アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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十三話/サリエル

 

 

 

 サリエルという天使は、正典(カノン)には記されていない。

 

 新約聖書にも旧約聖書にも、どちらにもその名は確認できない。まあ、それを言ったらミカエルとガブリエル以外は大体そうだけど。

 

 彼女──実際は彼かもしれないが──の記述は主に外典である『エノク書』にある。ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル、ラグエル、レミエルらと共に"七人の聖なる天使"の一角(ひとり)として紹介される。

 

 その役割は"裁き"───。

 

 といっても、普通に想像する裁きとはまた違う。何故ならば、"裁き"とは神によってのみ行われるものだからだ。例えとして正確かどうかはさておいて、法廷における「裁判官」ではなく「検察官」の方が近しいか。神が裁きやすいように人間を整理する役割だ。

 

 彼女の役割は、見て・記録し・区分すること。

 

 定められた終わりに達した人間の魂を肉体から速やかに切り離し、そのものの生前の行いと共に神の御前に提出する。

 

 彼ら七人──もとい死の天使の役割は全てコレだ。ただ、彼らとサリエルの間には決定的に差がある。

 

 それは、サリエルは"何も言わない"ということ。

 

 ミカエルは人間を守るように立ち回り、

 ガブリエルは物事の道理を伝え、

 ラファエルは例え罪人であろうと癒し、

 ウリエルはやるべき行いを教授し、

 ラグエルは苛烈であっても正義を訴え、

 レミエルは人間の言い分を汲み取ることをした。

 

 しかしサリエルは違う。彼女はまさに機械的であった。人に対し、行いを正せと説得することをせず、善い事を為せと命じることもなく、己の罪を嘆く者を慰めもせず、また弁明する者の言い分を聞くこともない。

 

 『人を監視する天使』という"機能"の体現だった。

 

 故に、人は彼女という天使を恐れた。

 

 中世以降、彼女の名は聖なる天使とは真逆の『堕天使』として語られることが多くなる。理由は様々だが、冷酷無慈悲な彼女のあり方がそう思わせたことは間違いないだろう。

 

 また、似た名前のサハリエルとの混同もあるかもしれない。

 

 こちらも同じくエノク書に登場する天使だ。けれども立場はまるで逆。彼は正真正銘の堕天使。人間の娘に恋をし、知恵を授けた天使の集団『グリゴリ』のひとりである。彼は月の運行の秘密を教えたという。

 

 似たような名前と、同じく月の運行を司る権能を持つところ。混同もやむなしといった感じだ。

 

 また、人を見るだけで殺す『邪視』の持ち主とされたことも堕天使と見做される理由の一つだろう。東ヨーロッパ及び西アジア、アラブの一帯での邪視に対する恐怖心は大きいものだ。悪とされるのも理解はできる。

 

 とはいえ、邪視──いわゆる魔眼を持つとされてる彼女だが、実のところそういった記述は残されていない。外典や偽典にも。

 

 あるのは公的な記録でなく民間伝承のみ。それも邪視そのものではなく、邪視から身を守るための術としてだ。言ってしまえば、魔眼殺しの護符(アミュレット)としてサリエルが使われていたのだ。『天使』は力の器。魔術礼装として彼女の"力"を利用していた、ということだ。

 

 それが何故、逆に今では魔眼を持つとされているのか。

 

 ハムサやナザール・ボンジュウと同じである。いや、アレらとは発生順序が反対ではあるが。

 

 魔眼への守りに最も有効なのは、()()────。

 

 如何なる魔眼からも身を守るとされたサリエルの護符(アミュレット)。それはつまるところ、()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 

 では、救わず/糾さず/赦さず、一切の感情を排して命を摘み取る、監視ならぬ()()()()使()が持つ最高位の魔眼とはなにか。

 

 ……至極簡単。単純明快。初めから分かっていた筈だった。答えは初対面ですでに開示されていた。人を視るだけで殺す、彼女の持つ『直死の魔眼』こそが、死告天使───サリエルの証だった。

 

 

「"───どうぞ、治療が完了しましたよ"」

 

 

 『天使』はポンと俺の肩を叩いた。彼女──つまりはサリエルの逸話について考えを巡らせているうちに俺の治療が終わったようだ。

 

 場所は俺たちの拠点。冬木ハイアットホテルの一室である。

 

 

「ありがとう。素直に礼を言うよ。……にしたってここまで医療に精通しているとはな」

 

