アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか? 作:木彫りの心臓
……実のところ、冬木の聖杯戦争には二つの聖杯が存在する。
ひとつは、ここ円蔵山地下に刻まれた巨大な魔法陣そのものである大聖杯。
もうひとつは、アインツベルンが作りあげた、英霊の魂を集める機能としての小聖杯。
大聖杯が親機、小聖杯が子機、とも呼べるかもしれない。
いままで行われていた四度の聖杯戦争において、小聖杯はことごとく破損している。だというのに聖杯戦争がこうして継続しているのは大聖杯が無事だからだ。小聖杯がいくら壊れたところでその時の聖杯戦争が終わるだけ。また作り上げれば何事もなく再び開催される。
そういう意味では二つで一つ、という見方もできなくはないが、今は哲学の時間ではないので傍に置いておこう。
最終的に聖杯には六騎のサーヴァントが捧げられる。英霊の魂という高純度の魔力の塊を六つも取り込んだ容れ物だ。魔術師にとってみれば、確かにソレは『万能』と呼べるだろう。
そして、その『万能の願望器』とやらは、大聖杯の方ではなく小聖杯の方を指している。
あくまで英霊の魂を集める機能を持つのは小聖杯だからだ。
では大聖杯はというと、こちらは聖杯戦争という儀式を成立させるためのシステムである。正直なところ、それ以外のことは分からない。俺としてはまだ仕掛けがあるように思えてならないが、それは余談というか、今の俺にとっては関心の外だ。
いま大事なのは小聖杯である。
キャスターに叶えたい望みがあり、そのために聖杯を欲しようと言うのであれば、まず狙うべきは小聖杯なのだ。
「……驚いたわ。貴方、マスターでもないのでしょう? よくそこまで知っているわね」
聖杯戦争における二つの聖杯について掻い摘んで説明すると、キャスターは見直したと言わんばかりに息を吐いた。
「龍脈の流れをじっくり見たからな。そりゃあそれなりに分かるさ」
おかげで
「──というか、そのくらいアナタも理解していただろう? 柳洞寺に陣地を張ってなお気付かないなら、三流魔術師と揶揄されても文句は言えないレベルだよ」
「当然です。私を誰だと思っているのかしら? 聖杯戦争の仕組みについては凡そ理解しています。そもそも、私が知っていると思ったから"小聖杯の在処"なんて言葉が真っ先に出てきたのでしょう?
いまこうして説明して貰ったのは、貴方が本当に私の欲しいものを分かっているかの確認のため。
良かったわね。合格よ、貴方」
「そいつはどうも」
「説明はもう結構よ。──それで? 小さい方は、聖杯の器は何処にあるの? 私はてっきり教会に安置しているものと思っていたけれど、貴方の言い方からするとそうではないようね」
「何処に
実際、俺もこの眼で実物を見るまではそう考えていた。聖杯なんだから、読んで字の如く"
この冬木でアインツベルンと出会い、そして龍脈から大聖杯とその端末についての情報を知り得るまでは。
「アインツベルンのホムンクルス」
「……? アインツベルンのマスターのこと? その人が聖杯を持っているということかしら」
「
常識はずれもいいところだが、考えてみれば結構合理的ではある。
自分で考えて行動できるのだ。それに魔術の心得もあるときた。危険となればその場から離脱することもできるし、何より他陣営に聖杯を奪われる心配がなくなる。
アインツベルンも考えたものだ。
「そう、バーサーカーの……。それは少し対策を考えなくてはならないわね」
キャスターは苦虫を噛み潰したように言う。
おそらくは教会での一戦を見ていたのだろう。俺もトオサカから聞いた話にはなってしまうが、バーサーカーの暴れっぷりと不死身っぷりは凄いモノだったという。
俺が見たアーチャーの一矢。空を裂く流星のような一撃ですら、バーサーカーは無傷のままだったらしい。
アレはまともに戦う相手ではない。
古来より、人が怪物を相手取るならば"知恵"を武器としなければならない。バーサーカーという怪物を討ち取るならば、卑怯と罵られようがあらゆる手段を用いなければならない。
幸いにも、悪巧みは魔術師の得意分野だ。
「いいでしょう。貴方の情報には価値があった……。早急にバーサーカーを討ち取り、聖杯を手中に収めるとします。街の人たちには悪いけれど、もっと魔力を集めなくてはね……?」
「そこについては俺は関知しない。神秘の秘匿を徹底してくれるのであれば」
もしキャスターがこれまでやっていた精力の吸い上げを強化するならば、より多くの人が犠牲となり、もしかしたら死人も出るかもしれない。
そんなことになれば胸糞悪いなんてものじゃないが、戦争にそんなことを言っても仕方ない。
魔術師は非道を好む存在ではない。しかし同時に、目的のためなら非道を許容する生き物だ。無意味な殺戮ならともかく、理由があるなら止めることはしない。
止めはしないが……。
"キャスター、アナタは何のために聖杯を求める?"
