キヴォトスの歯医者さん   作:ニシキ

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セイア「……参ったな……未だにあの時の光景が頭に焼き付いている……彼女と再会した時、私は一体、どんな顔をすれば良いのだろうか……?」

という訳で、31話です。


明星ヒマリ達の邁進

 

 

 

『それでねお姉ちゃん!セイア先輩と友達になったんだ!色々片付いたら、みんなでお茶でもしようってね!』

「(ふふ……そうか。それは、良かったね)」

 

翌朝、目覚まし時計が鳴るよりも大分早く目覚めた私は、嬉しそうにはしゃぐイザナの声を聞いていた。

 

「(色々ありがとう、イザナ。全てが終わったら、皆でお茶会だね)」

『うん!その時は甘いスイーツもよろしくね!』

 

夢でセイアさんに会って来たと聞いた時は面食らったが、イザナなりに私の事を気にかけてくれての行動なので私はそれを咎める気はなく、寧ろ私の為にしてくれた事に嬉しさを感じていた。

 

「(うーん、作るなら無難にクッキーか……いや、ちょっと普通すぎるか?かといって奇をてらい過ぎても……ではなく、情報を整理しないと)」

 

思考が脱線しそうになったが、一先ずはイザナからもたらされた情報を頭の中で整理して、今後の方針について考えていた。

 

「(セイアさん達は原作通り、補習授業部を立ち上げてトリニティに先生を招き入れるらしいが、私はどう動くべきか……」

 

セイアさんのお陰で話は良い方向へと進んでいるようだが、まだ楽観は出来ない。

リオ会長もエデン条約の件については色々考えているらしいし、一応今回の事も報告しておくべきだろう。

それに……アリスへの対処に加えて、エデン条約編が本格的に始まる前に、先生にも全ての情報を共有し備えるべきだろう。

 

「(取り敢えず、明日のアヤメさんと百花繚乱の一件が片付いたら話すか?いや、アリスの件も考えるとリオ会長達にも相談してからの方が良いのだろうか……)」

 

思考に埋没しかけたところで、イザナの声が頭に響く。

 

『ところでお姉ちゃん。水をさして悪いんだけど……セイア先輩もあまり良い顔はしなかったし、ボク的にも悩み所なんだけど……あのおばさん(ベアトリーチェ)が動く前に、こっちから仕掛けるのは、ダメかな?』

「(相手の目的がハッキリしている以上、動き出す前に叩くというのはアリと言えばアリだが……)」

 

被害を最小限に抑える、という意味では私も先制攻撃には賛成ではあるが、いくつかの懸念がある。

 

「(門を使えば、アリウス自治区内に潜入する事は可能かもしれないが……)」

 

門……シロコ∗テラーが使うようなワープゲートを形成する大戸日別神(オオトヒワケ)の権能について、現時点で分かっている事は全部で3つだ。

 

1つは、自分が一度でも来た事のある場所であれば、どんなに離れていても転移が可能である事。

2つは、自分が知っている人物を"マーカー"にする事で行った事のない場所への転移も可能である事。

そして3つは、特に場所を指定していない場合は、その時の願望を反映した場所に門が形成される事。

 

これらを踏まえれば、理論上はアリウス自治区への潜入はおろか、最終編のアトラ・ハシースの箱舟への転移も可能と思われるが……

 

「(一応、自宅で実験はしたものの……アリウスやアトラ•ハシースへの転移が本当に出来るとは断言は出来ないし、失敗した時のリスクが高いからな……)」

 

原作のセイアさんは予知夢の力でゲマトリアの会合を目撃した矢先にベアトリーチェに感づかれてしまい、夢と現実の狭間に囚われしまった。

ゲマトリアが生徒の持つ神秘を研究対象としている以上、何らかの対抗手段を用意している筈だ。

となれば、私がアリウス自治区への侵入を防ぐ為の何らかの仕掛けを張っている可能性は十分にあり得るし、敢えて侵入させて閉じ込める、という可能性もゼロではない。

 

『考えたらキリがないけど、あり得ないとは言い切れないのが辛い所だよね。取り敢えず、みんなに相談してからって事でOK?』

「(そうだね……何事も、無理は禁物だ)」

 

天井を見上げながら、私は更に思考を巡らせる。

 

「(そもそもエデン条約編にしても、前の対策委員会編にしても、私1人で全て解決しなければならないという訳じゃない……他力本願と言われても仕方ないけど、自分が出来ない事を無理してやるよりも、出来る人間に任せて私は私の出来る事をする。その方が、結果的にアヤメさんや皆を護れる)」

