アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか? 作:木彫りの心臓
午後4時を過ぎ、寂れた商店街にある程度の活気が戻る。買い物をしにきた主婦や、学校帰りの学生の姿がいくつか散見される。
とはいえ、それも思いの外少なくはあった。新都のガス漏れ事故に加え、深山町では殺人事件も発生している。誰も彼も不必要な外出を避けているようだった。
まだ夕方と呼ぶにも早い時間だというのにこれだ。昨夜も思ったが、道理で夜に人を見かけないわけだ。少々街の人たちを不憫に思うけれども、我々魔術師としては大助かりである。
人が多ければそれだけやりづらくなる。神秘の秘匿の為、目撃者を出すわけにはいかない立場であるがゆえ。
今の情勢であれば夜に拘らずともある程度は大胆な行動を取れる。
「まあ、しかし、収穫はまるで無いわけだが……」
少し早い夕食として入った中華料理店。
天井から吊るされる小さなテレビから流れるニュース番組をBGMにして、数えるまでもない今日一日の成果を思い浮かべてはため息が洩れる。
マキリのご老体に勘付かれないよう魔術的な調査は控えたとはいえ、あまりになにもなかった。
トオサカは山の方にある高等学校で、エミヤは自宅でランサーと接敵したという話だった筈。だからランサー、もといランサーの現マスターは新都ではなく深山町での活動が主だと思ったんだが……。
アテが外れた、というやつだ。
まあ、世の中何事もそう上手くは運ばないものだけれど、こう1ミリだって掠りもしないようでは流石の俺もクるものがある。
トオサカに苦言を呈された手前、早急にマクレミッツを回収して冬木を離れたいというのに……。ままならないものだ。
「アイ、マーボードーフ定食とハッポーサイ定食おまたせアルー!」
「……ああ、どうも」
注文していた料理が出来上がったようで、おそらく店主の娘さんと思われる従業員がテーブルに運んできてくれた。
とはいえ、今の俺は料理よりもランサーとそのマスターの足取りに意識が向いている。それとない返事を返したのち、再度思案に
さて、どうしたものか。
学校帰りの生徒を見かけるということは、今や校舎は無人か? ならば忍び込んでみるのも手か。もしくはエミヤの屋敷を訪ねるか。日付の変わらぬ時間なら流石に起きているだろうし。
いや、夜は彼も聖杯戦争が最優先になるわけだから、わざわざ俺に構ってはくれないか? ましてや彼とは面識がない。セイバーとはいくつか言葉を交わしたものの、信頼値などないに等しい。
ではこのあと向かうか? 今の時間ならまだ彼にも余裕がある筈だ。
しかし、あまりカノンを魔術師やサーヴァントと接触させたくないんだけどなぁ……。
なんて、思案中の最中のことだった。
「んにゃあああああああああッ───!!!」
「え、なに」
突如として対面のカノンが急に大声で叫んだのだ。絶叫とも呼べるほどのものを。
驚いてそちらを見れば、顔を真っ赤にしたカノンがいた。目に大粒の涙を浮かべ、歯を食いしばって荒々しく息をしている。
「え、は、君……なにしてる?」
「────!! ──────!!!」
バンバンと机を叩き、ブンブンと首を横に振る。とくに意味を為さない動き。相変わらず顔は完熟したトマトのように赤いが、それも別に怒っているというわけでもないのだろう。
彼女の手には赤い液体のこべりついたレンゲがある。テーブルにはちょうど一口分掬われた
見ただけで、嗅いだだけで理解できる。こいつはヤバい、と。
「……なあ、注文する時に店員の子に言われたろ。チョー辛いけど、ホントにダイジョブ? ってさ」
「────、だっでぇ……!」
自信満々に大丈夫だと答えた結果がコレか。
