アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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九話/誤算、或は天使の囁き

 

 

 

「………………」

 

 

 テレビから流れる音が右耳から入って左耳へ流れていく。映像も、なんだか遠くの景色を眺めているようにも思えて……。

 

 

「……なんだかなぁ」

 

 

 リモコンを取って数字のボタンを順に押す。

 

 ニュース。これもニュース。ミュージック番組。テレビショッピング。砂嵐。また砂嵐。料理番組。またまた砂嵐。一周して最初に見てたやつに戻る。

 

 見ていても面白くないので電源ボタンをポチリ。

 

 結果として部屋から音が消える。

 

 耳を澄ませば冷蔵庫とかエアコンとか、そういったものが稼働する音は微かにあるものの、それらの音ではこの感覚は拭えない。

 

 シーンと静まり返ったホテルの一室。

 

 つまるところ、世界に独り取り残されたかのような孤独感だ。

 

 "孤独感"という表現はあたかもわたしが寂しがり屋かのような誤解を招くかもしれないが、いまの感情をわたしの語彙力で表そうというのならそれしかないのだから仕方ない。

 

 ごろんとソファに寝転がる。

 

 夜はまだ明けない。

 

 時計を見るまでもなく、カーテンを開いて外を見るまでもなく、わたしはそう認識する。カラクリは単純。わたしの身体の調子だ。

 

 奇妙だが、わたしは夜になると強くなるらしい。

 

 発覚したのはロンドンに行って三日目の夜。アイテールさんの用事によって、いつもは昼にやっていた検査が夜に回されたことがキッカケだ。

 

 魔力の流れがまるで違う、とかなんとか。

 

 たしかに夜はなんとなく身体の調子が良かった。実際、試しにリンゴを強く握ってみると簡単に粉砕できてしまった。

 

 そのあと色々と、わたしには理解できないような検査やら諸々行った結果……なんだか理由とか色々とあるようだけど、結局わたしにはひとつとして理解できなかった……。

 

 とにかく、わたしの理解としては『夜は強くなる』ということだけだ。

 

 だから身体の調子が良いとき──というのだとわたしの身体が弱いみたいだが──いわゆる"全能感"のようなものがある時は夜なのだと見ずとも理解できるのだ。

 

 ああ、あとひとつ、夜だけの変化があった。

 

 これはつい最近──というか日本に来てからの変化なんだけど……、

 

 

「"───聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。全能にあって主なる神よ。昔いまし、今いまし。いと高きところより、やがて来たるべき方よ"」

 

「…………」

 

 

 なんか、クシロンの使い魔が喋り出すんだよね。

 

 

「"嗚呼、聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな」

 

「……うるさ」

 

 

 さっきまで静かだったリビングは、寝室からやってきた木彫りのネズミによってガラリと雰囲気を変えられてしまった。

 

 夜は大体こうだ。

 

 わたしが暇になりだす深夜頃に起きてきて、何をするでもなくわたしの周りをうろつく。そして延々と主を讃える聖言を唱え続けるのだ。

 

 やかましいことこの上ない。

 

 

「"聖な───おや。如何なされましたか、カノン」

 

 

 両手を掴んで持ち上げると、流暢に()()()以外の言葉も喋り出す。そこには確かな知性があった。

 

 

「うるさいんだけど? 昨日も言ったよね、静かにしてってさぁ!」

 

「"アヴェ・カノン。はっきり言っておきます。主の愛はあまねく大地の全てに行き渡っているのです。見捨てられるものは居ません。救われぬものは居ません。我らは常より我らが父と共にあるのです。然らば、私たちは礼賛せねばなりません。崇拝せねばなりません"」

 

「はあ?」

 

「"───祝福されよ。主の御名において来たれり。天のいと高きところより、我らに憐れみを与え賜え"」

 

「マジで話通じない、コイツ……!」

 

 

 埒が明かないのでソファに放り投げる。

 

 ワンバウンドして床にゴトリと落下する。何秒か虫のように固まっていたけれど、すぐにまた起き上がって鳴き声を発しながらわたしの周りをウロウロし始めた。

 

 

「"聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな"」

 

「────」

 

 

 本当になんなんだろう、コイツは。

 

 クシロンの使い魔だけど、なんとなく彼に訊いてもなにも分からない気がする。そもそも彼がわたしの話を信じてくれるかどうか。

 

