アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか? 作:木彫りの心臓
夕刻。
朱い空と朱い雲。
東からゆっくりと夜が迫ってくる。
もうすぐ出立だ。今はそれまで暇つぶしのような時間。準備はとうに済んでおり、やることもないのでリビングでテレビを見ている。
テレビでは、連日のガス漏れ事故について報道していた。"古いパイプに亀裂が入っている可能性が──"だの、コメンテーターが的外れなことを言っている。教会はちゃんと仕事をしているらしい。
特に面白くもないのでチャンネルを変えた。
カーテンの隙間から覗く空を
深山町までの道中は徒歩で行く。タクシーも考えたが、運転手に双子館の場所を正確に伝えるのがどうにも難しいと考えてのことである。
となると、そろそろ出発してもいいか。
そう思い、テレビを消そうとリモコンに手を伸ばして、"速報"と銘打ったニュースが飛び込んできた。アナウンサーが慌ただしく手元の文字を読み上げている。
『───冬木駅構内では多数の意識不明者が確認されており、警察は"何者かが毒物のようなものを撒いた可能性がある"として───』
テレビに映し出される駅の映像。それはここからすぐ近くの冬木駅そのもの。敷かれたシートと、そこに横たわる無数の人々───。
報道の内容はこうだ。
駅構内に煙のようなものが充満し、中にいるほぼ全員が昏倒したのだという。現在は防護服を着た警察官たちが市民たちの救助に当たっている。しかし意識不明者の数が多く、全員を駅の外に運び出すのに時間がかかっている、とのこと。
そして、警察はテロと見て捜査をしているらしい。
「キャスターのヤツ、やりやがったな……!」
怒りとも呆れとも違う。自分でもビックリする声色で、その言葉が口から出た。そう。ビックリする声色というか、有り体に言えば
時刻は17時になろうかという頃。
帰宅ラッシュにはまだ少し早いが、それでも利用客は大勢いる。目算では二、三千人は優に超えるだろう。全員が被害に遭ったとは考えにくいが、それでも半数以上は何も分からないまま昏倒したはずだ。
で、あれば。
キャスターは一千人分──あるいはそれ以上の魔力を手に入れたことになる。俺には想像もつかない魔力量だ。
本格的にバーサーカーを討ち取りに動いている。
そりゃそうだ。キャスター程の魔術師にとってみれば、小聖杯を手に入れた時点でほぼ勝ちが確定する。となれば他のサーヴァントなんて考える必要もない。彼女はバーサーカーのみに狙いを絞ればいい。
たったひとつ。
イリヤスフィールを手に入れるだけでいい。
つまりは、この惨状は俺が与えた情報のせいということだ。
「なんてこったい」
だからなんだと切り捨てられる問題ではある。しかし、だからどうしたと開き直れる問題ではない。責任の一端を担っているわけだしな。
とはいえ、だ。
実のところ俺に出来ることは少ない。本件、神秘の隠匿は完璧──とはまではいかないが、十分な仕上がりではある。見たところキャスターが使った『煙』は、見た目だけは普通の煙同然だ。警察の言動も不審な点はない。明日にはどこかのテロ組織が声明を出すだろう。
魔術師として、彼女を否定することは出来ない。
「───なんてこったい」
だから、俺がどう思おうと、それはなんの意味も持たないのだ。
「そろそろ時間だよー。……ってあれ、クシロン、眉間にシワ寄せてどうしたの?」
トテトテと足音が聞こえたのでとっさにテレビを消した。カノンは自他境界がはっきりしているから大丈夫だとは思うが、割とセンシティブなニュースではあるので、これから外に出るというのに動揺を持ち込まれたくなかった。