「"当然です。ラファエルほどの癒しの力はありませんが、これでも天使ですから。……というより、ランサーの槍の呪いで治癒が阻害されていましたので、それを取り除いただけです。それ以外はごく普通の治療でしたよ"」

 

「は? 槍の呪い?」

 

「"左胸の刺し傷から根っこのように伸びて全身を蝕んでいました。それだけでなく、至るところにある微細な切り傷すらも。致命傷ではないから大丈夫だと、お前は楽観視していたようですが、下手したら死んでいましたよ"」

 

「……笑えないな、それは」

 

 

 包帯でぐるぐる巻きにされた左手を眺める。ランサーによってさっきまで真っ二つに別れていた手を。さっきまで呪いに塗れていたという手を。

 

 まるで気がついていなかった。なんたる不覚。元封印指定執行者が聞いて呆れる。どれだけ平和ボケしていたんだって話だ。……ま、そりゃそうか。数年分の(おり)はそうそう取れない。すっかり個体基礎科(ソロネア)に染まってしまった───のか?

 

 ダブルピースしてるアイテールが思い浮かんだ。

 

 いや、あそこまで染まってはいない。……いないはずだ。でも、けれども、弛んでいたのは事実だ。

 

 

「"お前。自省するのはいいですが、ちゃんと寝て休んでくださいね。カノンに"線"だらけの悍ましい身体を見せないように"」

 

「勿論そうさせてもらう。ただ───君のことをよく知った後でな、サリエル」

 

「"はい? なにを聞きたいのですか? 魔術協会、時計塔の個体基礎科に属するお前は、私に関する知識を十分に持っているでしょう。私自身ですら知らない(サリエル)を知っている筈です。特に話すことが思いつきませんが"」

 

「とぼけるな。カノンとは短い仲だが、ここ数日で出会ったって訳でもない。二ヶ月だぞ? 君という存在に気付かないはずがない。……君は、いつから現界している?」

 

「"己が無能の責任を他者へ押し付けてはなりません。知恵の果実を喰らったのはイヴの責任であり、唆した蛇ではないように"」

 

「俺が無能かどうかはどうでもいいんだよ。俺の話じゃないんだから。カノンの面倒を見ていたのは俺だけじゃないだろう? アイテールが、君に気付かないなんてありえないと言っているんだ」

 

「"……あの天使(われわれ)の模造品ですか。生憎とカノンの記憶でしかアレを知り得ないので、お前の言葉を否定することは出来ませんね。当然、知らないので肯定も出来ませんが」

 

「カノンの記憶でしか知らない、という時点で答えは出ているようなもんだろ」

 

「"ええ、まあ、その通りです。私が現界したのは数日前、つまりはこの冬木の地を訪れてからです。然して、それがなにか?"」

 

 

 ずっと思っていたが、コイツなんか俺に当たりが強いな。お前呼びとか、俺に名前を呼ばれるのは不快だとか、あの凍えるような目つきだとか……。いや、目つきは俺も他人のことをとやかく言える立場じゃないか。誰しも不本意に悪意を見出されることはある。身体的特徴を(あげつら)うのはよそう。

 

 しかし冬木に来てからの現界か。となると考えられる理由として取り敢えずすぐ思いつく可能性は二つ。

 

 一つは、ひょんなことからたまたま偶然図らずも、この時期に現界しただけってパターン。カノンの人間性に触れて、ただの力の塊だった天使が自我を獲得したのが今だったというだけという。

 

 もう一つは、聖杯戦争──というよりサーヴァント召喚になんらかのかたちで影響されたってパターン。聖杯という名の通り、コイツらは源流が同じ宗教にある。感染魔術に近い現象を想定しよう。自発的ではなく、そう、例えば他のサーヴァントの召喚に巻き込まれるかたちでウッカリ召喚されてしまった、というような……。

 

 うん。二つ、と挙げておいてなんだが────。

 

 

「つまりは、あれか。君は()()()()()()()に引っ張られたんだな?」

 

 

 この聖杯戦争はセイバーの召喚が一番最後だった。俺たちが冬木に来た時にはまだ召喚すらされていない状態だったらしい。彼女が召喚されたのが、俺がホテルにチェックインして、爆睡するカノンを置いて部屋を出たあたりか。

 

 多分、あの時に同時に召喚されていたんだろうな。

 

 ───いや、違うか。サリエルという天使自体は最初から召喚されていた。カノンという少女を依代に、その『力』だけはすでに現界していた。セイバーの召喚に影響されたのはその()()()だ。

 

