アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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二十一話/an Re:cocoon

 

 

 

 暗い洞窟を歩く。

 コウモリも虫も居ない正常ならざる洞穴。何者も寄せ付けない聖域。即ち、冬の聖女の墓所である。

 

 円蔵山地下の大空洞へ足を踏み入れた頃、地上はにわかに騒がしくなっていた。

 地を揺らす衝撃。昨夜に続いて柳洞寺への襲撃だろう。同じサーヴァントによるものかまでは定かでないが……。

 

 ただ歩く。(くだ)っていく。

 

 地上の喧騒はすぐに思考から消えていった。どのみち俺たちには関係のないことだからだ。破壊がこの龍洞にまで及ぶことはない。キャスターが集めた魔力をすべて山の破壊のために使ったなら及ぶこともあるかもしれないが、それはするだけ無駄な想定である。

 

 また更に歩く。降りていく。

 

 ひんやりとしていた空気が切り替わる。原子の動きが遅きから速きへ移行する。冬だというのに、まるで地球の反対側にいるみたいに暑い。額にはすでに汗がにじんでいた。

 

 そして────。

 

 

「"───着きましたか"」

 

「ああ……」

 

 

 いっとう広い空間に出た。

 すり鉢状の大きな空洞。特徴的な六角形の割れ目が見える岩肌と、そこから噴き出す毒性のある火山ガス。遠くの方には陥没した箇所もあり、真っ赤な溶岩が顔を覗かせている。

 

 だが、驚嘆すべきはそこではない。

 

 地面にも、壁にも、天井にも。魔術師であるならば、この空間すべてに貼り付けられた()()()()にこそ驚いて然るべきだろう。事実として俺の目はソレに釘付けになった。

 

 

「……これが、大聖杯か」

 

 

 アインツベルンが産み出した規格外の作品。彼らにとってみれば、ソレは不良品でもあり傑作でもあったのだろう。その名は俺の家にも伝わっている。

 

 ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルン。

 

 意思持たぬ人形。永遠の今日を生きる嬰児(みどりご)。されど、その身に宿る神秘に適う者はなく───。そのように謳われた『第三魔法』の証明者。

 

 ……まあ、正しくは"再"証明者か。

 

 そんな彼女の魔術回路が直径約1キロの空洞を覆い尽くしていた。これが聖杯戦争を管理するシステム、大聖杯の正体。なんて惨く、悍ましいことだろう。

 

 だが、たかがホムンクルス一体と、英霊の影法師に過ぎないサーヴァント七騎の犠牲で『魔法』を実現できるのなら、それは素晴らしいことである……と、魔術師ならきっとそう云うと理解できてしまうから困る。

 

 第三魔法は魂の物質化。

 人類は有限が生み出すあらゆる苦しみから解放され、次のステージへ向かう。

 

 本来なら、それは()いモノだ。

 

 そう、()いモノであったはずなんだ……。

 

 

「"おお、なんたる不浄、なんたる邪悪でしょう。あれこそはアーリマン。ルチフェロなりしサタンなれば"」

 

 

 ねばりつくタールのように。

 概念的な悪意が大聖杯を内部から侵蝕していた。

 

 間近で見ると凄まじい。吐きそうだ。ドロドロに入り混じった人間の悪性──。嘘。差別。迫害。虐待。嘲笑。失望。偏見。落胆。搾取。強制。犠牲。罪。

 

 サリエルは吐き捨てるように罵るが、俺は彼女のように素直に嫌悪することが出来ないでいた。人間の業を見せつけられているようで、その一人として、他人事のようには思えなかったからだ。

 

 そうあれと望まれて、そうなっただけ。

 

 なるほど。こうして融合してしまうのも理解できる。アレもまた一種の願望器ではあったのだ。決定的に方向性を間違えてしまっただけで、より善い明日のために先人が願った結果なのだろう。

 

 ───この世すべての悪であれ、と。

 

 しかし。

 いや、だからこそ、あってはならないものだ。

 

 

「……殺そう」

 

