アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか? 作:木彫りの心臓
凍りついた月の下、剣戟の音だけが響く。
「ふっ────!」
アサシンの長刀が振るわれる。
湾曲させた『無』の刃で弾く。
その繰り返し。
守りに徹する分には問題ないが反撃に転ずる余裕がない。そういうスキルでも持っているのか、アサシンの攻撃には慣れることがないのだ。すべての攻撃が初見の技のように感じる、とでも言えばいいか。
これまでにない感覚だ。
攻撃のリズムが独特で読むのが難しい、というのとも少し違う。これはそういうレベルの話ではない。
「……っ」
これで打ち合うことおよそ八十合。
アサシンの猛攻は止まない。
川の流れのように途切れることがない。
まったく変化のない状況に歯噛みする。こちらの体力と魔力だけがいたずらに削れていく。
体力はともかく、魔力はあと三時間もこの状況が続けば完全に尽きてしまう。そうなれば以降は回避するか、もしくはこの腕で直接刃を振るわなければならなくなる。
この剣豪に対してそれは無謀というものだ。
取れる手段が多い今の内に突破口をどうにか見つけ出さなければ地獄へ一直線だ。
どうにか、どうにかして、流れを
そう考えていたが、しかし、
「────ふむ」
突然、アサシンがそのカタナを止めた。
もちろん隙らしい隙はないが、先ほどまでと比べれば突きやすいようにも思える。何せ止まっているのだから。
「……なんのつもりだ、アサシン」
「いやなに。お前の守りがあまりにも堅いものゆえ、攻めあぐねて、な」
「ハ、攻撃を止めて敵の賞賛とはな。随分と余裕じゃないか、ええ?」
───強化、相乗。
両の脚に魔力を回す。
山門へのルートを試算する。
状況は、ほんのわずかではあるが、こちらへ傾いた。なんの気紛れかは知らないがアサシンが止まったのだ。ここをモノに出来ないのなら───。
「まあそう怒るな。───崩すのに、
「────!」
アサシンが構える。
今までのような自然体の構えではない。
後で知ったことだが、
刃は上へ。目線に水平になるように──俺が下段にいるので少し切先は下がっているが──カタナを構えている。変則的な構えだ。
……何かが、来る。
漠然とそんな予感があった。
「秘剣──────」
アサシンの言葉に力がこもる。
【 】
ふと、自身の首が石段を転がる場面を幻視した。
ああ───こいつは…………。
ぼんやりとした、なんとなくのイメージが脳内に浮かんでくるのは何度か経験したが、ここまで明確な映像を『直感』が伝えてくるのは初めてだ。
突っ込むのはまずい!
防御……、回避を……!
「──────燕返し」
刃が、振るわれる。
「あ」
と、声が洩れた。
いや、実際どうだったのか、自分でも定かでない。
ただ目の前の光景を見つめることしかできなかった。俺の身体を両断しようと迫り来る、
上段から振り下ろされる───ひとつ。
下段左から斬り上げられる───ふたつ。
下段右から斬り上げられる───みっつ。
アサシンの持つ長刀は一本の筈だった。それは振るわれる瞬間も変わらず、見間違いなど存在しようもない事実だった。
しかし、現実として、カタナは確かに三本ある。
これでも
───
魔術師が長い年月と血の滲むような鍛錬を得てなお到達出来ない至高の領域───
アサシンの技はその域に手を掛けている。第二魔法そのものではないにしろ、魔法使いの名を冠する現象をこうして引き起こしてみせた。なんの魔術も使わず、ただ剣技のみで。
「────」
ゆっくりと、刃が迫る。
実際は神速の刃である。単に、俺の認識としては世界がスローモーションに感じていた。
かつてない脳機能の活性化。
死の直前──例えば交通事故などで身に危険が迫った時、時間が遅く感じられるとよくいうが、まさにそれであった。
上の一撃を避けようとして右に動けば、逆袈裟斬りで真っ二つ。左への回避も同様だ。左右の攻撃を避けようと背を低くしても、兜割りを喰らう始末。
淡々と事実を考察し、最適な対応を模索する。
防御は不可能だろう。『無』はそこまで強固ではない。受け流すように弾いていたから無事だっただけで、正面から受け止めることはできない。
やはり回避しか選択肢はない。
そして、道は後ろにしか残されていない!
