アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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十四話/クシロン・ヘルツは夢を見る

 

 

 

 暗い水中を浮上していく。

 

 こぽり、と気泡が口から漏れて、水面へ向かって我先にと昇っていく。見上げればそこには微かな光が一筋。

 

 ここがどこか。

 いまがいつか。

 ────わからない。

 

 海の中だろうか。池や湖か、あるいはプールだったりするのか。そんなことはどうでもいい。そもそも、水の中ではないのだから。

 

 意識が浮上していく。

 まどろみの海から空を目指す。

 

 ああ──────────これは夢だ。

 

 だんだんと思考が明瞭になっていく。意識がはっきりと覚醒していく。……夢とは無意識の世界だから実際にそうかは知らないが。ともかく、俺自身の体感ではあるが、起きている時とあまり変わらない思考活動ができるくらいにはなっていた。

 

 もっとも、暗い海のような夢からは依然抜け出せていない。身体はだらりと力を失って、ただ波に身を任せている状態である。

 

 どうせ見るなら森の夢が良かった。

 

 これは俺に限った話ではないと思うが、浜辺ならともかく海の沖の方はなんとなく怖い。足がつかない不安と、見えない自分の足元にナニカがいるんじゃないかと疑心に駆られる。言ってしまえば、海洋恐怖症(タラソファビア)というヤツだ。

 

 俺の場合、恐怖症とはまではいかないが海に苦手意識がある。まあ、森もそんなに好きじゃないけど、実家の近くは森だらけなので言葉にしようもない安心感はあるのだ。

 

 はあ、とため息を吐こうとして、それができないことを思い出す。

 

 ゴボゴボと音がして、ため息の代わりに一際大きな気泡が口から上に向かって伸びていった。

 

 浮かんでいっていたはずの身体がどんどん沈んでいく。肺の空気を吐ききって浮袋の役割が消えたからだろうか。夢だというのに律儀なことである。そこまで再現する必要がどこにあるのか、甚だ疑問だ。

 

 (くら)い。(くら)い。(くら)い。(くら)い。(くら)い。(くら)い───。

 

 ずっとずっとくらい場所へと身体が沈んでいく。

 

 なんだかまるで海の中じゃなくて、星のひとつもない宇宙空間(ヴォイド)にいるみたいだ、と思った。

 

 だってあまりにも何も見えない。水面から差し込んでいたはずの光はいつの間にかなくなっていた。手元にライトがあったりするわけでも、周りにクラゲやアンコウがいるわけでもなく。

 

 本当に、正真正銘の真っ暗闇だ。

 

 音も、外部の音は聞こえない。骨伝導というのか、自分の身体が奏でる音だけ響いている。心臓が血液を押し出す音だけが鳴っている。

 

 どくん(ゴーン)どくん(ゴーン)

 

 心臓(かね)が、鳴っている。

 

 沈んで、沈んで、沈んで、

 やがて───トン、と足がついた。

 

 ハッと顔をあげると、光が俺の目に飛び込んできた。か細い、それこそ蝋燭の火みたいな光だけれど、さっきまでの暗闇に比べれば圧倒的に明るく感じてしまう。

 

 それと、息ができる。匂いもする。足を撫でる草の感触も。ちゃんと五感が機能している。

 

 

「……ここは………………」

 

 

 何処だろう、なんて繋がるような言葉を吐き出しておいてなんだが、一目で俺はここが何処なのか理解していた。ヒトは理解の範囲外のことが起こると、知っているはずのことにも疑問を持ってしまうものだ。

 

 例えば、さっきまで海の中だったのに気付けば森の中だった、とか───。

 

 まったく、夢だからって好き放題だ。だから『無意識』の世界は嫌いなんだ。荒唐無稽な出来事がさも当たり前かのような顔をして起こりやがる。

 

 立ち上がってあたりを見渡す。

 

 そこは木々が隙間もないってくらいにぎゅうぎゅうに敷き詰められた森の中だった。土の中も根でぎゅうぎゅうで、小さな雑草くらいしか生えていない。その雑草も、日光も栄養もなくてすぐ枯れてしまいそうに見える。

 

 俺がいるのは、そんな森の一角にぽっかりと空いたギャップと呼ばれる場所だった。なんらかの理由で樹木が倒れたり枯れたりしてできた空間のことだ。

 

 

『こそこそ隠れるのはやめにしたのか』

 

 

 どうしたものかと頭を掻いていた俺の背後に、女の声が投げかけられた。

 