「"勿論です"」

 

 

 目を閉じて、大きく深呼吸をする。

 

 手にはなんの変哲もないナイフがひとつ。

 悪意で染まった無垢なる偽神(ヒト)を殺すための道具。

 

 これから行なうことはある意味では殺人であり、ある意味では手術である。だからこいつはナイフであると同時にメスでもあるのだ。

 

 例えるならそれは、母体から赤子を取り出して殺す、というような作業だろうか。あまりに冒涜的な表現だが、これが実態に合っているのだから仕方ない。

 

 

「───魔眼接続」

 

 

 天上に座す()()()の視界を破棄し、別の視界に乗り換える。瞼の裏でセカイが裏返る。それは昨日の夜に許可を得たばかりの新しい眼。

 

 

「"10分……。今のお前ではそれが限界でしょう。くれぐれも留意なさい。超過すれば命の保証は出来かねますので"」

 

「なに、それだけあれば十分だろ」

 

 

 借り受けるは虹の瞳。

 ノウブルカラーの頂点。

 

 ───(まぶた)を開けば、本当に世界が違っていた。

 

 岩肌に走る無数の"線"を見た。それだけじゃなく、刻まれたユスティーツァの魔術回路と、更にそれに絡みつく泥にもヒビ割れたような"線"がぐちゃぐちゃに引かれていた。

 

 眼球の奥がズキリと痛む。

 目から頬にかけてツゥーと流れる液体の感触を覚えて、なんとなしに指で拭う。人差し指は真っ赤に染まっていて、それが涙ではなく血だったことに気がついた。

 

 頭が、痛い。まるで針で滅多刺しにされているみたい。思わず膝をつく。同時、目眩が襲ってきて咄嗟に口を抑えた。いま口を開ければ、胃の中のものをすべて吐き出してしまいそうだ。

 

 

「"クシロン・ヘルツ"」

 

「………………問題、ないっ……!」

 

 

 その呼びかけに、込み上げる吐き気をなんとか堪えて答える。

 

 あの日、少女が家から出て野原の木に辿り着くまでどのくらい掛かっただろう。どれだけ少なく見積もっても10分を大きく超えるのは間違いない。

 

 ならば俺が泣き言を述べるわけにはいくまい。

 

 警鐘を鳴らす脳を無視して大聖杯の中心を睨む。

 "線"がとりわけ多い部分。おそらくはユスティーツァの心臓があったであろう場所。目指すべき対象を確定させる。

 

 

「──────フッ……!」

 

 

 小さく短く息を吐いてから、走りだす。

 姿勢は低く。ツ、と地面に刻まれた"線"をなぞりながら。床を殺さず、大聖杯を殺さず、ただその泥だけを殺すべく駆る。

 

 カノンでもサリエルでもなく、俺がわざわざ直死の魔眼を借り受けてまでやる理由がコレだ。

 

 大聖杯を構成するユスティーツァの魔術回路とこの悪性の泥は複雑に絡み合って癒着している。イメージとしては『(まゆ)』だろうか。蚕蛾が作り出す絹糸の塊。それに接着剤をぶちまけた、みたいな。繭が大聖杯で、接着剤が悪性の泥といったところだ。

 

 俺がやることは、見るに耐えない無惨な繭を一本の絹糸に加工するようなものだ。

 

 必要なのは二つ。

 構造全てを極めて正確に測る観察眼と、

 ミクロン単位の調整を可能にする身体操作技術。

 

 どちらも持ち合わせているのが、唯一俺のみだったというだけのこと。

 

 

「───ぐっ……ああああ……!!!」

 

 

 脳が悲鳴を上げている。

 刃を僅かにズラしたり、ときおり地面から浮かせたりしながら"線"をなぞる。その度に頭蓋の中で脳がシェイクされるような感覚が襲ってきた。

 

 顔面はもうぐちゃぐちゃだ。

 涙なんだか、血なんだか、汗なんだか。もうわからない。叫び声をあげるものだから上から滴る液体が口に入る。しょっぱい鉄の味。

 ───やっぱり、よくわからない。

 