『ふふ、相変わらずお姉ちゃんはアヤメ先輩が大好きなんだね』

 

イザナがクスクスと笑う。

 

『まあ、あのおばさんがいなくなればアリウスも少しは大人しくなると思うんだけどね……人望なさそうだし』

「(それも一理あるけど、彼女達のトリニティやゲヘナに対する負の感情が、すぐに消える訳じゃない。それに、支配者を失ったアリウスがどう動くかも未知数だ)」

 

仮に前もって首謀者であるベアトリーチェを倒してアリウスを止めたとしても、その振り上げた拳のもって行き場がないのも問題だ。そしてそれは、条約に関わるゲヘナやトリニティにも当てはまる。

原作での結末も、結果的に三竦みの戦いでエデン条約側が勝利して、アリウス側が敗北を悟った事で何とか収まったようなものなのだから。

 

「(かといって、今更原作と同じ流れを狙うというのも無理な話だ。何より……何時までも黒幕気取りの年増(ベアトリーチェ)に好き勝手させるつもりもない)」

 

本音を言えば、すぐにでもベアトリーチェを倒したいところだが……万が一、失敗して雲隠れされた場合、あの狡猾かつ執念深い性格を考えれば、後々面倒な事になるのは確かだ。

だからこそ、やるなら対策委員会編の時のように戦力を揃え、確実に仕留める必要がある。

それに、戦いが終わった後のアリウスの生徒達の処遇についても考えなければならない。

セイアさんが言っていたように、ただ相手を滅ぼすだけでは本当の意味で解決はしないのだから。

 

『まあ、難しい事は一旦全部忘れようよお姉ちゃん』

 

イザナの声が急に甘くなった。

 

『今日と明後日は、大事な日なんでしょ?』

「(うん、そうだね……)」

 

私は視線を横に滑らせた。

 

「すぅ……すぅ……」

 

そこには、アヤメさんが幸せそうに寝息を立てながら、私の腕にしがみつくように眠っていた。

 

『一応聞くけどさ……どれくらいヤッたの?』

「(……少なくとも、夜の1時くらいまでシてた記憶はある」

『要するに、また夢中になって一晩中盛ってた訳ね……』

 

イザナの声からは呆れの感情がひしひしと伝わって来る。

 

『ねえ、ぶっちゃけさ……これ、ネネコ先輩が知ったらどんな顔をするんだろうね?』

「(………………)」

 

イザナの指摘に対して、私は何も言えなかった。これから告白する相手が、別の女と【ピー】していたと聞いたらどんな反応をするかなど、火を見るより明らかだからだ。

 

『まあ、あの先輩ってお姉ちゃんに対して結構甘いし、何だかんだで許してくれそうだけどねー……代わりにたっぷり"絞られる"かもしれないけど』

 

イザナの言葉を聞いて、昨日のネネコ先輩の顔が思い浮かんだ。

私を見つめるその瞳は……前世で散々見てきた二次創作に登場する、先生に対して強い独占欲を持った生徒達のような湿度の高い、妖しい光を帯びていて……とても、美しかった。

そして、私の首筋にネネコ先輩の美しく硬い歯が突き立てられる感触に、言い様のない快感を覚えたのも事実だ。

そんなネネコ先輩が……私の大好きな先輩が私を求めてくれる。それが、私にはとても────

 

『はいはーい、一晩中アヤメ先輩とヤッたんだから、妄想するの一旦やめようねー』

 

イザナの声によって、私の意識は現実へと戻された。

 

『でさ、まだ早いけど起きる?二度寝するならボクが起こすけど』

「(まだ予定より1時間あるし、二度寝するよ。けど、その前に……)」

 

ちらりと、私の腕にしがみつくアヤメさんを見つめる。アヤメさんも私も、生まれたままの姿を晒して、互いに暖かく柔らかい肌の感触と、少女特有の良い匂いが鼻腔をくすぐっていた。

 

「…………」

「んっ……あっ……」

 

そっと、空いた"手を動かす"と……アヤメさんのハリのある唇から、甘い吐息と共に艶のある声が溢れる。

指先を小刻みに動かす度にアヤメさんの身体がピクリと反応し、仄かに肌が赤く染まっていく。

 

「ふふっ。可愛いですよ、アヤメさん」

 

小さく呟き、アヤメさんの頬に小さくキスをしてから、私は目蓋を閉じる。

 

『……とびきり苦いコーヒー、飲みたいなぁ』

 

やがて私は、アヤメさんの温もりに包まれながら、微睡みに身を委ねていった。

「という訳なんです」

「ちょっと待ってちょうだい」

「ちょっと待って下さい」

 

