という訳で、第33話です。
「アヤメ先輩っ、本当にすまなかった!」
百花繚乱の詰所にて、赤いボサボサの髪をポニーテールにした、鬼のような1本角と龍のような長い尻尾を生やした少女……キキョウさんと同じく、百花繚乱の幹部である不破レンゲがアヤメさんの前で土下座をしていた。
「アヤメ先輩はずっと1人で苦しんでいたのに、アタシ達は先輩の気持ちも知らないで先輩に頼ってばかりで、誰1人として先輩の事を助けようともしなかった。ああ、先輩が百花繚乱を出ていったのも当然だ……なのにアタシは、そんな先輩に酷い事を……」
「レンゲ先輩……」
「…………」
怒れるキキョウさんから解放された私とアヤメさんは、たまたまその場に居合わせたレンゲさんと、地面に届く程に長い紫色の髪に八重歯が特徴的な少女……百花繚乱の1年生である勘解由小路ユカリを連れて、改めてアヤメさん失踪に関する事の経緯について話した。
はじめは突然姿を消したアヤメさんと、アヤメさんの恋人と言った私に対して不信感を抱いていたレンゲさんだったが、話が進むにつれて次第に顔色が悪くなり、話を終えると同時にアヤメさんに対して頭を垂れ謝罪の言葉を繰り返していた。
キキョウさんはアヤメさんの事情についてはシャーレで聞いていたものの、レンゲさんの言葉に思い当たる節があったのか、静かに目を伏せていた。
唯一、この場でアヤメさんと面識のないユカリは困惑と悲しみの混ざった複雑な表情を浮かべていた。
「それは違うよ、レンゲ。私がみんなに委員長に相応しくないと思われるのが怖くて、全部1人で抱えていたのが悪いんだ。もっと早く、みんなに相談していればきっとこうはならなかった……私は結局、みんなの事を信じていなかったんだよ……」
額に頭を擦り付けながら謝罪の言葉を口にするレンゲさんに対して、アヤメさんは申し訳なさそうに言葉を紡いでいた。
「いいや、アヤメ先輩は悪くない!悪いのは全部アタシ達だ!先輩に手前勝手な期待を押しつけて、先輩を追い詰めたのはアタシ達だ……今更遅いかもしれないし、許さなくても構わない。けど、これだけは言わせてくれ……ごめん、アヤメ先輩」
レンゲさんの表情は見えないが、その声色はとても弱々しく、今にも泣き出しそうな雰囲気だった。
「……頭を上げて、レンゲ」
アヤメさんはしゃがんでレンゲさんに声をかけ、ゆっくりと頭を上げたレンゲさんと視線を合わせる。
「レンゲの言う通り、私は確かに完璧な委員長である事を押し付けるみんなの事を憎らしく思っていた……それで、何もかもが嫌になって、全てを捨てて逃げ出した……それは事実だよ」
けどね、とアヤメさんは続ける。
「百花繚乱を離れてから、自分なりに色々考えたんだ。たとえどんな理由があっても、私は委員長としてやってはいけない事をした。みんなに迷惑をかけた責任はちゃんと取らなきゃいけないんだってね……だからまずは、今まで言えなかった自分の本当の気持ちをみんなにちゃんと伝えようと思ったんだ」
「アヤメ先輩……」
「私の方こそごめんね、レンゲ。キキョウから聞いたけど、私がいない間ずっと街中を巡回したり、みんなの手助けをしてくれたりしたんでしょ?本当に、ありがとう」
アヤメさんがそう言うと、レンゲさんはハッとしてキキョウさんの方へ振り向く。
「……別に、事実を言ったまでよ」
素っ気なく答えるキキョウさんだったが、頭の猫耳は前向きになっていて、二股に別れた尻尾は緩やかに動いていた。
そんなキキョウさんの様子を見てアヤメさんは小さく微笑むと、自分の後輩達を見渡しながら改めて口を開く。
「それでね……もしみんなが許してくれるならもう一度、みんなと一緒にやり直したいんだ。虫の良い話なのは自分でも分かってるし、色々頼る事もあると思う。それでも、私は二度と自分の責任から逃げ出さないと約束するよ。そしてこれからは、1人で全部抱え込まないで、百花繚乱のみんなを信じていきたいんだ」
