アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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十二話/晩鐘。

 

 

 

 魔術刻印に魔力を流す。

 

 血の奔流。臓腑を掻きむしる。

 

 ランサーに受けた傷───取るに足らない無数の切り傷やズタズタにされた左手の痛みとは比べものにならない痛みが全身を襲う。

 

 つま先から頭のてっぺんまで。少しの隙間もなく、体の内側から針が突き刺さったかのような痛み。全身の細胞が悲鳴をあげ、骨を伝って耳に届く。ゴーンと鐘の音のような耳鳴りがした。

 

 

「んぐ……!」

 

 

 情けないことに声が溢れた。

 

 アインナッシュの刻印が()いている。俺の肉体に存在する血管の全て───それこそ毛細血管にまで刻まれた原初の呪い。

 

 何回やっても慣れない。慣れるほどの回数をこなしていないという意味では、この奇怪な魔術刻印に頼り切っていない証として少し誇らしいが、今の状況では喜べない。

 

 痛みでトビそうになる意識をなんとか固定する。刹那であっても、この槍兵の前で空白を曝け出せば死に直結してしまう。麻痺しかけの舌をなんとか動かし、運命の6秒間へ備える。

 

 さあ───。

 

 見据える。朱色の槍を構える英霊を。

 

 

Es ist ein Wort(耳をすまして)───」

 

 

 まず一節。

 

 (くら)い森の中において聴覚などなんの役に立とうか。四方八方から草葉の擦れる音がして、虫や獣の声があちらこちらから聞こえてくる。指向性などない雑音の濁流。

 

 耳を澄ましたところで、意味は無い。

 

 

Es ist ein Licht(目をこらして)───、ッ!」

 

 

 二節。

 

 昏い森の中において視覚などなんの役に立とうか。右を見ても左を見ても似たような木々がそり立つばかり。いくら歩いても景色は同じ。合わせ鏡のような緑の迷宮。

 

 目を凝らしたところで、意味は無い。

 

 ……のほほんと詠唱できたのは2秒が限界だった。二節目の終わりと同時、鋭い一刺しが身体を掠める。回避はギリギリ。あと数センチずれていたら太い動脈がやられていた。

 

 

「させねェよ」

 

 

 ランサーは勘づいている。

 

 俺のような『直感』とはまた別の、戦士の勘というヤツだろう。俺の雰囲気の変化を敏感に察知している。それゆえの猛攻。

 

 事実として、彼の動きが変化した。どのような変化かと言われれば明確な答えを出せないが、簡単に言ってしまえば殺意の質が変わったのだ。

 

 ランサーは俺の『無』による攻撃を受けるのを避けたがっていた。当然といえば当然だが。よくわからないものからの攻撃は誰だって受けたくないだろう。

 

 よって、先ほどまで彼は俺に攻撃の隙を与えないよう努めて手数を増やしていたわけだ。

 

 しかし今は違う。

 

 手数は相変わらず多いが先ほどまでに比べれば三割減といったところ。俺が攻撃に転ずる隙もいくつかあった。代わりに増えたのは戦略的な手。彼がワザと生み出した隙にうっかり乗れば、代わりに減った防御を突き破ってくる──そんな動きだ。

 

 そういった、駆け引きを強要してくる攻撃が増えた。

 

 致命傷狙いの鋭い攻撃。それは詰めろ(スレット)であり、緩い手を返せば次撃が必死となる。

 

 

Es ist ein(肌で) ───ッ、……Dorn(かんじて)───!」

 

 

 目まぐるしい攻防。脳の容量が赤い軌跡をなぞることに取られていく。

 

 三節。

 

 昏い森の中において触覚などなんの役に立とうか。道を示す北風は数多の樹木によって遮られ散逸する。深く沈んだ冷気だけが闊歩(かっぽ)する。足を撫でるは雑草と蟲ばかり。幽玄(ゆうげん)ならざる現世の冥府。

 

 肌で感じたところで、意味は無い。

 

 

「───っ」

 

「……どこ行くつもりだ? なあ、オイ!」

 

 

 ランサーの蹴りによって破壊されたドアから廊下へ飛び出す。背後を注視しながら廊下を駆ける。

 

 迫るように赤と青の嵐が追いかけてくる。

 

 狭くてかつ一直線の廊下に出ることで、せめて攻撃を読みやすくしようという意図だった。しかし今や後悔の念が押し寄せてきた。単純に俺と彼とでは速度(スピード)が違ったのだ。

 

 スペインの闘牛ってヤツ。アレを想像した。

 

 こちらの命へ速く鋭く、殺意を持って突っ込んでくるのだからたまらない。攻撃は読みやすくなったが、同時に向こうも俺に当てやすくなっている。当然のことではあるものの、この場合は彼の方に()があった。

 

 マズった……!