「なんでもない。少し考え事をしていただけだ」
「そ? じゃあ、行こうか」
「ああ……」
ジャケットを羽織ってカノンの後を追う。
パチンとリビングの電気を消す。途端に部屋は影を落とす。ぼんやりとした結界の魔法陣の光が浮かび上がる。それを尻目に、七層の結界を抜けて外に出る。
ホテルの廊下は静かだった。その先のエレベーターも、ロビーも、まるで平日の昼間かのように人がいない。本来、他の利用客が見えてもいい時刻だろうに。
魔術的な作用が働いている気配はない。
完全に偶然の出来事ということになるが、果たしてこれは吉兆を知らせるものか、否か。
ホテルから一歩外に出れば、静寂が嘘のように掻き消えた。いくつものサイレンの音が鳴っている。駅の方からだ。
歩道にはざわめき立つ多数の人々。各々が携帯電話を手に、家族に身の安全を無事を伝えている。あるいは、いつまで経っても電話に出ない身内への焦燥を訴えている。
けれどもパニックになっていないのは、十年前の大災害を経験しているからか。
「……ねえ。駅の方が騒がしかったけど、これってやっぱり聖杯戦争に関係あるよね?」
喧騒から少し離れ、周りに人が居なくなってから、カノンはこそりと訊ねてきた。テレビの内容を知らないからか、何が起きたのか分からず、少し怖がっているようにも見えた。
失敗したな……。
動揺させないようにテレビを消したが、それによって却って動揺を誘ってしまった。
「オフィス街でガス漏れ事故に見せかけて一般人から魔力を吸い上げていたヤツがいただろう? そいつが駅でも同様の事件を起こしたらしい」
「なるほど」
簡潔に事象を伝える。被害者数とかは、まあ、伏せてもいいだろう。カノンは事情が分かって、少しだけホッとしたような顔を見せた。
「でも、結構騒ぎになってるけど大丈夫なのかな?」
「オフィス街と同じだよ。決定的なものが露出しなければ大抵はなんとかなる」
とはいえ、ここまでのことを平時に行えば大問題だけど。聖堂教会を筆頭に、ここまで迅速に隠蔽処理を行なえるのはこれが魔術儀式の最中だからだ。聖杯戦争という用意された舞台上でなければあっさりと露見する。
そういう意味ではあの神父にも感謝しなくてはならない。
まあ、それはそれとして───聖杯戦争が終わった後に相見えたなら、容赦なく
しばらく歩き───。
未遠川を跨がる冬木大橋を越え、深山町へと入っていく。深山町は街並みが二分されている。和風エリアと洋風エリアとでも言えばいいか。どうしてそうなったのか、とかはこの際どうでもいい。歴史の授業をしたいわけじゃないんだから。
俺たちに用があるのは洋風エリア。以前お邪魔したエミヤ邸とは反対側だ。
「……ちなみになんだけど、双子館の場所ってわかってないんだよね。これから探すんでしょ? 大丈夫? 今日中に見つかる?」
「大体のアタリはついてるから大丈夫だよ」
昨夜赴いた双子館──紛らわしいので仮にあちらを東館としよう──の位置と、未遠川からの距離はすでに測定済みだ。正確な方角とともに魔術回路に記録している。
そしてこれは推測ではあるが、西館はこの未遠川を基準として鏡合わせのような位置に建てられている筈だ。
「この二つの双子館はエーデルフェルト家が昔に建てたものだ。一般人ではなく魔術師が建築した以上、そこには魔術的な意味がある」
「魔術的な、意味……?」
「『天秤』の二つ名の通り、エーデルフェルト家は代々双子が当主となる。それはこの冬木に訪れた時も同様だろう。東館に一人、西館に一人、そういう意図のはずだ。そうして互いに照応させる。こういった場合、互いが対となるための基準が必要なんだ」