「「「…………」」」
アヤメさんがそう締め括ると、詰所の中が静寂に包まれた。最初に沈黙を破ったのは、レンゲさんだった。
「当然アタシは賛成だよ!アヤメ先輩も、これからは困った事があったら遠慮なく何でも言ってくれ!」
「アヤメ先輩がいなくなってから、私達がどれだけ先輩に依存していたのかよく理解したからね……先輩が安心出来るように、私達はもっと強くなって先輩の力になるよ」
「レンゲ、キキョウ……ありがとう」
2人の言葉を受けて、アヤメさんは瞳を潤ませて嬉しそうにしていた。
「あのっ!アヤメ先輩!」
最後に、ユカリが少し緊張した面持ちで口を開こうとしていた。
「み、身共も百花繚乱紛争調停委員会に所属するえり~ととして、先輩方のお力になります!だからアヤメ先輩は、大船に乗ったつもりでいて下さいませ!」
「ありがとう、ユカリ。こちらこそ、よろしくね」
「はいっ!よろしくお願いします!」
元気良く返事をするユカリに、アヤメさんは頬を緩ませる。何はともあれ、無事に和解は出来たようで嬉しい限りだ。
すると、レンゲさんがこちらに向き直る。
「その、さっきは悪かった。てっきり、アヤメ先輩を誑かした悪い奴だと思って……」
「構わないですよ。そもそも、アヤメさんを自宅に招くように提案したのは私ですし……疑うのも無理はありません」
「けど、アタシ達はアヤメ先輩のすぐ近くにいたのに、先輩が苦しんでいた事に気付けなかった……アンタがいなかったら、今頃先輩はどうなっていたかと思うと、やりきれなくて……」
「……慣れというのは、怖いものです」
私が口を開くと、レンゲさん以外の全員が私の方を向いた。
「近い場所にいるからこそ、相手の"いつも"に慣れてしまいます。少しずつ表情が曇ったり、話し方が変わったり、元気のない日が増えたりしても、それを"その人の一部"として自然に受け入れてしまう……変化が緩やかだと、特にそうなります。要は、その人の内側と外側、どちらに視点を置いているかの違いだけです」
「成る程……私達は先輩との距離が近すぎたからこそ、先輩の苦しみのサインを無意識に"当たり前のもの"と解釈して、その異変に気付く事が出来なかった、という訳か……」
話しに入ってきたキキョウさんが小さく息を吐く。
「結果的に私達はアヤメ先輩と距離が出来た事で考える時間が出来て、ようやく真実に気付く事が出来たけど……本当に皮肉な話ね……」
「……確かにキキョウの言う通りだけど、今こうして気付けたのは良い事なんじゃないか?これからアタシ達がやるべき事はハッキリしたんだしさ」
「まあ、それも道理ね。何時までもウジウジしたところで何も変わらないし……」
けれど、とキキョウさんは私とアヤメさんを見渡しながら続ける。
「人が大事な話があるから準備していたのに、それを忘れて呑気に乳繰り合ってたあんたらの節操のなさについては色々文句を言いたいけどね?」
「「本当にすみませんでした……」」
キキョウさんの冷たい眼差しを前に、再び私はアヤメさんと一緒に頭を垂れ平伏していた。
「今更、あんたらの関係についてとやかく言う気はないけど……何事も程々にね?」
「「はい……」」
遅刻した件については完全にこちらの落ち度なので、アヤメさんと揃って謝罪する。
「ところで……さっきから気になっていたんだけど、ナグサはどうしたの?」
アヤメさんがそう言うと、キキョウさんは憂鬱そうな表情を浮かべる。よく見るとレンゲさんやユカリも似たような顔をしていた。
「ナグサ先輩はここ最近体調が悪くてね……今日も病院へ寄ってから行くって言ってたわ」
