アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか?   作:木彫りの心臓

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二十二話/帰り道

 

 

 

「…………接続、解除……」

 

 

 虹が晴れる。

 

 岩壁に浮かび上がっていた"線"は消え、俺の視界は真っ暗に染まっていた。『強化』をする余力もない。明かりひとつない暗闇だ。

 

 指先に力が入らない。

 カラン、と固い地面に転がるナイフの音。

 

 

「あぁ───疲れ、た…………」

 

 

 静寂の洞窟で、俺の小さな呟きが反響する。ここはすでに伽藍洞。黒い怪物も、泥も、何もない。無色透明な魔力の渦と、これを制御するユスティーツァの魔術回路だけがそこには有る。

 

 悪の化身……いや、"悪の化身たれ"と願われた何者かは消え去った。

 

 これが良いことなのか、悪いことなのか、俺には量れない。ただひとつ言えることがあるとすれば、大聖杯は元の機能を取り戻したという事実だけだ。

 

 これより、聖杯戦争は正しく機能し始める。

 最後の一組は願いを叶えるだろう/最後の一人は第三魔法へと至るだろう。

 

 しかしそれは、もはや俺たちにとって預かり知らぬところである。

 

 

「"清廉ならざる身でよくぞここまで奮闘しました。その一点において、私は()()()に敬意を表しましょう"」

 

 

 ふわりと風が顔を撫で、コツンと踵の鳴る音がした。すぐ近くからこちらを労う声もする。けれど、暗くてどうにもわからない。

 

 天使だって云うんだから、どうせならピカピカ光っていて貰いたいものだ。主の威光を示す光輪(ヘイロー)はどうした。カノンは戦闘の時にそりゃもう凄い光量を放っていたぞ。

 

 

「"───もし? 眠っておられるのですか?」

 

「……いや、口を開くのも、億劫なくらい……でな」

 

「"それはそれは。では少しお休みになるのがよろしい。ここは魔力も潤沢です。お前の型には合いませんが、それでも十分な供給量でしょう。四半刻も経たずして、立って歩けるくらいにはなる筈です"」

 

「そう、か。……じゃあ、お言葉に甘えて。しばらくはこうして寝転んでいることにするよ……」

 

 

 ふぅー、と長く息を吐いて天井を仰ぐ。

 目に映るの黒色だけ。こうしているとまるで星のない夜空を眺めているようだ。なんとなく、ヴォイドと呼ばれる空間を連想する。

 

 なにも、見えない。

 

 外宇宙の存在の視界。

 死の天使の視界。

 

 借り受けたモノが悪過ぎる。眼球も脳髄も限界だ。今更だけど、よく正気を保っていられたものだと我がことながら感心する。

 

 

「ふぅーー、…………」

 

 

 もう一度、深呼吸。

 生暖かい空気が肺をいっぱいにする。普段なら不快感を覚えるであろうものだが、今日ばかりは不思議とそう感じなかった。

 

 そうして、暗闇を眺め続けること30分───。

 

 確かにサリエルの言うとおり、それだけの時間で体は動くようになった。もっとも、やっと歩けるってくらいで、戦闘行為はおろか走ることもままならないレベルだ。

 

 よっこいしょ(Heave ho)、と老人のようにゆっくり立ち上がる。途中、右足に違和感を覚えた。多分折れてる。本来なら激痛が走るところなんだろうけど、生憎と痛覚はどこかへ置いてきてしまった。三日後くらいに大変なことになるんだろうな、とどこか他人事のように曖昧な未来を予感する。

 

 

「さて、帰ろうか」

 

「帰るにはクシロンの魔術が要ると思うけど、大丈夫そ?」

 

 

 来た道を引き返す俺に、疑問の声が投げかけられた。

 

 柔らかい声色であることと、脳が痺れるような感覚がなかったことから、多分カノンの方だろう。用は済んだとばかりにサリエルは引っ込んだらしい。どうやら切り替わっても〈白道二十七宿(ルナー・サイクル)〉による隠蔽は機能し続けるようだ。

 

 対して、俺の魔術は効力を失っている。このままなら帰り道でキャスターの結界に触れて警報が鳴り響くことだろう。カノンの懸念はもっともだ。

 

 

「まあ、そうだな。でもアレに魔力はそんなに必要じゃない。貧血に気をつけるくらいだよ」

 

 

 隣を歩く少女へ答える。問題ない、と。

 

 門を閉ざす鐘のように、世界の孔を閉じる鐘。アレは俺の■■がカタチになったもの。『無』と同じく内界(うちがわ)から取り出しているだけだから燃費は良い。現状でも普通に使える。

 

 

「貧血って……血を使うってコト? へー、結構原始的な魔術なんだ」

 