 瞬間、振り返る。さっきまで誰も居なかったはず空間に、一人の女と一人の男が立っていた。黒いヴェールを纏った男と、白いドレスを纏った女だ。

 

 

『もはや今の貴女に私の魔術が通じないことは分かっていた。であれば、抵抗は無駄だと思わないか?』

 

『そうか。道理ではある。しかし以前の貴様であれば、この期に及んで尚醜くもがいたであろうに』

 

『ハ。酷い評価だ。いや間違ってはいないがな。なに、新境地というものよ』

 

 

 二人は俺の存在をまるっきり無視して話し始める。俺が見えていないのか。いや、そうではない。彼らは俺が見えていないんじゃなくて、俺が一方的に彼らを視ているだけ───。

 

 これはきっと再演だ。

 

 

『最期だ。こちらも相応の礼をとってやろう』

 

 

 ビデオカメラに収められた映像と何も変わらない。だというのに、次の瞬間、俺の全身の毛穴が強張った。鳥肌が立った。まさしく恐怖した。

 

 

『───答えよ、矮小家畜の我が隷属。

 月の(かげ)。朱き()み。(まが)(めぐ)りし汚穢(おわい)(うろ)

 徒花(あだばな)と知れども咲く(のろい)(たね)よ。

 貴様にとって血とは何や?』

 

 

 その黄金の瞳が男を射抜く。

 

 そうだ。

 見つめられているのは男の方だ。詰められているのは男の方だ。責められているのは男の方だ。

 ……俺じゃない。

 

 俺じゃないのに、なのに、俺はまるで蛇に睨まれた蛙みたいに動けないでいた。

 

 そんな俺は対照的に──俺と立場が逆転しているじゃないかと思うほどに──男は飄々とした態度を崩さないまま口を開いた。喋り始める直前、チラリと俺に視線を向けたような気がした。

 

及第点といったところだな、我が原理の後継者よ

 

 

 世界は、そこで明転した。

 

 

 

  ◇◆

 

 

 

 ホテルの寝室で目を覚ます。

 

 

「……夢、か」

 

 

 夢なんて久しく見ていなかった。いつぶりだろうか。朧げな記憶だが、最後に見たのはそれこそ父が死ぬ前日だったような気がする。アインナッシュの魔術師として、そしてヘルツの当主として、夢などという弱点は許容できなかった。

 

 上半身を起こして窓を見る。カーテンの隙間からは柔らかな陽光が覗いていた。

 

 

「あれ────」

 

 

 ふと、その光を見て、自分が夢の内容を忘れていることに気づいた。

 

 でもまあ、いいか。

 夢なんてそんなものだろう。

 しかし無意識の領域はこれだから困る。好き勝手に妄想を具現化するくせに、いざ醒めたら何も残らないなんて。これを利用する魔術もあるらしいが、こんな泡のようなものを扱うなんて正気を疑う。

 

 眼で()り、耳で識り、鼻で識り、舌で識り、身で識り、そして意識を以て現実とは構成される。俺に言わせれば夢を見るのは逃避だ。あそこは物質界に生きることの出来ないマガイモノの居場所だ。

 

 だから、今日夢を見てしまったのは不覚だった。サリエルの言う通り、俺はあまりに弱りすぎていたらしい。『死』に近づきすぎたと言い換えてもいいかもしれない。

 

 まだ十分に若い、というか時計塔のお歴々に比べれば"幼い"といっていい年齢だが、耄碌(もうろく)したと言われてもなにも反論出来ない。

 

 壁に掛かった時計に目を向ければ、すっかり正午を回っていた。

 

 

「──────」

 

 

 …………12時半───。

 

 

「まっっずいッ!!」

 

 

 日が昇る前には起きるつもりだったのに!

 

 勢いよくベッドから飛び出して寝室を出ようとして、足を床につけた途端に鋭い痛みが全身に奔った。けれどそんなことに構っているヒマはない。

 

 

「カノンッ!」

 

「うへっ!?」

 

 

 バンッ!