「病院って……何処か悪いの?」
「まあ、悪いと言えば悪いのだけれど……」
何故か歯切れが悪いキキョウさんを見て、アヤメさんは何かに気付いたのか恐る恐る問いかる。
「もしかして……あの夢の話?」
「ええ、ここ最近のナグサ先輩は夢見が悪くてロクに眠れていないの……昨日なんて、夢でアヤメ先輩に『あんたを友達だと思ったことなんてない』って言われたらしくて、1人でずっと泣いてたわ……」
「……アタシが見た時は、誰もいないところに向かって延々とアヤメ先輩に話しかけていたっけなぁ……」
「その……身共が見た時は、アヤメ先輩の名前を口にしながら黙々と焼き鳥を口にしていましたわ……」
「うわぁ……」
後輩達から語られるここにはいない友人の惨状に、アヤメさんは絶句していた。
「アヤメ先輩。分かっていると思うけど……」
「いや、流石に私だってそんな死体に鞭打つような真似はしないよ!?まあ、あの頃の私だったら多分、似たような事を言ってたかもしれないけど……」
話を聞いたアヤメさんは思い当たる節があるのか気まずそうにしていた。
「取り敢えず、アヤメ先輩の顔を見れば元気になるとは思うけど……一番の不安要素が残っているわ」
すると、その場にいた全員の視線が私の方へ向けられる。最初に口を開いたのはレンゲさんだった。
「……なあ。もう一度聞くけど、本当にアヤメ先輩と付き合っているのか?」
「はい、事実です。アヤメさんとは、1人の女性として愛しています」
「そっかぁ……というかマジかぁ……」
事実は事実なので、ハッキリと口にすると何故かレンゲさんはうなだれていた。
「あの、レンゲ先輩……ハモリさんがアヤメ先輩とお付き合いしているのが何かマズいのでしょうか?」
「ユカリ、考えてもみなさい。行方不明になってた幼馴染みが自分の知らないところで女を作っていただなんて知ったら、あんたは喜ぶと思う?ましてや、あのナグサ先輩が……」
「そ、それは……」
はじめはよく分かっていない風だったユカリだったが、段々と状況を理解したのか冷や汗を浮かべる。
「(……分かってはいたが、正直辛いものがあるな)」
もしも仮に、私がナグサさんと同じ立場だったとして、果たして冷静でいられるのかどうか……私には自信がなかった。
だからこそ、直接会った事はないものの、同じ人を愛する者としてナグサさんの事は他人事とは思えなかった。そして彼女からしてみれば、私は友人を奪った存在も同然だろう。
「(けど、だからといってアヤメさんを手放す事は出来ない。たとえどんな事があっても、私はアヤメさんを幸せにすると決めたんだ)」
あの日……アヤメさんが死にかけた時、私は己の無力を嘆くばかりで、何も出来なかった。既にアヤメさんを救える力を持っていたのに、私の覚悟が足りなかった為にアヤメさんを傷付けてしまった。それは今もなお、私の罪の記憶として刻まれている。
そんな私を愛してくれているアヤメさんの愛を裏切る事は、私には出来ない。たとえ、世界の全てを敵に回したとしても、それを認める事だけは絶対にしてはならないのだ。
「(願わくば何事もなければ良いのだが……無理だろうな。いずれにしても、会ったら全てを話そう)」
元よりアヤメさんと初めて肉体関係を結んだあの日から覚悟していた事なのだ。ならば、どんな結果になったとしても甘んじて受け入れるしかない。
「ハモリ、どうかしたの?」
ふと、気付けばアヤメさんが私の顔を覗き込んでいた。
「ええ。ナグサさんと会ったら、まずは何から話そうかと考えてまして……」
「……私が言うのも何だけど、ナグサの事は私のせいでもあるからあまり自分を責めないでね」
「はい……ただ、ネネコ先輩の事を考えると……」