「血液っていうか、エーテルっていうか……あー、魂の熱量って言い方の方が正しく伝わるのかな……? いやぁ、そうでもないか」

 

「……わたしの羽も第五架空要素(エーテル)だけど、"魂の熱量"って表現はよくわかんないかなぁ」

 

「そう、じゃあ"血液"っていう理解でいいや。別に間違ってないしね。実際、物質的には血液そのものなんだから」

 

 

 話しながら、地上を目指して歩みを進める。

 

 夏の夜のような空気は徐々にその熱を失っていく。ちょうど最下層と地上の中間点。ほう、と吐いた息がわずかに白くなるくらい。

 

 まるで世界が違う。

 蒸し暑い最下層の大地。しとしとと雫が滴る冷たい地下空洞。乾いた空気が肌を刺す冬の地上。確かに繋がっているが、繋がっていないように思えてならない。

 

 古代より、冥界は地下に在るとされていた。その理由の一端を実体験として理解する。

 

 ひとつ登るごとに、ぼやけた視界が明瞭になっていく。地面を踏み締める感触が戻ってきて、ズキリと痛みが脚に走る。ふと、氷柱(つらら)のような鍾乳石から落ちる水滴の音がやけにハッキリと聞こえた。

 

 死んでいた(からだ)が、現世(ちじょう)へ近づくたびに生き返っていく。まさに黄泉帰(よみがえ)りだ。その実、単に豊富なマナを吸収して、結果として急速に身体機能が回復しているだけだけど。

 

 オルフェウス、ギルガメッシュ、この国でならイザナギとか。神話に於いて冥界下りの話は多くある。彼らも帰還の際には同じような感覚だったのだろうか。

 

 ……いや、彼らはそれどころじゃなかったかな。

 

 オルフェウスは妻エウリュディケのことで頭がいっぱいで、自身のことなんて頓着していなかっただろう。それにあれは冥界下りの話ではあるが、内容としては"見るなのタブー"の要素が強いし……。

 

 ───と。

 くだらないことに思考を回しているうちにすっかり洞窟の出口だ。じめじめとした空気はもうない。目の前の壁に手を向ければ、そこから乾いた風が吹き込んで傷口を撫でていった。

 

 そのまま手を強く握りしめて、焦止(ショート)した魔術回路から無理やり魔力を捻出する。同時に、魔術刻印を励起させる。

 

 

Meine Idee(原理を廻せ)

 

 

 手のひらを爪が食い破る。流れ出た血液が凝固する。朱い鐘が形成される。世界の空白を決して許さない菩提樹の鐘。

 

 リィン、と鳴らして孔を閉じる。来た時と同じように。これで結界からは感知されない。何事も問題なく。多少、くらっとするような酩酊感を覚えたものの、身体に異常は見られない。

 

 伸ばした手はそのままに前進する。俺の手は壁にぶつかることはなく、右腕すべてを飲み込んでいった。足は止めない。トプン、と全身が沈む。やがて、洞窟ではない広い場所へ出た。即ち地上である。

 

 これは恐らく幻術の類いであろう。おそらく御三家のみが知る秘密の通路。しかし来た時も思ったが本当によく出来ている。俺のような眼がなければ見抜くのはほぼ不可能な代物だ。

 

 

「…………お」

 

 

 ふと、爽やかな風が吹いた。

 乾いた空気と、冷え込んだ山中。鳥の声もかすかに聞こえている。

 

 地上はまだまだ夜の範疇ではあるが、東の空がにわかに明るくなってきていた。早朝。あと一時間とせずに太陽は姿を見せる。そうしたら取り敢えず魔術師の時間は終わりだ。

 

 なにがどうしたというわけでもないけれど、なんとなく、胸に込み上げるものがあった。云ってしまえば、それは達成感のようなものか。

 

 

「なに黄昏(たそがれ)てんの、クシロン?」

 

「今は夜明け前だぞ、カノン」

 

「そういう意味じゃなくて、なにボケーっとしてんのって言ってんの!」

 

「分かってるって。……ただのジョークだろ」

 

 

 さっさと帰ろう。モタモタしているとカノンがか弱い少女に戻ってしまう。それに多分、朝になればサリエルの宝具が解除される。もしくは、解除されないまでもランクダウンすることだろう。彼女は夜の闇があってこその存在ゆえ。

 

 "主は昼と夜とを別けられ、昼には大きな光を、夜には小さな光を任された"────

 

 月の運行を司る天使は夜でこそ万全の状態となる。サリエルがカノンに引っ張られて人間性という弱点を獲得したように、カノンもまたサリエルに引っ張られて昼という弱点を抱えてしまった。

 