 なんとコイツはクシロンが居ると露骨に黙るのだ。

 

 昨日だってそう。

 

 テレビの音量に負けないよう、張り合うみたいにして鳴いていたのに、クシロンが帰ってきたら途端にピタリと鳴くのをやめて元の従順な大人しい使い魔のフリをしだした。

 

 自分の存在がバレたくない──というワケではない筈だ。それだったらわたしの前でも黙っている方がいい。わたしの口から彼の耳に入ることだってあるかもしれないのだから。

 

 だから、そう。黙っているのはコイツの個人的な考えに基づくものなんだと思う。でも、わたしにはコイツが何を考えているのかサッパリわからない。

 

 口を開けば"神さま"のことばっかりなんだもん。

 

 もうこの際とことん会話でもしてみようか。多分七割くらいは意味不明なことを喋るだろうけど、ある程度は意思の疎通は図りたい

 

 

「……ねえ、なんでクシロンから隠れようとするの?」

 

 

 そんなわたしの問いに、木彫りのネズミの姿をしたナニモノカは素早く言葉を返してきた。

 

 

「"カノン。星の愛し子。なんと恐ろしい名を口にするのでしょう。かの者をよくご覧なさい。傲慢なる目、偽りの舌、悪しき(はかりごと)をめぐらす心。彼に決して心を預けてはなりません。私がそうするように貴女も為さるのがよろしいでしょう"」

 

「えっと、よく分かんないんだけど、わたしもクシロンを無視しろってコト?」

 

「"嗚呼、またもそのように呼ばれますか。……いえ、すぐにお考えは変わらぬでしょう。はっきり言っておきます。私はかの者がいる間、仮初の体を脱ぎ捨て、貴女の中で貴女の心を守っています。彼の言葉は蛇の毒です。ですから、私がそうするように貴女も貴女の心を一番大切に為さるべきです。彼を居ないように扱うのが適当だとお考えならば、そのように為さるのがよろしいでしょう"」

 

「ん? んーーー、よく分かんないけど、ちょっとは分かった、かなぁ……?」

 

 

 まあ、つまり、要するに───。

 

 コイツはクシロンのことを目の敵にしていて、わたしが彼と接することを快く思っていないわけだ。

 

 使い魔のフリをしていたというのも、あれはフリじゃなかったんだ。コイツは使い魔に憑依かなんかしていて、クシロンとわたしが接触する時は使い魔から抜け出して、多分霊体とかになってわたしを守ろうとなんかしていたワケだ。

 

 コイツが抜け出して使い魔本来の生態に戻ったのを、使い魔のフリ、と誤認していたというのが本当のところらしい。

 

 でも流石にそれはクシロンにバレると思うけどなぁ。

 

 確信はないけどあの人幽霊とか見えてるタイプっぽいし、ましてや自分の使い魔なんだから異変には気付くでしょ。謎に勘も良いし。

 

 

「…………」

 

 

 クシロンを信用するな、とは言うけれど、そういう意味でコイツの方が信用できない。

 

 

「"嗚呼、なんと嘆かわしいことでしょう。しかし、貴女がそのような眼差しを向けるのも理解できます。ですが、お聞きになってください。私は貴女に宿った御使いが一人。死と月の支配者。大鎌と血の涙こそ我が象徴。真名を────"」

 

 

 ガチャリ。

 

 と、音がして玄関のドアが開かれた。

 

 途端、木彫りのネズミは押し黙る。その瞳に輝いていた知性ある光は消え失せ、虚ろな色を覗かせるばかりである。

 

 コイツの言葉を信じるのであれば、今わたしの中で私の心を守護しようとしているのか。

 

 というか、"私に宿った御使い"だって? いやなんとなくそうなんじゃないかとは思っていたけれど……。でも『天使』って力の塊で、人格とかはないって話なんじゃなかったの?