「あー……一先ず、その件については今は黙っておきなさい。言ったら余計にややこしい事になるからね……」
渋い顔をしたアヤメさんに釘を刺されたので私は小さく頷いた。
「それにしても、ナグサ先輩まだ病院なのかしら?今日は何時もより随分と遅いわね……」
「そう言えば、もう昼過ぎてるよな……診察が長引いてんのか?」
「ま、まさかナグサ先輩に何かあったのでは……?」
不安げに表情を曇らせるレンゲさんとユカリを一瞥したキキョウさんは、ポケットからスマホを取り出す。
「2人とも落ち着きなさい。まずは連絡を────」
すると突然、キキョウさんのスマホから着信音が鳴り響く。
「……ナグサ先輩からだわ」
ナグサ先輩、という言葉を聞いた百花繚乱のメンバー全員がホッと息を吐く。
「良かったぁ……てっきり、ナグサ先輩に何かあったのかと」
「おいおい、そんな縁起でもない事を言うなよ。まあ、取り敢えず電話する余裕があるなら大丈夫だろ」
後輩達が安堵した様子を見て、アヤメさんも小さく笑みを浮かべる。
「ナグサの事だから、きっとまた泣きつくだろうなぁ……」
「アヤメさん、ナグサさんの事は……」
「……まあ、色々思うところはあるのは否定しないよ。それでも、ちゃんと向き合おうって決めたからね……だから私は大丈夫だよ、ハモリ」
朗らかに笑うアヤメさんの顔を見て、本当に強い人だと私は思う。一度は心が折れかけていた彼女が、こうして自然に笑って前に進もうとする勇気を持ってくれた事が本当に嬉しかった。
「(私も、もっと強くならないとな……)」
そう心の中で決意を固めていた矢先に、キキョウさんの声が耳に入ってきた。
「……もしもし?……ナグサ先輩?……ねぇ、聞こえてんの?」
「どうしたのですか、キキョウ先輩?」
「それが、電話は繋がってるのにさっきから全然返事がないの……」
「何だ、イタズラ電話か?」
スマホを手にしたキキョウさんは反応がない事を不審に思い、改めてかけ直そうとしたその時だった。
『────────おかえり、アヤメ』
何処からか、少女特有の透明な声が室内全体に響き渡った。しかし、音の発生源は全く分からず、まるで心に直接触れてきたような奇妙な感覚があった。
「い、今……何か聞こえなかったか?」
「は、はい……ちょっと、怖かったですけど……」
「………………」
誰もが不可解な状況に困惑する中、アヤメさんはじっと何かを考え込んでいた。
「今の声……まさか」
何かに気付いたアヤメさんに声をかけようとした瞬間、意識が引っ張られる感覚に襲われる。
『……っ……イザナ?』
「(ごめんね、お姉ちゃん。ちょっと面倒な事になりそうだから、ボクが代わるよ)」
『……何かあったのか?』
「(うん。誰かは知らないけど、ずっとボク達の事を見ているみたい。それに、段々こっちに近付いてきてる)」
口調こそ普段通りであったが、その声色は低く、常に周囲を警戒していた。
『……どうやら、今の状況は私よりも君の方が適任らしい……イザナ、頼めるかい?』
「(うん。任せて、お姉ちゃん)」
悔しい気持ちがないと言えば嘘になるが、異変に気付かなかった私よりも、気付いたイザナに任せた方がアヤメさん達を護れるだろう。
「(取り敢えず、これ借りるね)」
イザナが手にしたのは、私の愛用している
『……それで良いのか?』
「(うん、ボク的にはこれくらいの方がしっくりくるからね。お姉ちゃんの銃はお姉ちゃんの方が上手く扱えるし)」
『そうか……何だったら、その銃はイザナにあげるよ』
「(本当?ありがと。じゃあ、今日から『黄泉路の篝火』と名付けようか)」
そう思いつつ、イザナはスライドを引いて何時でも撃てる状態にしていた。
「みんな、戦闘態勢に入って」
「はぁ?あんた何を……」