 天使は確かに"ある"が、しかし英霊──神霊としては存在していない。つまりは英霊の座に彼らは居ないし、俺たちが想像するような人型の天使もまた居ることはない。

 

 ──────────筈だった。

 

 けれども、ここに人型の『天使』が存在してしまった。ある筈がないのに確かにある。俺の『無』やエーテル塊と同じだ。こんな時、ねじ曲がるのはいつだって現実の方なんだ。辻褄を合わせると言い換えてもいい。

 

 人々の願望から生まれたものを、実話、捏造、おかまいなしでカタチにする。それが境界記録帯(ゴーストライナー)

 

 "なんだ、居るじゃないか"

 

 そんな声が聞こえてくるようだ。

 

 あの瞬間、神霊サリエルは誕生した。

 

 ともすれば、伝承にて語られる数多の『天使』たちも一斉に座に登録されたやもしれない。ま、それは今は関係ないし興味もないが。

 

 ()くして、カノン・トレベナスの状態をこの世界(アラヤ)はこう解釈した。()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()と。───実際はただ『天使』という器に適応しただけの一般人なのにね……。

 

 

「───……とまあ、少々、というかかなり変則的だが、君のことを人間の集団無意識はそう定義したわけだ。……阿頼耶識(あらやしき)を代表とした所謂『無意識』は俺の専門外だが、多分間違ってないと思う。人格が芽生えたのもそういうこと。英霊が聖杯によって生前の人格や現代の知識を得るのと同じように、君も聖杯に与えられたんだ」

 

「"……先の発言を撤回しましょう。お前は無能ではないようですね。概ね正解です。令呪もなければマスターも居ないですが、聖杯によってカタチを得たわけですから、一応はサーヴァントとも言えるかもしれませんね"」

 

「あー、そう言えばランサーに訊かれて曖昧な返事してたな」

 

 

 俺はこのサリエルを擬似サーヴァントと断言していいと思うが、実際はもう少し複雑な存在なのだろう。彼女自身、今のあり方をある意味不具合(バグ)のようなものだと理解しているからこそ、ランサーに対して濁した言い方をしていたのかもしれない。

 

 ランサーのことを話題に出したからか。サリエルは俺の傷痕に目線を向けると、大きくため息を吐いて話を切り上げた。

 

 

「"さて、おしゃべりもここまでです。体を休める時間が減るばかり。これでは治るものも治りません。外面(ガワ)を取り繕うことは出来ても、私たちの眼には真実が映ってしまうのですから"」

 

「…………分かったよ。まだ聞きたいことはあるけど、どうしてもっていうのは聞けたしな」

 

 

 つか"線"は眼鏡掛ければそもそも見えないだろ───とは、流石にこの状況では言えない。下手をすれば俺の首と胴がお別れすることになりそうだ。

 

 呆れたような声とはまるで合致(リンク)していない殺意すら感じる目線が俺を射抜いている。全くもって恐ろしい。それから逃れるため、極めて従順に寝室へと向かう。彼女が指差すベッドへいそいそと潜り込む。分厚い掛け布団が全身を包み込んだ。

 

 

「"子守唄(ララバイ)は必要ですか?"」

 

「要るわけないだろ」

 

「"そうですか。確かにリリスもお前のような人間は願い下げでしょう"」

 

 

 では、と言って『天使』は寝室から出ていった。最後まで俺には冷たいヤツだ。

 

 

「…………。あ」

 

 

 そう言えば、なんで俺に辛辣なのか聞き忘れていた。推し量るに、魔術師だからってのが理由だろうけど。彼女らの宗教観では魔術は罪だもんな。俺たちの魔術はソロモンから分たれたものだから許してくれ、とか言っても無駄なんだろうなぁ。聖堂教会の連中もそうだったしなぁ。

 

 いや、意外と一考の余地ありと認めてくれるか?

 

 彼女は本来の──というか伝承にて語られるサリエルと随分乖離していた。()()()()()()()()()。俺のことが大嫌いなくせに話しかければ言葉を返してくれるし───ん? いや、そこじゃないか。

 

 伝承に記述されるサリエルは誰に対しても平等だ。彼女が個人的な好悪で対応を変えるわけがない。だからその一点に関しては言い伝え通りではある。

 

 エピソード通りじゃないのは対応ではなく態度だ。好悪を表に出す行為というか。そもそも好悪の感情を持つこと自体というか。

 

 カノンにかなり寄ってるな。

 

 人格形成の際に、彼女自身の伝承や民衆からの印象を元にしたんだろうが、いかんせん"器"があの少女だ。何も言わず、何も聞き入れず、機械的に動作する天使とは全く似つかないカタチになったようだった。