場所は変わって特異現象捜査部のセーフハウス。ネネコ先輩の件についてはまだ時間があるので、アヤメさんには時間が来たらワープで迎えに来るといって自宅で待って貰い、その間に私はイザナがセイアさんと夢の中で会って話した事と、新しく使えるようになった権能(チカラ)の詳細、そして恐らくは地下生活者によって記憶から消えていた、デカグラマトンに関する情報をリオ会長達に話した結果……リオ会長と、一緒にいたヒマリ先輩の声がピッタリと重なるように室内に響いた。

その後ろで控えているエイミとトキは2人揃って何故か深いため息を吐いていた。

 

「あの……何か、まずかったですか?」

 

揃って項垂れる2人に恐る恐る声をかける。その表情は、何故か酷く疲れているように見えた。

 

「いえ、情報を提供してくれた事には感謝してるわ。ただ、その……」

「……あなたのその正直さは美徳ですが、唐突に情報爆弾を投下されると、こちらの脳がオーバーフローを起こしかねないので、なるべく控えてもらえませんか……?」

「……すみません」

 

何か前にも似たようなやりとりをしたなぁ……と、思いつつ項垂れる2人に頭を下げる。

 

「……とにかく、百合園セイアの件と、デカグラマトンの件は理解したわ。それから、あなたの力についても、ね……」

「ハモリ、分かっていると思いますが……」

「ええ、どうしても必要な時以外には使いませんよ。そもそも、そういう魔法じみた力なんて、歯の治療に必要ありませんからね」

 

再現性のない力に頼ったところで、それは一時的な奇跡にすぎず、私がいなければ誰にも出来ないものだ。

そもそも、私にはこれまで培ってきた歯科医としての知識と技術、そして経験がある。

力に頼らなくても治療は出来るし、自分自身と患者の為にも、技術の研磨と知識の集積はずっと続けていきたい。

そして、継承出来る技術や知識は後世に残すべき財産であり、それを可愛い後輩達に教え後世に残す事は歯科学部部長であり、コズエ達の先輩として私がやるべき事だ。

だからこそ、私は自身の神秘を治療に使う気はない。

 

「(尤も、緊急時や相手が歯無しの鉄屑共(カイザー)のような連中なら、話は別だがな)」

『ケースバイケースってやつだね』

 

脳内でそんなやり取りをしていると、ヒマリ先輩が小さく笑みを浮かべる。

 

「歯の治療、ですか……ふふ、実にあなたらしい回答ですね」

「だとしても、あなたの力について今後も引き続き注視するべきね」

 

そこへ、リオ会長が話に加わる。

 

「前回あなたの力を頼っている手前、こんな事を言うのもなんだけど……あなた、いえ……"あなた達"の力はこのキヴォトスにおいて、あまりにも異質すぎるわ……それこそ、未だ目覚めていない名もなき神々の王女(天童アリス)のように、ね」

 

それに、とリオ会長は続ける。

  

「あなたとあなたの妹に何かあった場合、夢で繋がっている百合園セイアにも何らかの影響を及ぼす可能性もあるわ。もし、トリニティがその事を知って、実際に百合園セイアの身が危険に晒された場合、あなた達に疑いがかかる恐れがある……そして最悪のケースは……トリニティとミレニアムとの、全面戦争よ」

「…………」

「コラ。後輩を脅すはやめなさい、リオ」

 

リオ会長の言葉を受けて、私が口を開こうとする前に、ヒマリ先輩の声が室内に響き渡り、眉間に皺を寄せながらリオ会長を睨み付ける。

 

「ヒマリ、私はただ現状起こりうる可能性について……」

「そうではなくて、あなたはもう少し言葉を選びなさい。大体、いつもいつもそういう持って回った言い回しのせいで余計なトラブルを招くのですよ全く……」

 

すると、ヒマリ先輩は小さく息を吐き、ゆっくりと口を開く。

 

「────そこは素直に、心配しているって言えば良いんですよ。あれこれ難しく考えず、自分の気持ちを正直に伝えるだけで、十分なんです」

 

その後も延々と自己愛溢れるフレーズを繰り返すヒマリ先輩をスルーして、リオ会長は改めて私と向き合う。

 

「……ハモリ」

「はい」

 

リオ会長は先程と異なり、何処か歯切れが悪そうな仕草を見せていた。

やがて目を閉じて、ゆっくりと開けると真剣な眼差しで私を見つめる。

 

「……気を悪くしてしまったのなら謝罪するわ。あなた達の協力については寧ろ感謝しているし、あなた達の人となりについては私も信用している」

 

けれど、とリオ会長は話を続ける。

 