 

 ……まあ、いいや。

 

 そこらへんはクシロンに聞こう。ちょうど帰ってきたみたいだから。

 

 玄関から廊下へ、廊下からリビングへと足音が続く。扉が開かれ、たしかにその人が現れた。

 

 

「おかえり、クシロン」

 

「……ん、ああ。ただいま」

 

 

 あれ、と思う。

 

 なんだか反応が鈍い。よそよそしいとでも言おうか。どうかしたのか訊ねようとして、そういえば今日の別れ際はちょっと気まずかったのを思い出す。

 

 もしかしたらそのことをまだ気にしているのかもしれない。案外可愛いところがある。ニヤけ顔が抑えられないね、どうも。

 

 自分より年上の男性にそんなことを思うのは失礼かもだけど、これが素直な感想なんだから許してほしい。

 

 

「なに、その顔?」

 

「えぇ? べっつにー?」

 

「……まあいいや。俺疲れてるからさ、今夜は流石にちょっと寝たいんだよね。君の力が減衰し始める時間まで──三時間ってとこか。悪いけど寝室使わせてもらうよ」

 

「おっけーよ」

 

 

 使い魔に憑いた『天使』について訊こうと思ったけれど、疲れてるっていうなら仕方ない。別に今じゃなくてもいいことだし。また改めて訊ねるとしよう。

 

 フラリ、と倒れそうな足取りでクシロンは寝室へ向かった。少しして、ボスンとベッドに重いものが乗った音が小さく響く。

 

 相当お疲れのようだ。

 

 少なくともあんなクシロンは見たことがない。心なしか顔色も悪かった気もする。

 

 

「"とても消耗しているようでしたね"」

 

「うわっ! びっくりしたぁ……」

 

 

 肩にちょこんと座ったネズミが突然話しかけてきたので驚いた。

 

 

「いいの? ここちゃんとしたホテルだから壁は厚いけど、話し声は聞こえちゃうかもよ?」

 

「"カノン、何も心配はありません。彼はすでに寝入っています。およそ気絶と呼ぶのが相応しいものの、何にせよ干渉しなければ目覚めることはそうないと言えるでしょう"」

 

「へー。っていうか、やっぱりクシロンかなり疲れてたんだ」

 

「"また軽々に口になさる……。ええ、そうですね。彼は見てくれこそ整っていましたが、その内側はアザゼルの荒野のようでした。多く傷つき、左腕はもっとも酷い。至るところに『死』が(しる)されています"」

 

「え、嘘、怪我してるってこと?」

 

「"誓って、私は舌をひとつしか持ち合わせておりません"」

 

「えーと、嘘じゃないってことね? 多く傷つき、左腕はもっとも酷い、か……」

 

 

 ちょっと心配だ。

 

 いや、この気持ちは"心配"なのだろうか。

 

 胸がドキドキして、喉がやけに渇く。頭の中で嫌な想像が膨らんで、どんどん大きくなっていっている。

 

 ───よくわからない。

 

 確かなことは、わたしはどこかクシロンという魔術師のことを無敵の超人か何かだと思っていて、その超人がまるで普通の人間のように傷ついているのに衝撃を受けている、ということだけ。

 

 別に、なんでもできる、とか思っていたわけじゃない。むしろできないことの方が多い人であることは知っていた。

 

 知っていたけれど……。

 

 ちょっと、今の感情を整理するのは、今のわたしには難しいみたい。

 

 

「……ん? というか『死』が印されている?」

 

 

 肩にいるネズミを見る。

 

 眼が合う。

 

 木でできた、しかし知性のある瞳と。

 

 

「"我が眼眸、硝子の一枚挿んで陰ることなし。いかな手練手管を用いたところで、所詮は小細工の類です。私には通用いたしません"」

 

「え」

 

 

 コイツ、"死の線"が視えている!

 

 魔眼殺しが効いていない!?

 

 いや、今のコイツは木彫りネズミに憑依しているわけで、魔眼殺しはそもそも付けていない。だから効く効かないの話じゃなくて……。

 

 でもさっき発言は効いていないってことじゃない?

 

 てか、クシロンが居る間コイツはわたしの中に戻っているんだった。じゃあ当然視界はわたしと共有していることになる。

 

 コイツは嘘をつかない。言葉通りなんだ。わたしには魔眼殺しは正常に作用しているけれど、コイツにとっては意味のないメガネも同然ってコトか?