「待って、キキョウ。ハモ……いや、イザナ……何かあったの?」
私と入れ替わっている事に気付いたアヤメさんがイザナに問いかけると、イザナは周囲を警戒しながら答えた。
「"敵"が近付いてくるって事だよ、アヤメ先輩……ほら、来たよ」
イザナがそう告げた瞬間、壁や天井、床から"黒い影のような何か"が生き物のように蠢きながら這い出てくる。
「な、何だよこりゃあ!?」
「影が、影が動いていますの!」
影は次第にその数を増やし、やがて粘土のようにグニグニと形を変えると……目玉の付いた黒い傘や提灯、達磨へと変化する。
その怪物達はおどろおどろしい気配を漂わせながら、周囲を取り囲むように広がっていく。
やがてその蠢く闇の中から……白い人影が姿を現した。
「────やっと会えたね、アヤメ」
「…………え?」
その姿と声を捉えた瞬間、アヤメさんの身体が石のように固まる。
「ああ、やっとアヤメが、アヤメが帰ってきてくれた!私達の委員長が、私の大好きな友達が帰ってきてくれた!私ずっとアヤメが帰ってくるのを待っていたんだよ?来る日も来る日も来る日もずっとずっとずっとずっとずーっと、アヤメが帰ってきてくれるまで私頑張ったんだから!うふ、うふふふふふっ!」
人影の正体は、1人の少女だった。雪のように白く長い髪に肌を持ち、アヤメさんと同じ白い制服に青い羽織を羽織ったその少女は、欲しいものをようやく手にした子供のように無邪気に笑っていた。
そして私は……前世の記憶から、その少女が何者であるのかを知っていた。
「………………ナグサ……?」
「うん、そうだよアヤメ!あなたの幼馴染みの五稜ナグサだよ!」
得体の知れない怪物達に囲まれながら、まるでそれを全く気にしていないかのように振る舞う少女……五稜ナグサの異常さに、誰もが口を閉ざしていた。
そして自分の名前を呼ばれたアヤメさんの表情はそんな彼女とは裏腹に、強い警戒心と僅かな恐怖があった。
「ちょっとナグサ先輩!あんたふざけているの!?それにコイツらは一体なんなの!?」
苛立った様子で声を荒げるキキョウさんだったが、その声を聞いた少女は突然糸が切れた人形のようにピタリと動かなくなったかと思うと、ゆっくりとキキョウさんの方へと視線を向ける。
「ねぇキキョウ……あなた、アヤメがいる事を私に隠していたんだね」
「……っ!?」
その氷のような冷たさと、絡み付くような憎悪が込められた眼と空気が澱むような陰鬱な声にキキョウさんは顔を強ばらせる。
「どうして?ねぇどうして?私はただアヤメに会いたいだけなのにどうして邪魔をするの?アヤメは私の友達なのにアヤメは私達の委員長なのにアヤメは私のモノなのにアヤメは私を優しく包んでくれる私の陽だまりなのに私はただアヤメと一緒にいたいだけなのにひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよひどいよ」
「ヒッ……」
呪詛のようなその言葉の奔流と共に向けられた負の感情にキキョウさんは小さな悲鳴を上げ、他の皆も冷や汗を流す。
「ああもう!いい加減にしなさい、ナグサ!」
「…………え?」
顔を青くして震えるキキョウさんを庇うように前に立ちながら、アヤメさんがその場の空気を断ち切るように声を張り上げると、ナグサさんの動きが止まり、先程までの空気が一瞬で霧散した。
「勝手に姿を消した私にこんな事を言う資格はないけど、これだけは言わせてもらうわよ!あんた、自分が何をやっているのか分かってるの!?」
「ア、アヤメ……?」
その表情には、自分の後輩に悪意を向けた友人に対する明確な怒りがあり、一方のナグサさんはまるで信じられないモノを見ているかのように呆然としていた。