「あなた達の力は……個人が持つには、余りにも強すぎる。その全容がわからない以上、今後どれだけ力を発揮するのかも分からない。最早、その力はあなた達だけの問題ではなく、この学園にとっても極めて重要な事と言っても良い……もし、使い方を誤れば……あなた達が新たなキヴォトスの脅威になりかねないという事をよく覚えておいて」

 

リオ会長は静かにそう告げた。私自身、イザナから話は聞いたとはいえ、自分の神秘……力の事を全て把握しているとは言えない。

だからこそ、リオ会長が念を押して私に警告した事がよく理解出来た。

私は小さく頷き、自分の想いをリオ会長に告げる。

 

「私は、この力を悪用する気はありません。まだ、分からない事は沢山ありますけど、これから少しずつ理解出来るようにしていくつもりです。そして、この力で困っている人が助けられるのなら、私はその為に力を使いたい。私が望むのは、皆と笑い合える日常を謳歌する事だけです───ボクも以下同文だよ、リオ先輩」

 

すると、イザナが現れて意識が切り替わる。

 

「ボクは死そのものだけど、別に殺しが好きな訳じゃないし、弱いものいじめなんて趣味じゃないからね。それに……お姉ちゃん、ボクに名前をくれた先生、アヤメ先輩とみんなが暮らすこのキヴォトス、そして……ボクの友達(セイア先輩)……何があっても、みんな絶対に護り抜くと約束するよ」

 

私達の言葉を聞いたリオ会長は、納得したように小さく頷く。

 

「分かったわ。今後も何かあればすぐに私に報告するように。必要があれば詳しく検査も行うわ」

「よろしくねー……はい、リオ会長。それと……」

「何かしら?」

 

イザナと切り替わった私は一呼吸入れた後、ゆっくりと口を開く。

 

「リオ会長も、私が護りたい大切な人です。リオ会長がこの学園を護る為に、ずっと尽力して来た事を私は知っています。だから今度は、私がリオ会長を護らせて下さい。迷惑をかけてしまう事もあるかもしれませんが……それでも私は、後輩として、ミレニアムを護ってくれている先輩の力になりたいんです」

 

普段は冷静沈着で、他人を寄せ付けない印象を与えるリオ会長の事を悪く言う生徒は少なからずいるのは事実だが、決して情がない人ではない。

本人は合理的な判断をしただけ、と度々口にしているが……結果を出した人や部活はちゃんと評価するし、仮に結果が出せなかったとしても、その人達が真摯である限り、必要な予算を算出し猶予を与えてくれている。

その一方で、開発された技術を狙う犯罪組織や悪徳企業から学園を護る為にありとあらゆる手段を用いる、一種の冷酷さもあるが……裏を返せば、それだけこの学園(ミレニアム)を愛しているという事だ。

そんなリオ会長は私にとって、立ち上げて間もない歯科学部にやってきてくれた最初の患者で、ネネコ先輩と同じくらい尊敬している先輩の1人だ。

だからこそ、私もミレニアムを護ってくれているリオ会長の力になりたいと考えているし、場合によっては権能を使う事も視野に入れている。

 

「(実際、小難しい話は全てリオ会長に丸投げしているし、いくらキヴォトスの存亡に関わるとはいえ、私の事情に巻き込んだ責任はきちんと取らないと、だな)」

 

リオ会長もまた、ミレニアムの生徒の1人だ。ならば同じ学園の生徒同士、助け合うのは道理だろう。

そもそも、ミレニアムは『千年難題』という今の技術では解けない7つの難題に立ち向かう為に、様々な研究者達や組織が集い、協力し合う事で設立された学園だ。

故に、これは飽くまで個人的な解釈だが……共に力を合わせ、共に苦難を乗り越えて未来を手にするという理念こそが、ミレニアムのスクールモットーであると言えるだろう。

 

「……そう」

 

私の言葉に小さく返答するリオ会長の顔は少し赤く、何処か嬉しそうだった。

 

「オホン!そこの2人、このミレニアム創設以来、僅か3名しか至れなかった『全知』の学位を修めた眉目秀麗な超天才清楚系病弱美少女ハッカーにして、万物万象を魅力する儚き可憐な高嶺の花であり、電子の海を優雅に舞い踊る至高のヴィーナスたるこの明星ヒマリの存在を道端の石ころのように蔑ろにした挙げ句、砂糖とハチミツと練乳をこれでもかと大量に塗りたくったケーキのように甘い恋愛小説のワンシーンが如き光景を見せ付けるとは……良い度胸をしてますね?」

「「!?」」

 