石段が壊れるくらいに踏み締めて、跳んだ。
けれど、少しだけ判断が遅かった。いや、この場合はアサシンの剣速をこそ褒めるべきか。
「────ぐっ……あああっ、っ……!」
自身の喉から苦痛の声が堪らず飛び出た。
びしゃり、と液体が溢れる音。
水風船を割ったかのように石段を濡らす。赤い、トマトみたいに赤い水。出所は、俺の身体───溢れているのは、俺の血液だ。
「……凌いだか、我が秘剣を……!」
感嘆と、ほんの僅かな怒りのこもったアサシンの声。だが生憎と反応する余裕はこちらにはない。
「ぐっ……! はあ、はあ……ぁ───」
左腕は骨まで断たれており、皮と僅かな筋肉だけでくっついているだけ。
肩口から腰にかけて一太刀。こちらは幸いにも切先がなぞっただけにとどまり、鎖骨以外は皮と肉を斬られたくらいだ。
脚に相乗の『強化』を施していたおかげで命を拾ったな……。
すでに『強化』された状態のものを、それが通常の状態であると仮定して『強化』を更におこなう。『強化』に限らず、こういった重ね掛けを"相乗"と言い、時計塔においては禁呪とされている。
本当は山門へ突っ込むためにやったことだが、図らずも回避のために役立った。
アサシンの凶刃が俺の命に到達する前に、後ろに飛び退くことが出来た。
もっとも、彼の持つカタナの異常な長さのせいで完全には避けきれなかったが。
「……
こんな有様だが、まだ命に関わる状態ではない。腕一本と胴にもらった一撃、それと相乗の『強化』によってズタズタになった脚の筋繊維……。
まだ死には遠い。これでは魔術刻印は働かない。
なので、手動で『治癒』を回す。
……といっても、完治させるほどの『治癒』を俺は使えない。だからいま治しているのもほとんど外見だけだ。
腕に関しては骨を軽く繋いで、筋肉も必要最低限くっつけるだけ。皮膚は割と簡単に治せるからここだけは元通りだ。これは胴体も同じ。
痛みはそのまま。そこそこの力で殴られたら簡単に骨は折れるレベルだし、筋力も出せて今までの4分の1くらいが精々か。
「…………」
───3秒。
いま、俺が『治癒』に費やした時間。
その間、あろうことか、アサシンは動こうとしなかった。彼の力量であれば追撃を見舞いすることなど容易かった筈なのに。
「情けをかけたつもりか?」
「罠と知りつつ飛び込む阿呆もいるまい」
「……チッ」
勘がいい。それとも単に洞察力が優れているのか。
とはいえコイツは"罠"と堂々呼べるほどの代物でない。苦し紛れの手。窮余の策もいいところ。
アサシンの目線は、彼と俺の間の地面へと向けられている。
そこにはべっとりと赤い血があった。月明かりに照らされて鮮やかに、艶らかに発色する朱色の液体。
「"敵を知れば百戦危うからず"……とは言ったもの。私には魔術師との戦闘経験などない。が、女狐めを見ていればそれなりに分かることもある。どうも、魔術師にとって血液とは有用な触媒として機能するらしい」
そう。その通りだ。
魔力というものは本来拡散しやすい。投影魔術なんかがいい例だ。どれほど強固に作り上げたとしても、少しの時間で
しかし、この魔力というものは魔術師の体液に
大抵はそうした形のある魔力を他者へ受け渡したりするのが使い途だが、自分の血液と魔力に対してそれなりに理解があれば、ある程度はこうして遠隔で操ることができる。
出血を伴うような傷を負ったとしても反撃へと転ずることが出来る。
もっとも、これはマイナスをゼロへ戻すようなもので、傷を負うということ自体恥ずべきことだ。だから正直言って褒められるような技術ではない、と個人的には思っている。
「確かにそのまま来れば術式を起動させていたのは間違いない。とはいえ、サーヴァントを傷つけられるほど大層な術式を一瞬では仕込めない」
「しかし体勢を崩すくらいは出来る、であろう? そしてその隙を見逃すお前ではない。いかに重傷といえど、僅か十間ばかりを刹那にて駆けるほどの余力はあると見た」
「刹那は言い過ぎだけど……。まあ、概ねそういう狙いではあった」
こうして露見した以上、意味のないことではある。
状態は最初に逆戻りだ。俺が怪我をしている分マイナスではある。
もっとも、だからと言って逃げ帰る選択肢は存在しないが。
「その傷でなお向かって来るか。その心意気や良し。いざ……──と、行きたかったのだが……」
ピンと張った糸のようだったアサシンの雰囲気が緩む。構えたカタナを下げ、眉間にシワを僅かに寄せて山門を振り返った。
「アサシン」
呼びかける声。
女の声だ。
怪しげな紫色の燐光が瞬いて、山門の向こうに一人の人物が降り立った。暗い色のローブを纏った女だ。いかにも、といった風体。
「何用か、キャスター」
「……!」
アサシンの言葉につい反応してしまう。
そうか、彼女がキャスターのサーヴァントか。
そして同時に、アサシンが顔を曇らせた理由にも納得がいった。俺の目的が彼女だというのに、彼女自らが出てきてしまったからだ。これで俺は山門を無理に越える必要も無くなったし、アサシンと戦う理由も無くなった。
彼は俺がこの柳洞寺を訪れた理由を知っている。だから、それが少しだけ残念なのだろう。
「私はいたって真面目に門番の役割を務めていた筈だが、お前が出てくるほどのことでもあったか?」
アサシンの言葉に怒りはない。俺が真に剣士であればまた違ったのだろうが、いまの彼はただ疑問だけをキャスターへぶつけていた。
反対に、キャスターは口をへの字に歪めた。フードに隠れて見えないが、きっと彼女の眉間には一本の線が走っているに違いない。
「真面目に、ですって? 仮にもサーヴァントともあろうものが人間の、それも現代の魔術師相手にこうも時間を掛けるなんて、遊んでいると思われても仕方がないのではなくて?」
「いやはや、これは耳が痛い。しかしこの小僧、中々にやりおる。百を数えんばかり剣を振るったが未だに首がついている。現代の魔術師とやらも捨てたものではないぞ、キャスター?」
「減らず口を……。さっさと始末なさい、アサシン!」
「あやつが向かってくるのであれば、無論そうさせてもらうとも」
キャスターの叱責にもアサシンは飄々とした態度を崩さない。
「しかし────」
ふっ、と軽く笑って、彼はキャスターから視線を外し、こちらへ顔を向けてきた。
「キャスターはこう言っているのだが……お前はどうする、
───向かってくるか?
