アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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二十話/〈白道二十七宿〉

 

 

 

 作戦会議は夜明けまで及んだ。

 昼には作戦実行のための重要な下見に赴き、少しの仮眠を得てまた夜が訪れた。

 

 即ち、暗殺決行の刻である。

 

 場所は深山町、円蔵山の麓。

 黒いアスファルトは月明かりを呑み込むように、じっとりとした影を貼り付かせている。ときおり吹く風は木々をざわめかせ、ガードレールを通り過ぎてはピューと奇妙な音を立てていた。

 

 人気(ひとけ)はまるでない。

 

 それもそのはず。背後を見れば、そこには立ち入り禁止の黄色いテープがいくつも張られている。

 

 どうも、昨夜の円蔵山では派手に戦闘が行われていたらしい。陥没した道路。砕けた木々。飛び散ったいくつもの瓦礫───。

 暗闇に沈む破壊の跡が『強化』した視力を以て浮かび上がる。

 

 山門でなら理解できるが、そこから離れたこんな僻地にも戦いの爪痕が残っているとは驚きだ。アサシンのみでは抑えられず、堪らずキャスター本人が乗り出したか。よほどの強敵だったと見える。

 

 もっとも、勝利したのはキャスターだったようだが。

 

 眼前の結界を見つめる。

 神代の魔術師が作り出した神殿。1000人以上の魔力を用いた、もはや要塞と呼ぶに相応しい大結界。これが残っていることこそが、キャスターの万全を証明している。

 

 ……これらは、昼間にも見た光景ではある。

 その時となんら変化はない。けれど、これからこの結界に挑むのだと思うと、名状し難いプレッシャーが襲ってくる。

 

 あの冷酷な魔女は侵入者への手心など一切ない。結界内部への侵入を気取られた瞬間、俺は肉片ひとつ残さずこの世から消え去るだろう。それだけの防衛機能をコイツは搭載している。

 

 対英霊。おそらくはバーサーカーを見越したもの。ただの人間に踏破できるものではない。

 

 だから、俺()()で突破する。

 

 

「"さて、参りましょうか"」

 

 

 隣に佇んでいた少女が一歩前に出る。

 月光の下で青褪めた三対の翼が煌めく。振り向いた瞳はオーロラのように虹色の燐光を放っていた。

 

 天真爛漫を絵に描いたような少女ではなく、ヒトの罪を裁定する『天使』がそこには居た。

 

 

「"……? 何を(ほう)けているのですか"」

 

「なんというか、少し緊張していた。俺だけが死ぬのならともかくカノンまで巻き込むとなると、流石にな」

 

「"この期に及んでまだそのようなことを……。カノンだけに飽き足らず、私にも殺意を向けられたいようですね"」

 

「そういうわけじゃ───いや、悪い。たしかにその通りだ。緊張する理由が違うよな」

 

 

 そうだ。俺のこの肌を突き刺すような感覚は、カノンを血生臭い魔術師の戦いに連れてきたことによるものじゃない。そんな葛藤はすでに通り過ぎている。

 

 だというのに、自分を誤魔化そうとしていた。酷い話だ。誰かのせいにするなんて。

 

 俺の恐怖の/緊張の/高揚の理由はただひとつ。

 

 

「よし、行こう……!」

 

 

 俺は今から、神代へ挑む。

 サリエルという()の概念礼装と共に。

 

 僅かなミス、少しのズレも許されない。キャスターの結界に合わせて対応する術式を回し、そしてそれらの術式の精度を最初から最後まで落とすことなく大空洞まで辿り着かなくてはならない。

 

 キャスターにバレてもいいならやりようはいくらでもあるが、バレずにやるとなるとハードルがグンと上がる。ほぼ不可能と言ってもいいくらいにまで。

 

 ただ、()()、だ。

 絶対に不可能ってわけじゃない。

 

 

「───魔眼起動」

 

 

 自身の眼球に刻まれた魔術回路に火を灯す。

 

 ───租借(そしゃく)の魔眼。

 許可を得たモノの視界を借り受ける低ランクの魔眼だ。なんの強制力もなく、生まれたての赤子相手であっても許可が無ければ視界を視れない。ノウブルカラーとは比べるべくもない代物である。

 

 だが、一度でも許可が下りれば、それは如何なる視界であろうと借り受ける。例えそれがノウブルカラーの頂点、虹の魔眼であろうとも。

 

 天上を見上げる。

 星々の隙間を縫うように、遥か彼方に座す()()を見つめる。

 