リオ会長と共に声がした方を振り向くとそこには……『私、今最高に不機嫌です』と言わんばかりにジト目で私達を睨むヒマリ先輩の姿があった。

 

「その……ヒマリ、決してあなたを無視した訳では……」

「ええ、ええ。元よりあなたのようなドブの如き性格の下水女に、この澄みきったミネラルウォーターの如き清らかな乙女の心の機敏を捉えるという無理難題を押し付ける程、私は狭量な人間ではありませんとも。な•の•で、あなたは何も気にする必要はありませんよ、全く!これっぽっちも!」

 

何処からどう見ても意識している、というか拗ねているようにしか見えなかったが……それを指摘したら薮蛇になりそうな気がしてならなかった。

 

『原因の1つはお姉ちゃんな気がするけどねー?』

 

イザナのツッコミが脳内に響くと共に、ヒマリ先輩の視線が私の方に向く。

 

「ハモリ。何か言いたげな視線をあなたから感じるのですが……?」

「……特に何もないです」

 

やがてある程度落ち着いたのか、ヒマリ先輩は深いため息をする。

 

「ふぅ……この私とした事が少々取り乱しましたね。一先ず、ハモリは今後も色々と協力していただく事になりますが、決して無理はしないように。逆にあなたの方でも何かあれば、気軽に相談して下さい。リオもそれで構いませんね?」

「言いたい事は全部ヒマリが言ってくれたし、私からは特に言う事はないわ」

 

ヒマリ先輩の言葉に、リオ会長は小さく頷く。

 

「それにしても……まさか、対絶対者自立型分析システム(デカグラマトン)の正体がただの自販機……それも、紙幣をスキャンしお釣りを計算するだけの単純なAIだったとは……事実は小説より奇なりとは、まさにこの事でしょうね」

 

一転して、ヒマリ先輩は神妙な表情を浮かべていた。

 

「一体どのようにしてお釣り計算AIが高度な知性を獲得したのか気になるところですが、それよりも確認するべき事がありますね……リオ、現在の『ハブ』の状況は?」

「今のところは問題なく稼働しているわ。外部からのハッキング……いえ、あなたの言葉を借りるなら『感化』された形跡はないわ」

 

リオ会長は端末を操作しながら答え、ヒマリ先輩はモニターに映る巨大な機械をまっすぐに見つめる。

 

「今からセキュリティを強化するとしても、どこまで通用するのか微妙なところですね。かといって、ハブを破棄するのも現実的ではありません……寧ろ、第8の預言者『ホド』となってミレニアムを侵略してくる事を前提に我々は備えるべきでしょう」

「ハブの離脱は痛手だけど、致し方ないわね……電子上の侵略はともかく、通信ケーブル補修用AIの特性を踏まえると『インベイドピラー』を設置して物理的にミレニアムを支配下に置く事も可能な筈……それに万が一、エリドゥまでも掌握されたら目も当てられないわ」

 

第8の預言者ホド。その元となるハブは、ミレニアム創設初期から存在している通信ユニットAIだ。

ゲームにおける総力戦では散々倒してきた相手ではあるが……2人の話を聞いて、改めてその恐ろしさを目の当たりにしているところだ。

 

「ハブについては、いつ預言者となって攻めてくるか分からない現状は、セキュリティを強化しつつ、監視に努めるしかないわね……」

「大元であるデカグラマトン本体を先に叩く、という手もありますが……相手がAIである特性を考えると、自らのコピーを既にキヴォトス中にバラまいている可能性も否めません。それこそ、キヴォトス全域を更地にでもしない限り、器を破壊しても何処かの端末に乗り移り復活するでしょうね……」

 

2人が色々と議論を重ねていくが、内容が段々と専門用語の飛び交う、私にとっては未知の領域になりつつあった。

 

「ホドの存在も厄介ですが、デカグラマトンの本体が存在する廃墟水没地区の外郭に位置する研究地区……そこを守護する第1の預言者『ケテル』……同じく廃墟に存在するデカグラマトンが運用する兵力の供給源である第4の預言者『ケセド』……いずれも、アビドスで倒されたビナーに並ぶ脅威である事は間違いないですね」

「はい。加えて、まだ未確認の預言者が恐らくは後"7体"いますからね……」

「……?ちょっと待ってちょうだい。預言者は全部で10体ではなかったの?」

 

リオ会長が私に問いかける。

 

「すみません、言葉が足りませんでした。その前にお聞きしたいのですが……『生命の樹』という言葉はご存知でしょうか?」

「おや、まさかあなたからその言葉が出るとは……ええ、私達も存じていますよ」

 