「みんながあんたの事を心配していたっていうのに、これは何の冗談なの!?こんな気味の悪い化け物を引き連れてやってきたと思ったら、後輩を脅すような真似をして……悪戯にしても度が過ぎるわよ!あんた、これ以上やるならひっぱたくだけでは許さないからね!?」
そう言い切ったアヤメさんは、顔を青くして震えるキキョウさんの元へ近付く。
「大丈夫、キキョウ?」
「はぁ……はぁ……だ、大丈夫よ……アヤメ、先輩……はぁ……」
「無理しないで、こんなに震えているじゃない。ほら、ゆっくり呼吸を整えて……」
緊張の糸が解れたのか、その場にへたり込んでしまったキキョウさんをアヤメさんが宥めていた。
「────どうして」
溢れた一滴のように、ナグサさんの口から小さな呟きが聞こえてくる。それは辛うじて聞き取れるくらいの小さなものだったが、次第に呪詛の奔流となり空気を穢していく。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!アヤメが私を否定する筈がない!アヤメが私にひどい事を言う筈がない!アヤメいつでも私の事を元気付けてくれるのに!アヤメはいつでも優しくて太陽のような明るい笑顔で私を包み込んでくれてどんな時も「しょうがないなぁ」って笑って必ず私を助けてくれて弱くてバカな私の事を一番の友達だって言ってくれたのに!!!」
狂気を帯びたその声に呼応するように、怪物達は紅い眼を爛々と輝かせ、黒い靄を撒き散らしながら身体を揺らしていた。口と呼べるモノが欠けているにもかかわらず、その全身が"嗤っていた"……新しい玩具を前に無邪気に笑う、子供達のように。
「こいつら……まさか怪異!?キキョウ、百蓮は!?」
「ダメ!今はナグサ先輩が持っている!」
「くっ……!」
咄嗟に声を上げるアヤメさんだったが、返ってきた声に歯噛みする。
「おい!ナグサ先輩!一体どうしたんだよ!?」
「ナグサ先輩!もう止めて下さいまし!」
「そうだ……アヤメはそんな事なんてしない。私のアヤメがそんな事をする訳がない。優しいアヤメがそんな事なんて絶対にしない。アヤメはきっと騙されてアヤメは無理やり従わされているんだ……」
叫ぶ後輩達の声に一切耳を貸さず、ゆらりと首をうごかし……"私達"へと視線を向けるナグサさん。その虚のように光のない暗い瞳が私達を捉えると、一変して憎悪を滾らせたような鋭い眼光へと変貌する。
「そうだ……あなたのせいだ……あなたのせいで、あなたのせいでアヤメは変わっちゃったんだ!あなたが私からアヤメを奪った!私の友達を自分の欲望の為に、何度も何度も何度も穢したんだっ!」
「待ってナグサ!ハモリはそんな……!」
アヤメさんが声を上げるが、それを掻き消すように溢れる憎悪の濁流が空気を穢していく。
「許さない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!!!よくもアヤメを!私の大事な友達を!あなただけは絶対に許さない!あなたはアヤメを傷付けた!アヤメの尊厳を!心を砕いた!私だけのあの優しい笑顔を私から奪ったんだ!あなただけは絶対に許さない!泣いて謝っても絶対に許さない!あなたからアヤメを取り戻して、アヤメを傷付けて穢した報いを受けさせる!だからアヤメを返して!返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返してよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
怨嗟の絶叫が響くと共に、周囲を取り囲んだ怪物……怪異達が一斉に襲いかかる。
禍々しい邪気と殺意が渦巻く空気が、一瞬で殺到する。
「くっ……!みんな、来るよ!」