 多分、二人は交わらない方が強かった。

 

 ……まあ、これもどう見るかで功罪が変わるけど。

 

 

「ほら、夜が明ける前にホテルに戻ろう。この時間帯ならマスターもサーヴァントもお片付けの時間だ。流れ弾の危険もない。気にするべきは太陽の昇る速さだけなんだからさ」

 

「そうだね。───あ。そういえば、これでマクレミッツさんは起きるのかな?」

 

「まさか。確かに『悪』との繋がりは断ち切った。けど、マクレミッツが昏睡していることとヤツは関係ない。せいぜい悪夢を見る回数が減るくらいだよ」

 

「そうなんだ……。ま、()な夢なんて見ないに越したことないし、良かった良かった!」

 

 

 しばらく歩いて、ゴツゴツした岩場から林の中へ移動して、やがてアスファルトの道路に出た。今日──いやもう昨日か──の夜に訪れた時よりずっと荒れている。

 

 陥没した道路。

 ひび割れた擁壁(ようへき)

 薙ぎ倒された木々。

 まるで嵐が通り過ぎていったかのよう。

 

 とはいえキャスターの結界はいまだ健在だ。一昨日とは違う陣営のようだが、昨夜もまた、襲撃者は魔女を獲り逃がしたらしい。

 

 破壊痕を尻目に、俺たちは山を下りて深山町の住宅地へと足を踏み入れる。

 

 時間も時間だ。まったく人の気配はなく、閑散としている。ごく稀に明かりのついた家を見るが、云ってしまえばそれだけ。街は眠りについている。

 

 かつん、かつん、と足音が二つ。俺のものと少女のもの。それだけが淋しく鳴っていた。あとは時々会話が発生するくらい。完全な雑談だ。中身のない、ごくありふれた日常の切れ端である。

 

 気がつけば深山町を抜けていて、目の前には新都へと繋がる大きな赤い橋。電灯によって(なまめ)かしく照らされた鉄骨構造が夜の冬木市に浮かび上がっていた。

 

 場所とその色を見て、なんとなく一つの陣営が思い浮かんだ。トオサカリンとアーチャー。赤い外套に身を包んだ彼女たちは、今どうしているのだろう。昨夜はどう動いたのだろう。

 

 それに────、

 

 "心臓に槍を喰らわぬことだな。アレの宝具はお前でも耐えられん"

 

 あの弓兵はなぜ、俺にあんな忠告めいたことを言ったのだろう……? まるで、俺がランサーと戦うことを知っていたかのように。

 

 

「…………」

 

 

 歩きながら考える。

 橋のちょうど真ん中に差し掛かろうかという所になっても、答えは出なかった。

 

 でも、まあ、考えてもしょうがない。

 

 これ以上聖杯戦争に関わるつもりはない。アーチャーはサーヴァントであり、この戦いが終われば退去する運命にある。訊く機会など、ないのだから。

 

 かつん。

 …………。

 

 

「…………あ?」

 

 

 ふと、足音が一つ減って、俺だけが橋の上で(かかと)を鳴らした。振り返れば、そこには足を止めたカノンの姿。彼女は、じっと前を見つめていた。蛇に睨まれた蛙みたいに、なにか、恐ろしいモノを見るように。

 

 彼女の視線を追うように、俺も視線を前方に戻す。

 

 

「────」

 

 

 思わず息を呑んだ。

 

 夜明けの太陽が、ひとりの男を照らしていた。

 

 黒いカソックに、シンプルな十字架(ペクトラ)。見間違う筈もない。彼こそはこの冬木市に唯一存在する教会の神父。そして、この聖杯戦争の監督役───。

 

 

「コトミネ、キレイ……!」

 

 

 それなりの距離があるというのに、俺の言葉が届いたのか、神父は俯いていた顔を持ち上げてこちらを見た。そして目が合う。その目には生気が欠けていた。死人のような目だ。

 

 それになにより、その目には正気が欠けていた。

 

 病んでるとか、そういうのじゃない。云うなれば、アレは"終わってるヤツ"特有の眼だ。何度か見たことがある。あの手の輩は厄介極まりない。

 

 1分ほど、俺たちは黙ってコトミネが歩いてくるのを待った。

 

 

「……随分と早い外出だな。こんな早朝では店など何処も開いていないだろうに。それとも、帰りだったかね?」

 

 

 眼前で立ち止まって、彼は言う。

 

 俺たちが()()()()()

 やはり朝になったら〈白道二十七宿(ルナー・サイクル)〉は解除されるか。そして当然、俺の能力も無力となる。『無』となった俺たちを閉じているだけなんだから、『無』であるという前提が崩れた以上は崩れ去る他ない。

 