 ぐるりと円を描くように、外周から泥を殺していく。ちょうど今が三周目だ。末端はすでに元の聖杯の姿を取り戻している。しかし、本体を殺さなければまたいずれ侵蝕されることだろう。

 

 四周目。

 

 五周目。

 

 六周目───。

 人体の部位でいえば手足にあたる場所が終わった。これからは内臓に絡みついた腫瘍を殺していくことになる。更に深く『死』を観測するため、眼球に力を込める。

 

 …………と。

 流石に、自分が殺されるところを何もせず見ているだけじゃなかったみたいだ。

 

 

「■■■■■■■■!!」

 

 

 ぬるりと、岩の影から絶叫と共にまろび出る。

 黒い……なんだろう。ヒトのようでもあり、犬にも似て、蛇だとも思った。人間の考えた"嫌なモノ"を集めたような造形というか。

 

 一言で云ってしまえば、それは『怪物』だった。

 

 それはキョロキョロとあたりを見渡すと、俺に目掛けて突っ込んできた。

 

 いや違う。俺に目掛けて、じゃない。

 サリエルの宝具〈白道二十七宿(ルナー・サイクル)〉によって俺の姿は確認できない。だからこれは、自分が殺されている部分にナニカがいるだろうと考えてのことだろう。

 

 本能的なものか。あるいは本当に"考えて"動いているのか。

 

 怪物の巨大な手が振り上げられる。鋭い爪は人間の肉などいとも容易く切り裂くだろう。『強化』したとてそれは変わらない。無視はできない。だから迎撃しようとして───。

 

【 】

 

 避けなくてはならないと直感した。

 

 この怪物は直死の魔眼のような上等なモノは持ち合わせていない。けれど、その爪に触れれば死ぬという確信があった。

 

 霊長に対する特攻。

 ヒトに対する底知れない悪意。

 人類に対する生命の優先権を、アレは持っている。

 

 

「■■、■■■」

 

 

 ニタリと怪物が嗤う。

 これほど醜悪な笑顔もそうそうない。蒸留されたヒトの悪性。純粋悪とでも呼ぶべき代物。殺意とは、これほどまでに鋭く尖るものなのか……。

 

 爪が迫る。

 

 俺はさながら蛇に睨まれた蛙だった。

 

 人を殺す、爪が迫る。

 

 けれど、いよいよという時。

 横から白い翼が飛んできて、怪物を真っ二つに両断してしまった。

 

 

「"世話の焼ける男ですね、どうも"」

 

 

 俺の窮地を救った横槍。それは大鎌を携えた『天使』によるのであった。

 

 

「っ……悪い!」

 

「"いえ、お前がヒトである以上、相性が最悪ですから仕方のないことではあります。私とてカノンの肉体を依代としている今、最良とは言い難い。ですがお前よりはマシです。アレは私が抑えます故、お前は自分の役割を全うなさい"」

 

 

 ───抑える? 倒したじゃないか。

 そう思って見てみれば、岩の影から次々に怪物が溢れ出ていた。ざっと7体ほど。

 

 なるほど。1体だけじゃないわけだ。

 

 

「……わかった。そっちは任せた!」

 

「"任されました"」

 

 

 ナイフを走らせる。

 

 背後では争いの音と眩い閃光。影を照らす炎の柱が立ち昇る。俺のいる、死が始まる部分へと怪物たちが殺到し、それを見えざる天使が刈り取っていく。

 

 俺のすぐ側で立ち上がった一匹の怪物が、俺の股をくぐって飛んできた魔弾に撃ち抜かれた。固まって動けばエーテル砲のいい餌食。やたらめったらに腕を振り回すヤツもいたけれど、姿の見えない敵に届くはずもなく、あっさりと首を刎ねられた。

 

 一見すれば優勢。

 しかしよくよく観察すればそう簡単に断言できるものではないと分かる。

 

 飛び散った怪物の死体は影となってまた立ち上がる。両断するくらいに破壊しなければ死なないくせに、両断すれば影は2つに増えて怪物も2体に増える。

 

 消えて、増えて増えて。

 消えて消えて、増えて増えて増えて増えて。

 

 もしかして、いやもしかしなくても、これは無限に増え続けるんじゃないか……?

