アインナッシュは鐘撞堂の夢を見るか? 作:木彫りの心臓
番外編全三話です。
それぞれ短めです。話は繋がってないです。
なお、これらは読まなくても本編を楽しむのに支障はありません。
番外編その一 ある雨の日に
「はあ……! はあ……! はあ……!」
走る。走る。走る。
土砂降りの雨の中、泥だらけになりながら走る。
追手の姿は見えない。けれど、アイツらがこの程度でオレを見失う筈がない、という嫌な信頼だけはあった。だから、もうオレに出来ることはただガムシャラに走り続けることだけだった。
「なんでっ! はあ……! どうしてぇ……!」
などと言いながらも、本当のところオレはこの状況に心当たりがあった。ていうか、いつかこうなるとずっと昔から分かっちゃいた。
それでも泣き言が口から零れるのは、どうしたって納得できないからだ。
2年前───。
オレは封印指定を受けた。
きっかけは些細なことだった。ある日、仲の良かった友人の一人が
オレは、それが羨ましくてしょうがなかった。
だからオレは、禁忌に手を染めるつもりで、ある学科に転入した。
時計塔第二科。個体基礎科──ソロネア。
オレはそこで『起源』について学ぶことにした。
起源。それはあらゆる存在が生まれながらに内包する性質。決して逆らうことの出来ない絶対命令。生きる意味、と言い換えてもいい。
魔術師のみならず、あらゆる生命はその起源に引っ張られている。例えば、いつかの陸上の世界王者の起源は『走る』だったり、ある三つ星レストランのシェフは『料理』だったりする。もちろん全部が全部そうだとは言わないが、大抵のヤツはそうだ。
彼らは必ずしも自身の起源を理解していない。いや、ほぼ全員が理解していないだろう。
何故ならば、起源を自覚した人間はより強い力で起源に引っ張られることになるからだ。自身のサガである。逆らうのは大変困難なことだ。となれば訪れるのは破滅に他ならない。理性を上回る本能など、とてもではないが文明社会とは相容れるものではない。
魔術師とて例外ではない。堕ちるヤツはとことんまで堕ち続ける。
それを承知でオレは自身の起源を探り、そして研究することにした。
……悔しいが、家系の魔術だけではどうしたって落ちこぼれる。オレの人生は『停滞』の二文字で終わってしまう。そうならないためにはある種の劇薬が必要だったのだ。
死に物狂いで学んだ。
死に物狂いで働いた。
詳細は省くが、結果として───、
オレの人生は『停滞』の二文字で終わってしまった。
オレの起源は『停滞』だった。
才能とか、努力とか、家柄とか。何もかもどうでもよかった。オレはただ、この世界に生まれ落ちた瞬間から詰んでいた。
そして追い討ちをかけるように、自身の起源と家系の魔術を組み合わせたオレの術式が封印指定とされた。優れた魔術師であると認められないままに、希少価値だけを認められた。
起源は個人に由来する。
だから、たとえそれがどんなに下らないものであっても、唯一無二であると見なされやすい。事実として、
特別ではない特別にオレはなった。
逃げるようにロンドンを飛び出して、ロクに研究も出来ずに隠れるように暮らしていた。
そして、今日という日に終わりを迎えた。
「はあ……! はあ……っ!!」
スラムの裏路地を脇目も振らずに走る。
どうしようもない人生だったけれど、それでもどうにも死というものは怖い。死にたくない。まだ終わっちゃいない───そう信じたい。
封印指定は終わりの証。最低の烙印だ。
けれど、蒼崎橙子という反例がいる。彼女は封印指定の執行者を悉く返り討ちにしており、ついには執行者どもから手を引かせることに成功した。隠れ潜むように暮らしているのは変わらないらしいが、それでも他の魔術師と同じように、普通に生きている。
オレも、そうなるんだっ!
「────ッ!」
結界まで、オレの魔術工房までたどり着いた!
足をとめる。
魔術回路に火を灯す。
背後にいる、オレを『保存』しにきた執行者を討つために!!
いかに優れた魔術師殺しであろうと、他者の
「…………………………」
じくり、と汗が頬を伝う。それが本当に汗なのか、それとも雨や涙の間違いなのか、それはわからない。けれどオレの心情としては、それは確かに汗だった。
ガンマンが腰の拳銃に手を当てているような。
しばらくして。
カツン────。
と、雨の中で浮き上がる足音がして、闇から影がぬるりと近づいてきた。
「あれ? もう逃げるのは止めか」
年若い少年の声だった。
オレはそのとき、初めて追手の声を聞いたし、初めてその全貌を見た。
声の通り、追手の執行者は少年だった。まだ15にもなっていない年頃だろう。朱色が一束だけ混ざった黒髪。月のように輝く琥珀色の瞳。
いや、外見などどうでもいい。
オレが目を引いたのは、土砂降りの雨の中だというのに、ヤツが少しも濡れていないことだった。
よく見れば、ヤツの周りだけ雨が避けていた。透明な傘でもさしているような、見えない卵の殻を纏っているような、そんなかんじ。
異質な雰囲気だった。
「コーグラフ・ノーヴ。お前は封印指定を受けている。当然、それは認識しているな? "橋の下"までご同行願う。素直に従うならこちらも手荒なマネはしない」
続けざまに少年はそう告げてきた。その言葉が最後通牒であることくらいは理解できた。
「……おい、封印指定を受けたものがどういう扱いをされるか、知ってンのか?」
「? もちろん認識しているが、なんの話だ?」
「なら! 当然! オレの返答もわかってるだろうがぁーーッ!!」
魔術を起動する。
オレの起源を利用した『停滞』の術式。
オレの工房内であれば
ばつん。
「──────あぇ……?」
鳴ったのは指を鳴らす音ではなく、なにか、縄をナイフで切ったような音だった。べちゃりと、足元の水溜まりにはモノが落ちた音も。
そういえば、ヤツに向けて突き出そうとしたオレの右手はどこにいったんだ……?
「
最期に聴いたのは、そんな冷たい音だった。