アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか? 作:木彫りの心臓
イヴェットとの密談から五日。
年が明け、2004年がやってきた。
街はどこもかしこも浮かれていて、深夜だというのに星空なんか見えないくらいの照明が輝いている。今日は快晴の予報だが、月明かりすらも霞ませる新年祭の賑わいによって、もはや雨が降っていないということしかわからない。
喧騒の大通りを人流に沿って歩く。
通り掛かる数多の飲食店からは、オールドラングサインを歌う酔っ払いたちの声が輪唱のように響いていた。
ロンドンでこれなのだ。エディンバラの
30分後、ようやっと目的地に到着する。いつもなら10分で着く道程だというのに、人混みに揉まれた結果、三倍の時間がかかってしまった。
「怒られるかな……」
完全に遅刻である。
こんな日の、こんな時間を指定するのだから多少の遅れくらいは大目に見てくれると期待したいんだが……。あの人性格悪いからな。まあ魔術師なんて皆そんなものか。
場所としてはロンドン市内。しかし
どこを見ても同じような景色が広がっていて眩暈がするような道を、右、左、右、右……と順番通りに進んでいく。すると途端に視界が開け、石造りの学術都市が現れる仕組みだ。
市街地の裏側に
木と石と煉瓦で作られた古式の建物ではなく、コンクリートで打ち付けられた四角形の集合体。現
当然ながら他の魔術師たち──特に貴族連中からは「ありえない!」とお墨付きをいただいている。もちろんこの反応は驚愕ではなく軽蔑の意である。
いま俺が立っているのはベールナル南部のとある学術棟の前。
黄色に塗りたくられた、まるでスポンジのような立方体の塊。……前衛的なアートに見えるがれっきとした魔術工房である。
本人はゴッホに憧れてこの色にしたらしいが、いくらゴッホでもここまで変な家は嫌がると思う。
扉の前のチャイムを押す。
「…………」
返事はない。
──が、ガチャリ、と目の前から音がした。
入ってこいということだろう。相変わらずものぐさなことだ。いや、ある意味では俺に対する信頼か。
扉を開けて入ってみれば、中は足の踏み場もないという状態だった。
ゴミ屋敷ということではない。単に物が散乱しているのだ。
塔のように積まれた魔術書。使いどころの少ない用途が限定的すぎる魔術品。もちろん普通の雑貨も。衣服の類だけは見当たらないが、きっと脱衣所で山になっているに違いない。
こういうところは父親にそっくりだな……。
「クシロンです! 遅れて申し訳ありません!」
「……」
玄関から叫ぶも、やはり返事はナシ。
仕方がないのでここまま家主の元へと向かうことにする。道は変な道具で埋まっているので、その上を容赦なく踏んづけて進む。ただし、壊すとうるさいので自身に『軽量化』の魔術を掛けて、だ。
月面を駆けるウサギのように軽やかに。
天井に頭をぶつけないようにだけ注意して跳ぶように移動する。
一階は居住スペースなので無視して地下への階段を降る。ほとんど落ちるようにして辿り着いたその場所は、いかにも魔術師の工房であった。
ひんやりとした石造りの壁。一階とは打って変わって電球ではなく
備え付けの空調によるものか、柔らかな風に乗って独特なハッカ香が漂ってきた。清涼感の中に嫌な鉄分が紛れ込んでいる。
薄暗い部屋の中で、ゆらりと影が動いた。
ここの家主であり、この工房の支配者。
そして、俺を呼びつけた奴だ。
「随分と──遅いご到着じゃあないか。キミは、もしかしてだが、ボクとの友情に何かしらの想いもないのかな? 時は金なりとは云うがね、友情は金じゃあ買えないんだ。つまるところ、より尊いものなんだよ。いいかい? 20分の遅刻──時間の消費を怒っているんじゃあないんだ。ボクという友人を軽んじたこと、そのことに腹を立てているんだよ。分かるかな? さて、キミは一体どんな言い訳をしてくれるのかな。気になって仕方がないな」