 ()()は、ちょうどカシオペア座のすぐ隣に視える。まあ、宇宙の外側の存在で、肉眼で捉えることは出来ないけど。だから視えると云うと語弊がある。感じる、が適当か。

 

 幼少の頃を思い出す。

 本当に、ただなんとなく空を見上げたのだ。母に連れて行ってもらったプラネタリウムが恋しくて、その想い出をなぞるように、北極星(ポラリス)からカシオペア座へ視線でなぞっただけ。

 

 その途中、何故だか視線を感じた。目が合ったような気がしたのだ。ウロウロと星座をなぞるうちに、本当に、文字通りに、()()()()()んだ───。

 

 どこからこちらを視ているのか分からなくて、そのひとの視界が借りられれば、どこにいるのかが分かるんじゃないかって思った。そして、俺は無邪気にもお願いしてしまったんだ。

 

 

『───ねえ、眼を貸してよ』って。

 

 

 世界は一変した。

 モノの輪郭は(まが)り、影は(かたち)を失った。

 平面は平面であるままに空間と共に折り畳まれて、直線は直線であるままに幾何学的紋様を描いた。三次元的な視界では捉えられなかった世界のカタチが紐解かれていった。

 

 外宇宙から覗くブラックホールのような虚無の孔。

 

 ()()()は天蓋の外側にて(まなこ)啓蒙(ひら)く。

 

 これこそは真世界。

 

 

「──────────゜」

 

 

 視界は【宙の外】にある。

 

 はるかハルカ、遥か先。140億光年以上も先からコチラ側を()つめる。光の速さを超越して、幾萬もの星々の間を潜り抜けて、ラニアケア超銀河団おとめ座銀河団局部銀河群天の川銀河オリオン座腕太陽系第三惑星地球日本国大分県冬木市深山町穂群原大字円蔵字龍洞二十四番の二を観測する。

 

 空を仰ぐ自分自身と目が合う。もっとも()の視界は外宇宙にあるわけだから、あの瞳は伽藍堂だけど。

 

 嗚呼、なんておぞましい。

 ニンゲンの真の姿とは、かように醜いものか。

 幼い生体であった頃では見えなかったものが、月日を得て見えてしまう。十一次元に開かれた(ヒト)(からだ)。過去・現在・未来、それらが三位一体となって完成された卑徒(ヒト)身体(からだ)

 

 見よ。

 心臓の内界(なか)胎動(うごめ)く猛毒を。

 死してなお生き続ける月の王の妄執を。

 

 さあ、今こそ、この惑星(ほし)の礎を────。

 

 

「"もし。大丈夫ですか?"」

 

 

 ───────は。

 ()の耳元でした声で我に帰った。

 

 歪んだ姿/正しい姿であっても、視界以外は通常の認識能力である。鈴の音のような声は、狂気に呑まれかけていた俺をいとも容易く呼び戻した。

 

 

「…………ああ、大丈夫……。うん、大丈夫だよ」

 

「"そうですか。それは残念です。もしお前の呪いが孵るようなことがあれば、その時はカノンとの約束を反故にしてでも殺して差し上げていたのですが……"」

 

「なるほど、面白い冗談だ」

 

「"誓って、私は偽りを述べることは致しません"」

 

「知ってるよ」

 

 

 軽口を叩きながらも俺の思考は乱れていた。簡単に言ってしまえば、それは動揺だ。

 

 ……危なかった。だから嫌だと言ったんだ。俺が俺でなくなるような、そんな感覚に陥るから。話し合いの結果だし、言葉に出してサリエルを糾弾するつもりはないが、それでも苛立つ気持ちはどうしたって込み上げてくる。

 

 自分が自分でなくなる恐怖を語る俺に対し、だからどうした、とヤツは突き放したのだから。それはやらない理由にはならない、と。

 

 正論だ。正しいだけという意味だが。

 

 

「"恨むなら自身の性能の低さを恨んでください。お前が素面でキャスターの結界を解析できたのなら、このような手段に出る必要もなかったのですから"」

 

「分かってるよ。うるせェなぁ」

 

 

 右目は天上にいる()()()の視界で。左目は()()()の視覚能力だけを借り受けた俺自身の視界で。それぞれでキャスターの結界を視る。

 

 ───すごい。

 あまりのことに子供のような感想が浮かんだ。

 

 昼間の偵察の時とはまるで違う。結界に変化はない筈だが、読み取れる情報は天と地ほどの差がある。悔しいが、俺の視覚だけ挑めば容易く警備に引っ掛かっていただろう。

 

