歪みは歪みのまま。
二人だけの世界で、完結する。
外部の刺激を遮断した結果、行き詰まった。
真実は覆い隠され、最悪な結末を迎えて。
後悔した時には、もう、全てが遅かったのだ。
◇
◇
俺は、愚かではないと思う。
今も尚、客観的に物事を見ているつもりでいる。
だから、分かる。
分かってしまう。
「ダメ、ですか?」
何かを期待するように、俺の顔を見るルシルは……俺の事を愛してなどいない。
無論、付き合うという言葉は嘘ではないと思う。
彼女に、俺を騙そうとする意図はない。
色仕掛けに耐える事が出来るか、試そうとしている訳でもない。
俺が首を縦に振れば、その時点から男女としての交際が始まり、運命共同体として魔術の真理を追い求める日々が始まるに違いない。
だが、そこには、愛がない。
恋人としてルシルと共に過ごす日々は、俺の欲望を満たすだけの、ままごと遊びに過ぎない。
俺が知る、ルシルフェルト・レプトハイムという少女は、たった2ヶ月しか付き合いのない男を好きになるような女性ではない。
というより、特定の人間に対して、恋心を抱くかどうかすら怪しい。
彼女がもっとも重んじているものは、魔術で。
優先順位が覆る事は、絶対にない。
その前提の上で考えてみると、ルシルが俺に告白してきた意図が読めてくる。
これは、契約だ。
そう推測する根拠だって、存在する。
2ヶ月前に、ルシルが同級生を叩きのめして、俺達が周囲の人々から避けられるようになった事件。
彼女は何故、傍若無人な振る舞いでもって、人払いをしたのか……ずっと前から疑問に思っていた。
しかし、ようやく理解できた。
全てはこの時のため。
周囲との関わりを断ち切り、自分に依存させるため、敢えて俺を孤立させたのだ。
ルシルは自分の体を俺に差し出して、その対価として、俺の全てを手に入れようとしている。
そこそこ役に立つと判断した俺を、使い勝手の良い操り人形に仕立て上げ、魔術の真理に辿り着くために使い潰そうとしているのだろう。
そのために、恋人でありながら、共に禁忌を犯す共犯者……という鎖で縛りつけようとしており。
この目論見を俺が察知する事すら読んだ上で、契約を持ちかけているのだ。
きっと、俺なら受け入れてくれる。
そんな確信を、抱いているから。
実際のところ、魅力的な提案である。
俺にとってはメリットばかり。
かねてより夢に見ていた魔術の真理への到達に関しては、俺一人で追い求めるより、天賦の才を持つルシルと協力する方が、実現の可能性が高い。
その上、本来ならば、俺のような平民の手には届かない、御三家出身の魔術師。
極めて優れた容姿を有する彼女と、交際関係を結べるのだから、まさに良い事尽くしだ。
ルシルを受け入れる事で生じるデメリットなんて、無いに等しい。
受け入れない選択をするのが、馬鹿馬鹿しいと思ってしまうくらいで。
付け加えると、俺の能力を高く評価し、魔術の真理を追い求める道具として有用だと判断してくれた事実を喜ばしく思う自分も存在する。
我ながら、奴隷根性丸出しで情けなくはあるが、そう思ってしまうくらいに、彼女が有する魔術の才能は突出しているのだ。
……やはり、ルシルは聡明な人間だと思う。
行動の一つ一つに意味があり、それらの行動は合理性に富んでいる。
俺という存在を手に入れるために仕組んだ計略は、どれも有効的に作用していたのだ。
一体、彼女はいつから、このような算段を立てていたのだろうか。
無知蒙昧な俺は、ずっと流されるままで……絡め取られている事すら。
こうして、種明かしされるまで、蜘蛛の巣に引っかかっている事すら、気づけなかった。
「……重ねて申し上げますが、私はエドヴィンさんを手に入れたいんです。特定の誰かに執着する事なんて初めてで、自分の気持ちを表す言葉が見つからないけど……絶対に、誰にも渡したくない……!」
恋人繋ぎをしている手に、力が込められる。
声にも、情念が宿っているような気がした。
ルシルは俯いているため、表情を確認する事は叶わないが……きっと、笑ってはないだろう。
正直、想定外だった。
感傷的な人間とは程遠いと思っていた。
でも、見当違いだった。
恋愛感情ではなくとも、執着心や独占欲。
匂わせる事はあっても、表に出さなかった感情が明言される。
ルシルの提案は合理性を追究したものではなく、個人的な感情も介在している事が分かってしまう。
これも、彼女の想定の範囲内か否かは知る由もないが、確かに俺の心は傾きかけていた。
告白を受け入れる決意を固めつつあったのだ。
「俺は……」
言葉を紡ごうとして、やめた。
脳裏には、俺が作ったサンドイッチを美味しそうに食べるルシルの姿が浮かぶ。
年相応に振る舞う少女の姿が、浮かんでしまう。
本当に、これでいいのか?