というか食べる前に辛さのほどはカノンも察したろうに。それでも手をつけたのか。注文した以上は食べなくてはいけない、という責任感が働いたのは想像に難くない。
"一番人気のものを頼めば間違いない───"。それが誤りだと気付けたのなら、この経験が今後の彼女の人生を豊かにしてくれることだろう。……多分。
「おっと水は飲むなよ。そっちの
「ゔん……」
「あとは俺が食べるから。君は
「ごべん……」
「いやいいって別に」
まあ、何事も挑戦だ。
しかし俺も辛いものは得意じゃないんだよな……。自分を虐めるのは魔術師として慣れてはいるが、それはそれ。
手前の皿と奥の皿をくるりと入れ替える。
結果として、地獄の川の水をそのまま注いだんじゃないかと疑う紅蓮の皿が目の前に鎮座する。いっそ端から端まで不味そうならばいいものの、刺激臭の中に美味しそうな匂いが確かにするのがタチ悪い。
レンゲで掬って眼前にソレを運ぶ。
「…………」
ごくりと唾を呑む。緊張によるものか、はたまた食欲によるものか。
しばし悩み、けれども意を決して口へと放り込まんとした。
「───食わんのかね?」
声が掛かったのはその時である。
聞き覚えのある重低音。思いもよらなかった男の声がした。
半ば緩んでいた意識が途端に引き締まる。ただの中華料理店ではなく、こここそが戦場であると意識が切り替わった。いや、切り替えた、が正しいか。
「コトミネ、キレイ」
振り返り、その男の名を呼んだ。
「このようなところで会うとは奇遇だな、アインナッシュ・クシロン・ヘルツ」
「本当にな。教会に居なくていいのか? もうすぐ日没だ。仮にも聖杯戦争の監督役だろう。いいのか、こんなところにいて?」
立ち上がってコトミネと向かい合う。出来る限り彼の視界からカノンを遮るように。もっとも、彼の方が身長が高いから出来ていないかもだけど。
コトミネはフッと不敵に笑うと、何を話すでもなく、おもむろに近くの空いている席へ座った。
「なに、今回のマスターたちは揃いも揃って行儀が良い。まだ明るい今の時間に事を荒立てる者はいない。監督役としては喜ばしいことだ。それに、心配せずとも東の空が暗くなる前には教会に戻るとも」
「別に心配はしてないが。てかなんで座った?」
「君たちと同じだよ。食事の為だ。──通りがかりに少女の悲鳴を聞いて立ち寄ったのだが、どうも事件性はないらしい。しかし店に入ったというのに何も食わずに出ていくわけにもいくまい?」
こいつ、カノンの悲鳴を聞いて様子を見に来たのか。確かにでかい声だったしな。何かあったんじゃないかと疑うか、そりゃあ。
しかし死んだ魚みたいな目をしてる割にはちゃんと聖職者らしいところもあるみたいだ。
チラリと背後のカノンに視線を向ける。魔力はうまく抑えているし、羽も見えてはいない。食事中だというのにリュックを背負ったままというのが少し不自然だが、言ってしまえばそれだけだ。
事実としてコトミネの興味もさほどカノンに向いてはいないように見える。とはいえ、俺の連れということで話題には出されるだろう。
「ふむ。先ほどの悲鳴はそちらのお嬢さんのものだったのかな? 彼女も君と同じく魔術協会の者というわけか」
そら、思ったとおりだ。
カノンも俺の意図を汲んでさも私は無関係ですって感じを装ってくれてはいたが、こうして話を振られた以上はそうもいかなくなった。仕方ないことだと諦めよう。
無理に隠しても却っておかしく思われる。
俺はスッと身体を引き、コトミネの視線から遮っていたカノンを手で指し示す。彼女も食べるのをやめて彼に向き直った。
「カノンという。魔術師ではないが、ワケあって俺が預かっている」
続けざまに、はじめまして、と口を開きかけたカノンを手で制する。丁寧に自己紹介する相手ではない。彼は聖堂教会の所属だ。