「基準……。新都にひとつ、深山町にもひとつ、ってことは未遠川を線対称の軸に使ったのね」
「正解。まあ、実際のところ、見た目とか名称だけでも対の関係は成り立つんだけどね。ちょっと前に話題になったイゼルマの件とかだと太陽と月の見立てを使っていたみたいだし」
「じゃあこの淀みのない足取りはいったい……?」
「まず、見た目による照応だけど、これはやってるのが前提なんだよね。けど建物なんてどれも似たり寄ったりだろ? よっぽど奇抜で特徴的じゃないと見た目だけの照応は弱すぎる。外見を似せるのは当然として、他の要素も必要不可欠ってワケ。そしてこれは名称による照応も同様だ。同じ名前を互いにつけるのはいいけど、"双子館"ってのがね。二つあって対になるのが分かるのは高得点。でもそれだけだとちょっと弱い。プラスアルファ欲しいかな」
「だから、それが位置による照応だと……。で、ここで一番基準にしやすいのが新都と深山町を二分する未遠川ってコト?」
「そういうコト」
そうこうしているうちに、大体の目安とした場所に辿り着いた。
住宅街からは少し離れたところ。かなり良質な
───未遠川を軸として線対象の場所。
───まるっきり同じ構造物。
───名称を、双子館。
「ホントにあった……」
「だろ?」
「ふふ、なんだか探偵みたいだね」
探偵──"
そも魔術とは、根源から別たれし一つである。
それは知るものが増えれば増えるだけ別れ、矮小化していく。凡百へと堕ちていく。故に魔術は秘匿せねばならない。根源へと通じる"道"が太いままであるために。
その魔術を信奉する魔術師を──何よりも秘匿を第一とする魔術師を、
俺でなければ憤慨していたかもだ。
……いやしかし、それが普通の魔術師の在り方であるのなら、今すぐ俺もカノンに怒った方がいいのだろうか。
隣を歩く少女へと視線を向ける。
ニコニコと微笑む天使のような顔。まさに毒気を抜かれるという言葉が相応しい。うん、これで怒るヤツの方が狭量というもの。
「───いいね。確かに人探しをしている今の俺は、探偵っぽいかもしれないな」
敷地内へと足を踏み入れる。
新都から移動する間に太陽はすっかり沈んでしまっていた。当然ながら敷地の中は明かりがついておらず、西館もその庭も
視力を『強化』して進む。カノンは意識的に行なうまでもなく暗闇を見通している。今のところ危なそうな予感はしない。
荒れ放題というわけでもなく、かといって整っているわけでもない庭を通り過ぎて玄関の前に着く。幸いにして鍵は掛かっておらず、簡単にドアが開いた。
「向こうの時は外から見てただけだったけど、
「ああ。使ってる家具とかインテリアは若干違うが、趣味の悪さは同じみたいだ」
間取りは東館と同じ。けれど、床に敷いてあるカーペットとか、玄関に飾ってある置物とか、そういう僅かな差異があった。双子とはいえ、お互いの趣味は少し異なっていたようだ。
迷うことなく正面の大階段をのぼる。
行く先は決まっている。西側二階、向かって三番目の部屋だ。
ドアノブに手を掛ける。
東館の時とは違って、怖気を感じることはなかった。俺の『直感』が死を視せてくることもなく、面白いほど簡単に扉を開くことができた。
【 】
けれど、確かにここに彼女がいると理解した。
ガチャリ。
部屋の扉を開く。
その開閉によって生まれた風によって埃が舞う。
「あれ?」
俺の後ろから部屋の中を覗き込んだカノンが声をあげる。果たして、部屋の中には誰も居なかった。
ローテーブルとソファ、それとクローゼット。ごく一般的な家具が配置されただけの普通の部屋──もちろん豪華絢爛たる装飾を施されてはいるが。マクレミッツの死体はおろか、血痕や争った形跡もない。
部屋を間違えた?