無辜の人々がこれから被害に遭うと分かって、なんとなくそんな言葉が俺の口から出そうになった。
それは出過ぎた真似だ。俺と彼女は一時情報を交換するだけの仲に過ぎない。俺は彼女の味方ではないし、彼女も俺の味方ではない。聖杯は託す願いなど、そんな個人的なことを聞くのは変だ。
ぐっと自我を抑えつける。魔術師が真っ当な正義感なんて持つものじゃあない。
「……では、そちらもマクレミッツの情報を明かして貰いたい。構わないだろうか」
「ええ、もちろん。約束は違えないわ」
◆◇
冷め冷めとした月の下、独り。
柳洞寺を離れ、夜に沈みきった深山町を歩く。
行きはタクシーだったが、残念ながら帰りはない。電話で呼ぼうにも辺りに公衆電話は見当たらないし、あいにくと携帯電話はホテルに置きっぱだ。
"携帯"なんだから持っとけという話だが、これがどうも戦闘の邪魔になる。脚を曲げるときに妙に突っかかるのだ。
そのせいで死にかけた、とかそういう話はないものの、なんとなく嫌なので戦闘がありそうな時は持たないようにしている。
……まあ、俺の好き嫌いの話は今はいい。
「……ガリアスタも、か」
キャスターから聞かされた話は衝撃的だった。
彼女のマスターの話だ。なんと、彼女を召喚したのはあのアトラム・ガリアスタだったという。そして、"だった"というように、今のマスターは違うらしい。
なんでもソリが合わなかったとか、なんとか。
なぜ彼女の元マスターの話が出たかと言うと、ガリアスタが言っていた話のいくつかにマクレミッツの名前があったそうだ。
キャスターは俺にとって重要だと思われる彼の言葉をひとつ、一言一句違えることなく引用した。教会の監督役とガリアスタの会話を盗み聞きしたものらしい。
『"言峰神父、これを
ガリアスタはキャスターとの契約が不服であり、別のサーヴァントと契約が可能かどうかを監督役に訊きにいったらしい。当時はまだマスターの候補に空きがあったし、何よりセイバーとアーチャー、それとアサシンが召喚されていなかった。
"前例はないが、可能性はある。"
そんな神父の言葉を聞き、ガリアスタは意気揚々とキャスターを切り捨てた。
そして、そんな会話を聞かれているとも知らず拠点へと帰ってきたガリアスタは、逆にキャスターに始末された……。
いやなんというか……難しいな。自業自得と切ってしまうこともできるが……。正直彼と親しくもないので評価に困る。
それより重要なことがある。
ガリアスタの言葉によると、ランサーのマスターは協会から参戦した者、らしい。十中八九これはマクレミッツのことだろう。
そして───今なお、
トオサカとエミヤが最新の証人となる。彼らはつい最近ランサーと交戦している。さらに、最新でなくとも数日前であれば、キャスター自身もランサーと接敵している。
彼女がマスター殺しを完遂した直後、満身創痍の彼女をランサーが襲撃したらしい。
「…………」
引っ掛かりを覚えるのはここだ。トオサカとエミヤの話は置いておく。最新の話はこの際どうでもいいからだ。
ランサーがキャスターを襲った───。ガリアスタの依頼通りの内容ではあるのだが、よく考えみるとこれはおかしい。
キャスターの記憶している日付が正しいとすると、マクレミッツはこの時すでに退場しているのだ。となると、コトミネ神父は一体誰に証文を渡したのか。
俺が教会を訪れた時、神父はマクレミッツが死んだことを"初耳"だと言った。
誰かがマクレミッツに成りすましている? あるいは、使い魔やランサーに証文を渡したから気付かなかった……? あと考えられるのは───。
「……神父は知っていて、俺に嘘をついた、とか」
何の為に?