 

「───帰りだよ。ちょっと野暮用でね」

 

「そうか。帰りか。やはりか。……こうなるなら、始めからあの女の死体を大人しく渡していれば良かったな」

 

「なんの話だ?」

 

「いや、ただの慚愧(ざんき)だ。"間桐の御老公が動くだろう"などと君への対処を後回しにしていたことを、いま私は悔いている。敵対的であるか、友好的であるか、初対面で決定してしかるべきだった」

 

「後回し? ランサーをけしかけておいてよく言う。下手したらアレで死んでたよ、俺は」

 

「そうだ。引かせず、追撃を加えるべきだった。私にはまだ切れる手札が残っていた。君の連れは強力ではあったが、()()()()()()()()であれば勝ち目は十分にあった」

 

「…………」

 

 

 さっきから、こいつ……どうした?

 奇妙な(たと)えだが、まるで、これから死ぬ人間が最期に懺悔(ざんげ)でもしているみたいだ。内容は物騒なくせに俺へ対する悪意ってのがない。本当に、ただありのままの自分を(さら)け出しているように見える。

 

 

「───私は、答えを出せるものをこそ望んでいた。それがあの聖杯だ。正確にいえば聖杯そのものではなく、その中身の方だが。

 しかし、それは君たちの手で消されてしまった。つい先程な。どうやってやったかはこの際重要ではない。いま、私にとって最も大事なことは結果だ。アンリマユ──"この世すべての悪"が退去してしまったという事実だけだ。アレの誕生を見届けられたなら、私は、私の答えが見つかると思ったのに」

 

「……? あ───お前……」

 

 

 決して、神父の言葉に何かしらの感じ入るところがあったわけではない。彼の生い立ちも、彼の気持ちも、彼の過去(いままで)を俺は知らない。多分視ようと思えば視れるけど、それは無意味な行為だから、やらない。

 

 理由は、俺が驚いて声を上げた"ある事実"に関係がある。

 

 

「どうした、アインナッシュの魔術師」

 

「……コトミネ、お前────、」

 

 

 何故ならば。

 

 

「────もう、死んでいるのか……?」

 

「ああ──────そうだ」

 

 

 何故ならば、言峰綺礼はもう終わった命だから。

 

 彼の心臓はとうの昔に止まっている。

 彼の生命活動は聖杯の"泥"が繋ぎ止めていたものに過ぎない。そして、彼を生かしていた"泥"は殺されてしまった。ついさっき、俺たちの手によって。

 

 ならば、電源を切られたロボットのように機能を停止するのが運命(さだめ)だ。

 

 いまはまだ、充電が少し残っている。けれど人間の生命活動で消費されるエネルギーは凄まじいものがある。それは燃え盛る炎にも似ていて、燃料を追加しなければすぐに燃え尽きて灰になってしまう。

 

 彼は、もうすぐ二度目の死を迎えるのだ。

 

 

「私の人生に(よろこ)びはなかった。アレならば、その理由を知っていると思った。……それだけの話だ」

 

「……そうか」

 

「最期に言葉を交わすのが君とはな。予想もしていなかった。私は凛か、衛宮士郎だと……いや、これは私の願望に過ぎないか」

 

「……そうだな」

 

「見ろ。あの朝日を。あんなに美しいのに、私の心は少しも動かないでいる」

 

「……美しいことにさえ気付かなければ、ある意味では幸せだったのかもな」

 

「…………。───そうかもしれないな」

 

 

 コトミネは歩みを再開する。俺たちにはもう目もくれず、あと少しで停止してしまう身体を動かして立ち去っていく。その姿は、さながら巡礼者のようでもあった。

 

 

「……てっきり戦うことになるんじゃないかって身構えてたんだけど、行っちゃったね……」

 

「ああ、俺も意外な展開だった」

 

 

 ……彼は、何処へ向かうのだろう。

 

 さっき言っていたようにトオサカリンか、エミヤシロウのところだろうか。しかし彼は"最期"と言った。だとすれば、行き先は大聖杯か。奇跡的にどうにかならないかと、彼は一縷の望みに賭けて向かったのだ。

 

 無論、どうにもならない。

 

 暗い洞窟の中、独りぼっちで彼は死ぬ。これほど寂しい終わりもない。

 

 

「"せめて安らかに。その魂に憐れみを"」

 

 

 去り行く彼の背中に、カノンが祈りの言葉を送る。

 

 多分アイツは地獄行きだけど、祈るくらいなら別にいいだろう。神様だってそこまで狭量じゃない筈だ。

 

 さて、ではホテルへと向かおう。

 

 俺たちは、コトミネとは正反対の方向につま先を向けて歩き出した。

 

 

 

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