ヒマリ先輩がキーボードを叩くと、モニターに生命の樹の図形が表示される。

 

「曰く『神の摂理へと至る道』を意味し、10のセフィラを通じて神になる、と……あなたが話していたデカグラマトンの主張と一致しますね。それで、何故あなたは預言者が全部で11体いるという考えに至ったのですか?」

「はい、この空白部分なんですけど……」

 

私は生命の樹のセフィラに囲まれた空白部分を指差す。

 

「この辺りに、実は『隠されたダアト』と呼ばれる11個目のセフィラが隠されていまして、預言者達が各セフィラに対応している事を踏まえると……第11の預言者『ダアト』がいてもおかしくはないかと」

 

勿論、私が知る限りでは原作にそのような存在は確認されなかったが、預言者達が各セフィラに対応している事を踏まえれば、それを完全に否定出来ないのも事実だ。

 

「10体の預言者に、その本体であるデカグラマトン……もし一斉に攻められたら……」

 

リオ会長は生命の樹の図面をじっと見つめながら小さく呟いた。その顔には、明らかな疲労の色が出ていた。

 

「リオ会長。ちょっと良いですか?」

 

私はリオ会長の前で両手を翳すと、淡い光が溢れてリオ会長の身体を包み込む。

 

「リオ様!?」

「ハモリ、何を……!?」

「その……大分お疲れのようでしたので、疲労を回復させました。これで身体の調子は良くなっている筈です」

 

光が消えた後、私の言葉にリオ会長は手のひらをじっと見つめ、驚いたように目を瞬かせた。

 

「信じられない……身体が軽い……思考がクリアになって、まるで10時間熟睡したような気分だわ」

「確かに、以前よりも顔色が良くなっていますね」

 

横で様子を見ていたトキが口を挟む。

 

「……そんなに酷かったかしら?」

「はい。ここ最近のリオ様は、睡眠と栄養が不足していました。あれほど食事はきちんと取るようにとお話したにもかかわらず、今朝も朝食はサプリメントで済ませていましたし、昨晩の夕食は焦げたレトルト食品のみと記憶していますが……?」

 

トキは何処か責めるような目で、リオ会長を見つめる。リオ会長はその視線に耐えきれず、目を泳がせる。

 

「その、トキ……決して、あなたの料理に問題がある訳ではないわ。けれど、栄養はサプリできちんと補えてるし、寧ろ調理の時間とコストを考えればその方が合理的で、あなたに余計な手間を……」

「────それ以上言い訳をするなら、蹴り飛ばして無理やり食べさせますよ……?」

 

トキの形の良い唇から溢れた、静かで冷たい声に思わず身を固くする。

一方のリオ会長は石のように固まり、身体を小さく震わせながら目元を潤ませた。

 

「つ、次からはちゃんと食べるわ……だから、その……ごめんなさい……」

「はい、約束ですよ?」

 

リオ会長の言葉に小さく微笑むトキ。

その背後に……出刃包丁を握った夜叉の幻影が見えたのは、きっと気のせいだと思いたい。

 

「ふふ……っ、ふふふ……!」

「部長。笑うのは良くないよ」

「わ、分かっています……ですが、見て下さい。あの、リオの顔を……あ、はははは……!」

 

一方、ヒマリ先輩は肩を震わせて笑いを堪えていた。

エイミが咎めるも、ヒマリ先輩は腹を抱えて笑い出す始末であった。

 

「(ああ、アヤメさんとネネコ先輩に噛まれたい……)」

『お姉ちゃん、現実逃避やめようねー』

 

結局、全員が落ち着くまでの間、私は妄想の世界にトリップしていた。

しばらくして、全員が落ち着いたのを見計らい、私は話を切り出す。

 

「以前から考えていたんですけど……先生やミレニアムの皆にも事情を全て説明して、協力してもらった方が良いと思うんです」

 

私以外の4人の視線が、私に集まる。

 

「まだ廃墟で眠っているアリスの件も含めてですけど……話はミレニアム全体に関わる問題です。物資や人員、戦闘指揮の支援をシャーレに、ハードの扱いならエンジニア部に、AIやセキュリティの扱いならヴェリタスに、戦闘が起こった時はC&Cに、と……全員で力を合わせて備えるべきだと思うんです」

「「「「………………」」」」

 

私の言葉に4人が沈黙し、それぞれが思い思いに思考を巡らせている様子だった。

皆を巻き込んでしまうのは気が引けるが、それこそ今更な話だ。

それに、遅かれ早かれ巻き込まれる事を考えれば、寧ろ早い段階で知らせておいた方が対策も練れるし、その分被害も抑えられる、というのが私の考えだ。

 