「フ、私とその娘が話をするのは嫌か」
「彼女は聖杯戦争に僅かたりとも関与しない。させない。そういう立場の人間だ。故に、アナタに深く関わらせるつもりはない」
「なるほど。推し量るに、なんらかの儀式に巻き込まれた一般人というわけか。結構。私とて聖杯戦争という魔術儀式を監督する身だ。理解は示そう。確かに私が深入りする話でもない」
そう言うとコトミネは俺たちから視線を外し、テーブルの上のメニュー表と向き合った。本当に食事をするつもりらしい。
お冷を持ってきた店員に対し慣れた様子で注文をすると、彼は再びこちらへと話しかけてきた。
「時に、目星はついたのかね?」
マクレミッツの在処、という意味での質問だろう。
一瞬だけ考える。
この神父は彼女の行方について何かしら知っている可能性がある。カマを掛けるというわけじゃないが、ガリアスタの件を出して探りを入れるというのはどうだろうか。
ここは教会ではない。『直感』も危険信号を発していないし、あの金髪も近くには居ない。外には少なからず一般人もいる。となれば、もし彼の不興を買うことになっても即座に身の危険が迫る事態にはならない。
……むしろ今はチャンスじゃないか?
冬木教会では故障した警報装置と化した『直感』も、今ならばある程度正確に彼の嘘に刺さる。今こそ彼の裏を見抜く絶好の機会。
「……少しだけ進展はあった」
「ほう」
「マクレミッツはランサーのサーヴァントを従えていたらしいと分かった。因みにこれはキャスターからの情報だ」
「───。なるほど」
彼の雰囲気が変わった。ごく僅かな変化。だが、それを見逃すほど下手ではない。
「キャスターの元マスターがアナタにこう依頼したらしいな。"ランサーのマスターに、キャスター討伐を手伝って欲しい旨を伝えてくれ"と。実際その後、キャスターはランサーと交戦になった。アナタは確かにランサーのマスターに伝えたようだ。依頼通りにね」
「それもキャスターからの情報か?」
「もちろんだ」
「そうか。アトラム・ガリアスタとの会話を盗み聞いていたということだな。本来サーヴァントが教会内に侵入するなどあってはならないが、キャスターともなれば自身が動かずともやりようはある。ルール違反だなんだと責めはしない」
コトミネはそこで一度言葉を区切り、水を一口飲んでから再び語り出した。
「さて、君の思う疑問点だが、おそらくはこうだろう? "コトミネ綺礼はバゼット・フラガ・マクレミッツの死を知っていたのではないか" その問いに答えよう。───
【 】
神父は、いま嘘をついていない。
つまり、初めて冬木教会で会ったときに言っていたことは、嘘だったってことだ。
「驚かないのだな」
「驚いてるさ。なんで今は明かすことにした?」
「悪く思わないでくれたまえ。少し君のことを調べさせてもらった。──アインナッシュ・クシロン・ヘルツ。君はものの真贋、言葉の真偽を見極めることが出来るそうだな。それが魔術によるものか、生来から持ち得るものなのかは瑣末なこと。兎角、君に嘘は通じないと分かったからこそ、私も渋々ながら観念したということだよ」
「なるほどな。俺の"眼"を知ったからか」
「その通りだ。もっとも、何故君が初対面の時に私を問い詰めなかったのかは少しだけ興味があるがね」
観念しただの言っているが、コトミネはまったく申し訳なさそうな表情はしていない。それどころか少し楽しそうにも見える。まあ、これは俺が捻くれているからそう見えるだけかもだ。
おそらく彼は俺の『直感』になにか条件が必要だと思っているのだろう。
冬木教会では『直感』がまるで役に立たなかった。というかむしろ邪魔だった。その結果、俺は彼の嘘が分からなかった。