 

 それって───。

 

 すごく、危険では──────。

 

 

「"カノン"」

 

 

 感情の読めない声色で、わたしに話しかけてくる。

 

 

「"恐れることはありません。私の目は貴女の目であり、私の手は貴女の手です。主が望まず、また貴女も望まないのであれば、私は私の怒りによって、(いたずら)に死を振り撒くことは決していたしません"」

 

「そう、なの。それは良かった……」

 

 

 機械じみた回答。けれど、機械であれば命令された通りにしか動かない。血の通っていないその言葉に、思わずホッとした自分がいた。

 

 

 

 ◆◇

 

 

 

 しばらくして────。

 

 おしゃべりなネズミが居なくなる頃、クシロンは宣言通りきっかり三時間で寝室から出てきた。

 

 ふらつくようなこともなく、確かな足取りでキッチンへと行くと、慣れた手つきで軽食を作ってそれを食べた。

 

 かなりの傷を負ったという話だったけれど、三時間で全快するならそれは大したことないのではなかろうか。わたしが知らないだけで、瀕死の重症からも短時間で回復できる魔術があるのかもしれないが。

 

 そんなことを思いながら、今度は私がベッドに潜り込む。

 

 早朝。わたしの『天使』の力が弱まり、全能感が欠ける時。それに合わせるようにしてわたしは眠りに落ちる。

 

 コロンと寝返りを打って隣を見れば、そこにはさっきまでクシロンが寝ていたベッドがある。シーツが少し乱れた、空のベッド。怪我人が寝ていたとは思えないほどに純白だ。

 

 

「…………」

 

 

 ベッドに走る"線"は合計で七つ。

 

 果たして、いまのクシロン自身には、どれほどの"線"がまとわりついているのだろう。

 

 

「……寝なきゃ」

 

 

 ずっと起きていて、生活のリズムが崩れるのはよろしくない。彼に迷惑が掛かってしまう。……ただでさえ、無理やりついてきて困らせているのに……。

 

 ぎゅっと目を瞑って、ひとりきりの寝室で、何も考えないことだけを考え続けた。

 

 

 

 ◆◇

 

 

 

 チャカチャカチャカ、というフローリングを引っ掻く爪の音で目が覚める。

 

 木彫りのネズミが寝室の扉の前を右往左往。入ってこれないのに、入ろうとしてウロチョロしているらしい。昼間だから『天使』が中にいるわけもなし。元からわたしの周りに控えるようプログラムされているみたいなのだ。

 

 目を瞑ったまま、手探りでメガネを見つける。

 

 これを掛けてようやく、わたしは目を開いて世界を正しく視れる。

 

 リビングへ行くと、柱時計の針はてっぺんをとうに通り過ぎていて、真南よりやや西よりの陽が差し込んでいた。

 

 

「おはよう」

 

「もう昼だけどね」

 

「いいんだよ、おはようで。……飲むか?」

 

「うん」

 

 

 欠伸をしながら椅子に座れば、クシロンが暖かい紅茶を淹れてくれた。ミルクも忘れずに。

 

 なかば夢心地の中で、彼は今日の予定について話し始める。細かいところはよく分からなかったけれど、大体の方針というか、スケジュールは把握した。

 

 昼は共に街を探索し、日が落ち始める前にはここに帰る。夜はわたしは待機して、クシロンは再び街へ繰り出す。

 

 まあ、昨日とほとんど同じだ。

 

 

「…………」

 

「ん? どうかした?」

 

「別に」

 

 

 ボーッとしてた。

 

 寝る前に考えてたことがまた襲ってくる。

 

 こうして配膳をしてくれるクシロンは傍目からは元気そうだ。昨日のことなんてまるでなかったかのよう。

 

 

「……あのさ。昨日の疲れとか、残ってたりしないの?」

 

 

 耐えきれなくて、ついに口に出してしまう。

 

 もちろんこれは普通の話だ。そういえばさ、と日常の中で何気なく繰り出される普通の言葉。だから彼が不信感を抱くことはない。

 

 でも、わたしにとっては……。

 

 "至るところに『死』が印されています"

 

 天使(アイツ)の言葉が、頭から離れないのだ。

 

 

「あー。まあ、あれは睡眠不足もあったからね。今はこの通りだよ。絶好調とはいかないが、かなり元気な方だと思う」

 

「そう、それは良かった」

 

 

 回答としては無難。いつものクシロン。

 

 わたしには、彼と違って嘘を見抜くような力はない。ましてや昼ならば尚のこと。だからわたしの質問に意味はない。彼の返答にも意味はない。

 

 けれど、決心は出来た。

 

 ひとつ、今日の夜、試してみよう。

 

 わたしに宿った死神の如き力。『死の天使』の権能。もう見たくないと思っていたが今日だけは特別だ。

 

 虹の瞳で、彼の真実を視てやろう。

 

 

 

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