 と勢いよくドアを開いてリビングへ入る。

 

 果たして、そこには優雅にショートケーキを食べるカノンの姿があった。……良かった、無事だ。安堵の息を洩らす。そして、その勢いのままカノンに話しかけようとして、ひとつ気がついた。

 

 ケーキなんて冷蔵庫に入れた記憶はない。つまり、それはルームサービスを利用したということだ。いや、それはダメだろ。

 

 

「君な。俺がいない時はホテルマンであろうと会うなって言っただろう?」

 

「───。……ねえ、起きてすぐの言葉がソレ? 意味わかんないんだけど。まずは"おはよう"で次に"ありがとう"じゃない?」

 

 

 カノンは睨みつけるようにして言う。スイーツを食べてご機嫌であったろうに、彼女の気分は一気に悪くなったようだ。

 

 いやでも───と反論しようとして、あまりにもこちらに勝ち目がないことに気付いて口を(つぐ)んだ。命を救われている以上は何を言っても強がりに過ぎない。

 

 

「……そう、だな。おはよう。そして、ありがとう。サリエルを(けしか)けたのは君だろう? あれがなければ俺が死んでいたってのは間違いない」

 

「え、なんか素直じゃん……調子狂うなぁ」

 

「俺はいつだって素直だよ」

 

「どうだか」

 

 

 大きく口を開けてショートケーキをぱくり。そのたった一口で、吊り上がっていた眉は下がり、表情はご機嫌に戻る。14歳の少女の情緒は相変わらず理解不能だ。

 

 でもこれで落ち着いて話ができそうだ。

 

 

「君に宿った『天使(サリエル)』のことだが、君はいつから存在を認知していた?」

 

「人格みたいなのがあるのを知ったのはいつ頃だって話?」

 

「そうだ」

 

「えっとね。冬木に来て、このホテルに来て、寝て起きたらもう居たかな。だから、三日前か。いや二日半前?」

 

 

 あの日カノンが起きたのが何時かは知らないが大事なのは日付だ。つまり俺の仮説は合ってそうだな。力の器としてのサリエルではなく、神霊サリエルとして現界したのは、やはりセイバーの召喚と同時刻か。

 

 

「最初は、本当にずっと神さまを讃える言葉を吐き続ける機械みたいな感じだったんだけどね。だんだん話が通じるようになっていったかな」

 

「昨日の夜は彼女に身体(からだ)を貸したようだが、随分と仲良くなったんだな?」

 

「えー、なにその言い方。悪いことみたいに言うじゃん……。たしかに最初は怖かったよ? 変なことずっと喋ってるしさ。でも割とこっちの話も聞いてくれるし。というか、わたしの言うことは何でも聞いてくれるんだよね。だから、まあ、別にってかんじ?」

 

「……………」

 

 

 これは……頭痛がしてくるな。

 

 将来悪い男に引っかからないか今から心配だよ、俺は。そうでなくとも、詐欺師にとってはまさにカモのような思考だ。ちょっと優しくされただけで体を許すとは……チョロ過ぎるだろ……。

 

 

「あ! い、言っとくけど、軽く考えて体の主導権を譲ったわけじゃないからね!? 昨日はあのままじゃクシロンが死んじゃうと思って、でもわたしじゃ助けられそうもなくて、そしたらサリエルが"私ならあの男を救えますがどうしますか"って訊いてくるから……。だからだよ!」

 

 

 詐欺の手口でそういうのあるよな。まあ、その結果として俺の命が救われたんだから文句を言えないが。今回は詐欺ではなく本当のことだったのだし、これ以上追求するのもなんかだ。

 

 

「はあ……。ちなみに訊くけど、サリエルが身体を使っている時、君はどのようなかんじなんだ?」

 

「ん? というと?」

 

「サリエルと同じ視界を共有しているのか。体を動かされている感覚はあるのか。音は聞こえるのか。匂いはするのか。エトセトラ」

 

 

 本来ここらへんはアイテールに任せればいいのだが、一応俺も彼女の保護者の一人ではあるわけで。最低限知るべきことだ。

 

 俺の問いにカノンは「うーん」と首を捻っている。

 

 

「不思議な感覚なんだけどね。多分見えてないし聞こえてもいないと思う。でも、なんていうのかなぁ、わかるんだよね」

 

「それはつまり、情報だけ与えられた、みたいな?」

 

「うん、そう。そんなかんじ。わたしたちは新聞を読んだりニュースを見たりして、自分たちの知らない身近な出来事を知るでしょう? その場には居ないけれど、かなり正確に。似たようなものだと思うよ」

 

 

 カノン自身、それを完全に言語化できている訳ではないのだろう。しかし、なんとなくニュアンスは伝わった。我が家の魔術にもある程度通じる分野だからだ。もっとも、俺自身はそれをまともに扱えないが。

 

 五感の情報化。

 あるいは物質化か。

 何事も扱うには手に取れるカタチにしないとな。さりとて、アインナッシュの絶技───それが情報化なのか物質化なのか。そこまでの領域に俺はまだ至っていないので分からない。触れたのはその一端のみなのだから。