 古代ギリシャの術式か。ヘカテの系譜のものだな。まあ、関係ないんだが。

 

 正直なところ細かいことはどうでもいい。結界の仕組みさえ理解(わか)ればいいのだから。方向性とか、世界観とか、それらは瑣末なことではある。

 

 

「"セキュリティホールは見つかりましたか?"」

 

「そんなにすぐ───あー、見つけはした。けどやっぱり俺だけじゃあ突けない。予定通りここからは君の出番だな」

 

「"そうですか。わかりました。

 ……今夜は満月、いえ、僅かに欠けていますか。お前にとっても私にとっても、本来ならば歓迎するところです。しかし、此度は隠密こそが要ゆえ、少々眩しすぎますね"」

 

 

 結界の縁で、俺がさっきまでそうしていたようにサリエルも空を仰いだ。俺との違いは見ているもの。彼女は煌々と夜を照らす月光を見つめている。

 

 いつのまにか、その手には小さな天球儀があった。地球と太陽と月だけを描いた簡素な代物だ。けれど、不思議と輝いて見えた。

 

 単なる気分で出したわけではあるまい。

 あれこそ彼女の『宝具』───。

 

 ならば俺は……。

 

 

「……Anfang(セット)

 

 

 自身の魔力(オド)のみで行使するとはいえ、発動の瞬間は魔力が膨張する。それを感知される恐れがある。だから、彼女が『宝具』を使用するのなら、これを隠蔽するのが俺の役目だ。

 

 真理を視たことでよく深く理解した己が魔術回路(イデアブラッド)を回す。魔力が外に漏れないよう薄い膜を張る。

 

 俺の魔術を待ってから、サリエルが詠唱を開始する。

 

 

「"我が司りしは月の運行。

  満ちてまた欠けよ。欠けてまた満ちよ、

  遍く生と死を巡り、星を廻りて回帰せん"」

 

 

 本来、彼女に『宝具』という概念はない。受肉した『天使』そのものだからだ。振るうは権能。其は主の御技の一端。

 

 だが、冬木の聖杯によって『再定義』がなされた。抑止力の対象にもなりえる権能ではなく、その技は『宝具』として解釈されたのだ。

 

 これはそのうちのひとつ。

 

 

「"祝福あれ────〈白道二十七宿(ルナー・サイクル)〉"」

 

 

 天球儀が駆動する。

 同時、天に浮かぶ月も動き出す。全天に円を描くように、満ち欠けを繰り返しながら。

 

 月なんてものを対象にとってこんな派手なことをやってるってのに、冬木市の外では正常な月が見えているっていうんだから不思議だ。理屈としては、そりゃあそうって話ではあるけれど……。

 

 やがて、弾倉の如く変化した月はついにカタチを定めた。

 

 新月。あるいは(さく)とも。

 

 本来、この時間にその場所に月はないのだが、孔でも空いたみたいにぽっかりと黒い円が空にはあった。十六夜(いざよい)の月に代わって佇んでいる。

 

 この辺りは街灯もない。一応あったにはあったが、それは昨夜あったであろう戦闘の余波でへし折られている。なので、月明かりがなければ本当に真っ暗だ。星々や、新都から届く僅かな光だけではどうにもできない。

 

 とはいえ、俺たちは魔術師だ。

 

 その僅かな光だけで事足りる。視力の『強化』のようなオーソドックスなやり方や、獣性魔術によってピット器官を擬似的に再現するなど、やりようはいくらでもある。

 

 多少暗くなったところで、だからどうしたという話である。

 

 ───いやいや、これは宝具。

 "暗くなりました。はい終わり"なんてことはない。

 

 欠けて欠けて欠けて、月は天より姿を隠す。

 けれど、それは月が世界から失われたわけではない。闇の中に確かに在る。単に、我々の目では観測出来なくなっただけのこと。

 

 然らば───。

 

 

「"私とお前に『新月』の特性を付加しました。これで我々は外部からは観測されません。肉眼での目視は勿論、千里眼や、魔術的・科学的なセンサーに感知されることもありません"」

 

 

 今や彼女の宝具となった、天使サリエルの持つ能力のひとつ、〈白道二十七宿(ルナー・サイクル)〉。月の運行を管理していたという伝承に紐付くものだろう。

 

 サリエルは任意の対象に『満月』か『新月』のいずれかの特性を付加することができる。それらは簡単に云えば、『満月』であれば物凄く目立って、『新月』であれば全く目立たなくなる。……らしい。