「私はハモリ先輩の意見に賛成かな」

 

はじめに沈黙を破ったのは、エイミだった。

 

「正直、今の私達だけでビナーのような敵を全て相手するのは難しいと思う。ハモリ先輩達の力は確かにスゴかったけど、だからといってハモリ先輩達だけに無理をさせる訳にはいかないし。それなら、ミレニアムの皆と先生の力が加われば、もっと効率的に作戦が進められるんじゃないかな」

「私もエイミと同意見です」

 

次に口を開いたのは、トキだった。

 

「敵が強大かつ未知数である以上、戦力の増強は必須です。故に、シャーレの先生をはじめとした協力者を募るべきと進言します」

 

2人の言葉にヒマリ先輩とリオ会長は顔を見合せると、納得したように小さく頷く。

 

「分かったわ。ネル達には私から伝えておきましょう。それから、混乱を避ける為に他の生徒達には今回の事は口外しないように。良いわね?」

 

私を含めた全員が頷く。

 

「少なくとも、アリスについては先生と接触しない限り目覚める事はない筈です。その間に具体的な対策会議をするとして、先生も交えて各部の代表を集めて行うのが良いでしょう。その際にはハモリ、あなたにも参加していただく事になりますが……」

「はい、勿論です」

 

元より発案者は私なので、当然参加一択だ。

 

「一先ず、今後の方針については以上よ。会議の件は日程が決まり次第こちらから連絡させてもらうから、あなたも時間を空けておいてちょうだい」

「分かりました。それから、色々対応していただきありがとうございます」

「構わないわ。こちらはやるべき事をやっているだけなのだから」

 

朝からちょっとゴタゴタしたが、取り敢えず話はまとまったので一安心だ。

 

「あ、ハモリ先輩。ひとつ聞きたいんだけど」

 

歯科学部へ戻ろうとすると、エイミが声をかけてきた。

 

「さっき、リオ会長に使った力なんだけど……例えば……ヒマリ部長の足を治す事って、出来る?」

 

エイミが私の眼をまっすぐに見つめる。

 

「エイミ、あなた……」

「余計なお節介かもしれないけど……もし、足が良くなったら、部長は嬉しい?」

 

エイミからの問いに、ヒマリ先輩は少しの間を空けてからゆっくりと口を開く。

 

「それは、嬉しいですけど……ハモリに負担が……」

「私は構いませんよ」

 

私はハッキリと応える。

 

「さっきも話しましたけど、即死でなければどんな怪我も病気も治癒する事が可能です────便宜的には治癒の力だけど、正確には『異常を正す』権能だけどね。少なくとも、神秘由来の異常とか、土地の穢れや呪いとかも、全部治せるよ」

 

私と入れ替わったイザナは但し、と話を続ける。

 

「権能が本来の力を発揮出来るかどうかは、お姉ちゃん自身の意思にもよるから、絶対ではないとだけは言っておくよ」

 

イザナが言い終えたところで、再び私と意識を切り替える。

話を聞いたヒマリ先輩は、何処か躊躇しているようだった。

 

「今、イザナが話した通り確実に治せるかどうかは断言出来ません。けれど、ヒマリ先輩が望むのであれば私は全力を尽くします。ヒマリ先輩は、どうしたいですか?」

「…………」

 

ヒマリ先輩はどう応えるべきか、迷っているようだった。

 

「ハモリ、さっきも私の身体の疲れを治してくれたけど……あなたの方は大丈夫なの?」

 

横で話を聞いていたリオ会長が声をかける。

 

「大丈夫です。イザナが目覚めてから力が有り余っているというか、余裕が出来たような感じで……前みたいに気絶する事はないと思います」

 

感覚的なモノだが、大丈夫だという確信があるのは事実だ。

私の神秘が命を産み出すモノである事を踏まえると、アヤメさんと一晩中ヤリまくってもピンピンしているのも、それだけ身体に生命力が溢れている、という事なのだろうか?