そのことを以ってそう思ってしまうのは仕方ないが、別にわざわざ手札を晒す必要もない。発動条件が必要と誤解してくれるなら願ったりだ。
俺はわざと彼の言葉をスルーして話を続けることにした。
「それで、マクレミッツの死体の場所は?」
「新都に『双子館』と呼ばれる建物がある。元はエーデルフェルト家が所有していたものだが、いまは魔術協会が管理しているものだ。賊がいなければ双子館の二階に転がったままだろう」
「……下手人は? まさかアナタが?」
「犯人は今のランサーのマスターだ。顔も素性も私は知っているが、生憎とそれを話すつもりはない。聖杯戦争を監督する立場として、マスター特定に繋がる情報をおいそれと話すわけにはいかないからな」
「それは……確かにその通りだ」
別に仇討ちとかは考えていないし、それは別にいい。マクレミッツも魔術師ならば覚悟はしていただろう。
ただ、彼女の魔術刻印やフラガの至上礼装が無事ならば、だが。
仮にそのどちらかにでも棄損がみられたなら、俺はフラガとミリョネカリオン、ひいては魔術協会の
そうなるとランサーの現マスターのことも探さないとだが、まあ、そうなった時のことはその時考えるとしよう。まずはマクレミッツの遺体の回収が先だ。
しかし、正直なところ、こうも簡単にマクレミッツの在処が分かって拍子抜けしている。
これならばさっさと神父を問い詰めれば良かった。マキリとの間に無駄な
たらればはよそう。天運が味方したと考えた方が精神衛生上良さそうだ。うん。
「ああ、あと一応訊くけど、なんで初対面のとき嘘ついてたんだよ」
「わざわざ訊くようなことかね? 私も魔術を
「……ま、確かにな。正論だよ」
マクレミッツの遺体を回収する。それをいいように使おうとする魔術師がいれば殺す。それはあくまで俺たち側の論理だ。
本気で聖杯戦争に勝とうとするならば、魔術協会に喧嘩を売る行為なんて屁でもないだろう。それで万能の願望器が手に入るならばやらない方が阿呆だ。
そして、その行為を聖杯戦争の監督役が咎めることなどあってはならない。前回のエルメロイと同じだ。神秘の秘匿が第一。聖杯の降臨が第二。公平な聖杯戦争の運営が第三。他の事情は塵芥も同然である。
俺という外部の魔術師がそれらを乱そうとするのなら、監督役として阻止しようと動くのは当然のこと。むしろこうして嘘偽りなく話している現状の方が異常なのだ。
胡散臭いし、というか未だに何点か疑わしい部分もあるし、なんなら『直感』をすり抜けるナニカを使ってるんじゃないかとか、色々とありはするが───。
ひとまずとして、
「感謝を述べる。それと謝罪も。我々はフラガの魔術刻印及び至上礼装を回収したのち、速やかに冬木の地を離れよう」
一応、誠意は示さなくては。
「聖杯戦争の監督役として、その言葉は望ましいと言えるだろう。今回私が君に打ち明けたのは苦渋の決断だったことを理解していただきたい。本来であれば話すべきでないことを語ったのだ」
「ああ」
「ランサーのマスターが
「言われずとも、意味のない報復はしないさ」
「そうか。その言葉を信じるとしよう。──では、食事を再開したまえ。早く食わねば冷めてしまうぞ?」
コトミネはそう言って俺のところのテーブルの上にある麻婆豆腐定食を指差した。湯気は微かに昇っているが、それは視力を『強化』すればどうにか見えるくらい。すっかり人肌の温度だ。
同時、かれのもとに俺のと同じ料理が運ばれてくる。まとわりつく水蒸気が最盛期の麻婆の姿を魅せている。
ふと対面を見れば、俺たちの会話に置いてけぼりにされたカノンは八宝菜定食を既に完食していた。
「…………」
「────」
俺とコトミネはレンゲを握り、示し合わせたかのようにその真っ赤な液体を口に運んだ。