アヤメさんが声を上げてライフルを構えようとした瞬間、その穢れをかき消すように、鈴を転がすような澄んだ声が響いた。
「────
言霊と共に、私達の身体から稲妻が幾筋も迸った。それは一瞬、ただの光の奔流だったが、瞬く間に形を取り始める。
『ギチギチギチギチギチ……!』
『グルルルルルルッ……!』
『コォォォォォォ……!』
1本の稲妻が長くうねり、無数の節を持つ巨大なムカデへと変貌した。もう1本は四肢を生やして狼の姿を取り、さらに別の稲妻は翼を広げて猛禽の形を成す。
それぞれが獣じみた咆哮や金切り声を上げながら、怪異達の軍勢へと一直線に突っ込んでいく。
「こ、今度は何だぁ!?」
稲妻の獣達は空気を引き裂く光の軌跡と化して怪異達を焼き尽くしていき、闇の中にぽっかりと空白が開いた。
「アヤメ先輩!早く!」
「……っ!みんな、急いでここから逃げるよ!」
「もうっ!後で詳しく説明してもらうわよ!」
「ユカリ、急ぐぞ!」
「は、はいっ!」
イザナが声を上げ、アヤメさんが達がそれに続いて僅かに開いた光の回廊を駆けていく。
「絶対に、逃がさない……!」
追いかけようとするナグサさんだったが、怪異達を焼き尽くした雷獣達により阻まれる。
「邪魔をしないで!アヤメが、アヤメがまたいなくなっちゃう!ああ、待ってアヤメ!私を置いて行かないで!アヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメアヤメェェェェェェェェッ!!!」
耳をつんざくような悲鳴を背に浴びながら出口へ辿り着こうとした矢先に、怪異達が行く手を阻むように殺到する。
「────
出口を塞がんと現れた怪異の軍勢に向けて、イザナは流れるような動作でハンドガンを構え、引き金を引く。
銃身から稲妻が迸り、放たれた弾丸は巨大な稲妻の槍となって軍勢を正面から無造作に切り裂き、外にあった壁ごとまとめて消し飛ばして出口へと続く道を強引に切り拓いた。
「ちょっとあんた!勝手に壁を壊すんじゃないわよ!」
「ごめーん!緊急事態だったから許してー!────すみませんキキョウさん!後日改めてお詫び申し上げます!」
「つかアンタ、何かさっきから口調が変じゃないか!?」
「喧嘩は後!今はとにかく走りなさい!まだ来るよ!」
「先輩方!急いで下さい!」
稲妻に焼き尽くされ、黒い塵となって霧散していく怪異達の躯を駆け抜けていき、百花繚乱の本部を後にした。
•
•
•
•
•
•
•
•
•
•
「はぁ……はぁ……何とか、撒いたみたいね……」
しばらくの間、ひたすら走り続けた私達は、怪異達の姿が見えなくなったのを確認すると息を整える為に一旦足を止めた。
場所は人気のない裏通りで、ここなら万が一戦闘になっても被害は少ない筈だ。
「大丈夫ですかアヤメさん?良かったら、これをどうぞ」
そう告げた私は虚空に手を伸ばすと……手の先の空間が波打つ水面のように揺れて虚空の中へ消えていく。
手を引き抜き……中から"冷えたスポーツドリンクのボトル"を取り出す。
「はぁ……ありがとう……あぁ、冷たい」
早速、蓋を開けて中身を飲み出すアヤメさんを確認すると、更に虚空から3本のボトルを取り出す。
「皆さんも、良かったらどうぞ」
「「「……………………」」」
キキョウさん達にもボトルを渡そうと声をかけると、何故か全員目を丸くしてこちらを見ていた。
「あの……どうかしました?」
「「「それはこっちの台詞よ/だ/ですわ!?」」」
3人の声が同時に重なった。
「あんた、一体何なの!?さっきの雷の化け物といい、今出したボトルといい、まさかあんたも怪異じゃないでしょうね!?」
「いえ、怪異ではなくて歯科医です……」