───否。彼女はこの部屋にいる。
「
指先に魔力を込める。
親指と人差し指と中指、その先端をそれぞれ別の方向に向ける。まるでフレミングが提唱した法則のようだが、イメージするの潜水艦のソナーだ。
「
コーン、コーン、と魔力の波が部屋全体に広がっていく。帰ってきた情報を俺の脳ではなく魔術回路に回して演算させる。数秒の後、精密な部屋の
───少しの違和感。
クローゼットの後ろに空間がある。隣の部屋ではないだろう。仮に隣の部屋だとしたら壁が薄すぎる。それに左右で壁の薄さが違うというのは妙だ。つまり……。
「隠し部屋、だな」
「お、ドヤ顔」
「茶化すな。あそこのクローゼットの後ろに隠し部屋があるみたいだ。どかすからちょっと手伝ってくれ」
「りょーかい」
俺は『強化』して、カノンは素の力でクローゼットを持ち上げる。押してどかせるならそうしたかったんだが、絨毯に引っかかってしまって無理だった。
空のクローゼットとはいえ重いものは重い。そもそものサイズが大きいのもあるし、何より金属の飾りのせいだ。多分純金だと思う。
二つほど動かせば、そこには小さな引き戸がひとつ。
ガラリ。
躊躇なくそれを開ける。
「あ」
おそらく本来は金庫を隠す部屋だったのだろう。飾り気のない空間と、仰々しいダイヤル式の金庫がそこにはあった。それと───もうひとつ。金庫ではないモノがそこには隠されていた。
ひとりの女───。
左腕の、二の腕の半分から先がない女。
紛れもなくそれは、俺が探していた女であった。ぴくりとも動かないバゼット・フラガ・マクレミッツがそこには転がっていた。
回収するために近づこうとして、
「──────ん……?」
ふと、疑問が脳裏を掠める。
死臭がしない。腐敗臭がしない。
いくら冬だといっても日数が経っている。特にこんな狭い部屋の中だ。開けてすぐ臭ってしかるべきだ。
それになにより、見た目が綺麗すぎる。
マクレミッツが殺された正確な日時は分からないが、少なくとも俺の元にミリョネカリオンから連絡が来た日から4日、時差を考えれば5日は過ぎている。通常であれば腐敗はかなり進んでいるはず。だというのに彼女の見た目は変わっていない。
死斑が浮かんでいるはずの肌は何故か血色が良く、腐敗ガスで膨らんでいるはずの腹部は引き締まっている。床も体液によって汚れてはいない。
「生きてる────」
後ろから、カノンの声がした。
振り返るとそこにはマクレミッツを直視する『天使』の姿があった。その眼光は、二つの月が闇に浮かんでいるようにも見えた。
もう一度マクレミッツを視る。
胸は動いていない。
呼吸はしていない。
そっと手を取る。本来は死後硬直でまともに動かないであろう彼女の腕は、あっさりと俺の意図するように動いてくれた。それになにより───。
「冷たくない……脈もある……」
驚きで手を離す。眠っている人のように、気を失った人のように、筋肉と間接が流れるように動く生きた人間の腕が床に落ちる。ゴロン、とさっきまで彼女の右腕が大事そうに抱えていた図画ケースが転がった。
魔術師という生き物は、なんとも度し難い。
これは仮死状態。普通の人間では死ぬはずのところを、フラガの魔術刻印が生き存えさせていたのだ。腕を失い、多くの血液を失い、呼吸が止まってもなお。
「"治療が必要なようですね?"」
呆然とする俺を、足元からの声が貫いた。
視線を落とした先には一匹のネズミ。俺の作り出した木彫りの使い魔がいた。けど、俺が製作者だからこそ分かる。コイツに、会話の機能なんてものは付属していない。
そのネズミと目が合う。正しく意味が通る。
「……君、サリエルか……?」
「"哀しきかな。
「いや、確かに治療が必要だけど……。というかなんだその姿は!? いつから俺の使い魔を乗っ取っている!?」
「"うるさいですね"」
ネズミ───告死の天使は俺から視線を外してカノンへと振り返る。
「"アヴェ・カノン。御聖体、お借りしてもよろしいでしょうか"」
「うーん。クシロンはどう思う?」
「どうって……。まあ、マクレミッツが助かるならそりゃありがたいけど。でもまずは俺が治療を試みるよ。身体なんてそう簡単に明け渡すもんでもない。そいつは最終手段だ」
「───だってさ」
「"口惜しや"」
俺の否定が入り、カノンがそれに同調する。サリエルはボソリと一言呟くと、カノンの背負っているリュックの中へと入っていった。というか、戻っていった、かな。元々あそこに入っていたのだろう。
「さて───よいしょ、と」
マクレミッツを抱きかかえる。彼女が持っていたであろう図画ケースも背負う。ここで治療するのは非効率的だ。良質な
魔術を使うなら──それも得意とは言えない部類の魔術なら、それは自身の魔術工房で行なう方がいいだろう。
「とりあえず、ホテルに戻ろうか」
何はともあれ、彼女が生きていたことは素直に喜ばしい。
俺自身の手で蘇生できるか。サリエルの手を借りるのか。それとも本国の専門家に任せるのか。そこらへんは、ホテルに戻って容態を見てから考えるとしよう。