最初から最後まで、ルシルの手のひらの上で踊る形で、なし崩しに付き合って。
その先に、未来はあるのだろうか。
望んでいた対等な関係は築けるのだろうか。
何よりも、俺達は、幸せになれるのだろうか。
我ながら、魔術師とは思えない思考だと思う。
だが、一度でも考えてしまった以上、無視する事は出来なかった。
俺は、ルシルの事を何も知らない。
生い立ちも、好きな食べ物も、趣味も、将来の夢も、神を信仰しているか否かも。
俺とルシルの繋がりは、魔術しかない。
価値観が合う訳でも、思い出がある訳でも、特別な情がある訳でもない。
こんな状態で付き合って、何になるというんだ。
魔術の真理に辿り着くためというお題目を掲げて、蠱惑的なルシルの誘惑に負けて、執着心や独占欲の赴くままに支配されて。
彼女が抱えている問題や歪んだ側面に目を背けて、共依存的な関係を構築して。
俺は、それで満足か?
納得して生きる事が出来るのか?
……否、受け入れる事など出来ない。
目の前に出された手料理に毒が入ってないか疑うような、誰一人として信用できない場所で生きてきたルシルの過去。
それを知った上で、俺は心に決めた筈だ。
俺に出来ることは、してみたいと。
利害とか隷属とか関係なしに信頼に応えたいと。
その誓いを、俺なりに果たすべきだ。
真理を追い求める魔術師として、ではなく。
エドヴィンという、一個人の人間として。
「なぁ、ルシル」
「なんでしょう、エドヴィンさん」
「お前は、好きな吟遊詩人の詩とかあるか?」
「……?」
「俺は、聖剣に選ばれた勇者の詩が好きなんだ。最初は何もかもダメダメで、魔物に怯えてばかりの根性無しだったけど、仲間との出会いを経て成長していく様が、王道ながらに面白い」
「いきなり、何を」
「あー、すまん。こういうの、慣れてなくてさ。えーと、まぁ、なんだ。つまり、俺は、お前の事が知りたいんだよ」
「……私の事が、知りたい?」
ルシルは困惑している様子だった。
脈絡もクソもない俺の発言に呆気に取られて、普段の微笑みすら忘れている。
……なんていうか、今日はいい日だな。
今までに見れなかった彼女の表情を、沢山知る事が出来ている。
今日みたいな日が続けばいいな。
これからも、ずっと。
「要するに、俺はお前と友達になりたいんだ。利害の一致とか、合理性だとか、そんなもんは抜きにした上で……対等な関係になりたい」
「とも、だち……」
「そう、友達だ。対等な友人として、相互理解を深めて。ある程度の段階を踏んでから、恋人になるかどうか決めないか? もちろん、君さえよければ……ではあるけど」
ありのままの思いを口にする。
俺は、ルシルとの縁を大切にしたい。
数段飛ばしで恋人になるよりも、一歩ずつ歩み寄る形で仲を深めていきたいと思っている。
倒錯した関係を築くのは本意ではなく。
まずは、健全な関係から始めたい。
「…………」
ルシルは俯いた状態で、黙り込む。
どうやら、思案に耽っているようだ。
……彼女は今、どんな気持ちでいるのだろうか。
俺なんかが対等な関係を求めるなど、不愉快だと思っているだろうか。
あくまで冷静な態度で、予想外の事態に対して、プランの再構築を行なっているのだろうか。
或いは、これもまた想定の範囲内の出来事であり、考えたフリをしているのだろうか。
いずれにせよ、俺に出来る事はない。
言いたい事は全部吐き出した。