 

 と、反省はさておき。

 

 転がるように──というかまさに階段を転げ落ちて廊下から離脱する。これは単に運が良かった。さっきまで俺たちが居た部屋がもういくつか奥の部屋だったのなら、きっと間に合わずに串刺しだった。

 

 

Es ist(鼻を)……ッ! ein───Duft(きか───せて)───!」

 

 

 ごろごろと転がりながら。ぶつけて弾んで。落ちる最中でどこか切ったか、口の中は血の味でいっぱいだ。鼻を抜ける鉄の臭い。

 

 それでも口を動かす。

 

 四節。

 

 昏い森の中において嗅覚などなんの役に立とうか。陰鬱とした空気に混ざる土と糞尿の臭い。風に乗って届くものに変化はなく。移動しても変わらない草木と獣の存在証明。遥か遠くにある無臭化された人工物の匂いなど届く筈もなく。

 

 鼻を利かせたところで、意味は無い。

 

【 】

 

 転がり落ちた先。一階のフローリングに倒れ伏した体勢からなんとか寝返りのようなかたちで身を捻る。瞬間、先ほどまでちょうど心臓があったところに槍が突き刺さった。

 

 ここまで逼迫(ひっぱく)した状況だとかえって冷や汗も出ない。

 

 かつん、と階段からは冷たい足音。

 

 こちらを見据える双眸がゆらりと闇の中で光る。

 

 飛び跳ねるように起き上がり向き合う。埃の舞う室内ではなく、できれば外へ出たい。が、それを許してくれる男ではないだろう。

 

 彼にとってみれば埃は()だ。

 

 俺の不可視の刃を目視するための───正しくは、()()()()()()()()()()()()を認識するために必要不可欠なモノだ。

 

 追撃を入れてこないのはその証拠。

 

 多分、俺の背後がただの壁なら、槍投げと同時に無手で突っ込んできて蹴りのひとつでも喰らわせているに違いない。けれど実際は壁ではなく扉だ。玄関である。出口まで丁寧に送り届けてくれる筈もなく。

 

 よって、彼がとる行動は────。

 

 

「来い」

 

 

 焦らず、丁寧に詰める、だ。

 

 主の呼びかけに応えるように朱色の槍はひとりでに動き、稲妻のごとき軌道を描いてランサーの手元に戻った。

 

 のち、ランサーが槍を構えて突っ込んでくる。

 

 詠唱を中断するわけにはいかない。……いかないが、一工程(シングルアクション)で防げる攻撃かが怪しい。

 

 単なる突き──とはいえこれも脅威ではあるが──であればまだしも、ガッシリと柄を握っての突進だ。今現在展開できている『無』は鉄板くらいの強度であり、相乗なしの『強化』のみを行なっている状態である。

 

 過信すれば串刺しにされる。

 

 ならば躱すしかあるまい。

 

 

「……───ッ!」

 

 

 ダンッ! と、今更ながら音が鳴った。

 

 踏み抜かれた階段。対してランサーの槍はもう目の前だ。紙をハサミで切るみたいに簡単に『無』を斬り裂いてやってくる。

 

 それを──────。

 

 

「テメェ……ッ!」

 

「……Es ist das Blut(舌でねぶって)───……!」

 

 

 音と一緒に口から空気と血液が洩れ出る。

 

 ランサーの放った槍は深々と突き刺さり、俺の()()を蹂躙した。心臓及び主要な動静脈から僅か数センチの距離。

 

 致命傷だけを避ける。他は勘定に入れない。

 