口を開けばこれだ。
この人は何故か俺に友情とやらを感じている。俺としてはそこまでの想いを抱くに至る出来事に覚えがないので、少し不気味に思っている。
というか普通に怖い。
きっとこれまで友達が居なかったんで、そういうものに憧れでもあったのだろうと結論付けている。側から見る分には微笑ましいのかもしれないが、いかんせん矛先が俺というのがいただけない。
「道が混んでたんです。今日は新年祭でしょう?」
「…………………………シンネンサイ? ああ、そうか、新年祭。なるほどなるほど。ンー、そんな季節だったか。いやなに、とんと外に出ることがなくてね。そうか……。もう一年が終わったのか……」
俺への苛立ちで満ちていた声は、急速に勢いをなくしていった。
世間とのズレを感じるたび、己がいかに"普通"から外れているかを実感して悲しくなるのだそうだ。この人は、才ある魔術師のくせに凡人に憧れているのだ。
普通になりたいならまず魔術師辞めた方がいいんじゃないですかね、とは流石に直接言えないが。
「それで、仕事は何ですか? 暇な学生ではありますが、一応これでもひとつの家の当主です。やることがまったくない訳じゃないんですよ。本題に入りましょう」
「遅れてきたくせに偉そうな……! ふん! まあいいとも。ボクは寛大だからね。電車の遅延によって生徒が遅参した際にそれを咎める教師がいないように、キミが遅れた理由がキミ自身による怠慢ではなく環境のせいだというのであれば、同じようにキミを咎める理由にはならない。結果としてボクは20分間放置された訳だが、なに、ボクはキミを許そうじゃあないか」
「ありがとうございます」
「よいよい。では──本題と行こうか」
パチン、と指を鳴らす音がした。
途端、床に刻まれた魔法陣が起動する。怪しげな光を伴って、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。
子供の頃、母に一度だけ連れて行ってもらったプラネタリウムを連想させた。
違うところがあるとしたら、ひとつ。地面までもが夜空に変わっていたこと。
くろい、くらい、虚ろな空間。星々はまばらに点在していて、思わず手を伸ばしてしまいたくなる輝きを放っている。
"なにもない"のに俺はそこに立っていて、真っ白な大理石のラウンドテーブルの向こうに、その人は立っていた。
「ボクの魔術工房の中であるのだから本来ならば結界など必要ないのだが、念には念を、というやつだよ。鼠はどこにでもいるものさ」
地面に届くほど長く伸ばされた艶やかな黒髪。その隙間から覗く瞳は
スラリとした痩せた身体に、オーバーサイズの服をいくつか羽織っている。というより身体に服を引っ掛けているような有様だ。
ちょいちょい、と手をこちらへ招いている。
座れということらしい。大人しくラウンドテーブル傍の椅子に座る。すると向こうも同じように椅子に腰掛けた。
「そんな用心するような内容なんですか? ……俺はあくまで自身の戦闘技能を再確認するために貴方に依頼したんです。ちょうどいい仕事はないか、と」
「いや? 正しく丁度良い仕事だとも。我が友クシロン・ヘルツにピッタリのな」
「……まあ文句は内容を聞いてから言います」
「応ともさ。聞いてから
すごい自信だ。けどこの人は"普通"じゃない。致命的なまでにズレている。こういう時は決まって変な仕事なんだ。
「事の始まりは三日前だ。キミがボクに仕事の打診をしてきた数時間後だな。まさに天啓かと思ったよ。丁度良い時に声を掛けてくれた」
「…………」
「そう
してませんが。真顔ですが。
「さて──仕事の内容だが、簡潔に述べるならば『とあるモノ』の運搬任務だな」
「運搬? 俺は────」
「話の途中だが? コーンウォールにて発見された
おっと、雲行きが怪しくなってきたな。