 

 

「まあ、詳しいことは帰った後でアイテールに任せるとしよう。こういうのは俺よりアイツの方が向いているから。……ということで、俺は俺にできることをするかな」

 

「もしかして、またどっか行くつもり?」

 

「仕方ないだろ。双子館がもうひとつあって、そっちにマクレミッツが居るってランサーが直々に教えてくれたんだから。行かないわけにはいかない」

 

 

 行って、さっさと遺体を回収してしまいたい。

 ついでにランサーのマスターに御礼参り───と行きたいところだが、こちらは身体の傷が完全に癒えるまではカノンとサリエルに止められるだろうから無理か。

 

 そうでなくともランサーのマスターは多分、おそらく、というか十中八九あのコトミネキレイな訳で、万全の状態でなければ危ういのも事実だ。

 

 というか監督役が聖杯戦争に参加するのは反則だろ。誰かにチクってやろうか。キャスターあたりがいいか? 流石にそれは越権行為か。

 

 

「───だから、別に戦いには行かないよ。夜じゃなくて昼の今を選んだのもそのためだ」

 

「ダメ。今は休んで。その双子館には夜に行くから」

 

「夜の方が危険じゃないか? もうひとつの双子館がどこにあるかはまだ調べてないが、魔術的な性質を考慮するとおそらく深山町だ。あっちは魔術師が大勢いるぞ」

 

「わたしがついていくから大丈夫だよ。サーヴァントもマスターも夜ならへっちゃらだし。いざとなればサリエルに代わるから」

 

「うーん……」

 

 

 俺はカノンを危険な目に遭わせたくない。

 

 しかしこれは俺個人の主義信条であり、アイテールはそれを考慮していないだろう。彼/彼女にとってカノンは俺の護衛役だ。そしてそれはカノンも同じ想定をしているはずだ。冬木についてきた時点でそのつもりだったろう。

 

 俺はまるで反対の立場を取りたい。保護者として当たり前の立ち位置にいたい。

 ……が、昨夜彼女に助けられてしまったから強く出れない、というのが現状だ。遺憾ながら。

 

 

「………………。はぁ」

 

 

 ため息を吐いたのは俺の方だ。

 つまりは、折れたのは俺の方ってワケだ。

 

 

「分かった。あぁ、まったく。……日が沈んだら双子館に(おもむ)こう、二人でな」

 

「やった! ふふん、ようやくわたしも役に立てるわ」

 

「別に無理に役に立とうとしてなくても───いや、よそう。どうか無茶だけはしないでくれよ。君に死なれると俺が困る」

 

君主(ロード)に怒られるから?」

 

「個人的な感情だよ。俺は、君に死んでほしくない」

 

「……あっそ」

 

 

 しかし、14歳の一般人の少女に負けるなんて。

 しかも、そのせいで今まで守ってきた"カノンに危険なことをさせない"という一線を越えることになるなんて。悪い夢を見ているみたいだ。

 

 訂正。

 これが悪い夢だとすると、一日に二回も夢を見たことになってしまう。それはマズい。これは現実であり夢ではない。少女一人にアインナッシュの魔術師は真に負けたのだ。ちゃんと認めようじゃないか。

 

 ……それでも一回は夢を見ちゃった事実は消え去らないが。この半人前め。

 

 

「……」

 

 

 チラリと、柱時計を確認する。

 さっき見た時と時刻はそう変わらない。日没までは四時間弱といったところか。

 

 とりあえず、ご飯でも食べるか。栄養がなければ治る傷も治らない。魔術にだって限界はある。錬金術でどうにでもなることはなるが、それでも何もないところから身体の細胞を生み出せる訳ではない。

 

 食べて、寝て、休む。

 傷の癒やし方などこれ以外にない。

 もっとも、さっきみたいにグースカ寝る気もないけれど。昼のカノンは脆弱だから起きていないと危険、というか不安だ。

 

 

「何か食べようと思うんだけど、君は?」

 

「わたしはもう食べちゃったからいいよ。あ、デザートは別腹だけどね」

 

「さっき食べてたショートケーキはなんなんだよ」

 

「あれもべつばら〜」

 

 

 冷蔵庫を開ける。食材は十分な量が入っている。種類も豊富だ。手間をかける気分でもない。手頃なところで一品。オムレツとかでいいか。

 

 心なしか穏やかな気持ちでフライパンを握った。

 

 陽はまだ高い。

 

 

 

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