 自分の身体のことは自分が一番理解している。なんたって()()()の眼でしかと視たからな。どの位置に血管があって、どの位置に内臓があって、どの年齢でどのくらいまで成長して、最終的な細胞の配置はどうなるのか。

 

 詠唱は残り僅か───、

 ランサーの狙いが心臓一点のこの場面───。

 

 ほんの少し体をズラすだけでいいんだ。槍が突き刺さって、心臓に到達するまでに体を捻らせる。それだけ。───俺の眼によってそれは"それだけ"のことになる。

 

 魔術刻印(イデアブラッド)も、この眼も、この世にあってはならない異物だ。それがこの身を助けているし、恥知らずにも俺はそれに縋っている。

 

 地球人類として、それはどうなんだって話。

 

 でも、勝てるならそれでいいだろ。

 

 よって五節。

 

 昏い森の中において味覚などなんの役に立とうか。果実はおろか樹皮と草葉にすら届かず。舌に触れるは乾いた空気。鉄の味だけが支配する。ついには夢想することさえ忘れるだろう。

 

 舌で舐ったところで、意味は無い。

 

 さあ、これで五感は支配した。昏い森に囚われた。

 

 今度はこっちが"詰めろ(スレット)"だ、英霊。

 

 

「ッ! 呪詛───いや、コイツは……!」

 

 

 ランサーが目の色を変える。心の底からの動揺が見てとれる。

 

 

「……チィ────ッ!」

 

「ぐっ!」

 

 

 即座にランサーは俺を蹴り飛ばした。

 

 体から槍が抜け、その拍子にいくつかの太い血管に傷がつく。出来るだけダメージがないように力を抜いて蹴りを受け入れたが、こればかりはしょうがない。

 

 幸いにして切れたらヤバい箇所は無事だ。とはいえ、このまま『治癒』を回せたら無事というだけ。魔術師じゃなかったらしっかり致命傷である。

 

 だが、あと一節だ。

 

 仮に次の一撃が致命傷だとしても、それはそれで魔術刻印による再生が起動する。この1秒はほぼ確実に耐えきれる。だから──────。

 

 

()()()を切るってンなら、オレも切らせて貰うぜ」

 

「────」

 

 

 ────────────────ああ。

 

 魔力が渦を巻く。大気中のマナが一点に集まっていく。現代に生きる魔術師では届き得ない尋常ならざる出力だ。

 

 あの夜見た流星を思い出す。アーチャーがバーサーカー目掛けて放った一撃を。森の一角を消し飛ばした神秘の具現を。

 

 

「その心臓、貰い受ける……!」

 

 

 其は、即ち────宝具。

 

 

「〈刺し穿つ(ゲイ・)──────」

 

 

 けれども、俺は魔術師だ。戦士に口の速さで負けていては話にならない。一節の詠唱(シングルカウント)など、一工程(シングルアクション)と同義と思え。

 

 後より出でて先に断つ。例え後手を踏もうとも、すぐに追い抜いてやる。

 

 

Idee Blut(原理■■)───Sieben(■番)────」

 

 

 どくん

 

 心臓が高鳴る。

 

 その脈動の一瞬。今まで意味がわからなかったこの詠唱が、なんとなくだけど、カタチのあるものに見えてきたような気がした。

 

 六節。

 

 世界が変わる。惑星(ほし)を冒す呪いが具現化する。

 

 けれども、哀しいかな。

 

 

「──────死棘の槍(ボルク)〉!」

 

 

 追い越すことなく、ランサーの言が完結していた。

 

 ゲイ・ボルク。宝具の真名を聴いて、この槍兵の真名も自ずと判明する。

 

 ケルト神話は赤枝物語群(アルスターサイクル)にて語られる勇者。太陽神ルーの息子。振えば必ず相手に致命傷を負わせるという魔槍の持ち主。

 

 クーフーリン。

 

 なるほど。マクレミッツが呼び出すサーヴァントとしては妥当という他ない。数ヶ月の付き合いだったが、彼女が彼の話を楽しそうにしていたのを覚えている。

 

 本人ではない影法師とはいえ、彼と肩を並べて戦える筈だったのだ。人生の絶頂期といって差し支えない時間だったことだろう。だというのに……。

 

 俺の心臓に迫る槍を見ながら、俺の命には関係のないまったく別のことに想いを馳せている。

 