黙したまま、ルシルの言葉を待つ他ないんだ。
「……エドヴィンさん」
「なんだ?」
「二つ、条件があります」
淡々と言葉が発せられる。
声には、一切の感情が篭っていなかった。
「一つ目の条件は、魔術の真理を追い求める手伝いをすること」
「もちろん、構わないぞ」
想定内ではあるが、願ってもない提案であった。
俺にとって、利点しかない。
だが、それにしても、空気が重いな。
雰囲気が重苦しくて、息が詰まりそうになる。
恐らく、次の条件が本命だ。
根拠はないが、そう確信した。
「二つ目の条件は」
ルシルは、僅かに言い淀む。
一瞬の沈黙。
けれど、長く感じる静寂。
口を開くのと同時に、彼女は顔を上げた。
「…………次に料理を振る舞う時は、野菜を入れないでください」
「……え?」
「お肉かお魚を所望します。もしも、野菜を入れたら……絶交、ですよ?」
ルシルは、いつも通りの微笑みを浮かべる。
俺は、すっかり呆気に取られてしまった。
彼女が出した二つ目の条件は、俺が想定していたものとはかけ離れていたから。
意表を突かれて、声が出なかったのだ。
「ふふふ、どうしました? 私の条件、呑んでくれないのですか?」
「い、いや、呑むよ。ただ、思っていたのと違ったから、びっくりしてな」
「……先程、私を驚かせたでしょう? ささやかながら、そのお返しです」
惚けた姿の俺を見て、ルシルはくつくつと笑う。
口元を手で隠しながら、さぞかし楽しそうに。
なるほど。
俯いて表情を見せなかったのも、重苦しい空気を出したのも、わざとだったのか。
どうやら、彼女は俺が思っているよりも、根に持つタイプだったようだ。
「これから末長く、よろしくお願いしますね……エドヴィンさん」
「こちらこそ、宜しく頼む」
恋人繋ぎをしていた手を離し、握手を合わす。
……俺達はお互いのことを何も知らなくて、繋がりは魔術しかない。
だが、今はそれでもいい。
これから、知っていけば良いだけなのだから。
「それでは、出発しましょうか」
「どこに?」
「忘れてしまったのですか? 私達は、ガーゴイルを討伐しに来たのですよ?」
「ああ……そうだったな。色々ありすぎて、忘れかけていたよ」
「意外と忘れっぽいのですね。どうせなら、ショック療法を試してみます? 私の魔術をたっぷりと味わえば、脳みそが活性化するかもしれません」
「頼むから、絶対にやるなよ……!」
和やかに談笑しながら、歩みを進める。
二人並んで、足並みを揃えながら。
この時間がずっと続けば良いと思う。
いつまでもルシルとこうして笑い合えたら、どれだけ幸せだろうか。
けれど、いつか必ず終わりを迎える。
ルシルの中にある執着心や独占欲が消え失せた訳ではないから。
表面上取り繕っているだけで、彼女の中にある問題は何一つ解決していないから。
この平穏は、永遠に続くものじゃない。
だから、いつの日か向き合わなくてはならない。
ルシルが抱える……底知れない歪みと。
だが、それは今ではない。
今は、ただ積み上げれば良い。
お互いを知り、親交を深めれば良いのだ。
今日から、ここから、俺たちの関係は始まる気がしてならない。
少なくとも、今の俺は最適解を選べている。
最後まで目を背けなければ、きっと……最良の結末を迎える事が出来る。
そう自分に言い聞かせて、止まる事なく前に進み続けると、心に決めた。
本作のヒロインは、平気でウソをつく系ヒロインです。