それは「ない」と分かっていながらの問い。
俺の優先順位はブレない。ブレてはいけない。
まず第一に仕事や任務、
第二に俺の命。第三にその他の事柄だ。
キャスターがマクレミッツを知らないと言うのであれば、俺は俺の命を優先する。アサシン──ひいてはサーヴァントとの戦いは得るものも多いし、魅力的だ。しかしそれは俺の命より大切なことではないのである。
「いいや、撤退させてもらう」
「だろうな」
「ただ……キャスター。アナタにひとつだけ訊きたいことがある。それの返答次第かな」
山門の向こう側。静謐の境内に佇むキャスターに眼を向ける。彼女は「はい」とも「いいえ」とも言わず、黙ってこちらを
「バゼット・フラガ・マクレミッツという名に聞き覚えはあるか?」
キャスターはそのまましばらくの間、黙って俺を見ていた。
さっきまでの感情の分かりやすさはない。鉄仮面と呼ぶに相応しい表情だった。一体何を考えているのやら。
そして、
「……いいえ、知らないわ。もし仮に知っていたとして、なぜ貴方に教える必要があるのかしら?」
と、冷たく言い放った。
【 】
なるほどね。
まったく、俺は運が良い。
「キャスター、嘘はよくないな」
「……なんですって?」
虚偽も詐術も
「"会ったことはないし顔も知りません。けど、名前は聞き覚えがあります"──って感じだろ?」
「感情視……。
「それで、本当のところは? 知ってるんだろ?」
「さっきも言ったけれど、私がその人物を知っていたとして、なぜ貴方に正直に教えてあげなくちゃならないの?」
「確かに、それは道理だ」
当たり前のことだが、キャスターには俺の要求に応える義務など存在しない。彼女と俺の間には利害関係がないのだから。
だから俺の要求を通すのであれば、それこそ力尽くか、あるいは対価となるものを提供しなくてはならない。まあ、とはいえ今回前者は無理だ。サーヴァントを二人も相手にして勝てると思えるほどおめでたい頭はしていない。逃げ帰るのが精一杯。
だから選択するのは後者。アサシンにはこの手のものは通じないと見て力尽くで押し通ろうとしたが、キャスターに対しては案外いけるかもしれない。
「───取引をしよう、キャスター」
「……言っておくけれど、この場で貴方を殺すことなんて簡単なのですからね? この柳洞寺は私の陣地、私の神殿そのもの。指先ひとつ動かすことなく、貴方の命を摘み取れるのよ? それを理解した上で発言して頂戴ね」
「もちろん、心得ているとも」
「あら。じゃあ一体何を差し出してくれるのかしら」
さて、ここまで進めておいてなんだが、正直なところ何の情報が一番キャスターにとって価値が高いのか分かりかねている。
セイバーの真名、とかか? でも真名云々の前に対魔力スキルをなんとかしないとそもそも三騎士には勝てないから、情報として価値があるかといわれると判断に迷うな。
監督役の男がキナ臭い……ってのも単なる俺の推測に過ぎないし。キナ臭いからなんだ、と問われると口を閉じるしかないし……。
「どうしたの? 取引というのは吊り合う対価をお互いに差し出すこと。貴方も魔術師なら錬金術の基本くらい押さえているでしょう。さあ、貴方はその大事な大事なマクレミッツさんの為に、私に何を差し出すの?」
少し悩んでいると、催促するような口調でキャスターが語りかけてきた。
別に長考したわけでもない。5秒くらい黙っただけだというのにせっかちなことだ。まあ、敵を目の前に5秒も考えてたら死ぬけど。危機感を持て、という意味ならその通りではある。
というか、そうか……錬金術か。
ひとつ、思い浮かぶものがあった。
キャスターとて聖杯に招かれた英霊。叶えたい望みはある筈だ。であるならば、できれば
「……俺が提供する情報は────」
うん。ごめん、アインツベルン。
同郷だし、君たちに勝ってほしいという思いも本物ではあるんだが、任務の方が優先順位が高いのでね。
「───
是非とも俺を呪うといい。それは当然の権利だ。