 色彩のない景色。いつまでも続くような一瞬を記憶する。アサシンとの戦闘でも似たような体験をした。死に近づいた人間が陥る境地。あの時は間一髪助かったけれど、今回はどうだろうか。

 

 避けることはできない。防ぐのも、もう間に合わない。魔術刻印による復元に期待するしかない。

 

 脳内では様々な光景が流れていく。俺の人生。それがバラバラのパズルみたいに、時系列を問わずにスライドショーを繰り広げる。なんたって不親切な走馬灯だ。

 

 ふと、その中である出来事が目についた。

 

 最近のことだ。というかつい先日。柳洞寺からの帰り、冬木大橋でトオサカとアーチャーと出会ったところだ。何が目についたかといえばアーチャーとの会話である。だから、耳に残ったという方が正確か。

 

 

 "───心臓に槍を喰らわぬことだな。アレの宝具はお前でも耐えられん"

 

 

 ああ……そういえば、そうだったな。すっかり忘れていた。完全に俺のミスだ。

 

 ガシャンと、ガラスの割れる音がひどく間延びして聞こえた。ゴーンと、葬式に鳴る鐘のよう。それは今の俺の未来にも似ていて。何事も呆気なく終わるものだと実感した。

 

 俺が俺の死を理解した途端、さっきまでパラパラと繰り返された走馬灯はパッタリと止み、代わりにひとつの真実(みらい)を視せてきた。

 

 それは俺の眼が読み取った運命。あまりに確定的なことだから実像を結んだ瞬きの後の世界。ある種の未来視。

 

 内容は単純。槍が心臓に突き刺さり、そして俺は死ぬ。それだけ。

 

 

「……───」

 

 

 ぼんやりと槍兵を見る。

 

 なすすべもなく凶器を待つ。

 

 ひとでなしの魔術師は、どうやら遠い異国の地であっさり殺されるようです。

 

 

「───ああ、鐘の音が聞こえる」

 

 

 九告鐘ではないけれど、どこか似た音のそれを、己の死に添えられたものだと思って受け入れた。

 

 ランサーの槍が心臓に深々と突き刺さる。同時に、肉体を内部から破壊するかのように荊棘を思わせる呪いが拡散した。それは魔術による『治癒』のみならず、魔術刻印による『復元』をも阻害していく。なんの助けも得られないのであれば、魔術師は只の人間である。心臓損傷による失血性ショックによって、アインナッシュ・クシロン・ヘルツは絶命した。

 

 純白の羽が舞う。

 

 窓をカチ割って飛び込んできたソイツは、黒々とした一本の大鎌で以て俺と槍の間の数センチの空間を一閃した。

 

 途端、視界が正常に戻る。時間とともに音が伸びて鐘の音のようだったものは、元のガラスが割れる音にいつのまにか戻っていた。

 

 ハッとして己の胸を見てみれば、そこには刺さってる筈の(もの)はなく、肺から空気の洩れる音だけが微かに鳴っているだけだった。

 

 確定していた運命が今の一閃で消えた。

 

 ───いや、()()()()

 

 

「"……聖なるかな。聖なるかな、聖なるかな。祝福されよ。主の御名においてこの者に憐れみを与え賜え"」

 

 

 砕かれたステンドグラスが、東雲(しののめ)のダイヤモンドダストのように煌びやかに降り注ぐ。或は舞台の紙吹雪か。

 

 その舞台の主演女優だとでも言わんばかりの堂々とした態度で、俺の目の前には一人の少女が立っていた。

 

 病的なほどに青白い三対の翼。対照的な艶のある黒い大鎌。虹の瞳は月の暈を思わせる。

 

 

「カ、カノン……────」

 

 

 一見して、そのように思えた。

 

 しかし、死の淵にあって、極限まで研ぎ澄まされたこの眼にはとてもそうは視えない。

 

 

「いや、()()()()()()……?」

 

「…………」

 

 

 少女(ソレ)が振り返る。

 

 いつもの天真爛漫な明るい眼差しはそこにはなく、殺人鬼よりも冷酷な瞳がそこにはあった。以前、彼女の眼の美しさを宝石に喩えたことがあったが、今はただ、本当に宝石を埋め込んだだけの無機質な人形のようだった。