 

 いや、余所見はよそう。俺の役目に俺を集中するべきだ。彼女の献身を無にするわけにはいかない。

 

 中枢は近い。悪魔の心臓への(みち)は通っている。1ミクロンのズレも許容されないなぞり字を繰り返しながら疾駆する。"線"は迷路のようにより複雑になっていくけれど、殺人機巧と化した俺にとっては何も変わらない。

 

 

「■■■■!!!」

「■■、■■■■■■■■■、■!!」

「■■───■■■■!!!」

 

「──────ッ」

 

 

 怪物は増え続ける。真っ黒な影がいくつも跋扈している。張り付く死の線と、拡散する光の線。ナイフだけは固定されたように滑り、それを操る俺の身体は影と光を躱すために人体の限界へ挑む。

 

 ……いつのまにか。

 

 数体。数十体。数百体。

 無限に起き上がり続ける残骸───。

 それらは、どんなに周囲に気を配ろうとも、無秩序に振り回される爪や牙にうっかり当たってしまってしまうくらいの数へ膨れ上がっていた。

 

 けど、大丈夫。もうじき終わりだ。

 

 痙攣気味の手脚を気合いで矯正して殺し続ける。目眩に惑わされないように魔術で無理やり眼球を固定する。朱い視界の中に"線"を視る。

 

 

「────────せ」

 

 

 サリエルの殲滅速度を、怪物の増殖速度が上回り始める。何処にいるかもわからない敵に向かって振り回される爪が洞窟内に死角を埋め立てていく。

 

 

「────────廻せ」

 

 

 機能を停止し始める生体。手足の感覚はとうにない。擬似的に触覚を再現してやっと対処しているというのが正直なところだ。

 

 怪物の雄叫びも、もうよく聞こえない。

 どくん、と自分の鼓動だけ。

 

 末端の魔術回路は焼き切れた。神経を代替させて魔力を製造し続ける。『強化』すらもかなぐり捨てて、魔術刻印(イデアブラッド)へ魔力を送る。気力も、運命力も、捧げてひたすら走る。

 

 

「──────原理を廻せ」

 

 

 どくん。

 弔鐘(ちょうしょう)の音が鳴る。

 

 眼の前には揺籃(ゆりかご)のようなモノ。

 中からこちらを見つめる三つの目。

 赤子のように体を丸めて、孵化(たんじょう)を待つ悪の化身。

 

 俺はついに足を止めた。或は、止められなかったかもしれない。どちらかなのかは、俺にはもう分からない。仮初(かりそめ)の触覚すら瓦解していたからだ。のみならず、他の五感だってぼろぼろもいいところ。

 

 (しき)を欺き、(しょう)を騙し、(こう)を偽り、()を惑わし、(そく)を誑かし、ここまで辿り着いた。

 

 ナイフを持つ手を振り上げる。

 

 胎児の瞳孔が開かれる。表情なんて読み取れないような造形の癖に、不思議と、それが恐怖によってなのだと理解できた。

 

 ……なんだ、そんなでも一丁前に生存本能はあるのか。

 

 胎児の手が伸ばされる。見覚えのある動作。まるで被害者のような仕草。人間が迫る攻撃を防ごうとする時に見せる反射行動だ。

 

 ……いや本当、嫌なヤツだね、まったく。

 

 けど。

 

 

「いまさら躊躇するかよ」

 

 

 あまねく"線"の終着(おわり)始発(はじまり)

 その"(しんぞう)"に刃を振り下ろした。

 

 その軌跡は流星のように。

 暗雲を散らし、影を祓い、泥を退けて。

 

 原子一つ分のズレもなく、蒼い天使の眼は、ヤツの最中(さなか)を一線した。

 

 

 

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