「わからん……」
判明したことは多い。マクレミッツへの手掛かりも掴めた。だというのに、疑問は増すばかり。
しかし冬木教会のキナ臭さが青天井だ。
やはりもう一度訪れる必要がある。とはいえ、あの金髪と敵対する可能性があるのならそれは避けたい。自分の命を勘定に乗せることに躊躇はしないが、自殺したいわけではないのだ。
取り敢えずの方針としてはランサー捜索になるか。
聖杯戦争により首を突っ込むことになる。監督役の神父もそうだが、術の解けたマキリも俺の行動を許さないだろう。やはり拠点の結界を強化しておいて正解だったな。
さて、では早速ランサーの情報を集めるとしよう。
「えーと、確かここらへんだった筈───っと、あったあった」
ちょうど昨日訪れた場所。
深山町の一角。北側に広がっているニホン家屋のうちのひとつ。
エミヤ邸である。
キャスターは戦闘というより逃亡だったらしく、まともにランサーと戦ってはいないようだった。なので、一応は戦闘の体をなしていたと思われるエミヤかトオサカに話を聞きたい。
そんな理由でこうして訪れたワケだが、しかし、
「…………消灯済み、だなぁ」
門から覗いてみたり、ジャンプして塀の上から見てみたりしたが、やはり完全に真っ暗闇。蝋燭の火ひとつ灯っていない。
流石にド深夜すぎたか。魔術師ならこの時間でも起きてるヤツ──というか昼夜逆転してるヤツも結構いるから、もしかしたらという期待半分で来てみたが……。見た目通りの真面目な学生らしい。
「出直すか。つーか今日はこれくらいが限界かな」
夜明けまでランサーを探し回る、という手もなくはない。けれど、流石にそれはやめておいた。
俺も身体を休めなくてはならないからだ。アサシンとの戦いで負った傷は、ちゃんとした工房でしっかり処置をしなければ後遺症が残ってしまうような代物だ。
歩くたびにズキリズキリと痛みを訴えてくる両脚。ほとんど感覚のない左腕。テキトーに繋ぎ合わせた胴の筋肉……
戦闘になるかどうか不明とはいえ、そんな状態でサーヴァント──それも三騎士のひとりと相対するのは無謀というもの。
あと睡眠も全然摂れていない。ごく短時間でいいから寝たい。出来ればカノンの力がサーヴァントを凌駕している夜のうちに、だ。
そんなワケで、エミヤ邸を後にする。
閑静な住宅街を行く。
誰ともすれ違うこともなく、それこそ車やバイクのひとつさえなく、深山町を通り過ぎていく。冬であるから環境音もほとんどない。虫の声はもちろん、鳥も動物も皆寝入っている。
あるのは俺の足音だけ。
けれど、徐々に、波打つ音と風を切るような音が近づいてくる。
未遠川と、それに跨る、深山町と新都を結ぶ赤色の巨大な鉄橋──冬木大橋。
堤防からの明かりが運河の表面を怪しく照らしている。じゃぶじゃぶと、枯れたススキをいじめる波の音。海から吹く風は鉄橋を揺らし、ゴーンと鐘を思わせる音を時折奏でている。
「…………」
ほう、と息を吐く。
白い煙が自身の口から立ち昇る。まるで月へ向かって落ちていくみたい。
───かつん、かつん。
ふと、自分以外の足音がして、視線を向けた。
反対側──新都の方から、紅いコートを靡かせて、少女がひとりやってくる。
「トオサカ、か」