 

 

「"これは慈悲です。歓喜に震え、祈りを捧げなさい。お前が命を拾ったのは我が適合者にして契約者───トレベナのカノンの憐憫があってのもの"」

 

「! お前、まさか……!?」

 

 

 あり得ない。

 

 それではまるで『天使』に意思があるみたいじゃないか。

 

 力の結晶。物質化した神秘。単なる概念に過ぎないソレに、こんな精神性が生まれる筈が……。

 

 

「"……そういえば、お前には自己紹介していませんでしたね"」

 

 

 冷徹な『天使』は俺に話しかけながらも、再び俺に背中を向ける。そして、油断なく槍を構え、こちらをつぶさに観察していたランサーへと向き合う。

 

 

「"主の命令を遂行せし大天使。月を巡らせ、命を刈り取る──。第六天の支配者。大鎌と血の涙こそ我が象徴"」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 淡々とした声。

 

 穏やかではあるが、同時に氷のような冷たさを感じさせる声で彼女は名乗りをあげる。

 

 それを、俺もランサーもただ聞き入るしかなかった。

 

 突然の闖入者。それもサーヴァントを大きく超える魔力量をもった存在だ。しかも、必中必殺のはずの槍が無効化(キャンセル)されてしまったんだ。いまのランサーの心中は計り知れない。

 

 警戒する、なんて言葉じゃあ片付けられないくらいだろう。

 

 

「"真名を────と、色々呼び名がありますので、どれを名乗ろうか迷ってしまいますね"」

 

 

 それは、冗談……だったか。それとも素で出た言葉か。どちらにせよ、それはあまりに冷たい声だった。ゾッとする、というのはこのことだ。

 

 ランサーも同じことを思ったことだろう。

 

 しかし、彼にとってはそんなことを思う暇さえなかったに違いない。何故ならば──────。

 

 

「────ぐ、テメェ……ッ!」

 

「"おや、防ぎますか。素晴らしいですね"」

 

 

 槍と大鎌がぶつかったとは思えないほどの轟音が鳴り響く。衝撃波で窓ガラスがいくつか砕け、カーペットは積もり積もった埃と共に巻き上がった。

 

 凄まじい速度で突進し、まさしくランサーの首を──正確には首付近に走っていたであろう"線"を──断ち切らんとした『天使』の一撃。それをランサーは咄嗟にその朱槍で防御した。

 

 反撃に転じるランサー。その膂力でもって大鎌を弾き飛ばすと、薙ぐようにして槍で『天使』を斬りつける。

 

 彼女は翼を震わせ、ふわりと背後へ飛び退いてそれを回避した。

 

 

「"なるほど。これが境界記録帯、サーヴァントというものですか。人理補正式に近いものを感じます。見事な召喚術ですね"」

 

「チッ……。そのボウズのお仲間ってことは分かるがよ。何者だ、テメェ? その口ぶりじゃあ八人目のサーヴァントってワケじゃねぇよな」

 

「"どうでしょうか。今の私のあり方を定義するとすれば、サーヴァントという呼称は決して適切とは言えませんが、かといって他に言い表す言葉もありませんから……。あなたのお好きなように考えるのがよろしいでしょう"」

 

「へっ、そうかよ。んじゃまあ、そうさせてもらうぜ」

 

 

 ランサーが槍を握り直す。姿勢は低く、獰猛な野犬のようだ。今にも飛び掛かれる構え。

 

 そうだ。『天使』は好きなように考えろと言ったが、彼からすれば『天使』の正体などどうでもいい。彼の仕事はただ俺を殺すだけだ。俺を護ろうとする者がいるのなら、そいつも俺と一緒に殺すだけ。

 

 アイルランドの大英雄にとって、敵が一人増えたところで変わらない。

 

 

「いいぜ、仕切り直しだ。二人まとめて───あ?」

 

 

 ────が、それはランサーの考えに過ぎない。

 

 

「チッ……! あーそうかい、分かったよ!」

 

 

 心底残念そうに。そして怒りに塗れた口調で、ランサーはここには居ない誰かへ向けて吐き捨てた。

 