 

 多分だけど、好き嫌いは別として俺の言葉をかなり聞き入れてくれるし、事情があれば汲んでくれることだろう。実際、本来の彼女ならばランサーに殺される俺を助けたりしない。それが例え依代の少女の頼みであったとしても。

 

 

「ここ一番で幸運を拾ったか」

 

 

 運命というものがあるのなら、ソレは俺に「まだ生きろ」と言っているに違いない。ありがたいことに。俺はまだ死ぬ定めではないようだ。

 

 そう思ったら、急に疲れと共に眠気が襲ってきた。

 

 まずい。今ここで寝たら起きるのは朝だ。カノンの性能が只人に戻る時刻。結界の綻びもなく、万が一にもないことではあるが、彼女が襲われたら為す術もない。寝るのはいいが脳の半分だけにしろ。

 

 ───が、これまで、流石に無理をし過ぎた。

 

 ゆっくりと、しかし確実に、俺の脳は機能を閉じていく。意識が無意識へと移行する。五識停止。ノンレム睡眠へと一気に落下していく。

 

 駄目だ駄目だと分かっていながら、抗いようのない欲望に誘われて、俺は夢すら見ない深い深い眠りに堕ちていった。

 

 

 

  ◆◇

 

 

 

「"……寝ましたか"」

 

 

 寝室の扉に寄りかかるようにして待機していた『天使』は、室内にいた少年が眠りについたことを確認すると一言呟いてリビングへと戻った。

 

 ソファに腰掛け、ゆっくりと辺りを見渡す。

 

 一般的とは言い難い、高級感あふれる家具の数々。彼女が座るカッシーナのレザーソファや、同ブランドのマホガニーテーブル。どちらを取ってもヘタな自動車よりも高価だ。

 

 しかし、彼女の目にはそのようには映っていない。

 

 

「"…………"」

 

 

 青く揺らめく二つの眼光。そのレンズを通して視る世界は、その美しい瞳とは正反対の景色を映し出す。

 

 走るいくつもの"線"。万物の終わり、すなわち『死』をあらわした線。正確には、線に見えているだけの終末そのものだ。

 

 あらゆるモノには終わりがある。人間に死があるように、他の生き物にだって死はある。動物だけではなく、植物や昆虫、細菌やウィルスにだって死は、『終わり』はある。

 

 そしてそれは生物以外も例外ではない。風に晒され、波に撫でられ、巨大な岩だって削れていく。長い永い時間の中で磨かれ、剥離し、やがて小さな石になる。石もまた時間を掛けて砂や土になり、最後には原子のひとつが残る。その原子も陽子や中性子、電子として散逸していく。『終わり』は非生物にだってある。

 

 この惑星や、太陽、銀河、果ては宇宙までも、いつかは『終わり』が訪れる。それが何億年先なのかは知らないが、始まりがある以上は終わりがある。

 

 彼女の持つ『魔眼』はそういった終わりを視るものだ。始まりと同時にソレが内包している終わりを直視する。遠い未来を見ているのではなく、既に存在するモノにある『おしまい』を測っているのである。

 

 

「"……戒めこそが(ともしび)である。教えこそが光である。主の懲罰を忘れるなかれ。あれこそは命の道である。あなたが歩くとき、私が導こう。あなたが眠るとき、私が守ろう。あなたの目覚めとともに、私は油を注ぎ印を記そう"」

 

 

 如何なる高級品も彼女の目には美しく映らない。脆く、儚く、今にも崩れ落ちそうな物ばかり。刻まれた"線"に上書きされて実用面のみならず、見た目すらも悍ましく映る。

 

 『天使』は祈る。

 

 自分にでも、眠っている魔術師にでもない。自分を受け入れてくれた少女への祈り──ひいては、彼女にそのような試練を課した神への祈りである。

 

 この惑星(ほし)は生まれ変わる。

 

 魔法使いが産み出した第五架空要素(エーテル)は薄れ、神秘は色彩を失っていく。次の一千年で臨終を迎える。

 

 その為の資金石。ヒトから産まれ、人であるままにヒトを超越した者。望まない力を星から与えられた少女。人々の祈りから創られた亜麗新種。

 

 そんな彼女──カノンのために『天使』は祈る。

 

 

「"この少女に、憐れみを────"」

 

 

 自分が憑依した"せい"で、世界を正しく見れなくなってしまった少女を憐れんで、サリエルは祈り続けた。

 

 

 

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