よく視れば、霊体化したアーチャーを侍らせている。どこか偵察へ行った帰りか、それとも一戦交えてきたのか。
なんにせよ、新都へ行ったのならキャスターの所業にも気付いただろう。
トオサカの技量は知らないが、この冬木の
あれだけ好き勝手やったんだ。彼女の標的はキャスターに定まったか? まだそうでないにしても、キャスターがバーサーカー討伐の為に今以上に街から精力を吸い上げる都合上、いずれ放って置けなくなる。
まあ、ひとえに俺のせいでもあるが。
「こんばんは。確か、クシロン……だっけ。どう? お目当ての人は見つかった?」
少しして、話せるくらいの距離にまでなると、トオサカは世間話でもするかのようにそう口にした。
「まだだ。けど、目処はついた。上手く事が運べば明日にでも見つかるかもな」
「そう、それは良かった。理由はどうあれ、聖杯戦争の部外者が冬木の街を練り歩くなんて、あまり善くないことなんだから」
「反論の余地もない。さっさと見つけてさっさと消えるとも」
「ええ、是非そうしてちょうだい」
トオサカは俺の横を通り過ぎ、深山町へと帰っていく。
と、そうだ。
「トオサカ」
「なに?」
とっさに呼び止める。
エミヤは既に寝てしまっていたから諦めたが、こうしてトオサカは起きていて、そして会えた。ならば今、ランサーについて聞いてしまおう。
「マクレミッツだが───……」
ランサーの元マスターがマクレミッツであること。今はおそらく違う人物であること。その二つを伝え、ランサーについて知っていることがないか訊ねた。
「ふーん。なるほどね」
「───と、まあ、こんなところ。別にランサーの真名を知りたいとかじゃなくて、どのあたりに拠点を構えてそうとか、そういうの」
「生憎だけど、わたしは知らないわ。ていうか知ってたら真っ先に叩きにいくっての!」
「そりゃそうか」
それじゃあ、と言ってトオサカはスタスタと歩いて行ってしまう。
俺もこれ以上話す理由もない。だから同じように歩こうとして、
「クシロン・ヘルツ」
魔力が揺らいで、その男が実体化する。紅い外套を纏ったトオサカのサーヴァント。弓兵の英霊──アーチャー。
「───心臓に槍を喰らわぬことだな。アレの宝具はお前でも耐えられん」
アーチャーはそう言って、またすぐ霊体化した。
おかしな助言──いやそもそも助言なのか? アレというのはランサーのことだろう。ランサーの宝具を心臓に喰らうな、ということを彼は言っているわけだ。
何を当たり前のことを言っているのか。
こちとら人間。いくら超常の存在である魔術師とはいえ、さらに超常の存在たるサーヴァントの宝具に耐えられるわけもない。
「それは俺の、魔術刻印の話か……?」
「────」
返答はない。
だが沈黙は時に雄弁に勝る。『直感』などに頼るまでもなく、アーチャーが俺の
俺たちの会話を理解できなかったであろうトオサカは怪訝な顔をしていた。しかし、特段それ以上の会話もなく、不思議そうな顔を浮かべながらもトオサカは去っていった。
俺もまた、アーチャーの言葉を不思議に思いながら、新都への帰り道を進んでいく。
「生前に、似たようなヤツでも居たのかな……」
誰に投げかけるでもない呟きは、当然ながら誰にも届かず消えていった。