 

『当たりだよー、お姉ちゃん。まあ、あそこまで底なしの体力だったのは予想外だったけど』

 

どうやら予感は当たっていたらしい。後、微妙にイザナの声に呆れの感情が滲み出ていたのは気のせいではないだろう。

 

「……ハモリ」

 

ヒマリ先輩が、小さな声で私に声をかける。その顔には普段の天才病弱美少女の仮面を外して、不安と期待が入り混じる、複雑な表情を浮かべていた。

 

「本当に……良くなるんですか?私……期待しても、良いんですか……?」

 

その今にも泣き出しそうな顔を見た瞬間、私の腹は決まった。

私は迷わずヒマリ先輩の元へ歩み寄った。

 

「ヒマリ先輩がそう望むのであれば、私は全力を尽くします。そして、何があっても責任は取ります」

「……ありがとうございます、ハモリ。けれど、その必要はありませんよ」

 

ヒマリ先輩は、まっすぐに私を見つめ返す。

 

「全ては私の選択です。たとえどんな結果になったとしても、私は全てを受け入れます。だから、自分を責める事はしないで下さい」

「……はい」

 

私を安心させようと微笑むヒマリ先輩に対して小さく頷くと、私は目を閉じて意識を集中させる。

身体の奥底に渦巻く力の奔流を感じ取り、目の前にいる少女が……自分の足で歩き、微笑む光景を思い浮かべる。

 

「ハモリ、あなた……」

 

リオ会長の声と共に目を開ければ、あの時のように身体から燐光が溢れていた。

私は両手をヒマリ先輩の前に翳し、光がヒマリ先輩の身体を包み込む。

 

「んっ……暖かい……これが、神秘……」

 

しばらくして、光が収まると周囲が静寂に包まれる。

 

「……終わりました。どうですか、ヒマリ先輩?」

 

ヒマリ先輩に恐る恐る声をかける。自分の中では"治った"という確信はあるものの、実際にこの目で見ない事には不安は拭えない。

 

「…………」

 

ヒマリ先輩が足に力を入れてゆっくりと車椅子から立ち上がろうとする。

そして……ややぎこちなさを感じつつも、確かな力で立ち上がった。

 

「ヒマリ部長!」

「ヒマリ、足が……!」

 

エイミとリオ会長が目を見開き、車椅子から立ち上がったヒマリ先輩に歩み寄った。

それから1歩、また1歩とヒマリ先輩はゆっくりと歩き出す。

 

「あ、ああっ……!み、見て下さい……エイミ、リオ……私、私……!」

「うん、見えてるよ……部長……!」

「ヒマリ……良かった……!」

 

ゆっくりと歩き出したヒマリ先輩は穏やかな笑みを浮かべたまま、瞳からは止めどなく涙が零れ落ちていた。

その肩を支え合うエイミとリオ会長もまた、涙を流しながら笑っていた。

 

「成功しましたね、ハモリ先輩……」

「ああ、本当に良かった……」

 

トキは小さく拍手をしながら抱擁し合う3人を見て笑みを浮かべていた。

私も目の前の光景を見て、とても晴れやかな気持ちでいっぱいだった。

そして、2人に見守られながらゆっくりとした足取りで、ヒマリ先輩が私の方へ歩き出す。

 

「ありがとうございます、ハモリ。こんなに嬉しい気持ちは、生まれてはじめてです……」

「お役に立てて、良かったです」

「ミレニアムの最先端医療は愚か、私の頭脳を以てしても、回復の見込みはないという判断が下されてから、ずっと諦めていました……けれど、こんな都合の良い奇跡が本当に起こるだなんて、夢みたいです……」

 

ヒマリ先輩は、頬を赤く染めて、その名のような明るい笑顔を浮かべていた。

 

『まあ、奇跡というよりは神秘由来の異常だったという事だけどね』

 

そこへ、イザナの声が脳内に響く。

 

『セイア先輩とはまた違ったパターンで、神秘が身体に影響を与えていたんだろうね。後はリハビリを重ねていけば、自然と良くなっていく筈だよ。何だったら、神秘をコントロールする特訓もすると良いかもね』

「(そうか……何はともあれ、本当に良かった……)」

 

イザナのお墨付きをもらい、私は心から安堵した。もしこれで再び歩けなくなってしまえば、ヒマリ先輩がどれだけ悲しむかは容易に想像出来た。

だからこそ、今私の目の前にあるこの笑顔を護る事が出来て、私も嬉しかった。

 

「ふふ、今後は超天才清楚系病弱美少女ハッカー改め、超天才快活系健康美少女ハッカーと名乗るのも良いかもしれませんね」

 

すると、ヒマリ先輩が突然ぎゅっと私に抱き付いてきた。

 

「本当にありがとうございます、ハモリ!」

 

突然の抱擁とその満面の笑みに、思わず声が出そうだったが、これも悪くないなと思いそのまま抱擁を受け入れていた。

 

『…………お姉ちゃん、2人に"喰われる"のは覚悟した方が良いと思うよ?』

「(…………あ)」

 

イザナの言葉を受けて、嗜虐的な笑みを浮かべる2人の先輩の顔が思い浮かんだ。




アヤメ「……また他の女をたらしこんでる気がする」
ネネコ「うふふふ……」
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