「こんな時に下らねぇギャグ言ってんじゃねえよ!それにさっきのナグサ先輩がアンタに何か言ってたけど、アンタアヤメ先輩に何したんだよ!?ひょっとして、ナグサ先輩が可笑しくなったのはアンタのせいじゃないのか、ええ!?」
「せ、先輩方落ち着いて……」
「────2人ともやめて!」
私を睨み付けるキキョウさんとレンゲさんをアヤメさんが必死になって止める。
「アヤメ先輩……」
「みんなが不安なのは分かるよ。私だって、ナグサが何で怪異達を操っているのか分からないし、ナグサに何かあったのならすぐに助けに行きたいよ……でも、こういう時に一番危ないのは、みんなの気持ちがバラバラになる事だよ。だから、みんな一旦落ち着こう」
アヤメさんが心を鎮めるように静かに、諭すようにゆっくりと言葉を重ねる。
その優しい声に、2人の肩から徐々に力が抜けていき、荒かった呼吸が落ち着き、表情から険しさが消えた。
「……ごめん、言い過ぎた」
「私も、ごめんなさい……」
「いえ、私の方こそ驚かしてしまいすみません……取り敢えず、これでも飲んで身体を休めて下さい」
「おう、ありがとな」
「……いただくわ」
2人にボトルを渡し、残ったユカリにもボトルを差し出す。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
全員が喉の乾きを潤したところで、はじめにキキョウさんが口を開いた。
「……それで、あんたがさっき怪異達を倒したアレは一体何だったの?」
キキョウさんは真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「あんたが、アヤメ先輩に信頼されているのはアヤメ先輩を見ればよく分かるよ。けど、だからこそ話して。あんたが何者なのか、あんたが……私達の味方なのか、それとも敵なのかを、ね……」
「キキョウ、あんた……」
「悪いけど、百花繚乱の参謀として、これだけは譲れないよ、アヤメ先輩。さっきのナグサ先輩は、明らかに普通じゃなかった。何でナグサ先輩が怪異達を操っていたのかも気になるけど、その怪異達を紙くずのように消し飛ばした力を持った奴が同じタイミングで現れた……関係を疑うのは当然の事じゃない?」
キキョウさんを睨むアヤメさんだが、キキョウさんも譲らなかった。レンゲさんもまた、口には出さないが私の事をじっと見据えていて、残るユカリも不安げに私を見ていた。
「────せっかくの祭の日だというのに、揃いも揃って辛気くさい顔をしているわね」
緊張感に包まれた空気を切り裂くように、新たな声が響く。その声を聞いた全員が一斉に振り向いた先には、1人の少女がいた。
「誰?関係ない部外者は黙っていて欲しいのだけど」
「関係ならあるわよ?何故ならそこの"2人"は前に一緒に仕事をした仲間だし……内1人には、大きな借りがあるのだからね」
強風が吹き抜け、少女の特徴的な赤みがかったピンク色の長い髪とロングコートを勢いよくなびかせる。
少女はコートの襟を軽く押さえもせず、ただその場に立ち、不敵な笑みを浮かべていた。
目は細められ、口元には自信に満ちた弧が描かれている。
風に舞う髪とコート、そして手に持つ深紅と金の装飾が施されたスナイパーライフルが、彼女の存在をいっそう際立たせていた。
「フッ、久しぶりね……アヤメ、それにハモリ…………"便利屋"の助けが、必要かしら?」
本来ならここにいる筈のないその少女の名を私とアヤメさんは知っていた。
「「アル/さん!?」」
名前を呼ばれたその少女……便利屋68の社長であるアルさんは、不敵な笑みを浮かべていた。
鳴雷神(ナルイカヅチ)
雷のエネルギーを動物や虫などの生物の姿に変化させて相手に放つ。
火雷神(ホノイカヅチ)
銃身に雷のエネルギーを蓄積させ、強力な電磁誘導によって弾丸を射出する。