 

 

「"さて、お前の見立てではこれで通れるとの話でしたが、如何ですか?"」

 

「悪い。昼間はそう思ったんだが、いま改めて視るとそうもいかないらしい」

 

 

 俺の『無』と同じだ。

 それそのものは観測されないが、それが存在する空間自体を観測された場合、ぽっかりと空白ができてしまう。

 

 

「空に浮かぶ新月。あれは確かに見えないが、そこだけ星がないから月が在ること自体は分かるだろう? そして、キャスターの結界は空間そのものにスキャンを掛けている」

 

「"現状では感知される、と?"」

 

「ああ。キャスターの結界の機能は大雑把に云えばこんな工程を経る。

 結界内の空間を観測し、その情報を分析して、発生しているイベントごとに細かく区分する。その中で重要度(シビアリティ)の高さによって個別に対応を行なう」

 

 

 例えば、木が揺れた場合。

 それが風によるものであれば異常性なしとして対処。しかしそこに魔力が付着していれば警戒体制へ移行。人影があれば異常事態として自動防御の術式が起動、キャスターにもアラートが届く。……などといったかんじだ。

 

 

「それだけならいいんだが、不明点───観測出来なかったり、システムだけでは判断できなかったりした場合、緊急事態発生通知(エマージェンシーアラート)がキャスターへ送られる仕組みになっている」

 

「"私たちは空間に空いた孔のようなものですから、それに引っ掛かるというわけですか"」

 

「そうだ。だから、その空いた箇所の情報を補完してやらないといけない」

 

「"失礼ながら、それは可能なのですか? 今の私たちの状態は限りなく『無』に近く、それ故にお前の魔術との親和性もあります。しかしながら、お前はそのような仕掛けを己が魔術に施してはいませんでした"」

 

「それはやっても意味のないことだからやっていなかっただけだ。『無』とは空白だ。これを誤魔化す手段は主に三つ。

 一つ、本物の現実で空白を埋める。

 二つ、真に迫るほどの幻術で騙す。

 三つ、そもそも空白を閉じてしまう。

 で、俺に出来るのは三つ目だけ。そして、閉じてしまえば『無』は現実世界に干渉できなくなる。なにしろ『無い』わけだから。攻撃の手段として使っているのに、当たらなかったら意味ないだろ?」

 

「"……つまり、我々という『空白』を閉じて、空間全体を俯瞰する術式の目を欺く、と理解しましたが相違ないですか?"」

 

perfekt(その通り)

 

 

 手のひらを握り込む。

 強く強く。爪が食い込み、血液が滲み出しても。

 

 

「───Meine Idee(原理を廻せ)

 

 

 滴る血が脈動する。体外へ出たというのに、どくんどくんと生命を謳っている。まるで、そうであるのが正しいと云うが如く。

 

 やがて(それ)はカタチを為す。

 

 鐘だ。小さな鐘。

 (あかがね)のような色味をした、手のひらサイズの半鐘である。菩提樹を(かたど)った装飾があるものの、他には何もないシンプルな造形だ。

 

 チリーン。

 振って鳴らす。静謐(せいひつ)の夜に細く長い音が残響する。

 

 以て、空白が閉じる。

 世界がほんのわずかに小さくなる。

 空いた孔の周囲の空間が、違和感なく繋がる。

 

 

「さあ、これで俺たちは正真正銘の透明人間だ」

 

 

 言って、張り手でもするかのように結界に手を突っ込んでみせた。

 

 術式に動きはない。固定砲台、竜牙兵、空間異界化、擬似ヒュドラ毒……エトセトラ。あらゆる防衛機能が静かに眠っている。監視用の()すら、繋いだ空間を正常なものとして視ている。

 

 全身を結界内に入れたとしてもそれは変わらなかった。

 

 キャスターの結界に対して俺が見出したセキュリティホール。あまりにも理不尽で、通常では想定しない……いや、想定できないもの。そして仮に想定できたとて、そんなものにリソースを割かないもの。

 

 "かつて『無』が存在した空白を閉じた痕"

 

 結界の弱点は、それを観測できないこと───。

 

 

「行こうか。どうも裏手に大空洞への近道があるみたいだから、そっちへ周ろう。ああ、岩場で足元悪いから気をつけて」

 

「"……私は飛べるので、その気遣いは不要です"」

 

「そういやそうか」

 

 

 これであとは───、殺すだけ。

 

 

 

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