 すでに槍の穂先は俺たちではなく下へ向いている。彼がサーヴァントである以上、その横槍はあって然るべきものだった。

 

 

「"どうかしましたか、槍の英霊(ランサー)?"」

 

「…………マスターからの命令だ。ここは引いてやる。運が良かったな、ボウズ」

 

「"失礼ながら、運が良かったのはあなたではないでしょうか。肉体性能でも技量でも私はあなたを上回っています。私の勝利は主に祝福されていました"」

 

「はっ、口の減らねぇヤロウだこと。別に戦いたいってンなら相手になるし、オレも同じ気持ちだが……そうなりゃオレのマスターはきっと令呪を使うぜ?」

 

「"ム"」

 

「ま、今日のトコは痛み分けと行こうや」

 

 

 心底残念そうにしながらランサーは俺たちに背を向ける。

 

 一見無防備に思えるがそれは素人の所感というもの。隙はない。とはいえ、たとえ隙だらけでも攻撃を仕掛けることはしない。

 

 目を覚ました
魔術刻印
 
原理血戒
   が生命を切望するが理性でそれを抑える。今この力を振るったところでランサーはともかく、その向こう側のマスターまでは届かない。令呪による離脱を許して終わりだ。

 

 さっきまでとは状況が変わってしまった。それに何より、俺の目的は彼の命ではない。

 

 去り行くランサーの背中に声を掛ける。

 

 

「俺は、もう一つの双子館に向かう」

 

「────そうかよ」

 

「それと、()()()()()()()()にこう伝えておいてくれ。必ずぶっ殺してやる、ってな」

 

「そいつぁテメェがぶっ殺す時にヤロウに直接言え」

 

 

 彼は全壊した窓からひょいと外に出ると、月明かりに紛れるように霊体化して去っていってしまった。

 

 さっきまで破裂音やら破壊音やら色々と騒々しかった館内だが、ランサーが居なくなったことにより再び静寂が訪れている。

 

 

「…………」

 

「"…………なんでしょうか"」

 

「なんでしょうか、じゃない。説明を求める」

 

「"はあ"」

 

 

 テキトーな返事。それに心の底から俺を見下している目だ。

 

 

「"……説明の前に治療を優先するべきではないですか? 今のあなたの姿をカノンに見せるわけにはいきません。"死の線"があまりにも多い"」

 

「その前にひとつ聞かせろ。お前とカノン、身体の()()()はどっちにある?」

 

「"当然ながら私ではなくカノンです。今は一時的に借り受けているに過ぎません。肉体性能では優っていても、彼女ではあのサーヴァントには勝てませんので"」

 

 

 ワントーン声が低くなる。不機嫌を隠そうともしない。

 

 それは本人としても不本意だったのだろう。俺を助けるという目的を達成するため、仕方なく身体を使わせて貰った、といった風だ。

 

 どういうわけか、この『天使』はカノンに対して敬意を抱いているらしい。

 

 ただの概念に自我が芽生えるなんて……。外側を創れば中身は自然発生してしまうものだが、しかしカノンという中身はあったワケで……。

 

 ───いや、考えても無駄か。これはアイテールとロード・ソロネアの管轄だ。あの人たちに代わりに考えてもらおう。

 

 

「分かった。じゃあ、ホテルに帰ろう。お前の言う通り治療を優先しようじゃないか」

 

「"物分かりがいいですね。サリエルポイントを1点差し上げましょう"」

 

 

 なんだよそれは。

 

 ん──────というか……、

 

 

「──────サリエル?」

 

「"えぇ、そうです。私の真名です。さっきは伝えそびれてしまいました"」

 

 

 目の前の少女の姿をした存在は、なんでもないように俺の言葉を肯定した。

 

 差し込む月明かりは逆光を以て『天使』が闇に浮かび上がる。カノンの顔をして、しかしカノンではない者。その背には死者の顔色の如く青褪めた六枚の翼が咲き誇る。

 

 

「"月と死を司る天使サリエル。スリエルでもゼラキエルでもアラジエルでも、お好きな呼称で。……もっとも、いずれにせよお前に名を呼ばれるのは不快ではありますが"」

 

 

 直死の瞳が、にっこりと微笑んだ────。

 

 

 

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