「見つけたのが我が一族の系列で良かったよ。分家の分家の、そのまた分家なんだけれどもね。まあそれなりに口は堅い。とはいえ周りの目もあるからな。裏切りの心配はしていないが、透き見ばかりはどうしようもない。例えば、キミの"魔眼"のような、ね」
「……そうですね。魔術師であればやり方は如何様にも」
そっと目元に手をやる。
俺の魔眼──
文字通りの魔眼だ。もっとも、借り受けるのは土地ではなく対象の視覚だが。ランクはない。低価値というわけではないが、ノウブルカラーには及ばない。
理由は単純。強制力がないから。
相手が誰であろうと──それこそ一般人であろうと同意がなければ視界を借りられない。他者の運命に直接介入するような規格外とは比べるべくもない代物だ。
もし俺と同じような、あるいは上位互換ともいえる魔眼──例えば他者の視界を簒奪するような──があるならば、口の堅さなど些末なことだろう。
そうでなくとも、虫などの極小の使い魔や、使用人への暗示、幽体離脱による情報収集など、方法はいくらでもある。
「その通り。いままさに保護と同時に隠蔽に当たってもらっているが、まあ保って一週間と見ている。本人の抵抗もすごいらしいしな。すぐに露見するのは間違いない。キミの仕事というのはだね、言ってしまえば
「なるほど────ん?」
何か……変じゃなかったか?
保護? 本人の抵抗? それに、
物品に対する乱暴な言い方として、ソイツと言っていると思ったが、もしかして……人、なのか?
チラリと顔を覗き見る。俺が気付いたことに気付いたのだろう。黒髪に隠れた口元が、ニヤリと三日月を描いた。
くそ! 変なところまで父親に似やがって!
「運搬と言ったが、お察しの通り運ぶのは"ヒト"だよ。ほんの三日前まではかくも尊き一般人だった少女だ。尤も今は恐ろしき兵器だがね。せいぜい殺されないように気をつけたまえ」
「戦闘技能の再確認……。こういうのを望んでた訳じゃないんですけどね! もっと、こう、あるでしょう、別のが」
「根気よく探せばあるかもしれないが、
俺のオーダー。
この人の父親、つまりは現ロード・ソロネアが危険視するほどの存在だ。
だが────、
「一般人を巻き込むつもりはないですよ」
「魔術師を巻き込むことには
「それでもです。魔術師とは己が意志でなるもの。そうでない人物はどれほどの神秘を内包してようが、俺にとっては『一般人』です」
反対に、自らの意志で魔術の世界に足を踏み入れたもの。こちらについては関与しない。どこで、誰が、どんな目に合おうとも。
少々乱暴だが、魔術師になったのならその結果生じるあらゆる不利益は当人が背負うべきものだ。
「じゃあ、この仕事も本当は前向きじゃないのかい?」
「それは詳細を聞いてからです。ロードの言う『保存』の仕方によります」
「安心してくれ。封印指定のようなものじゃあないさ。ただそこまで自由な暮らしは出来ないかな。ま、今のボクよりほんの少しだけ窮屈な生活を想像してくれれば概ねそれで合っているとも」
「……それは仕方ないことです。俺の基準はあくまで俺の基準でしかありません。常ならざる力を持つ以上、どうしたってしがらみは生まれます」
これは言わば『保護』のようなものだ。魔術師的な価値観の上で、だが。
ロード・ソロネアは性格こそ悪いが外道ではない。このベールナルを見れば分かるように世俗的な価値観の持ち主だ。
もちろんソロネアの
「して──回答は?」
「受諾いたしますとも。明朝にはロンドンを発ちます」
件の少女をソロネアの支族から受け取り、抵抗するようであれば拘束し、ロンドンへ連れ帰る。なんてことない日帰りの仕事だ。
「詳しい場所や対象の情報については追ってメールする。こういう時は魔術よりも機械の方がいいからな。余程の物好きでなければ傍受などできんさ」
「了解しました」
「では、無事ここまで連れ帰ってくれよ? 稀有なる神秘の適合者──『天使』の概念武装をな」